処分(3)
27がコロニーに戻ると、一階の共有スペースにいた兵士から、06が自分を探している旨を聞いた。
少し迷った後、27は自室に戻る前に、06の執務室へ向かうことにした。
06の執務室をノックし、扉を開ける。
06は椅子に座り、事務机に広げた書類とにらめっこをしていた。
見慣れた光景だ。
27が挨拶をすると、06は書類から顔を上げて、27に視線を向けた。
そして腕を組み、「丁度良かった」と話しを始める。
「27。
あなたを捜していたのよ」
「らしいな。
それを聞いたからここに来た」
「そう……少し顔色が悪いようだけど?」
「気にしないでくれ。
大したことはないが、どうも風邪気味でな……」
「なら、きちんと身体を休めなさい。
自室にもいなかったようだし、何をしていたの?」
「いつもの場所にいた」
その言葉だけで、06には伝わったようだ。
彼女は「そう」と息を吐くと、そっと目を閉じた。
そんな彼女の態度に、27は違和感を覚える。
普段の06であれば、この僅かな会話の中に、一つや二つの冗談は差し込んでくるはずなのだが。
06が目を開ける。
彼女が瞼の奥に隠していたその瞳は、細かく揺れていた。
まるで何かを逡巡するかのように、不安定に蹌踉めいている。
怪訝に眉根を寄せる27。
そんな彼女に、06が力なく笑った。
「もう……三年にもなるのね」
「ん?」
その言葉の意味が分からず、27が片眉を曲げて訊き返す。
06は小さく頭を振り、不足した言葉を付け足した。
「45と16、そして83が戦死した日から、もう三年。
転生した彼女達も、今年で三歳になるのね」
「ああ……なるほど」
「あの子達が、可愛い?」
「何の質問だ?」
06の意図が分からず、27はますます眉をひそめた。
06が、組んでいた腕を解き、前屈みになって机に肘を付く。
口元を隠すように両指を組み、彼女が話を続ける。
「今から六年前。
養護施設は十数体の機械兵に襲われた。
当時十二歳だったあなたは、避妊手術を受けたばかりで、ベッドに寝たきりの状態だった。
多くの子供達が機械兵に殺されたにも関わらず、そんな状態のあなたが生き残ったことは、私にとって救いだった」
06は27の一年先輩だ。
そして、養護施設では年長者が年少者の面倒を見ることになっている。
06から聞いた話によれば、養護施設にいた頃、彼女は27の面倒を主に見ていたのだという。
そんな経緯もあってか、06は27のことを、よく目に掛けてくれた。
しかし――
「すまない……私にはよく分からないんだ」
06から目線を逸らして、27が言った。
06は小さく頭を振る。
「構わないわ。
私の勝手な想いだから」
27は、養護施設での生活を全く覚えていなかった。
機械兵に襲われた恐怖で、それ以前の記憶を失ってしまったのだ。
そのため27は、06が27に向けてくれる想いを、素直に受け止めることができずにいた。
06は一度指を組み直し、言う。
「私は無力だった。
十三歳当時、私は10以内としての訓練を受けているヒヨッコに過ぎなかった。
だから、あの養護施設の襲撃の際、私は手をこまねいているだけで、何もすることができなかった。
それがひどく、悔しかった……」
「06……?」
「でも今の私には力がある。
あなたのように直接的な戦闘能力ではないけれど、10以内としての力が私にはある。
27。
子供達が可愛いか、そう私はあなたに訊いたわ。
私はすごく可愛い。
あの子達が私の戦う理由。
あの子達を守るためなら――」
不安定に揺れていた06の瞳が止まり、鋭い眼光が灯った。
「私は悪魔にだってなるわ」
06はそう言うと、沈黙した。
27も06に同感だ。
27にとっても、養護施設にいる子供達は――83に限らず――可愛いと思うし、どんな手を使おうと、守りたいと思う。
それこそ、悪魔になろうとだ。
しかしそのことが、今何の関係があるのか、27には分からなかった。
「06。
お前らしくなく回りくどいな。
一体何が言いたいんだ?」
沈黙を続ける06に痺れを切らし、27は少し語彙を強めて、彼女に話の続きを促した。
06は目を閉じると、大きく息を吐いた。
そして再び目を開け、言う。
「75のことを、覚えている?」
「75?」
もちろん、覚えている。
銀髪を腰まで伸ばした、切れ長の瞳を持つ女性。
27にとっては、訓練生時代の教官でもあった、腕利きの戦闘兵だ。
83や45、16の三人が戦死した際、落ち込む27を気遣い、慰めの言葉を掛けてくれたこともある。
口調は乱暴だが、優しく頼れる先輩の一人だ。
もっとも、彼女は三年前のその当時で、すでに十九歳だった。
ならば――
「二十歳の寿命を迎え、すでに女王様により転生されているはずだな。
だがそういえば……養護施設に彼女を見掛けたことがない。
私が見逃しているだけかも知れないが……」
「いいえ……」
27の呟きに、06が頭を振った。
「75は生きている」
「?
