処分(4)
75の処分には、27の他に一名の兵士が同行することになった。
27が06から紹介された兵士は59。
黒髪でおかっぱの女性。
小柄でまだ養護施設にいそうな雰囲気だが、十七歳のベテラン戦闘兵だという。
百名弱の兵士しか存在しないコロニーだ。
もちろん、59のことは27も見掛けたことぐらいはあった。
しかし、任務を共にした経験はなく、積極的に話したこともない。
ゆえに、59のパーソナルな情報は、何も知らなかった。
コロニーから支給される刀を持っているので、戦闘兵ではあるのだろう。
59は、半開きの黒い瞳を27に向けて、小さく口を開く。
「59です。
よろしくお願いします」
小さい声だったが、不思議と聞き取るのに支障はなかった。
27が聞こえるギリギリの音量に、敢えて調整しているのかも知れない。
「あ……ああ。
よろしく」
27が右手を差し出す。
握手のつもりだったのだが、59はその27から差し出された右手を不思議そうに眺めるだけで、握り返してはこなかった。
(変なやつ……)
そう思うも、特に気を悪くすることもなく、27は右手を下ろす。
「じゃあ、行こうか」
コロニーの活動範囲は、コロニーを中心に半径約十キロメートル圏内とされており、その殆どが大きく成長した広葉樹が乱立する、深い森の中となる。
今回、75が目撃されたという地域も、例外ではなかった。
見通しは当然ながら悪い。
周囲を見回そうにも、何重にも重なる樹々により視界が阻まれ、三十メートル先も見通すことができない。
さらに、腰まで背を伸ばした雑草と凹凸する地面によって、進行は著しく阻害される。
簡潔に言えば、75の捜索は難航した。
機械兵の場合、目撃情報のあった地域から動くことは殆どない。
そのため、目撃情報のあった地域を一日、長くても二日捜索を続ければ、大概にして発見することができた。
だが、75の捜索はそれほど安易なものではなかった。
75は二十歳になった時、彼女の暴走を恐れたコロニーによって、一度殺され掛けている。
当時、コロニー周辺を散歩していた彼女に、10以内の指示を受けた戦闘兵が襲撃を仕掛けたのだ。
本来であれば成功したであろうその襲撃だが、彼女はコロニーが考えるよりも、遥かに優秀な戦闘兵だった。
彼女はその襲撃を退け、コロニーから逃走した。
それが二年前の出来事である。
当然、75はコロニーからの追手を、警戒していることだろう。
容易に見つけられるとは思えない。
もっとも――
(コロニーを警戒しているはずの75が、常駐キャンプがあるこの地域周辺に姿を現したというのは、少々腑に落ちないが……)
キャンプから食料などを調達しようと考えていたのかも知れない。
何にせよ、その目撃証言が事実であるならば、75の痕跡は森のどこかに必ず残っているはずだ。
27はそう考え、ただ周囲を見回すだけでなく、地面の足跡などにも注意を払い、捜索を行った。
だが成果は得られず、三日間が経過した。
捜索開始から三日目の夜。
27と59はテントを張って、焚き火を囲んでいた。
重いリュックを背負って行われる連日の捜索。
27は凝り固まった肩を何度も回しながら、大きく溜息を吐いた。
機械兵を破壊する任務でも、敵の捜索が難航して、何日も森の中を歩き続ける――頻繁ではないが――ことはある。
だが今回の任務に限っては、肉体面よりも精神面での消耗が激しかった。
本任務での目標は、血の通わない機械兵などではなく、生きた人間なのだ。
しかもその人物は、27にとって戦闘訓練の教官でもある先輩だ。
幾らコロニーからの命令とは言え、それに従い、恩人を殺そうとしている自分が、ひどく不義理に思えた。
27が再び嘆息する。
すると、27と焚き火を挟んで向かいに座っていた59が、ポツリと言った。
「意外ですね。
疲れたのですか?」
27が59に視線を向ける。
59は、27など見ていなかった。
そこに余程重要なモノでもあるかのように、彼女は焚き火の炎をじっと見つめている。
瞳に揺らめく炎を写しながら、59が平坦な声で言う。
「27さんの功績はかねがね聞き及んでいます。
強力な念動力と剣術を自在に操る戦闘兵。
その戦闘能力は、一般の戦闘兵の五人分にも相当すると言われています」
「褒めても何も出ないぞ」
「客観的評価です。
褒めているわけではありません」
59はきっぱりとそう言った。
27は「あ、そう」と肩をすくめる。
59は視線を焚き火の炎に向けたまま、ボソボソと――だが不思議と聞き取りやすい声で――言う。
「そんな27さんが、この程度の捜索で疲労を感じるとは信じ難いです」
「59は何も感じないのか?」
27がそう聞くと、59はようやくその視線を、焚き火の炎から27に移した。
「疲労はありません。
訓練していますから」
「そうじゃなくて、同じコロニーの仲間を処分することに、何も感じないのか?」
