第6話(最終話) / 人生のファイナルラウンドのゴングは、未だに鳴らない!
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何時もと仕事は変わらな日々だが、働くことにとても充実感が満たされていた。
その日、そっと、事務室を覗いてみた。そこには、夏帆の姿は見当たらなかった。
少し、がっかりした様子の和都を見かけた中年の女性事務員が、園浦さんなら、今日は有休で休んでますよと、少しの微笑を交えた顔でいった。
照れ隠しするように、女性事務員に頭を下げてその場から駆け出した。
取引先への弁当の配達を終えた和都は、店内を何気なしに眺めて驚嘆した。
そこに、夏帆が座っていて、焼き魚定食を食べ終えて満足そうな顔で、お茶を啜っていた。
国満のオヤジさんが、顔を崩していった。
カズ、なかなか良さそうな娘さんじゃあないか。お似合いだよ。
そういわれて、和都は照れ笑いを浮かべながら、夏帆の方へ歩みよった。
「どうしたの、突然にこんな店に来て」
こんな店と言ったことに、国満は苦笑しながらも幸せが漂う和都の背を見て、うんうんと頷いてい安堵感を顔一杯に表していた。
「ご自慢の厚揚げの煮物が、急に食べたくなったの」
昼時を過ぎた店内の客は、まばらだった。
「そっか、来るて言ってくれてたら、ここの煮物なんかより美味しいものを食べに行けたのに」
「ううん。食べたかったのよ。ここの煮物が。会社のお弁当に添えられているのを初めて食べて時から、どんな人が作っているのかなって、ちょっと興味があったの」
「どんな人って、あんな人だけどね」
和都は国満の方を見て、苦笑気味に言った。
おいおい、そな嫌味な言い方はないだろう。料理は顔で作るんじゃあない、この腕で作ってんだからなと、折った右腕の肘をポンポンと叩いて自慢気味にアピールする国満に、夏帆は笑顔を一杯にしていった。
「とっても美味しかったです」
その言葉が、すごく和都には嬉しかった。
同時に自分の母親の顔を思い浮かべた。この光景を、今は亡き自分のおふくろに見せて自慢できれば、どんなに喜んでくれただろうかと母への思慕を募らせた。
その、母はが作った煮物のと、その煮物を頬張る夏帆の姿と重ねながらも、今の幸せ感に満足していた。
児童養護施設にいたあの日から、自分の不遇な境遇に何度も屈しながらも、そして、自ら招いた結果からもたらした出所後という日から、漸くと好転へと向かい始めていたはずだった。
しかし、好転は再転へと起き始めたていたのか――――
被疑者を取り調べた警察は、「過失運転致傷罪」による逮捕から一転し、殺意があったことによる「殺人未遂罪」に捜査方針を切り替えて、被疑者を取り調べた。
警察の取調で被疑者は、逮捕当初から殺害するつもりだったと自供していたからだ。
何故、犯人から夏帆が標的にされなければいけなかったのか、和都は自問自答していた。
全ては、因果応報なのか。
自分の犯した過去の罪が原因で、夏帆にこんな形へと変わって報いとして返って来たとするなら、この事件は俺が引き起こしたことが一要因にあるんだと、そんな苦しさに苛まれた。
そして、検察庁捜査部の検察官検事も、同罪で被疑者を起訴していた。
裁判は佳境に入っている。検察側の情状関係の立証趣旨として、事件の目撃証人、そして、被害者の処罰感情のために夏帆の母親、そして、続いて、和都の証人尋問が行われていた。
「では、最後にお訊きしますが、被害者の夏帆さんの恋人として証人の本心として、どんな刑罰を被告人に望みますか」
検察官の主尋問を受けながら、手を延ばせば届きそうな長椅子に座っている被告人の沈黙した視線が、和都に向けられている。被告人の左右には刑務官が、戒護のために座っている。
目の前には、裁判官3人と裁判員たち。左には検察官。右には被告人と弁護人。後ろには傍聴人たちが埋め尽くしている。まるで、ここは、逃げ場のないリングの中と変わらない。
打たれたも打たれても、倒れても倒れても立ち上がる。レフリーがKOによる試合ストップを掛けるまで、逃げられない。勝てない相手と無駄に撃ち合うよりも、途中で棄権による試合放棄、それも良いかもな。
検事の尋問とは無関係なことが、和都の脳裏に彷徨っていた。
