第三十一話 獅子族の娘VSタラルイドの死神
「……力があるとは思っていましたが、予想以上ですね」
屋敷内へと潜入したブルムは、先の庭園におけるシルフィの戦いぶりを思い返して身震いした。
相手が何をしようと、自分がそれに反応する必要すらない。ただそこに在るだけで“不幸”という名の因果律を操作し、全ての敵対者をねじ伏せる力。
ほぼスキルの力に頼り切ったその戦い方は、同格の力を持つ相手には通用しないだろう。
しかし、彼女の【疫病神】は神級スキル──物によっては、たった一人で国の在り方すら変えてしまうほどの能力だ。同格など滅多にいるものではない。
「陽動と言いましたが、本当にあのままコマリさんを助け出してしまうかもしれません。こちらも急がなくては」
呟きながら、ブルムは屋敷内を駆け回る。
いくらシルフィ達の“強制捜査”が正当な理由の下行われていようと、ここでブルムが証拠を確保出来なければただの子爵邸襲撃だ。
ガイゼルの屋敷で押収した証拠があるとはいえ、一歩間違えばこちらが犯罪者として国を追われてしまうかもしれない。
「出来れば、子爵直筆の取引記録などがあると良いのですが。もしくは、タラルイド家の印が押されたものを……」
子爵としても、出来ればそうした違法取引の証拠は残したくないはずだが……だからと言って一切の記録を残さなければ、金の動きがどうしても不自然になる。
そうした誤魔化しの記録とガイゼルの記録が一致すれば、言い逃れ出来ない確固たる証拠と言えるはずだ。
「こちらですね」
ガイゼルの下で三年間働く中で、ブルムもまたこの屋敷に出入りする機会は何度もあった。
その際、ガイゼルや使用人達の目を盗んで屋敷中を歩き回り、どこに何があるかほぼ正確に把握している。
一切の迷いなく、そうした記録を保管する部屋へと足を踏み入れ──すぐさま、その場から飛び退いた。
一閃。薄暗い室内に刃の煌めきが走り、直前までブルムの首があった場所を斬り裂く。
「ありゃ? 首を落としたつもりだったんだが、躱されたか。やるじゃねえの」
「…………」
──【幻術士】の力で姿を隠していたにも関わらず、正確無比な一撃。相当な手練れですね。
そんなことを思いながら顔を上げれば、そこにいたのは黒装束の優男だった。
その手に握るは、剣というよりもナイフに近い得物。この場にシルフィがいれば、まるで忍者の使うクナイのようだ、と呟いたことだろう。その刃先をペロリと舐めながら、男は軽薄な笑みを浮かべている。
見るからに不審で危険なその男を前に、ブルムは自身の警戒心を最大まで引き上げ──即座に腰の短剣を二振りとも抜剣。最速最短の一撃を見舞った。
「おおっと、おっかねえ。こうして対峙したんだから、まずは自己紹介から入るのが普通だろ? 常識ねえな」
「生憎ですが、敵と穏やかに談笑するほど私は図太くありませんので」
ひらりと避ける男に対し、ブルムは出し惜しみなしの全力で挑む。
左右の短剣から繰り出される、目にも止まらぬ高速連撃。
薄暗い屋内に無数の剣閃が煌めき、多数の残像と共に男を襲う。
否、産み出された残像が次々と本来の腕とは関係なく動き、二つが三つに、三つが四つに。スキルの力を交え、虚実入り混じった数多の斬撃は激しさを増していく。
本来であれば、これだけ高速で繰り出される連撃のどれが本物でどれが偽物であるかなど、初見で見破れようはずもない。瞬く間に防御の合間を抜かれ、斬り裂かれるはずだ。
しかし、黒装束の男はひらりひらりと、本物の短剣だけを完璧に見抜き、狭い室内を蝶のように軽やかに跳び回りながら回避していく。
「仕方ねえ、俺が先に名乗ってやるよ。俺の名前はクロ、子爵家お抱えの暗殺者だ。そう……巷で話題の“タラルイドの死神”とは俺のことよ!!」
「知りません」
ピッ、と、ついに黒装束──クロの前髪を短剣が捉え、ハラリと数本の髪が舞い散った。
うおっ、あぶねえ、などと嘯きながら、クロは軽やかに床に着地する。
