第二十三話 灯
「レンリア、早く前に進め。しでかしたお前を暗い牢屋が待っているぞ」
私、レンリア・バートデルトは兵士二人に両脇を固められバートデルト邸への道を歩いていた。横合いからおじさまの声がかかるが、どこか遠い国の言葉のようで意味は頭に入らない。ふらふらと足を前に進める。
私が彼を死なせてしまった。
マコト・サクラ。仲良くなったばかりの冒険者。
常識はずれで変なことばかり言うけど、性根はまっすぐな男の子。私の話を真剣に聞いてくれた。お父様との約束を守ろうとする私の味方になってくれた。そんな彼を私の事情に巻き込み死なせてしまった。
そんな彼に手を下したのが──
スミカ・ミドコロ。私にとって姉とも言える存在。
私は領主候補としての教育、スミカは侍女としての教育、共に学び乗り越えてきた家族の一員。つかみどころがなくて行動と言動に手厳しいところがあるけれど、ラスタリアを良くするという同じ夢を見る味方だと信じていた。
けれどスミカはマコトを塔から突き落とした。人が地面に叩きつけられる鈍い音が耳の奥にこびりついている。今でもスミカは味方だとマコトは言っていたが、それは本当なのだろうか、今の私には何ひとつわからない。
やや後ろを歩いていたスミカを見る。視線に気づくとスミカは私をまっすぐ見返すだけ。彼女は何も語らない。私は何を信じればいいのだろうか。
「マコト……」
後ろを振り返る。
夕焼けの空に、そびえる高い塔。
彼はもういない。なのに何度も見返してしまう。
彼なら死すら覆してくれるかもという甘い期待だ。
「おい、はやく前に進め」
騎士が何度目かの声をあげた時、それは起こった。
「塔が……?」
塔が光っていた。
夕闇の中で光輝く塔は神秘的にさえ思えた
あれはいったい何?
「え、何だアレは」
「さっきまでいた塔だろ、光ってる!?」
見入る私の姿につられ、騎士達も異変に気づき始めた。
どよめく周囲。みなが見守る中、光が動きをみせた。徐々に広がる光は塔をすっぽり包み込むと、力を示すかのように一際強く輝いて、きゅっと一点に光が収縮。
次の瞬間、跡形もなく塔は消え失せていた。
見返してもそこにあるのは夕焼けの空だけ。
「消えた……?」
「今まで俺たち見てたよな、嘘じゃないよな」
「ええいお前ら静かにしろ。何かの幻に違いない!気にするな!」
「でも塔を消す幻なんて意味あるのか」
「わかんねぇ。なんだったんだ」
戸惑った騎士達とおじさまが口論を続けている。
たけど私は、私だけには、塔の消えた理由がわかる。
「マコト、アナタって人は……」
マコトは生きている。私との約束を守ってくれた。
当たり散らした私の言葉を覚えて、果たしてくれた。
私を縛り続けた塔を綺麗に消し去ってくれた。
感慨とともに塔の消えた空、夕焼けを見つめる。
橙から紫に染まりつつある空。山間側の領地が見えた。
その中に光がともった。
ひとつ、ひとつ、山間に光がともる。
夕餉の支度をはじめた家の火だ。
昔見たより弱弱しい光。だけど、そこには命がたしかに息づいていて、美しいと感じた。母を失ってから、塔を見るのが嫌で空を見上げることをやめてから、ずっと見失っていた光だった。
ああ、そうだ。懐かしい光だ。
この景色を眺めながら、お父様と話をしたことがあった。
「見てごらんレンリア、この時間になると街の人は夕ご飯の支度や明かりに火を使い始めるんだ」
「綺麗ね。お父様」
「ああ、綺麗だね。でも綺麗なだけじゃない。あの光は街の人たちの生活そのものなんだ。私がダメな政治をすれば、街の人たちは明かりを灯せず夕食も自由にできなくなり、あの光は消えてしまう。だから私はこの時間になると街を眺めて自分を戒めるようにしているんだ。明日はもっと綺麗にできますように、と」
「まかせてくださいお父様。私が領主になった暁にはあの光をもっと大きく綺麗にしてみせます。それはもうギンギラギンに!でもそこまでいくと下品かしら、困ってしまいますわね」
「ははは、期待しているよ。領主であることはレンリアに、厳しい決断や悲しい結果を背負わせてしまうこともあるだろう。けれど、もしレンリアがこの景色を美しく思えるのなら、どうかこの景色を守ってほしい。私からのお願いはこれくらいだ」
「お父様、約束します。私は立派な領主を目指します。だって私は、この景色が大好きなんですもの──」
あの日の思い出がよみがえっていた。
お父様との約束も、今は胸にある。
今を生きる人たちの輝きを私は美しいと思った。
弱まりつつあるあの灯を絶やさないと、決めた。
私を縛る鎖も今はない。
マコトが壊してくれた。
彼が取り戻してくれた気持ち、過去の約束、向かうべき未来、胸の奥で鼓動とともにときめいて、私に力を与えてくれる。そんな心の動きひとつひとつが、今はとても愛おしい。
恐れるものなんて、もうどこにもない。
意を決めてスミカの方に向き直る。
「スミカ、改めてお願いするわ。私は立派な領主になりたい。だから貴女の力を貸して」
「なっ、とつぜん何を言い出す!」
