プロローグ・黒川仁 1
私は20歳前後まで野球、サッカー等には全く興味がありませんでした。
元来、プロレスしか知らないプロレスファンだったのです。
しかし、今では野球は観るしサッカーも観ます。
今のプロレスラーを知らない自分がいます。
それでも、熱中していた90年代のプロレスには今でも心踊らせ思い出す時があります。
この話は〈負の遺物〉とまで言われた90年代プロレスを愛する人たちに捧げます。
そして、総合格闘技こそが最強と思っている人たちにも問います。
『本物の強さとは?』
これを読んで頂ければ分かると思います。
最後になりましたが、これを読んで頂いて、少しでもプロレスファンが増える手助けになればと願います。
町民体育館の玄関前に少数の人だかりが生まれている。
〈それら〉は館内の熱気とは対象で、静かに自らの目的を果たさんと、その時を迎え様としていた。
〈それら〉の前に一台のタクシーが止まる。
ドアが開き中から大男が姿を現す。
目的を果たすはずの〈それら〉だが、男の放つ異常な間〈ま〉が、圧迫感を与えて何もさせてくれないのだ。
男はトランクからスーツケースを取り出して遠くを見つめながら、でもしっかりと歩を進める。
〈それら〉は各々手にした空の色紙を恐れる様に男に差し出す…が、その行為に意味がないのを〈それら〉は知っている。
毎度、男は過ぎ去って行くのだ。
〈それら〉は希少価値の高い男のサインを手に入れる為、半分以上の試合を毎回見られずにいるのだ。
しかし、〈それら〉に悲壮感などなく、逆に快く自分たちを受け入れる様な安い人間なら今の地位を彼が築いているはずない、という確信があるのだ。
体育館内の壇上には黒い幕が張られており、そこから選手は戦場へと向かって行き、傷つき戻って来る。
壇上には音響・照明装置が設置されており、地面には配線がまとまりなく右往左往している状態だ。
先ほどの大男が、華麗なガウンを身に纏い階段を降りて来る。
暗い裏方の世界だが、ガウンの奥に見える鍛えられた肉体が、勝者という名誉を早く欲したいと静かに吠えていた。
正面、音響装置の奥に中川武史〈なかがわたけし〉が控えている。対戦相手を意識しない様に振る舞うが、下手すぎる演技が彼の不器用さを上手く演出している。
セミ〈ファイナル〉を戦い終えた勝者が花道を派手に引き揚げ戻って来る。
勝者しか戻って来られない道。
その道を賭けて戦う相手がリングアナにコールされる。
『本日のメインイベント……60分1本勝負を行います!……青コーナー、中山武史選手の入場です。』
ハードロックな入場曲が会場中に鳴り響く。中山が静かに幕をさっと開閉する。
微かに聞こえていた歓声が一瞬怒濤の狂乱の様に裏舞台を襲ってきた。
暫くして歓声が静まっていく。
瞬間、会場は静寂に包まれた。
強さ、地位、人気、全てが揃ったプロレスラーしか味わえない、観衆からのおもてなしである。
『続きまして…赤コーナー……俺が頂点だ!向かって来る奴は首を捕る!黒川仁〈くろかわじん〉選手の入場です!』