「たはー、知らねえってマジ!? 最近ようやく有名になってきたと思ったのによー、少しは町の噂話にも耳を傾けようぜ?」
「どうでもいいです。そもそも、暗殺者が有名になってどうするのですか、本末転倒でしょう」
必殺の連撃を全て躱されたブルムは、一旦距離を取って息を入れる。
これ以上無理に攻めたところで徒に消耗するだけだと判断してのことだが、クロはこれ幸いとばかりに笑みを浮かべ、饒舌に語り出す。
「それがそうでもないんだぜ? 俺の役目ってほら、子爵にとって邪魔な存在を消すことだったりするわけじゃん? やっぱそういう奴がいるって噂が流れるとさ、誰も子爵に逆らおうなんてしなくなるわけよ。抑止力ってやつ?」
「……本当に、よく喋る暗殺者ですね。そんなことでは、いずれ素性がバレて消されてしまうのでは?」
「ははは! そんなことあるわけないじゃん。何せ──」
ふっ、と、クロの姿が掻き消える。
一瞬で相手を見失ったことに、ブルムが目を見開いた瞬間。気付けば、彼の姿は目の前にあった。
「俺って強いからさ。狙った獲物は逃がさねえよ」
迫りくるクナイから逃れようと、全力の回避運動。
後先など考えない跳躍によって、辛うじて頬を薄く掠める程度の被害に終わったが……床を転がったブルムの体を、くらりと突然の眩暈が襲った。
「ははは! 起き上がれないだろ? 俺がスキルの力で特別に調合した毒だ、解毒なんて出来やしねえ」
「……なるほど、そういうことですか」
武器の刃先に塗ってあったのか、と遅まきながら気付いたブルムは、思わず歯噛みする。
相手が暗殺者であるならば、毒を使うというのは真っ先に疑ってかかるべき手段だというのに……最初、これ見よがしに刃先を舐めている姿を見たせいで、無意識のうちにその可能性を除外してしまっていた。
あれはむしろ、スキルの力で毒を生成していたのだろう。舐めるなどという手段を取って目の前で実行したのも、全ては計算の上だったというわけだ。
「俺は今まで、コイツでいくつも変死体を作って来た。バカな平民でも同一犯だって分かるようにな」
得意気に語りながら、クロはブルムの体を蹴り飛ばす。
床を転がった少女を踏みつけにしながら、クロはけらけらと笑い出した。
「ああ、でも、少し前に一匹だけ取り逃がした奴がいたな。お前と同じ獅子族のガキだったけど、中々面白い獲物だったぜ?」
自分と同じ、と聞いただけで、ブルムはそれが誰を指すのかすぐに察した。
シルフィが言い淀んではいたが、存在を知っている時点で無事なのは確かだろうと、毒にやられながらも冷静に回る頭はそう考える。
「姉ちゃんを返せ返せっつってな。それはまーしつこいくらい喚くもんだから、どれくらいやったら心が折れるか試したくなってよ、ちょーっとずつ痛めつけて、毒で追い込んでいって……そしたら、最後はバカみてえに泣きながら縋りついてくんの。俺は殺されてもいいから姉ちゃんをって。それはもう無様で無様で、笑っちまったよ」
「…………」
「まあ、調子に乗って遊び過ぎたから、人が来ちまって。結果的に取り逃がしちまったのは失敗だったよなぁ……だから、今度は逃がさねえ。お前を殺して、獅子族の村の前にでもぶら下げて来てやるよ」
そしたら、取り逃がしたガキもまたイイ顔で泣いてくれるだろうぜ、と、クロは醜悪な笑みを浮かべる。
ギラリと光るクナイの切っ先をブルムの首元に向け、そのまま勢いよく振り下ろし──その途中、突然跳ね上がったブルムの短剣によって、クナイは大きく弾き飛ばされた。
「は?」
「ふっ……!!」
ぽかん、と口を開けて固まる男の腹に、ブルムが渾身の蹴りを放つ。
ぐぼあぁ!? と奇怪な声を上げて吹き飛んだクロは、壁一面に並べられた本棚へと突っ込み、バラバラと落ちる本に埋められていく。
「くはっ、ぐっ……!! てめえ、どうして動ける!? 幻覚作用と全身の痺れで、まともに動けねえはず……!!」