「どうです、どんな刑罰を求めたいですか」
検事が再び和都に短く訊いた。和都はゆっくりと口を開いた。
「何も求めません。ただ、確と、自分の犯した罪と向き合って償って欲しいです」
裁判官や裁判員の視線が和都に集中していた。
「何も求めないとは、それは、何故ですか?」
検事が鸚鵡返しに、疑問の尋問を突き返して来る。
「それは、それが彼女の意思だと思うからです」
「彼女の意思、それは被害者の意思ということですか。何故、それが被害者の意思といえるのですか」
「彼女が裁判を傍聴をしていたのは、被告人を嘲笑うためではありません。憎むべきは罪だからです。罪を憎んで人は憎まないというのが、彼女の描いていた絵の中に現れています」
検事は手元にある分厚い資料を捲った。
「証人に甲21号証を示します」
検事は裁判長の、どうぞという頷きを確認してから、証人席に座る和都の証言台に裁判資料を置いて訊いた。
「これは、被害者が被害時に所持していたスケッチブックを撮影したものです。ここに、法廷や被告人や弁護人などの、様々な人物や背景が描かれています。証人が今いった絵とはこのことですか」
検事が示した資料には、夏帆が普段から持ち歩いたていたスケッチブックが転写されている。検事は何枚かの絵の写真を捲って見せた。
和都は、その資料の絵を見つめて、ただただ、溢れてくる涙を手の甲で拭った。
「彼女は日頃から、悪いのは犯罪を犯した人ではなく、罪を作った側にも責任があるという、思想というか何と表現すれば良いのか解かりませんが、とにかく、社会の中のルールを作ったのは人間だから、それが法律だとしても、憎まれるのは罪でしかないというのが、彼女の信念でした。そのために、裁判所に通って被告人の様々な人間模様をスケッチブックの中に、記録しているんだといってました」
検事が資料を両手に抱えながら席に戻って、訊いた。
「ということは、罪を憎んで人を憎んではならないというのが、被害者の信念だったてことですか」
「そうです。誰がいった言葉か名前は思い出せませんが、西洋の格言と聞いています」
ヨーロッパの格言でもある、『罪を憎んで人を憎まず』とは、性善説で有名な孔子の教えに由来すると言われている。
人間はもともと、善良なる生き物であるとされ、その犯罪に至った様々なプロセスから人間性を損失したある瞬間に行た行為は、決して許されるものではないとしながら、その人を悪人のまま憎むよりも、寛容に人間性を許すこで、憎まれるべきは罪であるとい説いたのだ。
しかし、この言葉を今の和都に正当化させることは、あまりにも酷な言葉の表現でしかなかった。
「なるほど。証人はその被害者の信念を尊重したいということですね」
和都は数秒間、考えあぐねるように天井を仰いでから、こくりっと頷いた。しかし、和都の心の奥底には、何か腑に落ちない理不尽さが支配していた。
「僕個人は被告人を許せません。でも、彼女は人を恨むことは決して好まない心の優しい持ち主です。だから、被告人にはこれからの罪の償いに一生を掛けてもらいたいと思います。僕がそうであるように」
検事は咄嗟に、過去の和都の事件を固守するか如く、解かりました、これで尋問を終わりますといった。その言葉に逆らって、和都はいった。
「ぼくも、僕も、犯罪を犯して刑務所に入った過去があります。そして、出所してから夏帆と出会えたのは、運命だと思います。しかし、僕が過去に犯した罪は、これからも一生償い続けなければなりません。だから、今はその償いの途中です。逸れた道に入り込んだ人生から、軌道修正し終わるまでは」
法廷は静粛に包まれていた。
そして、その静粛を破るような固唾を飲みながら、続けて和都は言った。
「多分、それは僕が生涯、いや、死ぬまで背負い続けるべき責任が、僕にはあるからです。だから、被告人にも生涯、自分の犯した罪と真剣に向かい合って、その責任を全うしてもらいたいから……」
検事が、言葉を途絶えて俯いた和都に再び言葉を求めた。
「責任を全うしてもらいたいとは、それは、二度とこのような悲惨な事件は犯さないでもらいたいという、社会へ向けての警告の意味も含めてのことですか」
暫く、沈黙するように、どこか残念な表情を浮かべながら、こくりと、和都は頷いた。