「仰っている意味が分かりかねます」
59は、その能面の眉を僅かに曲げ、続けて言った。
「機械兵であろうと、元コロニーの兵士であろうと、コロニーにとって脅威となるならば、排除するだけです。
そこに区別は必要ありません」
「君は75と顔を合わせたことは?」
「いえ。
見掛けたことぐらいはあったかも知れませんが、私が戦闘兵として配属された時には、すでに75はコロニーから逃走していましたので、直接的な面識はありません」
59は「ただ……」と、一度左上に視線を上げ、再び27に戻す。
「面識があったとして、私の意見は変わらないでしょう。
これは10以内の指示であり、ひいてはコロニーの総意であり、女王様の意志です。
それに反することは、コロニーに属する兵士として、あるまじき行為だと考えています」
「それが誤った指示でもか?」
「女王様は誤りません」
断定的な口調で59が言った。
沈黙する27に、59は補足するように言葉を加える。
「正確には、コロニーの正誤は女王様を基準にして決定される、ということです。
女王様の意志がコロニーの兵士を処分することなのであれば、それがどんなに非合理的なものであっても、絶対的な正です。
もちろん、女王様が非合理的な判断を下したことなど、ありはしませんが」
「……だからと言って、個人の感情を無視できるわけでもないだろう」
「私にはそのようなもの、ありません」
59はこれも断定口調で言った。
「私達兵士に、個は不要です。
私達兵士はコロニーと呼ばれる集合意識の一部に過ぎず、その集合意識は女王様の一部に過ぎません。
私達兵士は、その全てが女王様に帰結するためだけに存在します」
59はそこまで話すと、27から視線を外し、再び焚き火の炎を見つめ始めた。
そしてポツリと27に言う。
「疲労しているなら、先に休んでください。
私が見張りをしています」
75の捜索を開始してから五日目。
彼女を見つけるどころか、その痕跡すら発見するに至っていない。
任務に乗り気ではないとは言え、27も焦りを覚え始める。
27は木に寄り掛かり、腕を組んでいた。
27の約二十メートル背後には、身体をふらつかせて歩く、59の姿がある。
彼女が追い付くのを、小休憩がてら待っているのだ。
「大丈夫か?」
追い付いた59に、27が声を掛ける。
59は、ただでさえ色白の顔をさらに蒼白にして、27の問い掛けに答えた。
「問題ありません。
捜索を続けましょう」
どう控えめに見ても、問題がないようには見えなかった。
泣き言を口にしない59だが、その表情には、隠し切れない疲労が色濃く浮かんでいる。
59の体格はひどく小柄だ。
その体躯に蓄えられる体力も、27と比べて少ないだろう。
鉄の棒を片手に持ち、背丈の半分もあるリュックを背負い、森の中を連日歩き続けているのだ。
小柄な彼女の体力など、途端に枯渇してしまったに違いない。
(結局、先に悲鳴を上げるのは、精神的な疲労よりも肉体的な疲労なんだよな)
27は59に気付かれないよう、小さく溜息を吐く。
素直に休もうと言っても、59はそれを了承しないだろう。
27は刀の柄でこめかみを掻きながら――単に痒かったのだ――、それとなく59に訊く。
「おかしいと思わないか?」
「……おかしい……とは?」
小さな肩を上下に揺らしながら、59が27に訊き返す。
27は、寄り掛かった木の根元にさり気なく腰を下ろすと、リュックと刀を地面に置いた。
そして、固まった肩をぐりぐりと回しながら、話を続ける。
「どうして、私と59の二人だけなんだ。
この広い地域を、たった二人だけで捜索するなんて、どう考えてもおかしいだろ」
「……今更……ですね」
59は、少し逡巡する素振りを見せるも、27に倣って近くの地面に腰を下ろした。
やはり、体力の限界だったのだろう。
彼女はリュックを脇に下ろすと、刀だけは両手で握ったまま、深呼吸を繰り返した。
汗で額に張り付いた前髪を指先で払いながら、59が口を開く。
「本任務は極秘に遂行されています。
暴走する危険性がある兵士の存在。
それが明るみになることで生じるパニックを、防ぐためです。
情報漏洩の危険性は、その情報保有者の数が多ければ多いほど、高まります。
私達以外にこの情報を開示することは、リスクが大きいと判断したのでしょう」
27は59の言葉に一度首肯し、すぐに頭を振った。
「理屈は分かるが、それで75を見つけられなければ本末転倒だろ。
特に私達はこの地域の土地勘がない。
せめて常駐兵の支援を要求するべきだと思うが」
「それを判断するのは、私達ではありません」
「提案ぐらいはいいんじゃないか?」
「同意しかねます」
頑なな59の態度に、27は少し違和感を覚える。
59が命令に忠実な女性だということは、――五日間任務を共にして――分かっていた。