「……確かに、私の視界は現在ほとんど利いていません。しかし、スキル【幻術士】によって周辺空間の景色を幻覚として私の意識へ転写すれば、問題なく視認出来ます。そして、全身麻痺の方ですが……気合です」
「は?」
「気合で動きました」
あまりにも荒唐無稽な発言に、クロは蹴られた痛みも忘れて放心する。
しかし、少なくともブルム本人からすれば、至って大真面目な理由だった。
「どうやら私の弟がお世話になったようですから、その返礼をしなければならないようですし……そうでなくとも、私の両肩には捕らえられた獣人達、そして私を信じ戦ってくださっているシルフィさんの未来がかかっています。全ての任務を遂行するまで、倒れてなどいられません」
すくっと立ち上がったブルムは、とても毒にやられているとは思えない機敏な動きで双剣を構え直す。
普段通りの無表情に、僅かに決意の炎を滲ませながら、ブルムは告げた。
「故に、あなたを早急に排除させて貰います。覚悟してください」
「くそっ……舐めんなよ!! 俺の【毒術士】スキルの全力、見せてやらぁ!!」
起き上がったクロが、全身どこからともなく大量のクナイを取り出し、即座に投擲。その瞬間、全てのクナイが毒々しいまでの紫の魔力で包まれた。
恐らく、飛来する全てのクナイに致死性の猛毒が付与されたのだろう。どれか一つ掠っただけでも即死しかねないと、ブルムは本能的に悟った。
「すぅー……ふぅー……」
回避は不可能。気合で動いたと言ってもその状態は万全とは程遠く、放てる攻撃は次が最後となるのは間違いない。
故に、その一撃に全てを賭ける。
「【幻術士】スキル、全開」
構えた双剣をゆっくりと振り上げながら、スキルの力を込めていく。
彼女のスキルは、幻を司る力。
それは、相手の認識を誤魔化す力であり、相手の現実を歪める力でもある。
それを極限まで高めることで──今を流れる現実と、ブルムの産み出した幻術とが、逆転する。
「《虚構の一撃》」
ブルムが双剣を振り抜くと同時、その刃先から溢れた光の大剣が迫っていたクナイ全てを呑み込み、消滅させる。
「は?」
あまりにも非現実的な光景に、クロの理解が追い付かない。
今見えている光の大剣は、あくまで幻のはずだ。彼の勘がそう告げている。
なのに、クナイは間違いなく消滅した。
「な、なんで──」
何が起きたのか分からない。どうすればいいかも分からない。
信じるべき己の勘も、今見えている景色も、何もかもが一瞬で信じられなくなったクロは、そのまま光に呑み込まれ──
何事も起こらず、ただ光に紛れて突撃してきたブルムの掌底によって意識を刈り取られ、その場に倒れ伏した。
「はあ、はあ、はあ……!!」
荒い呼吸を繰り返し、ブルムは膝を突く。
スキルによる虚実逆転は、非常に消耗の激しい技だ。
更に、それによって干渉出来るのはあくまで非生物、それも魔力が籠ってない物品に限られる。
もしクロの放ったクナイがただスキルの力を纏わせただけでなく、時間をかけて丹念にスキルの力を染み込ませたものだったなら……最後の最後、光の大剣に気を取られることかくブルムの動向に目を向けていれば。勝負はブルムの負けだったはずだ。
「早く、証拠を……回収しなければ……」
ともかく、無事勝者として立つことが出来たブルムだったが、その体を侵す毒は未だ取り除かれていない。
このままでは遠からず動けなくなり、死んでしまうだろう。
「くっ……うっ……」
力尽き、バタリと倒れ込んだブルムの意識が、遠ざかっていく。
「申し訳ありません、シルフィ……あなたを巻き込んでおきながら……私は……」
そう、今も戦い続けているであろう少女へと謝罪の言葉を呟き……
「ごめん、遅くなった。後は僕らに任せて、休んでいて」
「にゃはは、よくやったよ、君は」
思わぬ声に、目を見開いた。
「え……あなた、達は……」
どうしてここにいるのか、と。
その呟きを最後に、ブルムは意識を失った。
次回、「みんなの太陽」