勝ったと思った試合が瞬時に、判定で敗れ去る敗者のような複雑な心境だった。
その、残念な表情の中には、憎まれるべきは罪だからだとの煩悶が隠されている様に、裁判官や裁判員らには映っていた。それは、和都の背後に座る傍聴人にさえもだ。
「犯した罪は生涯消えません。それでも、それでも、何時かは社会復帰を果たして、本来の人間らしいさを取り戻すべきです……」
傍聴席の何処からともなく、すすり泣く声が漏れていた。
「他に、何かいっておくことはありますか」
検察官はさらに、訊いた。和都は暫く目を閉じて、頬に伝わる涙を掌で払い退けてから、自分の辛い運命を回想するように語りだした。
「僕の母親は、殺されました。それも、自分の父親らしき男から………僕に係わる人ばかりが、なぜ、何故、こんな不幸に見舞われるのか、その答えを見つけるために、今の僕自身が過去に犯した罪の償いと、更生の途中に置かれているんだと思います……」
法廷内は、和都の力なく発する証言の声だけを、音声マイクが拾っている。
そして、息を整えながら、最後の気力を振り絞るように続けた。
「被告人は、間違えてます。憎むべきは自分の犯した罪であり、他人ではないことを、それから、人は……人は、誰しもか死ぬまで、犯罪を犯さないとは解からない。その、僕も、人生の死を迎える途中に罪を犯した1人です。だから、必死になって今は更生しようとしています。僕の過去の過ちと、彼女とは何も関係がないってことを、一生忘れないでもらいたい。僕も、自分の犯した罪をこれからも生涯、忘れてはいけない人間なんですから……」
検事は両手を酌みながら、証言席に座る和都の前まで歩み寄って、天井を仰いだ。そして、軽い息を吐きながら法廷の中全体を見渡し終えて、和都の苦悩を援護するようにいった。
「私たち検察官を初め、社会で生きている人々は大切なことを忘れ掛けていました。それは、法律や人が人を裁くことが、何のために有るかということです。つまり、社会で生きて行くルールとして、法律なんか人間が勝手に作ったものでしありません。しかし、そのルールに従わないと、社会秩序や平和を守れません。刑罰は人を苦しめるだけに有るものではなく、更生させる為のものでもあります。例えば、刑法の起源は「復讐」にあると西洋では考えられていました。近代国家ではこんな考え方は通用しないとしても、私たち検察官は、公益を代表し裁判所に適切な刑罰を求めます。そして、裁判所は判決を下す。しかし、その後のことを忘れ、見て見ぬふりをしていたのかも知れません。本来の私たちの役割は犯罪を犯した人が将来、二度と罪を犯さないためのサポートをする役割を担っているのです。そのために、大勢の人が色んなサポートの形で携わっています。例えば、保護観察官や保護司さんがいます。他にも、違法薬物の立ち直りを支援する民間団体や、前科のある人を積極的に雇用する協力企業もあります。しかし、問題は罪を犯した全ての者をサポートする制度や法整備が不足しているのも現実です。罪を犯してからの更生への出発点は、ここの「法廷」から始まっているのです。ですから、罪を許すだけでなく、厳しい刑罰も必要になります。被告人には厳しい刑罰を受けてもらって、心から深く反省させることも更生へ向けた第一歩です。そうしないことには、社会不安が増すばかりで、治安は維持できないからです。人と人は何かの「縁」で繋がって、助け合って庇い合って、そして、時に傷ついたりします。今日、被害者ご本人は事件後の多大な影響を受けてここには来ていませんが、変わって来てくれた証人には感銘させられましたあなたは心の暖かい人だ。私たちは、そういう暖かい気持ちを膨大にに与えられた仕事の中に面倒なこととして、封印していたのかも知れません。それに気付かされました。ここにいる被告人には厳しい処罰が望まれます。しかし、人として暖かく見守り、必ず更生してくれることを願いたいと考えます」
裁判官や裁判員、そして法廷内にいる人たち全てに向かって響き通る大きな声で長い講演でもしているように、その検察官検事は少しの沈黙を置いて、さらに法廷内全体を見渡してから続けていった。