しかし彼女は……」
「確かに私達は二十歳になる前に、寿命を迎えるよう造られているわ。
だけど極稀に、その制約が正しく機能しない固体が生まれることがあるの。
それが彼女、75よ。
そしてそれが意味する危険性を、あなたならもう気付いたんじゃないかしら?」
「暴走……か?」
06が首肯する。
「27。
75が暴走する前に、あなたに彼女を処分してほしいの」
またあの夢だ。
白い部屋。
白い空気。
白い空間。
白い世界。
その世界で、少女と少年の周りだけが、鮮やかに色付いている。
少女に表情はない。
感情の見えない希薄な瞳で、窓から部屋を覗く少年を見つめている。
ベッドで上体を起こす少女。
その右手には、赤い花束が握られていた。
少女が少年から花束に視線を移す。
花束から一本の花を摘んで抜き取り、指先でそれを回し始めた。
くるくると回転する赤い花弁を、少女がじっと見つめる。
胸がざわついた。
少女の伽藍洞だった胸の底に――
温かい何かが注がれていく。
少女には、その注がれたモノが何なのか、分からなかった。
だが少女にとってそれは、とても心地良いものだった。
だから少女は少年の来訪を待ち望むようになっていた。
不思議な力で自分を満たしてくれる少年を、欲するようになっていた。
不思議な笑顔で自分を見つめてくれる少年と、いつまでも一緒にいたいと思うようになっていた。
これは何なのだろうか。
この感情の名前は何なのだろうか。
この想いの意味は何なのだろうか。
この思いの理屈は何なのだろうか。
「ねえ。
そろそろ君の名前を教えてもらえないかな?
いつまでも、君とか、そんな他人行儀じゃ、寂しいんだ」
少女は無言だった。
答えたくないわけではない。
答えられないだけだ。
少女には名前がない。
いや、あるのかも知れないが、まだそれを教えてもらっていない。
少女はいつも彼らに、『それ』や『これ』と呼ばれていた。
それが名前でない限り、少女はまだ、名前を呼ばれる経験をしていない。
或いはその呼び方こそが、真に自分の存在を示す名前だったのかも知れない。
固有名詞ではない代名詞。
何者でもない自分を的確に示す、正しき呼び名。
少女はそう思った。
ならばそのことを、そのまま少年に伝えれば良い。
だが不思議と、少女はその事実を少年に知られたくなかった。
この少年から、自分を『それ』や『これ』と呼んでほしくなかった。
そう呼ばれてしまうと、少年と出会うことで胸に注がれた何かが、こぼれ落ちてしまいそうで――
苦しかった。
少女が黙り込んでしまうと、少年はバツが悪そうに頭を掻いた。
「ああっと……ごめんね。
そんなに悩ますつもりじゃなかったんだ。
うん。
名前なんてどうでもいいさ。
ああでも、僕のことは名前で呼んでくれると嬉しいな」
そう言って、にっこりと笑う少年。
少女はすでに、少年の名前を知っていた。
少年がこの部屋を初めて訪れた時、少年は少女に向けて、自己紹介をしている。
その日のことを、少女は鮮明に覚えていた。
ほんの数時間前の記憶ですら曖昧な少女にとって、それはひどく、稀有なことだった。
だから少女は、少年の名前を呼ぼうと思えば、呼ぶことができた。
しかし少女は、それをしなかった。
沈黙する少女に、少年は浮かべていた笑顔を、ほんの少しだけ曇らせた。
だがすぐに少年は、陰りのない笑顔に戻して言う。
「……じゃあ、呼びたくなったら呼んでね。
また来るからさ」
少年の名前を呼びたくなかったわけではない。
そんな簡単なことで少年が喜んでくれるのなら、本当は何度だってその名前を呼んであげたかった。
ただ少女は少しだけ――
恥ずかしかった。
少年が窓を閉めようと、戸の縁に手を掛けた。
もう少年が帰ってしまう。
それに少女は焦りを覚えた。
僅かな躊躇いの後、頬をピンク色に染めた少女は――
少年の名前を口にした。
27が目を覚ました時、辺りは薄暗い闇に包まれていた。
彼女は冷静に視線を巡らし、周囲の様子を確認する。
見慣れた天井に、見慣れた家具が、薄闇の奥に見える。
すでに分かっていたことだが、それでも彼女は、敢えてそれを言葉にした。
「私の……部屋」
コロニーで割り振られた、27の自室。
十二歳で養護施設を出て、それからの六年間を過ごしてきた、馴染みある部屋の景色。
彼女がわざわざそれを確認した理由は、夢に出てきた少女の部屋と、今いる自分の部屋とを、明確に区別するためだった。
だが、何故その作業が必要だったのかは、27にも分からなかった。
