5ー1 修道院
王立図書館の窓辺でうっとりと外を眺める麗しい青年がいる。
うららかな日差しの窓辺で、その姿はまるで何かの絵姿のようだが──彼の菫色の瞳は、一心に外の何かに注がれている。
「…………今日もぼんやり歩いてるなぁ……」
「殿下? どうか──……ああ、ヘルガ嬢がいらしたのですね」
遠くを見ながら幸せそうにつぶやいた主君に、グラントがその視線の先を見て頷く。
二人の青年がいるのは、王立図書館の二階の窓辺。
上から外を見ると、王立図書館前の道を歩いてくるヘルガがよく見える。
彼女は緑の植え込みに挟まれた道を、優雅に歩いて来る。──それを見たメルヴィンがクスリと笑う。
「見ろグラント……ヘルガときたら、せっかく日傘を持っているのに……すっかりさすのを忘れてる」
「え? あ、いえ、おさしになりましたよ。……もう日陰ですけど」
腕に日傘を下げてきたヘルガは日の当たる道を歩いてきて──ふと気がついて日傘を広げ、何食わぬ顔で歩いているが──そこはすでに建物の影に入り、日のささない場所であった……。
「やれやれ……あれでは日傘の意味がないねぇ」
呆れたようなセリフを吐きつつ、メルヴィンはヘルガが可愛くて仕方ないという顔をする。
どうやらヘルガはまた、ぼんやり何かを考えながら歩いているらしい。
うっかり日傘をさすべきタイミングを逃し、ワンテンポ遅れて気がついて。さした頃には日陰に入り、まったく意味をなしていない有様を見て、グラントが少し不憫そうな顔をした。
「……なんというか……あれだけ凛としたお姿で歩いていらっしゃいますから、一見かなりのしっかり者にお見えになるのですがねぇ……」
「まあ、そんなところも可愛いし、そんなヘルガの可愛いところに気がついているのが私だけっていうのも、ま、いいものだよ」
うっとり窓の外、遠く歩いて来るヘルガを見つめている王太子に──グラントは「……俺、カウントされてないな……」と、思ったが。まあ黙っておいた。グラントもメルヴィンに言われなければヘルガのおっとりした内面になど気がつかなかっただろう。
グラントも、メルヴィンの視線を追ってヘルガを眺める。
「お綺麗ですから、ああして歩いておいでなだけで、ドラマチックな雰囲気を身に纏っておいでの御令嬢なんですがね……」
感心しているグラントの言葉にメルヴィンが「あんまり見るな」と嫌そうな顔をする。
「……多分、そのドラマチックの内側でまた小さな毛虫とかについて考えてるよあの子は。おやおや今日もいっぱい荷物を抱えて……あれ? ……ヘルガはこの間ここで借りた本は全部台無しにされたから──今日は手元にはそんなに荷物はないはずだけどな……」
ふとメルヴィンが怪訝そうな顔で首を捻った。
昨日、モニカが台無しにした図書館の書物はすでにヘルガが弁償して、使用人たちによって図書館に届けられている。手元に残ってるのは『マーガレット・ラブ著 ゲット! お嬢さま必見☆愛する人を落とす方法♡』くらいのはずだけど……と、記憶を探るメルヴィンに──グラントは言った。
「…………殿下、ヘルガ嬢の借りた本をすべて把握して暗記しようとするのやめてください。気持ち悪いです」
呆れの滲むそれを、無論、メルヴィンは無視した。
「ヘルガ!」
「? あらマルさんご機嫌よう」
メルヴィンが階下に降りて声をかけると、王立図書館のカウンター前にいたヘルガが彼を見て、淡々とした声で「昨日ぶりですね」と応じる。しかし彼女の視線はすぐにメルヴィンから外された。
彼女はカウンターで司書と向かい合って話しをしていた。メルヴィンが不思議そうな顔をする。
ヘルガに応対している男性司書が手に持っているのは、例の恋愛マスター・マーガレット・ラブの、ラブリーで華やかすぎる本である。しかしそれ以外にカウンターには本もなく、ヘルガが借りた本を返却しているというふうでもない。
その割に彼女は大きな長四角のバスケットを腕に下げていて。荷物の多さにメルヴィンが首を傾げる。
「……本の返却に来たのではないよね? これからどこかに行くの?」
尋ねると、ヘルガは少しだけメルヴィンを見て。「ええ」とだけ言い、司書に向き直る。
「?」
「オーディーさん……」
ヘルガはカウンター越しに、じっと司書の顔を見ている。……それがなんとなく気に食わないのか、メルヴィンが不愉快そうな顔をした。
と、ヘルガにじっと見つめられた茜色の髪の青年が困ったような顔で言う。
「あの……ですからヘルガ様。あそこは……ここからすごく遠いんですよ……ヘルガ様がお一人でお出かけになるのはちょっと……無理なのでは……」
「いいえ、大丈夫です。わたくし通りで馬車でもつかまえます。ちゃんとたくさんお小遣いも持って参りました」
「お、お小遣い……」
微妙な顔をする司書に、ヘルガはキビキビと財布を出して中身を見せる。途端司書が、うっ……と、いっそう微妙そうな顔をした。メルヴィンにもその中身がチラリと見えたが……
「ヘルガ……金貨詰め込みすぎだよ……」
そんな大金を持っていったいどこへ行こうというのか……。
ヘルガは困り果てた司書に真顔を迫らせている。その近さにメルヴィンは少々イラついた。
「ちょっと……君ら……顔が近すぎるんじゃない……?」
「? 何がです? いいからマルさんは邪魔しないでください。……オーディーさんお願いします。場所だけ教えていただければ……」
「い、いえ、馬車をお使いになるのならその者が場所は知っているでしょうが……でも……」
やはりおやめになったほうがと言う司書をよそに。ヘルガは「あら、そうなんですか?」と嬉しそうな顔をする。
ヘルガはそのままさっさと出て行こうと身を翻し。それを見てしまったと思ったらしい司書が慌てて彼女を引き止めている。
「オーディーさん有難うではわたくしはこれで」
「! ですから! 遠すぎます! ホワイトベル修道院なんてそんな! ヘルガ様だけでは無理ですって!」
そのやりとりを──後ろで聞いていたメルヴィンが、眉間にシワを寄せる。
「……ホワイトベル? ヘルガ、ホワイトベル修道院に行くって……いったい何故……?」
その名前には聞き覚えがあった。ここ王都からは随分離れた山奥にある修道院である。司書が困るのも当然だった。そこは馬車を使っても、日帰りで帰れるような距離ではない。そんな、軽く行ってきますと出かけていけるようなところではないのだ。
まさかとメルヴィン。
以前から、ヘルガは『父の命令を聞かなければ、勘当されて修道院送りになるかも……』とこぼしていた。
「──っ」
その言葉を思い出したメルヴィンは──ヒヤリとした何かが胸を撫でて行ったような冷たい感覚を覚える。
「……ヘルガ、ちょっと来て……」
「?」
青年は、少し青ざめた顔で、司書に引き止められているヘルガの手を取った。
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さて、また王太子がヘルガに振り回されそうな予感です。ヘルガはお小遣いを握りしめていったいどうしようというのでしょうか。