「これは、一検察官としても社会で暮らす一員としてもです。私たちは、社会で何が起こりうるか解からない中で共存しているのですから、被害者やあなたの悲しみや苦しみは、私たちの悲しみや苦しみでもあるのです。そして、それが、被害者ご本人のためになるとしたら、被告人の更生を願うのも、検察官という仕事として司法に携わる者としての、使命だと思います。それを、忘れ掛けていました。本当に、憎むべきは罪であるということをです。その人は寛容に許されても罪は決して許されません。その罪と責任に応じた適切な量刑が望まれます」
検察官が、これで尋問を終えますといった。最後の、この長いくだりは、夏帆の意思を代弁しているかのように、和都には思えた。
項垂れている被告人は、目頭を腕で何度も拭っていた。裁判官らは、じっと、和都に頷きの眼差しを返した。裁判員らは、ハンカチで目を抑えている。傍聴席からは、悲しみのレクエイムのような、か細い泣き声が幾重にも重なり合っていた。
弁護人は、形ばかりの反対尋問をしただけだった。
裁判官は、和都の焦点から目を離すことなく、補充尋問をした。
その補充尋問に、何て答えたのか、裁判所からの帰り道では思い出せなかった。
気付けば、被害者遺族の感情に襲われる悲しみに堪えながらも気丈に、ありがとうと言ってくれた夏帆の母親と一緒に、病院へと向かっていたことだった。
ただ、1つだけはっきりと覚えていることがある。
裁判所を出てから、一瞬立ち止まって裁判所の建物を振り返った。
そこで顧みたのは、まだ、最終ラウンドのゴングは鳴っていない。まだまだ戦える。俺の人生の最終ラウンドは、まだまだ先にある。死ぬまで、そのゴングは鳴らないかも知れないと思ったことだった。
もう、逃げないと誓った更生という道に終わりはないからだ。
ここは、ボロボロに殴り合うリングの上でもない。まして、刑務所でもない。
大切な人を守るためにある、本来からいるべき場所なんだと。
そんな社会の中にいることに、何の不自然さもない。
過去の自分は罪を犯して、更生する社会へ再び帰って来ただけだと、そんな感慨に捉われながら、和都は踵を返した。
夏帆の母親と肩を並べながら歩いていると、街の雑音が最終ラウンドのゴングの音を搔き消しているかの如く、和都の耳に響いて来ない。
何故なら、今は亡き母へ報告できない程に恥ずべき罪の過ちを繰り返した過去に対して、未だに償い切れていない悔しさが腹の底から沸き上がり、道行く足を重くさせていたからだった。
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エピローグ
子供たちが、先生、先生と呼んでいる。
そこには、にこやかに微笑む夏帆の姿があった。
子供たちに絵を教えてみたい。そう話を持ちかけられた和都は、最初は困惑した。
しかし、それが、夏帆の精神的支えになってくれるのならと、自分が過って暮らしていた児童養護施設の職員に相談してみた。
久しぶりに見る顔なじみの職員も年を重ねながら、何人かが在職していた。何度となく、警察署まで足を運ばせた職員もだ。
今は未成年で許されることでも、成人するとそうも行かないと、国さん食堂で諭してくれたのが、今、自分の目の前にいる職員だ。あの頃は、おふくろの作る味に似た煮物と暖かいご飯を、ぶっきらぼうに口に運ぶだけだった。
未熟だった。何もかもがだ。
あの時に、何故ありがとうございましたと、素直に言えなかったのか。それからどれくらいの年月か過ぎたのかさえ考えることもなく、絵画教室を月2回程させて欲しいと頼みに行くと快く快諾してくれた。
それどころか、おう、やっと帰って来たな故郷にと、相好を崩しながら暖かく迎えてくれた。あの時は、2度とここの施設には帰ってこないだろうと、強い意気込みを持って飛び出したのだから、帰る場所なんてないと勝手に自分の殻に閉じこ籠ってしまっていた。
ボクシングを通じて弱い精神面を鍛錬し、苦しさという辛い練習の葛藤から解放された瞬間の喜びも得ていたのに。
しかし、それは、僅かな期間でしかなかった。本気で何かをやろうとした瞬間に訪れる禍ばかりに支配されていると、自分自身を主観面でしか自己評価できていなかのだから。
禍い転じて福となす。