(馬鹿馬鹿しい……あれは夢で……これが現実だ)
27はベッドから降りると、部屋の出入口付近にある照明のスイッチを押した。
部屋に満たされた薄闇が、引き裂かれるように白に転じる。
27が嫌いな、不自然なまでに漂白された白い光。
心を粟立たせる偽りの明かり。
(気分がカサつく……妙な感じだ)
夢の話をする時はいつも表情が暗く、調子を悪そうにしている。
そんな旨の指摘を27にしたのは、旧世代の83だ。
その当時は、83の指摘を適当にはぐらかした27だが、すでに自分でも気付いていた。
白い夢を見た後は、必ずと言って良いほど、気分が優れない。
胸の奥で大きな石が不安定にゴロゴロと転がっているような、そんな落ち着かない気分になる。
27は事務机まで歩いていくと、音を立てないように椅子を引き、そこに座った。
机の上には、五冊の本が重ねて置かれている。
コロニーの地下一階にある図書室から借りてきた、恋愛小説だ。
コロニーの図書室には、数千冊もの蔵書が保管されおり、そのカテゴリも、学術や哲学、歴史学や生活科学など、多岐にわたっている。
その中でも小説は、娯楽の少ないコロニーにおいて、兵士達の間で人気を博している。
SF、ファンタジー、サスペンスにホラーなどジャンルを問わず、常に貸出状態が続いており、その入手は極めて困難だった。
その唯一とも言える例外が、恋愛小説だ。
このジャンルだけは、貸し出されていることもなく、常に図書室に置かれている。
だがそれも当然のことと言えた。
女性しかいないコロニーで、恋をしたこともなく、恋をする感情さえも理解できない彼女達が、恋愛小説の物語に共感することなど、あり得ないのだから。
27の机に置かれた五冊の恋愛小説。
これが、図書室に置かれている恋愛小説の全てだった。
当然、コロニーの図書室で本の入れ替えなどはない。
この五冊の小説も、すでに27が幾度も読み返し、その内容を詳細まで把握したものばかりだ。
(だが結局……分からずじまいだった)
白い夢に出てきた少女と少年。
二人が抱いていた感情は、恋と呼ばれるものなのか。
もしそうならば、それは一体どういった感情なのか。
それが知りたくて、恋愛小説を何度も読み返した。
恋を理解しようとした。
だがそれは、まるで砂漠に写る蜃気楼のように、近づこうとすればするほど、実態を見失う。
(二人が抱いていた想い……白い夢を見た後の奇妙な気持ち……)
そしてもう一つ、分からないことがある。
それは――
視界が唐突に蹌踉めき、27は椅子から転げ落ちた。
「ぐ……があ……」
27の額に、大粒の脂汗が浮かぶ。
背中を丸めて、ガクガクと肩を震わせる。
皮膚が焦げ付いてしまうほどに、身体が熱い。
細胞一つ一つが引き伸ばされ、千切られてしまうような激しい痛みに、27は声を殺して、苦痛に喘いだ。
何かが身体の中で蠢いている。
何かが身体の中で膨張している。
まるで腹に直接ストローを差し込まれて息を吹き込まれているように、身体が内側から圧迫されていく。
27は必死になって、その圧力に抗った。
子宮に浮かぶ胎児のように身体を丸め、膨張する力を内側に押さえ込む。
顔だけでなく、身体中から汗が吹き出してくる。
いつの間にか涙がボロボロとこぼれていた。
歯をガチガチと鳴らしながら、ただただ痛みが過ぎ去るのを、辛抱して待つ。
身体に異常が現れたのは、つい最近のことだった。
最初は痛みもそれほどなく、軽い目眩程度のものだった。
だから軽い風邪だと決めつけて、特に気にすることもなかった。
だがそれは日に日に悪化し、今では声を上げることもできないほど、強い痛みを伴うものになっていた。
ただの風邪でない。
それはもはや明白だった。
誰かに相談することも考えた。
何度06に話をしようと、思ったか分からない。
だが結局、何も言うことができなかった。
もしもこの病が原因で、もう戦うことができないと、そうコロニーに判断されてしまえば――
今の27を処分して、女王に新しい27を産んでもらう。
そう判断されても、おかしくはなかった。
死ぬのは当然怖い。
だがそれ以上に、白い夢の正体を知らずに死んでしまうのが、我慢ならなかった。
少女と少年の想いを理解せずに死んでしまうのが、歯がゆかった。
27は独り、破裂しそうな身体の痛みに、必死に堪える。
(原因不明の……激痛……)
分からないことばかりだ。
それから暫くして、27は意識を失った。