第四十二話 ただのイーナ
わたくしの名前はイーナ。
家名もありましたが今は何の意味もありません。
ミンロジガル教の教会で女神官として働いております。入信のきっかけは単純なことでした。
父と母、姉を亡くした。
ただそれだけのことです。
ある日、比喩ではない晴天の霹靂が、わたくしの家族を襲いました。一人生き残ったのがわたくしです。
晴れた日の突然の雷。予兆もなく予想することも不可能。どうすれば助かったか想像することもできません。平凡な家庭の平穏な暮らしの中のできごとです。
死の理由は内にも外にも見つけることができせんでした。人為的なものは一切介在しません。避けることも防ぐこともできない完全な天災。
──なぜ、わたくしの家族は死んだのか
理由も原因もない。ただ死んだ。サイコロを転がすように失われるべき命だったのか、いいえ大切な家族がそんな風に失われていいはずがありません。
ですが何の因果もなく家族は死んだ。ならばわたくしの家族は雷に打たれて死ぬために生まれてきたとでもいうのでしょうか。いいえ、そんなはずは──
答えの出ない思考の繰り返し。
憎む先があれば良かった。
羨む先があれば良かった。
わたくしには何もなかった。
寄る辺のない死は、子供に重すぎたのです。家族があまりにも軽々しく失われ、それを認めることができない。愛する家族が意味のない存在と言われているようで、受け入れることができない。
死と向き合い、拒絶し続ける日々。
渦巻き続けた思いは、わたくしの心を内側から壊し続けていたのでしょう。ある日、胸の奥でことりと音を立てるようにして、ひとつの答えが生まれてきたのです。
もう、すべてを神に委ねてしまいましょう。
すべては神の思し召し。神の考えることは人にはわからなくて当たり前なのです。家族の死の意味を考える必要はありません。すべては神のお導きなのですから
きっと、それは諦めと呼べる信仰。
きっと、それは逃避と呼べる狂信。
ミンロジカル教に入信したのはその頃です。内心とは裏腹に、わたくしの振る舞いは敬虔な信徒そのものだと周囲には評価されました。わたくしは苦笑いをしてしまいました。行動を献身的と評されても、その先にあるのは「もうどうでもいい」という虚ろな心です。彼らはわたくしの何を尊いと考えているのでしょうか。
信仰への失望は、わたくしの生をより希薄なものにしました。希薄な心が導く清廉さはわたくしの評価をより高いものとしました。希薄な意識のまま時が流れ、気がつけば、わたくしはミンロジガル教の広告塔にも使われる女神官になっていました。
そんな時に、司祭様からの命令が下りました。
神遺物『オクソーリア断片』を身に宿して、隣国アキュニスの首都へ向かえというものです。
アキュニスの審判の時が訪れている。もしアキュニスが悪に染まった地であった場合、神遺物がアキュニスを焼き払うであろうということでした。
そして天罰が下る際、神遺物のそばにいるものは助からないだろう、ということも伝えられました。
わたくしは頷きました。恐怖はありません。
先に逝った家族のようにわたくしの番が来たというだけの話です。神遺物が焼き払う国が善か悪かもわかりませんし知ろうとも思いません。審判ですらなく、アキュニスを滅ぼすための策略と伝えられても大した意味を持ちません。
わたくしの生も、アキュニスの住人の生も、
もう、どうでもいいことなのですから――
そんなわたくしの昔話を真剣な顔で聞いている一人の少年がいます。マコト・サクラ様、アキュニスまでの護衛任務を受けてくれた冒険者の方です。
童顔で黒髪黒眼が印象的な少年、冒険者としてはびっくりするほど物腰がおだやかな方です。かと思えば他の神官を買収したり行動が読めないところがあります。ですが崖から飛び下りてわたくしを救ってくださいました。わたくしの信仰が諦めから来ることを見透かしていたり、とても不思議な方です。
そんな彼はわたくしの話を聞き終え、考えている様子です。きっと失望しているのでしょう。敬虔な信徒のような振る舞いを見せておきながら、その内実はただの空虚な女なのですから。
彼はまっすぐわたくしを見ました。
そして言葉を口にします。
「イーナさんは、どっちでもいいんですよね?」
「……はい?」
「イーナさんはこの事態がどうなろうと気にしてないということですよね?」
「はい、浅ましい女とお思いでしょうがわたくしはもう──」
「どっちでも良いなら、僕の味方になってくれませんか? 僕はアキュニスが壊滅するのを止めるつもりです。手を貸してください」
「!? わたくしはミンロジガル教の神官です。それに司祭様に神遺物を運ぶように申しつけられております!?」
「でも神遺物を守る命令は受けてないですよね? アキュニスを滅ぼす命令も言われてない。ただ言いつけを守って神遺物を運んだ先で、僕の手伝いをしただけじゃないですか。ぜんぜん問題ないですよね? 人助けになる分、むしろ良いことじゃないですか」
ええぇ!? そんな理屈が通るのでしょうか!?
戸惑うわたくしに向けて彼は微笑みます。
「イーナさんが本当にどっちでもいいなら、僕が助かって良いことです。どっちでもよくないなら、イーナさんのやりたいことが見つかったということなので、イーナさんにとって良いことです。イーナさんはどう思います?」
マコト様はとても不思議な人です。
周囲の方々はわたくしが神に従うのが当たり前の人間だと考えています。ですがマコト様はこんな詭弁めいた背信行為を提案し、乗ってくれないならそれはそれで良いことだと口にするのです。
わたくしの家族を奪って、何もしてくれなかった神様、唯々諾々と命を捨てると思っている司祭様、わたくしの気持ちも知らず信心深いと考えている信徒たち、その全てを欺くことになったら──
どうしましょう。
胸がドキドキしています。
いけません。衝動がわたくしの心を動かそうとしているのを感じます。胸の鼓動をおさえるため、自分の罪を口にします。
「……ですが、わたくしは家族の死が受け入れられず偽りの信仰に身をやつした女です。マコト様はそんな女を信じられるのでしょうか?」
「ぜんぜん大丈夫です。僕も両親いませんが、まだ納得しきれていません。精神的にしんどい時に無理して答えを出す必要なんてないと思います。保留にして、答えはこれからでもいいんじゃないでしょうか。たぶん……急いで答えを出そうとするイーナさんが、真面目すぎるだけなんだと思いますよ?」
あぁ、もう、
どうやら、わたくしは堕落してしまったようです。
「仮にも、わたくしは神官なので、真面目すぎると言われても困ってしまいます」
「あー、それもそうですね。ごめんなさい」
「──ですが、たまには不真面目になってもいいのかもしれません」
少年と食べる禁断の果実は、甘い蜜の味がしました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
もしちょっとでも面白いと思って頂けるのでしたら、下にある☆の評価や感想、ブックマークなどお願いします。面白いのだとより自信を持って書き進めることができ、次の話を書くパワーになるので、どうかよろしくお願いします。