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スズメバチの恋  作者: 管澤捻
処分
8/26

処分(3)

 27がコロニーに戻ると、一階の共有スペースにいた兵士から、06が自分を探している旨を聞いた。

 少し迷った後、27は自室に戻る前に、06の執務室へ向かうことにした。


 06の執務室をノックし、扉を開ける。

 06は椅子に座り、事務机に広げた書類とにらめっこをしていた。

 見慣れた光景だ。

 27が挨拶をすると、06は書類から顔を上げて、27に視線を向けた。

 そして腕を組み、「丁度良かった」と話しを始める。


「27。

 あなたを捜していたのよ」


「らしいな。

 それを聞いたからここに来た」


「そう……少し顔色が悪いようだけど?」


「気にしないでくれ。

 大したことはないが、どうも風邪気味でな……」


「なら、きちんと身体を休めなさい。

 自室にもいなかったようだし、何をしていたの?」


「いつもの場所にいた」


 その言葉だけで、06には伝わったようだ。

 彼女は「そう」と息を吐くと、そっと目を閉じた。

 そんな彼女の態度に、27は違和感を覚える。

 普段の06であれば、この僅かな会話の中に、一つや二つの冗談は差し込んでくるはずなのだが。


 06が目を開ける。

 彼女が瞼の奥に隠していたその瞳は、細かく揺れていた。

 まるで何かを逡巡するかのように、不安定に蹌踉めいている。

 怪訝に眉根を寄せる27。

 そんな彼女に、06が力なく笑った。


「もう……三年にもなるのね」


「ん?」


 その言葉の意味が分からず、27が片眉を曲げて訊き返す。

 06は小さく頭を振り、不足した言葉を付け足した。


「45と16、そして83が戦死した日から、もう三年。

 転生した彼女達も、今年で三歳になるのね」


「ああ……なるほど」


「あの子達が、可愛い?」


「何の質問だ?」


 06の意図が分からず、27はますます眉をひそめた。

 06が、組んでいた腕を解き、前屈みになって机に肘を付く。

 口元を隠すように両指を組み、彼女が話を続ける。


「今から六年前。

 養護施設は十数体の機械兵に襲われた。

 当時十二歳だったあなたは、避妊手術を受けたばかりで、ベッドに寝たきりの状態だった。

 多くの子供達が機械兵に殺されたにも関わらず、そんな状態のあなたが生き残ったことは、私にとって救いだった」


 06は27の一年先輩だ。

 そして、養護施設では年長者が年少者の面倒を見ることになっている。

 06から聞いた話によれば、養護施設にいた頃、彼女は27の面倒を主に見ていたのだという。

 そんな経緯もあってか、06は27のことを、よく目に掛けてくれた。

 しかし――


「すまない……私にはよく分からないんだ」


 06から目線を逸らして、27が言った。

 06は小さく頭を振る。


「構わないわ。

 私の勝手な想いだから」


 27は、養護施設での生活を全く覚えていなかった。

 機械兵に襲われた恐怖で、それ以前の記憶を失ってしまったのだ。

 そのため27は、06が27(じぶん)に向けてくれる想いを、素直に受け止めることができずにいた。


 06は一度指を組み直し、言う。


「私は無力だった。

 十三歳当時、私は10以内(アンダーテン)としての訓練を受けているヒヨッコに過ぎなかった。

 だから、あの養護施設の襲撃の際、私は手をこまねいているだけで、何もすることができなかった。

 それがひどく、悔しかった……」


