8ー1 立ち上がる
「はぁ……」
侯爵邸の玄関で、ヘルガがため息をついた。
これからどこかに出かける予定なのか、本日令嬢は濃紺の上品な外出着を身につけている。しかし、彼女の表情にはどこか暗雲が漂い、顔色もすぐれなかった。
「…………」
ヘルガはエントランスに置かれたベンチに背筋を伸ばして座り、何かを考え込むように腕を組んでじっと黙り込んでいる。
その周りには──見慣れぬ戦士ふうの女たちが数人。いかめしい顔つきで、ヘルガを守るように立っていた。
それは、一見すると……どこぞの美貌の悪役令嬢が、手下を従えてベンチでふんぞり返っているようにも見えるが──……
「…………」
改めて彼女たちの背を見たヘルガは、どこか疲れたような顔をした。
五名ほどの女性たちは、ヘルガを取り囲むように立ち、周囲に警戒するような視線を絶えず送っている。腰には細身の剣を携えていた。
「…………」
普段のヘルガなら、その装備品の一つ一つにも興味を持ったことだろうが……今はとてもそんな気分ではなかった。
この女性たちがいったい何者かというと……ヘルガの父である侯爵が、新しく娘につけた護衛たちだった。……その物々しさに、ちーんと途方に暮れるヘルガ。
(……、……、……なんだか……とても息苦しい気がするわ……)
さて、どうして彼女がこのような状態になったかというと……もちろんすべては父の意向である。
侯爵とその妻は、これまでは、こと四女ヘルガに関しては、とことん放任であり、用事のある時にだけ呼びつけるような親であった。が……それがどうしていきなり自分に護衛など。どういった風の吹き回しだとヘルガも思ったのだが……
つまりこれは、彼女が王太子の婚約者候補に選ばれたゆえの措置だった。
前回の選考の際は自分の娘は候補にも選ばれず、見事婚約者に内定されたモニカとその父に大いに嫉妬していた父。彼としては、もちろん今回のヘルガの選出は願ったり叶ったりだったわけで……今回の父と母の手のひら返しはすごかった。
報せが来た日、ヘルガを出迎えた父たちは本当に小躍りして喜んでいた。
そんな父と母がヘルガにかけた言葉はといえば……
『さすが我が娘! きっとこうなると思っていたぞ! よくやった!』
『当然よ、ヘルガはわたくしにそっくりなんですもの! そうよね愛しい娘!』
……だったもので……ヘルガの表情の能面レベルは更に硬化した。
これまではいてもいなくても変わらないという扱いで、両親にも兄弟たちにも見向きもされなかったが……今ではヘルガは侯爵家の希望の星と化したらしい……。
しかし、それで家が居心地がよくなったかと言われればそうでもない。
それからというもの、毎日、他の候補者に負けぬように美貌を磨けだの、教養をつけろだの言われて色んなことをさせられる。娘が王太子の婚約者候補に上がったことが鼻高々の母には、挨拶回りという名の自慢回りに強制連行されるのだが……自慢ばかりの母に、相手が嫌気のさしたような顔をしているのにも母はお構いなしだった。
そんな母や父の自慢の吹聴のせいで、周囲からのヘルガに対する視線には今までよりもさらに冷たいものが混じるようになってしまった。
更には兄たちからは嫌味と当て擦りのオンパレード。どうやら……一番下に見ていた妹が、突然父と母の関心を買ったことが相当面白くないらしい。
おまけに、他の候補者たちからの攻撃を恐れた父がこうして物々しい護衛をつけてくるわで……。あの日以来、ヘルガにはまったくと言っていいほど自由な時間がなかった。
「はぁ……」
思わず再びため息が溢れるが……周りにいる女性たちは振り返りもしない。きっと職務とは関係ないことはしない方針なのだろう。彼女たちの仕事はヘルガの護衛だけである。
しかし、こうして周囲にたくさん人がいるのに、誰とも視線が合わない状況は、どうしてだか、余計に寂しさが助長される気がした。
