4ー4 恍惚と、冷酷
広々とした王妃のサロンで、王妃に招かれた客たちが楽しげに語らっている。
応接間は明るいサンルームと隣り合っており、眩く開放感のある煌びやかな空間であった。
貴婦人や令嬢たちが腰を下ろす椅子の一つ一つにも最高級マホガニーを使用した美しい透かし彫りのサロンチェアが用意され、サイドテーブル一つを取っても質の良い調度品が並ぶ。どれも王妃が自ら選んだ逸品であった。
集まった貴婦人たちの中央で、満足げに皆を見渡している銀の髪の婦人が、王太子メルヴィンの母、王妃である。壮年ではあるが、若々しく、艶やかな群青色のドレスを品よく着こなしている。
そんな彼女の隣には、紅潮した顔のモニカ。反対側には、公爵家の娘たちがゆったりとはべる。
ふと、王妃がティーカップをテーブルに戻しながら言った。
「そういえばモニカ、あなた──メルヴィンとはうまく行っているのかしら?」
問われたモニカは、迷うことなく頷いた。
「はい王妃様。王太子殿下からは、日を置かずもう三度もお召しがあったので……私のことをとても気に入ってくださったようです」
「あらそうなの。よかったわ。あの子は見目もいいし、賢いのだけれど。ちょっとこの母にですら嫌味なところがありますからね。あなたも苦労しているのではないかと思って」
王妃がコロコロと笑うと、モニカが、そんなことありませんわと控えめに微笑む。
まさか──三度も呼び出されておいて、未だほとんど話すらできていないなどとは……言えない。ヘルガに邪魔されたのだと訴えたいが、婚約内定者としては、それを王妃にさとられてしまうと具合が悪い。『なんて情けない』と失望させて、王太子との相性を疑われ婚約者を選び直すなどと言われてはたまらない。絶対に、うまく行っていないなどと言ってはいけないのである。せめて、正式発表までは。
モニカは、うふふとどこか白々しく笑う。実情を知っている公爵家の娘たちが、王妃の向こう側でこちらを見ながら笑っているのが煩わしかった。彼女たちは王妃の実家筋の娘たちで、仲良くしておけば何かと有利だが、本当は頭を下げるのなんか嫌だった。
と、不意に王妃が眉間にシワを寄せて広間の扉のほうを見る。
「それにしてもメルヴィンは遅いわね……早く来るように言っておいたのに。お客様を待たせて何をしているのかしら」
王妃は柱時計を見てため息をついて。それから諦めたように、「もういいわ」と椅子から腰を上げる。すると、サロンにいた三十名ばかりの女性たちがそれぞれの会話をやめて同じように席を立ち、王妃に向き直る。皆、それぞれが王家に連なる家の夫人や娘、高官の夫人など。そうそうたる顔ぶれである。
王妃はモニカの手を取って。周囲に向けて言う。
「皆さん聞いて頂戴。もうお分かりかもしれないけれど、この度、こちらのモニカ・デメロー伯爵令嬢が王太子の婚約者に内定いたしましたの」
「……っ」
王妃の言葉に、周囲の視線がモニカに集まった。一斉に視線を浴びたモニカが、頬を紅潮させて息を呑んで。
彼女を見る表情はさまざまだった。羨望する者。落胆する者。密かに眉を顰める者──。
それでも皆、王妃に宣言されれば、手を叩いて祝福せざるをえない。
それを見たモニカは身震いした。身の奥底から高笑いが込み上げてくるような最高な気分だった。
(これが……権力だわ……)
これこそが権力なのだ。相手に異議や不満があろうとも、結局こうして皆従うしかない。公爵家の娘だろうが、王族の娘であろうが、それを上回る権力があれば、存分に、好きなように押さえつけることができる。
(ここにいる誰も彼もの上に、私はいずれ立つことができるのよ……)
王太子妃となり、いずれ王妃となれば、自分はこの国の女主人だ。
やっとだとモニカは思った。もとより自分のような器量のいい娘が、“伯爵家の令嬢”ごとき地位で終わるはずがなかったのだ。
これでようやく自分も日の目を見るのだと。降り注ぐような拍手喝采、祝福の声の中で、モニカの顔には悦に入った笑みが浮かんだ。
(──いずれ、私の指の一振りで気に入らないやつを──ヘルガ・アウフレヒトのような奴らを皆始末できるようになるのよ。私は……!)