おじさま達がざわめき、私を取り押さえようとする。
その動きをスミカが手で制した。
「少々お待ちくださいコンクス様。牢内で何度もこのようなことを言い出されては今後の問題になります。甘い夢はここで打ち砕いて処理しておくのが妥当かと」
「あぁ、なら構わんが」
動じた様子も見せないスミカに、おじさまは安心したようだ。
やや遠巻きから私たちの様子をうかがう。
スミカは一歩前に出た。
「お嬢様は、ラクルス様が亡くなられた時に領主の座を確保できませんでした。コンクス様に、事前の根回しで負けているのです。もう終わられた方が私の前に現れて何を望むというのでしょうか」
……あいかわらず手厳しいわね。
だが同時に安心してしまう。
『あいかわらず』だったからだ。
スミカは一緒にいた頃と変わっていない。
同じ夢を見ていた頃と、何ひとつ変わっていない。
スミカが手厳しい言い方をする時は、それを超える何かを期待している時だ。思考の基本が悲観的だからこそ、それを覆してほしいと内心で願っている。
そしてマコトの言った通りだった。
スミカは今でも私のことを『お嬢様』と呼ぶ。
見限った相手をスミカはこんな風に呼ばない。
私ったら、余裕がなくてこんな単純なことにも気づけなかったのね。スミカはスミカのまま、変わらずここにいる。それさえわかれば十分だった。
「いいえ、終わっていないわ。私にはスミカ、貴女がいるもの。貴女がいれば私はやり直せる。だからこの手を取りなさいスミカ」
「私一人が拒否するだけで崩れる計画が、領主にふさわしいものと言えるのでしょうか?」
「逆よ。私はこれから領主として多くの人に認められなくてはいけない。スミカ一人も味方にできないで領主になれるなんて到底思えないわ。これは私の勝負なのよ」
「それは御立派な志ですね。領主という立場の背負うものが怖くなり逃げ出した人間の言葉でなければ、より素敵だと思われます」
「確かにそうね。お母様の一件以来、私は領主としてお父様と同じ決断をできるのか、同じ重荷を背負えるのか、不安になって逃げ出したわ」
「今は背負える自信があるということでしょうか?」
「いいえ、ないわ」
「!?」
言い切るとスミカがはじめて戸惑った様子を見せた。
あぁ、気持ちがいいわ。
この一年話せなかった分もふくめて私の気持ちを全部ぶつけてあげる。
覚悟しなさいスミカ。
「お父様のようにならなくても領主にはなれる。だって──私にはスミカ、貴女がいるもの。スミカと二人なら背負える。二人ならお父様より良い決断だって下せる。領主は民を良い方向に導く旗印であればいい。私一人がお父様になる必要なんてどこにもなかったのよ」
「私の負荷が高そうです。良い労働条件とは思えません」
仏頂面で答えるスミカ。その口元がわずかにゆるんでいるのを見逃しはしない。一気に押し切ろうと思ったところで、後ろから声がかかった。
「おい、いつまで話している。いい加減にしろ!」
旗色が変わった気配を感じたのか、コンクスおじさまが話に割り込もうとする。
あぁ、もう!邪魔しないで!
騎士たちが伸ばす手を振り払い、口を開く。
これが最後の説得。私だけが放てる殺し文句。
「私がスミカの悪い夢を止めてあげる──」
時折、スミカは夜中に目を覚ますことがあった。
顔は平静を保っていても、その時ばかりは首筋が汗でじっとり濡れていた。スミカの魂は今でも地獄から抜け出しきれていない。塔に魂を縛られていた私にはわかる。こんな私だからこそ、スミカに手を差し伸べられる。
「私と貴女で、ラスタリアを素敵な町にするの。嫌な考えがよぎる余地なんてないくらい。悪い夢は終わらせましょう。スミカ、貴女は私と一緒に幸せな夢を見るのよ」
「……その言い方は卑怯です。お嬢様」
「容赦のない言葉をぶつけてきた分のお返しよ」
私の言葉を聞き終え、スミカは口角をわずかに持ち上げた。
素直じゃない彼女の精一杯の微笑み。
「コンクス様」
スミカはコンクスおじさまの方に向き直ると、スカートの裾をつまんで一礼。
「これにてお暇を頂きます。私の主人が戻られましたので」
スミカが顔をあげると同時、コンクスおじさまと私のまわりを取り囲んでいた騎士たちが一斉に倒れた。騎士たちの鎧の隙間には小型のナイフが刺さっており、ナイフに仕込まれた薬で眠っているということだけ把握できた。
スミカの礼は優雅そのもの。その合間に、無数のナイフの投擲が行われたとは思えない気品ある仕草。事実、誰一人として彼女の攻撃を視認できていない。スミカに対抗できる戦力がないことを、この場に明確に示すものだった。
実質的な制圧と精神的な制圧。
よりどころを両面から、一瞬にして奪われたコンクスおじさまは、へなへなと腰から崩れ落ちた。
「うそ、うそだ、こんなことが……」
こうして騒動の大きさに反して、拍子抜けするほどあっさりと、ラスタリアの領主問題は幕を閉じたのである。
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