7ー1 居場所 メルヴィン
結局、メルヴィンの婚約者の選定はやり直すことになった。
王妃のサロンで彼が『ヘルガを王妃に』と宣言した出来事は、もちろん一部の人間には伝わったが……
しかし、納得しない者が多いのも事実だった。──が、当の本人はあっさりと言う。
「まあいいさ、新しい戦いがはじまったというだけのこと」
望むところだと言いたげに鼻を鳴らす王太子メルヴィン。
そんな主人の顔を傍で見ていたグラントは、このお方はすぐにこういう暗い目つきをするなと呆れる。だが一方で、その皮肉っぽい顔つきが何故か美貌を引き立てているのだから不思議である。
そしてその主人は本日、どこか軽い足取りで王宮の廊下を闊歩する。それを意外に思ったグラントが問う。
「……殿下、結構お元気ですね。昨日は散々大臣たちと派手にやり合っておられたのに」
「ん?」
──昨日。メルヴィンの婚約の件は、国王や王妃、更に大臣や高官たちの間で話し合いの場が設けられた。
王太子の婚約者は、未来の王妃を決める国の大事。
王太子本人の一存だけで『ではあの方で』とはいかないのが実情である。
前回の選定の際に集められた娘たちも、モニカの内定を知らされたあとすぐに別の婚約が決まった者もいて、そのままリストから選び直せばいいというものでもなかった。
昨日メルヴィンは、その選定会に乗り込んで行って。もちろんヘルガをゴリ押ししてきたわけであるが──それで大臣たちと派手に揉めたのである。
本日はその選定会の二回目。当然今回も大臣たちも出席する。グラントは、当然メルヴィンが不愉快になるだろうと思っていたのだ。
しかし、その問いに、メルヴィンはなんでもないことのように返す。
「怒っていてなんになる? あそこは戦場だよ。怒りは冷静さを奪う。冷静でいなければ、勝機を逃す」
「……」
メルヴィンは苦笑して、それから振り返りグラントを見た。その視線を受けたグラントは唖然とする。
このお人は……なんという眼差しをするのだろうと思った。くっきりと形良いメルヴィンの瞳が見開かれると菫色の虹彩が冴え冴えとして見えた。まるでそこには何か特別な力でも宿っているかのようだ。メルヴィンは、口の端を持ち上げて強い口調で言う。
「私は、絶対にヘルガを手に入れたい。──そのためになら……怒りなどいくらでも殺せるさ」
「…………」
言ってからメルヴィンはにこりと護衛に微笑んで、前を向く。「それに」と声が続いた。歩き出した主人を見て、一瞬メルヴィンの覇気に呑み込まれていたグラントがハッとして慌てて続く。
「……はい」
「大臣たちからは当然反対の声はあるものと覚悟していた。彼らは野心が強い。自分の身内の娘を王太子妃にしたいだろうからね」
メルヴィンはフッと笑う。
自分たちの所属する派閥内から王太子妃が選ばれれば、勢力拡大に直結する問題なのだから大臣たちも必死だ。王太子メルヴィン自身が『ヘルガ以外は無理』と宣言しても、なかなか一筋縄ではいかない理由はこれである。
「……勝機はありますか?」
気遣わしげにグラントが問うと、メルヴィンは勿論だと力強く言う。
「そのために今いろいろ動いているところだ。ま、でも今回は父上が私の味方をしてくれているからね」
父王とメルヴィンはとても仲がいい。ただ、父は、もともと王座を得るとも考えていなかった元第五王子という生い立ちで。のんびり王立学園で昆虫の研究をしているところを、兄王子たちの死や不祥事で王位を継ぐこととなったという人物だった。研究者気質で、普段は、元隣国の王女という王妃や、高圧的な大臣や高官たちには押され気味だが、しかしメルヴィンは父が好きだった。気弱なところもあり影が薄いが、穏やかな政治を行う良い父である。
メルヴィンは少し目元を緩め、穏やかな表情を見せた。
「父上とヘルガは気が合うと思うんだよね、二人とものんびり屋だから」
嬉しそうなメルヴィンに、しかしグラントは表情を曇らせたままだった。
「はぁ……それはそうかもしれませんが……そのためには選定会で大臣たちを納得させなければなりませんが……」
大丈夫ですか? と、グラント。
昨日の選定会は場が紛糾してまとまらなかった。それでひとまず日を改めて……ということになったのだが。
「なんでしたら配下の者を代わりに遣わしますが……」
王太子メルヴィンの務めは、何も妃の選定だけではない。将来の王として、さまざまな政務を担い、教育をも受けている彼は忙しい。彼は本日も早朝からそれらの責務を果たしてからここへ来ている。まあ、それは日中にヘルガに会いに行く時間を作るためでもあるが。
