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8ー8 通りすがりの吸血鬼と、塀

 


 ……別にそんなつもりはなかったが。

 自分を攫ってきた男たちを鼻血で撃退してしまったヘルガ。

 ──けれども、やはりそこはヘルガである。彼女は、その事実にまっっったく、気がついていなかった……。


「…………?」


 男たちが開け放って行った倉庫の扉を、眉を顰め怪訝そうに眺めるヘルガ。その戸口からは、外から風が吹き込んでヒューヒュー虚しい音を立てている……。


「…………」


 ヘルガは一瞬状況が呑み込めずフリーズ。ぼたぼた落ちていく自らの鼻血にすっかり気を取られ忘れていたが……

 そういえば自分はここに誘拐されてきて、今やっと閉じ込められた木箱の中から出られたのだった。

 ……しばし無言で考えたあと、彼女はボソリとこぼした。


「………………まあ…………とにかく、逃げましょうね……」


 余計な思考を追い払うように首を振ってヘルガは再起動した。

 逃げて行った男たちの『吸血鬼』発言はかなり気にはなる。しかし、それは今の自分には関係のない話(と思っている)。それよりも。今はここから早く脱出し、無事マルの元へ行くことが先決だった。

 ヘルガはおぼつかない様子で木箱に足をかけながら、そうよねと納得。


「世の中広いんですもの。通りすがりの吸血鬼くらい、たまにはいるかもしれないわよね」


 ……“たまには”とは……いったいどれくらいの頻度だと思っているのかは不明だが……とにかくヘルガは、ありがたくこの隙に逃げさせてもらうことにした。

 閉じ込められていた木箱の淵をなんとか乗り越えて。先ほど男たちが逃げて行く際に開けっぱなしにしていった戸口から外へ出る。そこまで二度扉があったが、誘拐犯たちはよほど慌てていたらしく、どちらの扉も開いていた。仕方ないわとヘルガ、謎の共感。


「吸血鬼に遭ってしまったんだもの。防犯なんて気にかけている余裕などなくても当然ですよね。ありがたいこと」


 吸血鬼さんありがとう、と、ヘルガは。誰かを襲いたての吸血鬼さながらの血まみれ姿のままで、しみじみと感謝した。……その“吸血鬼”は、彼女自身のことなのだが。


 さて。扉を出ると、あたりはとても静かだった。空はうっすらと明るく、まだ周囲は暗い。人影は見当たらず、そのことに少しほっとしながらも、ヘルガは慎重に屋外へ出た。

 古い煉瓦造りの建物が数棟。砂利の敷かれた地面に、石の道がそれぞれの建物の間を結んでいる。整然とすべてのものが整えられているが、少し寂しい印象の場所ではあった。今ヘルガは眼鏡をしていないので確かではないが……その景色には見覚えがないような気がした。


「……いったいここはどこなのかしら……」


 ヘルガは人の気配に気をつけながら、こっそり囚われていた倉庫を離れる。少しでも気を抜いて歩くと、地面に敷かれた砂利が大きな音を立てそうで怖かった。ゆっくり慎重に足を運び、できるだけ静かに辺りを見て歩く。

 そこは、町や集落のなか……というふうでもない。どちらかというと何かの施設といった佇まい。ヘルガは不思議に思う。それは想像していた誘拐犯の根城とはあまりにもかけ離れていた。


「?」


 傍にある建物の格子のついた窓を覗くと──ずらりと同じ扉が並んでいる。質素で、飾り気のない廊下は、何か──……まるでどこかの学園の宿舎のように見えた。


「……ここは、何……?」


 感じた違和感にヘルガは怪訝そうな顔をした。戸惑って見回すと、建物の後ろにそびえ立つ高い塀が目に入る。


「……ずいぶん高いわね……出口はどこかしら」


 疑問は感じたが。塀を見てここから出るという目的を思い出したヘルガは、とりあえずどこか塀の外へ出られる場所を探すことにした。建物の影に隠れつつ塀の傍まで行き、それに沿って進んだ。石造りの塀はかなりの高さだ。ざっと見て大人の身長の二倍以上はあるように見える。ヘルガには到底越えられる高さではない。


「困ったわ……」


 ヘルガは嫌な予感がした。この塀の堅牢な様子からしても、ここはかなり守りの硬い場所らしい。こういう場所は、たいてい出入り口の警護も徹底されていて、門番などが人の出入りを監視している場合が多い。ということは、誘拐犯達に見つかりたくないヘルガが、今その出入り口を使うのはかなり危険である。ここにいるすべての者が誘拐犯の一味なのかはまだ不明だが、彼らがここにヘルガを運び入れたということは、その可能性も大いにあるのだから。