あの時に、国満のオヤジさんに言った言葉と、自分の言動が矛盾していることに気付いていなかった。刑務所を仮釈放されて、国満が迎えに来てくれるまでは。
いや、それを今ここで、はっきりと再確認した。ここの、児童養護施設に自分が置かれたことは自分が生まれ持った禍からだと。
それが、今は一転している。
そう、禍いに代わって、幸せが到来する予兆を感じていた。
子供たちに絵を教え、何気なく話すという日常的なことが夏帆の姿を、とても美しく和都の眼には映る。今も車椅子とリハビリの生活を余儀なくされている夏帆は、自然体で笑い、話し、そして時に涙を流す。
その涙は、嬉しい時、悲しい時、怒っている時、楽しい時という喜怒哀楽の中で流す、誰でも生まれながらに備わっている、人間本来の感情から溢れる自然な涙だ。
その感情を互いに共有しながら、夏帆の支えになれることが、和都にはとても幸せだった。
過去の失敗だらけの苦しい境遇を生き抜いて、これからは、自分も夏帆に支えてもらえるか立場でもあるからだ。
何時か、あなたの育った児童養護施設へ行ってみたいな。
だって、あなたの親代わりをしてくれた人たちがそこの施設にいるなら、私もご挨拶が必要でしょう。
夏帆と共に生き、これからの将来に全力を注ぐ決心が固まった瞬間だった。
帰りたいと思った。過って、自分が過ごしたあの場所に。
途轍もなく嫌で、逃げ出した我が故郷に帰ることは、決して恥ずかしいことではなく、夏帆と一緒に帰れることは、寧ろ誇りにさえ思えた。
同時に、少しは更生し、人として成長できたかなとの逡巡が駆け巡った。
ありがとうございますと、素直に感謝の言葉が職員へ言えなかったあの頃と比較すれば、今の方が恵まれているとさえ思える。
そうだ。まだある。
あの時に、検察側証人として証言した裁判の判決公判は、何処か辛い半面、和都の心を沁みさせていた。
主文――被告人を懲役7年に処す。本刑に未決通算日数として、120日を参入する。
この、判決の言渡しをしてから、量刑理由などを朗読した後で、裁判長は、こう被告人に話しかけ。
私たちの仕事は、判決を言渡してそれで終わるのではなく、人間同士、常に被告人や被害者と対等に接しなければならないのです。
つまり、私たちもあなたの更生を心から願っています。今回、与えた刑罰は長いかも知れません。
私たち裁判官も神様ではないのですから、人が人を裁くことの難しさは、答えのない永遠のテーマの中に置かれている気持ちになることもあります。
あなたが将来社会に戻って来た時、果たして、社会はあなたを許せるでしょうか。
例え、社会や私たちが許さなくとも、被害者ご本人は許してくれるかも知れません。
それは、被害者が憎いのは、あなたではなく、罪だからですよ。
この法廷で、被告人としてあなたを裁くことになたのも、何かの「縁」からです。
そんなあなたの将来に、希望を託しております。
世の中捨てたものではないですね。
私たちも、そういわれて、助け合える人間にならねばなりません。
被害者の方から、あなたが本当の意味で救われるのは、まだまだ、これからですよ。
捨てる神あれば、拾う神ありとの、諺もあります。
この法廷の出来事が偽りのない神聖なものであるなら、捨てた神から拾ってもうらう神の存在する場所とも言えます。
更生と一言で表現することは、容易いことです。ですが、自分の犯した罪と常に向き合った真剣勝負こそが、きっと、更生へと飛躍して行くはずです。
今回の事件を教訓に、被害者の優しいさや思いやりの気持ち大切にし、新しい空間へ続く扉を開けて、更生へ向けた第一歩としてください。
宜しいですね。
裁判官の、あの説諭を被告人がどう感じ受け止めたかは解らない。
しかし、和都から言わせれば、捨てた神から夏帆という拾う神に救われた思いだった。
ただ、ひたすらと夏帆の傍で、これからの生涯を通じて彼女を見守れるなら、それで本望だ。
人は誰しもが、終わりの見えない難路を突き進む、挑戦者なのかも知れないのだから。
お兄ちゃん、一緒に遊んでよ。
声のする方へ振り返った。そこに、夏帆が子供たちに囲まれて、にこやかに談笑している。
上手に描けたよね。
もっとたくさん描いてみようか。
ほら、鉛筆はこう持つのよ。