「06……?」


「でも今の私には力がある。

 あなたのように直接的な戦闘能力ではないけれど、10以内(アンダーテン)としての力が私にはある。

 27。

 子供達が可愛いか、そう私はあなたに訊いたわ。

 私はすごく可愛い。

 あの子達が私の戦う理由。

 あの子達を守るためなら――」


 不安定に揺れていた06の瞳が止まり、鋭い眼光が灯った。


「私は悪魔にだってなるわ」


 06はそう言うと、沈黙した。


 27も06に同感だ。

 27にとっても、養護施設にいる子供達は――83に限らず――可愛いと思うし、どんな手を使おうと、守りたいと思う。

 それこそ、悪魔になろうとだ。

 しかしそのことが、今何の関係があるのか、27には分からなかった。


「06。

 お前らしくなく回りくどいな。

 一体何が言いたいんだ?」


 沈黙を続ける06に痺れを切らし、27は少し語彙を強めて、彼女に話の続きを促した。

 06は目を閉じると、大きく息を吐いた。

 そして再び目を開け、言う。


「75のことを、覚えている?」


「75?」


 もちろん、覚えている。

 銀髪を腰まで伸ばした、切れ長の瞳を持つ女性。

 27にとっては、訓練生時代の教官でもあった、腕利きの戦闘兵だ。

 83や45、16の三人が戦死した際、落ち込む27を気遣い、慰めの言葉を掛けてくれたこともある。

 口調は乱暴だが、優しく頼れる先輩の一人だ。


 もっとも、彼女は三年前のその当時で、すでに十九歳だった。

 ならば――


「二十歳の寿命を迎え、すでに女王様により転生されているはずだな。

 だがそういえば……養護施設に彼女を見掛けたことがない。

 私が見逃しているだけかも知れないが……」


「いいえ……」


 27の呟きに、06が頭を振った。


「75は生きている」


「?

 しかし彼女は……」


「確かに私達は二十歳になる前に、寿命を迎えるよう造られているわ。

 だけど極稀に、その制約が正しく機能しない固体が生まれることがあるの。

 それが彼女、75よ。

 そしてそれが意味する危険性を、あなたならもう気付いたんじゃないかしら?」


()()……か?」


 06が首肯する。


「27。

 75が暴走する前に、あなたに彼女を処分してほしいの」




 またあの夢だ。


 白い部屋。

 白い空気。

 白い空間。

 白い世界。


 その世界で、少女と少年の周りだけが、鮮やかに色付いている。


 少女に表情はない。

 感情の見えない希薄な瞳で、窓から部屋を覗く少年を見つめている。

 ベッドで上体を起こす少女。

 その右手には、赤い花束が握られていた。


 少女が少年から花束に視線を移す。

 花束から一本の花を摘んで抜き取り、指先でそれを回し始めた。

 くるくると回転する赤い花弁を、少女がじっと見つめる。


 胸がざわついた。


 少女の伽藍洞だった胸の底に――


 温かい()()が注がれていく。


 少女には、その注がれたモノが何なのか、分からなかった。

 だが少女にとってそれは、とても心地良いものだった。

 だから少女は少年の来訪を待ち望むようになっていた。

 不思議な力で自分を満たしてくれる少年を、欲するようになっていた。

 不思議な笑顔で自分を見つめてくれる少年と、いつまでも一緒にいたいと思うようになっていた。


 これは何なのだろうか。


 この感情の名前は何なのだろうか。


 この想いの意味は何なのだろうか。


 この思いの理屈は何なのだろうか。


「ねえ。

 そろそろ君の名前を教えてもらえないかな?

