第四話 崩壊と決意
「っ!」
鋭い痛み。かすめた魔力の矢が肩の肉を削り取る。
足は止めない。立ち止まった時、奪われるのは命だ。
走る勢いのまま曲がり角に転がり込めば、壁から攻撃魔術の重い音が幾重にも響いてくる。
「大丈夫かマコト」
「大丈夫です。それよりそっちの道はどうです?」
「ダメだこっちもふさがれてる」
首を振るマティス先輩。
僕と同じように満身創痍の姿だった。
先輩は呪文を唱え、ハイマギアロー5本を作ると、曲がり角から顔を出して撃ち込む。一瞬だけ攻撃の手が止むが、すぐに攻撃魔術が壁の向こうに押し寄せるのがわかった。
「このままじゃ、ジリ貧だな」
どうしてこうなってしまったのか。
光の聖典を読んでから数日後の休日。
僕はマティス先輩と共に研究所に呼び出された。
光の聖典の詳細について、外部に漏れないよう内々で所長に報告してもらいたいという話だった。だが研究所にいたのは所長ではなくアーイン副所長。問いただす間もなく副所長子飼いの魔術師に襲われたのである。
先輩の魔術で抵抗し逃げ回ったが、出入り口は全ておさえられており、研究所の奥へ奥へと追い込まれているのが現状だ。
理由は、わかりきっている。
成果の横取りだ。今のまま進めば、光の聖典を解読した功績は僕の所属するマティス先輩のチームのものとなる。副所長で成果をあげられなかったテーマが、マティス先輩の手で大きな進展を見せる。明確に格付けされるのが許せなかったのだ。
だから正式に報告される前に僕と先輩を消そうとした。
休日の研究所、他に誰もいないこの場所に呼び出して
僕が解読したのを、どこで知ったのかはわからない。
保管室に盗聴するアイテムがあったのかもしれない。
報告系統を掌握していたのかもしれない。
ただ今となっては、経緯なんてどうでもいいことだった。
まずは生き残ることが大切だ。
僕は大声で呼びかける。
「副所長ー!僕は成果にこだわりません!僕が副所長のチームに移籍して、それから発見したことにしてもいいです!読み方を教えてもいいです!口をつぐみます!だから先輩と僕の命は見逃してください!」
「マ、マコトお前!」
僕の言葉に驚くマティス先輩。
ややあって副所長の言葉が返ってきた。
「なかなか良い提案だが、却下だね。君が読めたという情報だけで十分だよ。次の勇者召喚で君の国の人間が召喚されるよう手を加えてもいい。死体になった君の言語疎通の加護を解析してもいい。多少遅くなってもいい。確実に私のものになることが肝心なんだよ」
魔術の波状攻撃が押し寄せてくる。
日本語で書かれてることは推測されてしまったか。
「ぐ」
マティス先輩がくごもった声をあげた。腹部から血があふれ服を赤く染めていく。二度目のハイマギアローを撃つために壁から体を出したタイミングを狙われたのだ。
「先輩!」
先輩に肩を貸し、さらに奥へと逃げ込む。
外へ逃げる道がないのは知っている。
それでも先輩が死ぬのは見たくなかった。
耳元でマティス先輩の声が響く。
「すまねえなマコト、巻き込んだ」
「謝るのは僕です。僕が光の聖典を読まなければ」
「それは違う。あの男と俺の家は昔から因縁があってな。今回のことがなくてもいずれ争いが起きた。マコトの発見はただのきっかけにすぎない」
「こんなろくでもないことは、1日でも先送りできるならその方が良いです」
「ははっ、そりゃそうだ。だが、マコトの発見を守ってやるのは俺の役目だ。事前に手を打つべきだった。なのに世紀の発見で頼りない部下が研究所でやっていけるようになる!って思ったら、頭の中がいっぱいになっちまった。本当に頼りないのは俺のほうだったよ」
「……そんな話は後にしてください。ご飯を奢ってくれるならいくらでも聞きますから」
追撃は来なかった。
先輩が負傷しながら放ったハイマギアローにひるんだのか。
向かう先が行き止まりだと知っていたからか。
僕達の前には光の聖典の保管室があった。
ここに立てこもるしかない。
まさに袋のネズミ。デッドエンドを待つだけの身。だが、複数人の魔術師が大立ち回りを繰り広げているのだ。時間さえ稼げれば他の人間に目撃される可能性もあるだろう。
そんな消極的な手段に頼るしかなかった。
警備員はいない。
先輩にお願いして鍵と魔力で扉を開く。
保管室に入って扉を閉じる。
薄暗い部屋の中で『光の聖典』は輝きを放っていた。
光の聖典の保管室に立てこもってから体感で30分ほど。
マティス先輩は扉を魔術で封印したところで魔力を使い果たし倒れてしまった。僕の肩を借りていた時に回復魔術を使っていたようでお腹の傷はふさがっている。
生死に関わる状況は脱したが、先輩の体力は戻らない。
ここからは僕一人で対応するしかない。
僕一人。
人並みの体力とマジックアロー一本分の魔力と日本語を使えるだけの異世界召喚者。この追い詰められた状況では科学知識チートも使えない。そもそも教科書の内容を暗唱できるほど頭が良くない。
時間稼ぎしか、ないよなぁ。
そう考えたところで扉が叩かれた。
「マティス君!そろそろ観念したかね。扉の封印もあと数十分ほどで解除されるだろう。互いの家の因縁が今日解消される。私の勝利という形でね!」
「マティス先輩なら寝てますよ。あんまり遅いんで、お昼寝タイムと間違えちゃったんじゃないですか」
「なんだカスの少年か」