それが嬉しくて堪らなかった。
と──その時。広間の扉付近から報の声が上がる。
「王太子殿下がご到着です!」
「!」
扉係の声に、モニカの顔がパッと輝く。
大扉が開かれて。そこに王太子が現れると、美貌の青年の登場に場が沸いた。
颯爽と歩いてくる姿を見て、王妃が「あらやっと来たのね」と微笑んだ。彼女の息子は来賓たちに挨拶しながら彼女たちのほうへやってくる。
正装に身を包んだ王太子が近づいてくるのを見て──モニカが恍惚とため息をついた。
(私の王子様──)
何もかもが完璧だった。地位と麗しい未来の夫。モニカはうっとりと彼を待つ。彼が自分の元へやってきて、優しく手を取って。『愛していますよ』と皆の前で言ってくれるだろうその時を。
「母上」
「メルヴィン遅かったじゃないの。皆さんお待ちよ」
「申し訳ありません」
母の言葉に王太子が微笑むと──その美しさに、周囲で羨望のため息が漏れたのを、モニカは聞き漏らさなかった。それが彼を射止めた自分に対するものだと、もちろん分かっている。
(ふふふ、こんなに気分のいいことって他にある!?)
それに、この王妃のサロンであれば。間違っても、『王太子殿下をあなたから略奪します』などと馬鹿げたことを言い出したヘルガ・アウフレヒトが邪魔立てしに出没するなんてことも、できないはずである。
(多分、あの女は……今頃悔しがりながら城下で書店巡りでもしているのね。いい気味)
──午前中。この王妃のサロンに入る前に、友達と城下の茶房で待ち合わせていた時。偶然同じ店にヘルガがやって来た。彼女はたくさんの本を抱えていて。すぐにそれが彼女が入り浸っている王立図書館の本だと分かった。
だから、仕返しするいい機会だと思ったのだ。
彼女の借り物の本を台無しにすれば、今日は一日ヘルガがその収拾のために時間を使わなければならないと、モニカには分かっていた。
(……ああでも、どうせならこの光景をヘルガに見せつけてやりたかったわ……!)
内心で満足感に浸っていると、そんなモニカのほうへ。王妃が息子の手を引き寄せた。
「メルヴィン。ほら、モニカの隣にお座りなさい。今ね、皆さんにモニカのことを紹介していたところよ、婚約者に内定したと」
「ああ、そうでしたか」
王妃にそう言われると、王太子はモニカにニコリと微笑みを向ける。微笑みかけられたモニカはもう天にも登る気持ちで……
「王太子様……」
と、令嬢ははにかんで。作法通り、彼に手を取ってもらおうと己の手を差し出して。王太子もそんなモニカを見つめ──……彼は、言った。
「それで──……彼女が誰の婚約者ですって?」
「──え……?」
──途端。サロンの中に、なんとも言えない静寂が広がった。
王太子の言葉に、モニカが息を呑んで、唖然とする。
目の前には、美しく微笑む王太子の顔。その形いい唇から言われたセリフがひどく冷たかったような気がして──。しかし、モニカはそんなはずはないと。自分の聞き間違いなのだとその考えを振り払った。
王太子は悠然と微笑んでいる。こんな顔で、まさか、という思いがモニカをなんとか支えていたが──
青年は己に差し出されたモニカの手を見もせずに。そのまま平然と長椅子に腰を下ろす。──モニカの手は虚しく空で彷徨っていた。
王太子のつれない態度にモニカは戸惑い、周囲はいったい何事かと息をひそめて二人の様子を見守っていた。
すると王太子はベルベットの張られた背もたれに背中を預け、足を組んで、愉快そうに再び母に問う。
「母上? 彼女は誰の婚約者なのですか? まさか──私の婚約者だなんてことは、ありませんよね……?」
口の端を持ち上げた王太子にチラリと視線を送られて。その冷酷な眼差しに──立ち尽くしていたモニカの肌が、思わずぞわりと粟立った。
お読みいただきありがとうございます。
モニカは幸せの絶頂でしたが、メルヴィンが腹黒発揮開始です。
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