5ー3 ヘルガのキャラ弁の行方
ヘルガ・アウフレヒト嬢。
この方は、と、図書館司書のオーディー・エバーハートは、つい会話の途中で考える。
彼女は非常に美しい令嬢で。よく一人で彼が務める王立図書館へやってくる。
透き通るような白い肌に、宝石のような氷色の双眸。ほとんど表情が変わらないことと、しとやかな仕草が相まって、彼女が静かに椅子に座って本を読んでいると、まるで体温を持たない人形のようにも見える。佇まいは美しいが、人を寄せ付けないものがあった。
そんな彼女の印象が少し変わったのは──ある時、図書館の外で彼女を見かけた時。
図書館周りには林がある。そこにはよく鳥がいて。
その時も、立ち止まる令嬢の視線の先には──一羽のカラスが。
何となく、そのツーショットはただならぬ感じがした。冷酷と噂の黒髪の令嬢と、漆黒の翼を持つカラス。……何となく、魔女と使い魔のようだと、恐ろしく思ったことを記憶している。
──だが。
ヘルガ嬢は、真っ黒な日傘を優雅にさしたまま、じっとそのカラスをしばし冷たい眼差しで見つめていたが──……不意に言った。
『…………ご苦労様です』
その恐ろしい呪文でも出てきそうな唇からこぼされたのは。何故か──ねぎらいの言葉。
オーディーは……思わず『え?』と、言ってしまった。
と、ヘルガがその声に気がついて。
『!』
振り向いた令嬢と目が合って。オーディーは少し怯んだが……。
令嬢は、眼鏡の内側で少し怪訝そうな顔をしただけだった。
『……エバーハートさん?』
『え、あ……すみません』
ひそめられた眉につい謝ってしまうと、眼鏡の向こうで令嬢が今度は眉を持ち上げる。その表情が不審そうだったもので、オーディーは慌てて尋ねた。
『あ、いえ……ヘルガ様がカラスに何かおっしゃていたので、それが気になって……』
『?』
慌てて手を振る青年にヘルガは不思議そうである。
オーディーも、まさか、「いったいあの顔で──今にも『下賤なカラス……あっちへおゆき!』……とでもカラスを罵りそうに鋭い眼差しだったあなたが、何故カラスに『ご苦労様です』と……?」とは聞けず。困っていると、しばし黙っていたヘルガが、つと指差して言った。──ちなみに……カラスはもうとうに飛び去ってそこにはとっくにいないが。
『あの方が──』
『(あの方……? え? カラス?)』
『先ほど大きな青虫をクチバシに咥えていらしたので』
『……青虫……?』
『あらご存知ありません? あのなんとも恐ろし……いえ、不思議なお姿の──』
『い、いえ青虫のことは僕も存じ上げております……』
淡々と説明しようとする令嬢に慌てて否定すると、『あらそうですか』と返ってくる。その様子がどこか奇妙だった。
噂では、とても冷淡で恐ろしい令嬢ということだったが……今目の前で青虫について教えてくれようとしてるヘルガの語り口調は丁寧である。平民のオーディーに対しても、カラスに対してすらも。
『それで、わたくしがあの方(※カラス)を労っていたのは、あの方が青虫を捕食なさっていたからです。ありがたいなぁと思いまして……』
『……え……何故……?』
意味が分からなすぎて戸惑うオーディー。
しかしよくよく話を聞くと、つまりヘルガは……自分は虫が苦手だから、それを林でとって食べてくれたカラスに礼を言ったと、そういうことだったようだった。
その返答に、なんと言えばいいのか戸惑うオーディーの前で、ヘルガは少し表情をかげらせて。
『あの子(※おそらく青虫)には可哀想な気もいたしますが、この世は弱肉強食ですからね……あの方も生きねばなりませんから』
『……なる……ほど……?』
ヘルガのしみじみしたセリフに、納得したような言葉を漏らしながらも……オーディーの表情は、困惑に満ちている。
いや、令嬢の言っていることは分かるのだが……なんだか、この冷淡な真顔の下で彼女がそんなことを考えているのだと知らされると……とても、微妙な心持ちだった。
しかしとにかく。この出来事があったことで、それまでは図書館で令嬢に応対する時もビクビクしていた司書オーディーは。噂の令嬢ヘルガが、そんなに恐ろしい令嬢ではないのだということが分かった。
噂に疑いを向けて冷静に考えてみれば、そういえば彼が彼女に何かされたことはなく、高慢にあしらわれたこともない。
彼女の借りていく本は、歴史書や真面目そうな文学集や、詩集のようなものばかりで。
(勉強家なんだな……)
そう少し興味を引かれると、図書館内でもよく遭遇するようになった。──ヘルガが棚に手を伸ばし、上から落ちて来た本で頭を打ったり、集中しすぎで書棚に顔面をぶつけている場面に。
そんな場面に遭遇する内に、つまり、彼女は実はぼんやりしているのだなとなんとなく察したオーディー。そんな彼女が何だか不憫で。それとなく手を貸したりしてきたが、そうすると──そのうち困ったことが起こりはじめた。
それは、こういうことだった。
過去から現実に意識を戻したオーディーは、げっそりして言った。
「…………あの……ヘルガ様……お弁当、は、とてもありがたいんですが……その、後ろの方が……」
オーディーは少し青ざめて、彼にバスケットを差し出してくる令嬢に言った。
キョトンとしたヘルガの背後には──オーディーに向けて憎しみを放つ男が一人。
その銀の髪の青年は、よく彼女と一緒にいるところを見かける美男子である。高級そうな眼鏡の内側の美しい菫色の瞳から、彼、オーディーに向けられる敵意の厳しいことといったら……なかった……。つまり、オーディーが先ほどからげっそりしているのは、彼のせいである。
…おいメルヴィンやめろ。笑
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