「さっきからカスカス失礼な人ですね。一応貴族らしいですけど、そんな言葉じゃお里が知れますよ。ママンの膝にすがりついて僕のワルいお口をチュッチュでなおしてぇ!っておねだりした方がいいんじゃないですか?」
失礼な人間には礼儀を守る必要もない。
僕の挑発に配下の魔術師達が失笑をもらしたようだ。
鞭の音と悲鳴がして、再び副所長が口を開く。
「マティスが倒れているならカスと話す必要もない。この扉をこじ開けて制圧して終わりだ」
「いいんですか?僕と先輩は研究所に行くことを伝えてましたよ。時間がかかると誰か見に来るんじゃないですか?」
「その時は不幸な死体が一体増えるだけだよ。後でどうとでもなる問題だ」
敵もさるものブラフにはひっかからないか。
いや敵対する貴族を謀殺する覚悟を決めているのだ。ほかの職員なんて誤差の範囲内なのだろう。
「何より君のその問いが答えだよ。勝機があるなら私に説明する必要がない。ただの時間稼ぎだ」
はい。それは正解です。
でももう少し付き合ってもらう。
「あんまり追い詰めない方がいいですよ副所長。カスの異世界召喚者も死ぬ気になれば、光の聖典を読み上げようとするかもしれません。過去の召喚失敗時にはあたり一面が焼野原になったそうじゃないですか」
先輩に教えてもらった召喚知識。
ハッタリに使わせてもらうことにした。
副所長が笑う。
扉を隔ててもそれは間近に聞こえた。
「くくく、それは有り得ないんだよ。なぜなら君は正真正銘、勇者の残りカスだからだ」
聞き流して時間稼ぎに集中するべきだった。
だが副所長の声は歓喜にふるえていた。
愚かな人間に現実を突きつける喜びに満ちていた。
「君は不思議に思わなかったのかね。同じ召喚条件なのに、勇者だけが通常の数十倍の魔力を持つことを」
この人は何を言っているんだ──
「召喚対象者の基準は同じ。高い魔力を持つ者が選出されている。だがお前ら残りカスは少ない魔力しか持たない。本来の魔力は一人のものになっているからだ」
勇者の巻き添えとして呼び出されたはずの僕が──
「通常、魔力の譲渡は成り立たない。プラスマイナスを整える世界の補正の方が強いからだ。だがそれが可能にする方法がある。異世界召喚だ。異世界召喚でのチェックポイントは、召喚した存在の魔力の総量が、召喚前と召喚後で同じであること。量さえ同じであれば、それがどこにあるかは無視される。異世界召喚という大事の前では、別人への魔力移動は小さなノイズとして処理されるわけだ」
勇者を作るための材料だったなんて──
「勇者召喚とは、異世界召喚を利用して魔力を集約させた一人の勇者を作りだす儀式のことだ。君は勇者にほぼ全ての魔力を与え役目を終えた人間。文字通りの残りカスというわけだ!カスはカスらしくここで処理されるといい!」
心の奥で何かが砕ける音がした。
それは倫理という名の壁。常識という名の殻。
異世界に適応しながらも保っていた元の世界の感覚。
今まで維持していたそれを激しい怒りが突き崩した。
僕がただの材料だって?
勇者を作った後の残りカスだって?
勝手に召喚しておいて、勝手に力を奪っておいて、
よくしてくれた先輩を殺して、僕も殺すだって?
「ふざける、なよ……」
佐倉 真言という人間が、異世界で産声を上げた瞬間だった。これまでは元の世界へ未練を残していた。手段もないのに元の世界に戻るつもりで、波風を立てないよう動いていた。異世界で頑張った日々にウソはない。けれど、どこか一線を引いていた。
だが今、決めた。
元の世界のモラルをかなぐり捨て、立ち向かうことを決めた。目の前の敵を排除するため、世界に牙を立てると決めた。一人の人間が恥も外聞もなくがむしゃらに、戦う覚悟を決めたなら、それは『生きている』ことに他ならない。
光の聖典を手に取る。
僕の気配を察して副所長が声をあげた。
「ヤケになったか。愚かなカスにもう一つ教えてやろう。召喚を成功させるには精霊ですら平均一時間の呪文詠唱が必要になる。神なら人員交代しての数か月計画だ。お前が道具なしで全力を振り絞っても数分で力尽きる。カスの願いは誰にも届かず消えるんだよ!」
うるさいなぁ、そんなこと知ってるよ。
僕も試してみたんだ。三分が限界だった。
神の召喚どころか、何も呼び出せない。
──普通なら
■言語疎通の加護:オフ
時間がかかるのは呼び出そうとお願いする形だからだ。
逆の発想だ。向こうから率先して来てもらえばいい。
■召喚詠唱開始:残03:00
神さえ飛び出さずにはいられない魔法の呪文。
多大なリスクと共に召喚術の常識は覆る。
その答えは僕の手の中にあった。
なぜなら『光の聖典』は──
日本語で書かれたこの『日記』は──
『緑葉の月二十九日、今日の天気は雨模様☆ わたしの元気はハレ模様☆ ベランダのユグドラシル、わたしにささやいてる「ルミナスティア様は神界一カワイイよ♥」夜露もキラキラ、後光もKIRA☆KIRA☆ ほめ言葉はメイク要らずの魔法。甘い言葉はチークより赤く、優しい声はラメよりもまぶしく、わたしの笑顔を彩るの──』
「ややややぁあああぁめめめめてくださぁぁぁぁぁい!!」
召喚開始からわずか30秒。
光の女神ルミナスティアは半泣きで召喚された。
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より続きの話が出やすくなるのでよろしくお願いします。