だがあまりにも、その姿勢が強固に思えた。
このまま捜索を続けても、成果を得るのは難しい。
それぐらい判断は、59にもできているはずなのだが。
27は怪訝に思いながらも、取り敢えず今後の行動について、59に伝える。
「一旦、常駐キャンプに戻ろう」
「27さん」
非難の声を上げる59。
そんな彼女に、27は手を払って、窘めるように言う。
「支援を要請するか否かは別にして、食料も底を付き掛けているし、コロニーに中間報告をする必要もある。
任務の達成を第一に考えるなら、従ってもらう」
59が半眼で27を見やる。
彼女が納得していないことは一目瞭然だが、特に反論もないらしい。
27は、睨む59に軽く肩をすくめてやり、立ち上がるために体重を前方に倒した。
だが――
「!」
突如、視界が大きく歪む。
27は地面に倒れ込むと、胸を抑えて身体を丸める。
全身が熱い。
まるで血管に溶けた鉄を流し込まれているようだ。
内側から外側への強烈な圧力。
四肢が弾け飛びそうな感覚。
27の全身に大粒の汗が浮かぶ。
彼女は歯をぎりぎりと鳴らしながら、痛みに耐え思う。
(また……例の体調不良……か)
びくんと身体が跳ねた。
自身の意志に反して、指がぐねぐねと蠢く。
大きく見開かれた眼球から涙が溢れる。
掠れた喘ぎ声を出す口から大量の涎が垂れる。
吐き出す息さえも、燃えるように熱い。
27は苦悶に顔を歪めつつ、痛みが過ぎ去るのをひたすらに待った。
「どうしたんですか?」
妙に冷静な59の声。
突然苦しみだした27を心配したのか、彼女がゆっくりと27の下に近づいてくる。
27は地面を転がり、苦しみ悶えながらも、必死に声を出す。
「しん……ぱい……ない……すぐ……良くなる……」
「ですが、とても苦しそうです」
59が、27の手前で立ち止まった。
27は震える瞳を何とか持ち上げ、59を視界に収めた。
涙と汗で濡れた視界は、大きく歪み霞んでいる。
その視界の中で――
59が抜き身の刀を構え、立っていた。
「――!」
27が咄嗟に身体を横に転がす。
27が先程までいた地面に、刀身が叩き付けられた。
砕けた地面と根の破片が、身を躱した27の顔面に当たる。
59が刃の向きを変える。
そして、27を追い掛けるように、刀を滑らせてきた。
躱せるタイミングではない。
しかし――
59の刀がピタリと宙で止まる。
「……流石ですね」
59が無表情に感嘆する。
刀を止めたのは、27の展開した力場によるものだった。
脳を焦がす激痛に耐えながらも、彼女は精神を集中して力場を展開し、59の刀を受け止めたのだ。
カタカタと刀を揺らしながら、59が淡々とした口調で言う。
「そんな状態で力場を展開するなんて、大したものです。
ですが、私を直接攻撃できるほどの余力はないようですね。
さて――」
59の刀が、少しずつ27に近づいてくる。
27の展開した力場を、59が強引に押し退けているのだ。
「果たしていつまで、保つでしょうか?」
地面に横たわる27を睥睨し、59が言う。
遠退く意識を必死につなぎ止めつつ、27は59に問うた。
「何の……つもりだ……コロニーを……裏切るの……か?」
「裏切る?」
ひどく心外だと言わんばかりに、眉根を寄せる59。
彼女は「そんなつもりはありません」と27の言葉を否定し、刀により力を込めた。
59の握る刀が、さらに27へと接近する。
自身に近づいてくる刃の、その鋭利な輝きに、27は息を詰まらせた。
27を見据えた59が、平然と言う。
「元々、この任務は27さんを処分するためのものですから」
「な……」
59の言葉が信じられず、27は呻いた。
59が、刀に込める力を一切緩めることなく、淡々と話をする。
「75の処分はフェイクです。
それらしい内容で、27さんをコロニーからできるだけ遠ざけることが目的でした。
私の本当の任務は、人気のない場所に誘い込んだ27さんを、迅速に処分すること」
「そん……な……」
「本来ならば、私の力は27さんには到底及びません。
ですが、27がその状態になった時、27さんは念動力が使えないか非常に弱まるため、私でも殺すことができると、そうコロニーから聞かされていました。
半信半疑でしたが、どうやら事実のようですね」
コロニーは27の体調不良に気付いていた。
その事実は、少なからず27に衝撃を与えた。
上手く隠しているつもりだったが、どうやら自分の演技力を過大評価していたらしい。
ならばこれは、27は使い物にならなくなったとコロニーが判断したがゆえ、処分が下されたということだろうか。
だがそうだとすると――
(あまりにも……回りくどい……)
こんな場所に誘い込んで処分するぐらいなら、コロニーで処分してしまえばいい。
人目を避けるためだとしても、ここまでコロニーから離れる必要はなさそうに思える。
(何か……別の理由があるの……か?)