ヘルガは肩を落として、母を待った。今彼女がここで待機しているのは、これからまた母と出かける予定があるからである。着飾るのが好きな母は支度がとても遅かった。
やれやれとヘルガ。
気持ちも沈み、身体も重くて堪らない。
こんな状況だから、今では自由に出歩けず、おかげで……あれ以来マルにも会えていない。
ヘルガがしゅんとしているのは、それが一番の理由だ。
(……マルさん……)
毎日目まぐるしいが、こうしてふと立ち止まった瞬間には、いつもあの菫色の瞳の青年の顔が脳裏に浮かぶ。
なんとか彼ともう一度会って話をしたかった。が……父も母もヘルガにみっちりしたスケジュールを押し付けてくるし、父らに命じられているのか、護衛たちもヘルガの外出を許さなかった。
彼女たちは四六時中ヘルガについて周る。おかげでなぜか物の紛失がなくなった(※盗難被害や嫌がらせに遭わなくなった)し、疲れてぼんやりしたヘルガの頭にカエルや虫が留まっていたりすると、黙ってそれを取ってくれるので助かる面もある、が……正直ヘルガはとても窮屈な思いをしていた。
先出の通り、女性たちはヘルガと話すことを職務としていない。やるのは護衛だけ。
話しかけてもそっけなく、唯一リーダーらしき一番屈強な赤毛の女性が、時々二言三言応じてくれることもあるが……どうやら父からもあまりヘルガと話をするなと言いつけられているらしい。彼女たちは話し相手にはなってくれなかった。
それを察して、ヘルガはとても悲しかった。
誰も、ヘルガに彼女の意向を聞いてくれないのだ。
王太子の婚約者の候補には上がったが、王室はもちろんそれぞれの娘たちに応じるか否かという打診をするわけだ。しかし、父はヘルガ自身にはそれを確かめず、勝手に了承の返事をしてしまった。
それを聞いて、ヘルガは、父の頭には、子供たちが彼の意に反するなどという考えは微塵もないのだなと改めて思った。とことん自分の子供たちを、利用することしか考えていないのだなと。それが手に取るように分かってからは、どんなに父に褒め称えられても虚しいだけだった。
ヘルガの口からまたもやため息が漏れ落ちる。
このままでは、もう二度とマルに会うことができなくなるかもしれない。
王太子の婚約者として選ばれればもちろんだが、父や母がこんなに意気込んでいる以上、その期待を裏切った時、きっとヘルガはこれまで以上に厳しい立場に置かれるだろう。
そう思うと、いっそうマルに会いたくなって。目頭が熱くなって来た。
もういっそ──と、思ってしまう。
(もういっそ……何もかも放り出してしまいたい……)
ヘルガには意見などないような扱いは堪らなかった。ヘルガが何かを言っても、『それが当然よ、何言っているの?』と、さも当たり前のように従順さを両親から求められると戸惑ってしまう。
いや、前はそれでヘルガも当然と思っていたのだ。だけど、今は。マルがヘルガの取り止めもない話を、延々聞いてくれた日々を思うと、何かを変えたくなってくるのだ。
けれどと、ヘルガ。視線を上げると、もどかしさに想いが萎む。彼女を取り囲む隙のない女性たちの背。
すべてを放り出したくても、こう周りをがっちり固められていては逃げ出すことも難しい。ヘルガ自身は気が付いていないが……彼女はとても運動神経が悪い。この鍛えられた身体をした女性たちならば……おそらくヘルガが突然走り出したとしても、一瞬で連れ戻されてしまうことだろう。
(……でも)
ヘルガは空を見上げる。
(もし──)
もし、何もかも放り出したヘルガがマルのもとへ走って行ったとしたら──その時、マルはどう思うのだろうか。
驚くかしら、そう思うと──自然とヘルガの腰はベンチの座面から浮いていた。
お読みいただきありがとうございます。
ちょっと何度か書き直しを繰り返してしまったので時間がかかりました。
いろんな展開を考えましたが、やっぱりヘルガには自分の力で立ち上がってほしいです。