「あの高さの塀をよじ登るわけにもいかないし……」


 しつこく自分の体力が向上したと豪語する彼女も、さすがに自分にそこまでの能力が備わっているとは思っていないらしい。ぐるりと視線を動かしてみても、塀に切れ目らしきものが見当たらない。どうやら施設をまるごと囲っているようである。


「? ここはいったい……まるで刑務所みたいだわ……」


 と、その時、遠くに建物と建物の間を急ぐ人影が見えた。


「!」


 男達が戻ってきたのかと慌てたヘルガは、急いでスカートの裾をつかみ物陰に身を隠した。息を潜め、こっそりとそちらを窺う、と──


「──あら?」


 ヘルガが小さく声を漏らす。視線の先にいたのは、先程の男達ではなかった。人影は、どうやら二人組の女性。黒っぽい服を着ていて、こちらに背を向けて急足で去って行く。

 それを見たヘルガは、しかしほっとする前に首を傾げる。彼女達にどこか見覚えがあるような気がして……。……が、


「……だめだわ、よく見えない……」


 ヘルガが困ったような顔でため息をつく。

 昨日、母から宴の前に眼鏡を取り上げられてしまって、そのまま会場を飛び出してしまった。裸眼のヘルガでは、遠くの人物はぼんやりとしたシルエットでしか確認できない。もどかしそうに懸命に目を細めているうちに、その人物たちはどこかへ歩いて行ってしまった。


「ああ……予備の眼鏡をドレスに忍ばせておくんだったわ……」


 失敗したと悔やむヘルガは、どうしようかしらと迷った。先程の人たちを追いかけてその正体を見極めるべきか。もしくは外への出口を探すべきか。いや、本当ならば出口を優先すべきなのだが……


「でも、あの姿形……どこかで見た覚えがあるのよ……」


 どこだったかしらと、ヘルガは思い出そうと懸命に記憶を探る。額に手を当てうんうん唸る。

 先程の者たちが誘拐犯たちの関係者かどうかはまだ分からないが……その正体が分かれば、ここがどこかも分かるかもしれない。


「黒い服……あのシルエットは……あ……」


 つぶやいて……──ふと……脳裏に閃くものがあった。


 ──ヘルガの父は、普段からそれらの場所に行くのをとても面倒臭がった。ただ、その組織は国にもとても影響を及ぼす存在で。仕方なしにと毎週、家族総出で連れていかれたものだった。

 けれどもヘルガ自身はとてもその荘厳な空間が好きで。父の手前あまりたくさん通えはしなかったが、そこで出会う聡明で清廉な人々のことも尊敬し、そこで行われる活動にも喜んで参加していたのだが──……。


「…………そうだわ……あれは……」


 ヘルガがハッとして顔を上げる。まるくなった瞳が先程の人々が消えた方向を見つめた。


「あれは……あの格好は──……シスター、だわ……」


 ヘルガは唖然とした。先程連れ立って向こうに消えていった二人組。黒と白の長いベールはシスターたち特有のものだった。

 ということは……と、ヘルガは戸惑う視線で周りを見る。


「……教、会……?」


 しかし言ってから。すぐに打ち消すように首を振った。


「いいえ……そうじゃないわね……」


 今はまだ夜も開けたばかりという時間帯。こんな早朝にシスター達がいる場所は教会ではない。

 ヘルガは周囲を囲む、侵入者を拒むような高い塀を見上げる。

 教会は開かれた場所だ。何者の訪れも拒むことはない。しかし、あれがシスター達を守るものであるのならば納得はできる。塀に守られたシスター達の生活の場所。

 

「……修道院……」


 そう考え至って。しかし、でもなぜとヘルガの目が戸惑いに泳ぐ。

 まさかと思った。どうしてそんな神聖な場所に誘拐犯たちが自分を連れてきたりしたのだろう。しかもあんな乱暴なやり方で。


「……ど、ういうこと……?」


 思わず声が掠れる。ヘルガは立ち尽くし、まじまじと周囲の建物に目をこらす。答えを求めて深く思考を巡らせるが──それでもさっぱり理解できず、余計に途方に暮れることになってしまった。

 その──背後に迫る気配には、ヘルガはまったく気が付かない。


 彼女はちょっと待ってと額を手で押さえる。


「それに──わたくしに見覚えのない修道院ということは、教区が王都付近ではないということに──」


 と、つぶやいた次の瞬間。

 ガッと耳の傍で嫌な音がした。


「!?」


 背後から振りかぶられた何かの重い衝撃。

 ひどい痛みとともに、目の前には一瞬稲妻が走った。そして──世界が消える。


「っ」


 ヘルガは声を上げる間もなく、再びぶっつりと意識を失った。







お読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 謎が謎のまま、しかも痛いところで終わってしまった! マルさーん、あなたのヘルガが大ピンチだよー! 急げ!!!!
[一言] ヘルガ流石にピーンチ!
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