あの事件後から、何気ない普段の日常を取り戻す為に、和都も夏帆と一緒に苦しみ、もがき、悩んだ。今は、子供たちと笑えるまでに夏帆の心の傷は癒されている。
夏帆が和都へ、和やかな顔を向けた。
ここが、俺の故郷さ。
キミと一緒に、ここへ帰って来れたことが、どこか不思議だ。でも、それは必然的に起こった実情で、決して偶然的な顛末ではない。
和都の運命が翻弄としていたのは、更生という、立ち直りの難しさだ。
もう、決して、繰り返してはならない。
被告人となって、あの場所に戻ることは。
まだまだ、更生の途中だから、そこから逃げいては、本当の意味で人間らしさを蘇生させたとは言えない。油断大敵との心がけが必要だと改めて、認識しなおした。
ふとっ、子供たちと戯れる夏帆の姿に和都が、緩やかな視線を走らせた。
苦しい時にこそ、人の優しさに触れることが身に染みる程にありがたいんだと感無量な思いを、子供たちに馳せた。
ここが、自分の故郷だ。
あの子らは、自分の弟や妹だ。
これからは、胸を張って堂々と生きても大丈夫だと、和都は新たな決意を誓った。
起立―――。
法廷の中へ、神聖なる声だけが木霊し、裁判官が入廷して来て静かに一礼して着席した―――――。
では、本日は判決を言渡しますから、被告人は証言席まで―――――。
自分を変えてくれたのも、ここからが更生へと向かう一歩から始まったと、和都は傍聴席から被告人の後ろ姿に心の中から語りかけていた。
その更生への道のりは、途轍もなく険しく困難な連続に打ちひしがれることもあるからだ。
そんな困難に決して屈してはならないとの、自分に対しての戒めの意味も含んだ語り掛けだった。
更生保護法( 平成19年法律第88号 )
施工日・平成29年5月30日( 平成28年法律第51号による改正 )
( 目的 )
第一条 この法律は、犯罪を犯した者及び非行ある少年に対して、社会内で適切な処遇を行うことにより、再び犯罪をすることを防ぎ、又はその非行をなくし、これらの者が社会の一員として自立し、改善更生することを助けるとともに、恩赦の適切な運用を図るほか、犯罪予防の活動の促進等を行い、もって、社会を保護し、個人及び公共の福祉を増進することを目的とする。
刑法犯の認知件数は減少しているといわれ、2016年には99万6120件と戦後、最少になたといわれる。
その半面で、刑期を満了し刑務所を出所した者のうち、5年以内に再び刑務所に入所する人の割合は、49.2%とともいわれる。
更生のために刑務所に入ったにもかかわらず、出所者は何故、再び犯罪を犯してしまうのだろうか――――――。
未だ、この答えに辿り着けないジレンマに陥っているのが日本における刑事政策の現状であり、これからも取組むべき大きな課題である。
E N D
これで、最終話となります。
長い間、ご愛読いただいた読者諸氏に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
まだまだ、未熟な作品ではございますが、これからも、さらにアップデートした良い作品作りができるように、これからも日夜、勉強していく所存ですので、今後も何卒、宜しくお願いします。
謝辞
長い間、お付き合いしていただいた読者諸氏に感謝いたします。本作品連載途中、著者の身体的・精神的問題で、2年間程、次話の更新が途絶えた放置状態でしたが、何とか、ここに完結を迎えることができました。
この作品にアクセスしていただいた、読者諸氏に改めて、深く感謝いたします。
著者は、暫くは療養期間に入りますが、読者の皆様も十分にお体をご自愛ください。
また、半年後、それとも1年後になるのか分かりませんが、新たな作品で読者諸氏と繋がれたなら、著書といたしましても、この上ない幸いです。
令和3年 10月吉日
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参考文献/
「裁判長の沁みる説諭/長嶺超輝・著(河出書房新社)」
「刑務所で世の中のしくみを教える/石森久雄・著(芙蓉書房出版)」
「司法・犯罪心理学入門(捜査場面を踏まえた理論と実務)/桐生正幸・板山昴・入山茂・編著(福村出版)」
「仮釈放の理論(矯正・保護の連携と再犯防止)/太田達也・著(慶応義塾出版会)」