プロローグ・黒川仁 2
3年前頃からだった。普段でも田舎らしく落ち着きのある町だが、土日の昼間になるとゴーストタウン化してしまう現象が起きていく。
もっとも、それは中学校から離れている町の中心部の話である。中学校と隣接する町民体育館の辺りは出店が並び、老若男女・家族連れが体育館へと吸い込まれていく。
今日のメインを張っている黒川と中川は紫代野中学を代表するドル箱カードである。
特に黒川は町一番の人気者であり、紫代野中学の強さの象徴だ。180を越す身長に、100キロを越えての体格。
紫代野中学でのプロレス団体発足時、1年生にして大将格に君臨し、今までメインイベンターの座を誰にも渡していない。
今日も、体育館に集まった満員の観衆が黒川の圧倒的な勝利を確信している。
黒川が絡むカードに波乱などない。
彼の絶対値は勝つことだけで安定するのだ。
黒川と中川の試合は常に静かに始まる。
開始5分間は、寝技の攻防やバック〈背中〉の取り合い。
グランドレスリングでは黒川は分が悪いが、中川も上手くはない。ところどころで投げ技をアクセントに観衆の集中力を切らさない様に配慮する。
試合はスタミナの消耗戦を経て、お互いが決め技に繋がるお膳立てを用意していく。
黒川は得意のラリアットへと、中川は首に重圧を掛けるフィッシャーマンズバスターへと、両者の頭の中でフィニッシュへの逆算が始まっていく。
黒川は、相手に先に必殺技を出させた上で勝つ、という自らの強さを証明させる勝ち方を。
中川はラリアット封じの為、黒川の右手に焦点を当てていた。
序盤から首を中心に絞っていた攻撃で黒川の意識は違うベクトルを向いていると自信があった。
黒川は、首に狙いを定め中川の髪の毛を掴み、丸太の様な腕で首を削ぎおとすと言わんばかりに振り落とす。
試合時間20分を告げるアナウンス。
黒川は、これまで通り圧倒的な強さで試合を支配している。
しかし、序盤のスタミナの消費が激しく、首のダメージも想像以上で、首が自分の足元へポテッと落ちそうな奇妙な感覚が襲う。
そのせいでは無いだろうが吐き気も襲ってくる。
懸命に首を上げるのに、目で天井を見つめる様にして、脳に首をあげさす様に強制伝達させた。
何とか言う事を聞く体が、無意識に倒れた中川の体を起こしていた。