疲れているだろう主人を煩わせたくないと案じるグラントは、心配そうに眉を顰めている。利権が絡んだ時、大臣や高官たちは実にねちっこくしつこい。絶対にメルヴィンも疲れているはずである。
そんな護衛青年の不安そうな顔に、メルヴィンは苦笑して。しかし。
「言っただろう? 今回こそは絶対に、誰かの不正でヘルガが外されないようにしなければ。お前たちが気遣ってくれるのはありがたいが……」
この件だけは、と、メルヴィン。
「どうしても、これ以上はもう間違いが起こらないようにしておきたい」
「……」
「私自らが赴いて、私が本気で心を砕いていると知らしめることが大切なんだ」
無言で応じる護衛に、メルヴィンは心配するなとその肩を軽く叩く。
「腹黒狸共とやりあうのは疲れるが、ヘルガの顔を見ればすぐに回復するし」
「はぁ……左様ですか……(まあこのお方も大概腹が黒いしな……)」
──と護衛にため息をつかれつつ。余裕を見せて笑っていたメルヴィンは……
その三時間後。王立図書館で、顔面を引き攣らせて怒り狂っていた。
「……、……、……」
と、そんな無言で渋面を浮かべているメルヴィンに、グラントがスン……とした顔で言う。
「……殿下? 怒って冷静さを欠くと勝機を逃しますよ」
自身の台詞を繰り返された男は、鬼のような形相で騎士を睨む。グラントは呆れ果てている。
「やれやれ……殿下は大臣たちにはお強くあらせられるのになぁ……やれやれ……」
「黙れグラント……」
地を這うような声。不機嫌さ全開のメルヴィン。
その視線は──窓際にある彼とヘルガのいつもの定位置。図書館備え付けの窓に面した読書スペースに向けられていた。
そこにはいつも通りヘルガの姿が。
選んだ本を普段通り自身の傍に積み上げた令嬢は、椅子に座り、メルヴィンたちのほうに背を向けている。
その隣に──青年が一人。
いつもならば……メルヴィンが座っているはずのその席に──茜色の髪の後ろ姿。
──オーディー・エバーハートだった。
二人は一冊の本を間に置いて座り、共にその内容について熱心に話をしているようだった。
開かれた紙面を指さしたり……その姿はとても親しげに見えて。
「…………」
メルヴィンは。当然の如く、肩を並べ合う二人に激しい嫉妬を覚えたが──それ以上に、その居場所。ヘルガの“唯一の話し相手”という立場がもうすでに揺らいでいるということを知って──強く──衝撃を受けた。
「…………」
「……で、殿下? 大丈夫ですか?」
言葉を失くして立ち尽くすメルヴィンに、どうやらこれは本気でショックを受けているらしいと察したグラントが慌てる。
「お──俺、行って司書を追い払ってきましょうか!?」
グラントが駆け出そうとすると、その腕をつかんでメルヴィンが止める。
「いや──いい……」
「殿下?」
沈んだ眼差しにグラントが焦っている。が……メルヴィンは彼の腕を離さなかった。
「ヘルガは熱心に話し込んでいるようだ。……邪魔しては悪いだろ……」
スッとそらされた視線の中には落胆が滲む。──が、表情を強張らせたメルヴィンは、身を翻してそのまま図書館の出口のほうへ足を向ける。
「殿下!?」
「……」
──見ていられなかった。ここに自分がいることすら、ヘルガに気がつかれたくないと思った。
意外な程に、ひどく自分が動揺していることに気がついたから。
それは、ヘルガの作った料理を取られたなどという嫉妬とは──比べ物にならない重さがあった。
どうやら──と、メルヴィンは気がつく。長い間、ヘルガと二人で過ごしたあの席は、彼にとってとても特別なものになっていたようだ。
『あの場所は自分のものだったはず──』
そう思うと、それが身勝手な決めつけによる独占欲だと分かっていても抑えられそうになかった。
あんな席、どこにでもあるただの椅子と机ではないかと心の中で嘲笑ってみても、そうではないのだと苛立ちが腹の中で暴れ回るようだった。
「──帰るぞ」
「え!? で、でも殿下……ま、待ってください!」
──今の顔を、ヘルガには見せたくなかった。
きっと、今生一醜く歪んだ顔をしているに違いない。
自分が腹黒い性質だと分かっているがゆえに。今ヘルガに会えば、それがすべて彼女に露呈してしまうような気がして恐ろしかった。
お読みいただきありがとうございます。
さて、そろそろもう一波乱。
以前こちらでも更新させていただいていた「偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい」文庫版が発売されました。
興味のある方はお手に取っていただけると嬉しいです( ^∀^)