27は、自身に迫る刃に戦慄しつつ、声を震わせて59に問い掛けた。
「何故……私を……」
「知りません」
27の問いに、あっさりと首を横に振る59。
睨む27に、彼女は何食わぬ顔で言う。
「私が知る必要はありません。
それが10以内の命令であり女王様の意志なのであれば、遂行するだけです」
27と刃との距離は約十センチ。
あと数分もあれば、その磨かれた刃は27に達し、彼女の肉にその刀身を潜り込ませることだろう。
或いは――
(……数秒後……か)
力場を展開し続けることも限界だった。
身体を引き裂くような激しい痛みに耐えつつ、高い集中力が必要な念動力を扱うなど、そもそも無謀なことなのだ。
ここまで集中を維持しただけでも、自分に最大級の賛辞を送ってやりたいところだ。
(くそ……ここまでか……)
27が諦め掛けた。
その時――
「――!」
ビクリと身体を震わせ、59が刀を引いた。
身体を素早く反転させ、腰を落として構えを取る。
厳しい表情を浮かべる59。
彼女のその視線は、森の暗がりへ向けられていた。
27は霞む視界を動かして、59の視線の先を見やった。
薄闇が湛えられた森の奥。
そこで、二体の影がうごめいた。
「……こんな時に……」
59が苦々しく呻く。
森から姿を現したのは、二体の機械兵だった。
59にとってこの状況は、想定外の災難だと言えるだろう。
しかしだからといって、27にとってこれが歓迎すべき状況かといえば、勿論そんなことはない。
ベテランの戦闘兵である59が、機械兵二体を相手に敗北することはないだろう。
仮に59が機械兵に敗北しても、今度はその機械兵が、身動きのできない27を殺しに掛かる。
59と機械兵のどちらが生き残ったとしても、27は殺される。
逃げ場のない詰み。
27はそう考えていた。
しかし――
ここで予想外の事態が起こった。
「本当は仲間割れなんて、ほっときゃいいんだけどよ」
27の心が激しく震えた。
どこかで聞いたことがある声だった。
自分がまだ戦闘兵になる以前、戦闘訓練時代に、毎日のように耳にしていた、頼もしく力強い声。
彼女は常に自信に溢れていた。
口は非常に悪く威圧的で、聞き手を萎縮させてしまうことがよくあった。
だが本当の彼女はとても後輩思いで、口汚い言葉の奥に、隠し味のような優しさを常に忍ばせている。
27が尊敬する、数少ない先輩の一人。
27は眼球に力を込め、霞む視界の焦点を必死になって合わせる。
彼女の視界の左右には、二体の機械兵が並んで立っている。
その機械兵の間に、一人の女性がいた。
艶やかな銀髪を腰まで伸ばした、切れ長の瞳を持つ美しい女性。
コロニーから支給される戦闘服を身に付け、右手には一振りの刀が握られている。
女性は、27の記憶に残るそのままの姿をしていた。
視界に写る光景が未だ信じられず、まじまじと女性を見つめる27。
彼女の口から自然に声が漏れた。
「……75……?」
二体の機械兵に囲まれた女性は、ゆっくりと刀を抜刀する。
そして鞘を地面に落とし、担ぐようにして刀を構えた。
「そこで呑気に寝てる奴は、俺の可愛がっていた後輩なんでね。
殺されるところを、見て見ぬふりするってのは、目覚めが悪いのよ」
女性――75がにやりと笑った。