 いつまでも、君とか、そんな他人行儀じゃ、寂しいんだ」


 少女は無言だった。

 答えたくないわけではない。

 答えられないだけだ。


 少女には名前がない。

 いや、あるのかも知れないが、まだそれを教えてもらっていない。

 少女はいつも()()に、『それ』や『これ』と呼ばれていた。

 それが名前でない限り、少女はまだ、名前を呼ばれる経験をしていない。


 或いはその呼び方こそが、真に自分の存在を示す名前だったのかも知れない。

 固有名詞ではない代名詞。

 何者でもない自分を的確に示す、正しき呼び名。

 少女はそう思った。


 ならばそのことを、そのまま少年に伝えれば良い。

 だが不思議と、少女はその事実を少年に知られたくなかった。

 この少年から、自分を『それ』や『これ』と呼んでほしくなかった。

 そう呼ばれてしまうと、少年と出会うことで胸に注がれた()()が、こぼれ落ちてしまいそうで――


 苦しかった。


 少女が黙り込んでしまうと、少年はバツが悪そうに頭を掻いた。


「ああっと……ごめんね。

 そんなに悩ますつもりじゃなかったんだ。

 うん。

 名前なんてどうでもいいさ。

 ああでも、僕のことは名前で呼んでくれると嬉しいな」


 そう言って、にっこりと笑う少年。


 少女はすでに、少年の名前を知っていた。

 少年がこの部屋を初めて訪れた時、少年は少女に向けて、自己紹介をしている。

 その日のことを、少女は鮮明に覚えていた。

 ほんの数時間前の記憶ですら曖昧な少女にとって、それはひどく、稀有なことだった。


 だから少女は、少年の名前を呼ぼうと思えば、呼ぶことができた。


 しかし少女は、それをしなかった。


 沈黙する少女に、少年は浮かべていた笑顔を、ほんの少しだけ曇らせた。

 だがすぐに少年は、陰りのない笑顔に戻して言う。


「……じゃあ、呼びたくなったら呼んでね。

 また来るからさ」


 少年の名前を呼びたくなかったわけではない。

 そんな簡単なことで少年が喜んでくれるのなら、本当は何度だってその名前を呼んであげたかった。

 ただ少女は少しだけ――


 恥ずかしかった。


 少年が窓を閉めようと、戸の縁に手を掛けた。

 もう少年が帰ってしまう。

 それに少女は焦りを覚えた。

 僅かな躊躇いの後、頬をピンク色に染めた少女は――


 少年の名前を口にした。




 27が目を覚ました時、辺りは薄暗い闇に包まれていた。

 彼女は冷静に視線を巡らし、周囲の様子を確認する。

 見慣れた天井に、見慣れた家具が、薄闇の奥に見える。

 すでに分かっていたことだが、それでも彼女は、敢えてそれを言葉にした。


「私の……部屋」


 コロニーで割り振られた、27の自室。

 十二歳で養護施設を出て、それからの六年間を過ごしてきた、馴染みある部屋の景色。

 彼女がわざわざそれを確認した理由は、夢に出てきた少女の部屋と、今いる自分の部屋とを、明確に区別するためだった。


 だが、何故その作業が必要だったのかは、27にも分からなかった。


(馬鹿馬鹿しい……あれは夢で……これが現実だ)


 27はベッドから降りると、部屋の出入口付近にある照明のスイッチを押した。

 部屋に満たされた薄闇が、引き裂かれるように白に転じる。

 27が嫌いな、不自然なまでに漂白された白い光。

 心を粟立たせる偽りの明かり。


(気分がカサつく……妙な感じだ)


 夢の話をする時はいつも表情が暗く、調子を悪そうにしている。


 そんな旨の指摘を27にしたのは、旧世代の83だ。

 その当時は、83の指摘を適当にはぐらかした27だが、すでに自分でも気付いていた。

 白い夢を見た後は、必ずと言って良いほど、気分が優れない。

 胸の奥で大きな石が不安定にゴロゴロと転がっているような、そんな落ち着かない気分になる。


 27は事務机まで歩いていくと、音を立てないように椅子を引き、そこに座った。

 机の上には、五冊の本が重ねて置かれている。

 コロニーの地下一階にある図書室から借りてきた、恋愛小説だ。


 コロニーの図書室には、数千冊もの蔵書が保管されおり、そのカテゴリも、学術や哲学、歴史学や生活科学など、多岐にわたっている。

 その中でも小説は、娯楽の少ないコロニーにおいて、兵士達の間で人気を博している。

 SF、ファンタジー、サスペンスにホラーなどジャンルを問わず、常に貸出状態が続いており、その入手は極めて困難だった。


 その唯一とも言える例外が、恋愛小説だ。

 このジャンルだけは、貸し出されていることもなく、常に図書室に置かれている。

 だがそれも当然のことと言えた。


 女性しかいないコロニーで、恋をしたこともなく、恋をする感情さえも理解できない彼女達が、恋愛小説の物語に共感することなど、あり得ないのだから。


 27の机に置かれた五冊の恋愛小説。

 これが、図書室に置かれている恋愛小説の全てだった。

 当然、コロニーの図書室で本の入れ替えなどはない。

 この五冊の小説も、すでに27が幾度も読み返し、その内容を詳細まで把握したものばかりだ。


(だが結局……分からずじまいだった)


 白い夢に出てきた少女と少年。

 二人が抱いていた感情は、恋と呼ばれるものなのか。

 もしそうならば、それは一体どういった感情なのか。


 それが知りたくて、恋愛小説を何度も読み返した。

 恋を理解しようとした。

 だがそれは、まるで砂漠に写る蜃気楼のように、近づこうとすればするほど、実態を見失う。


(二人が抱いていた想い……白い夢を見た後の奇妙な気持ち……)


 そしてもう一つ、分からないことがある。


 それは――


 視界が唐突に蹌踉めき、27は椅子から転げ落ちた。


「ぐ……があ……」


 27の額に、大粒の脂汗が浮かぶ。

 背中を丸めて、ガクガクと肩を震わせる。


 皮膚が焦げ付いてしまうほどに、身体が熱い。

 細胞一つ一つが引き伸ばされ、千切られてしまうような激しい痛みに、27は声を殺して、苦痛に喘いだ。


 何かが身体の中で蠢いている。

 何かが身体の中で膨張している。

 まるで腹に直接ストローを差し込まれて息を吹き込まれているように、身体が内側から圧迫されていく。


 27は必死になって、その圧力に抗った。

 子宮に浮かぶ胎児のように身体を丸め、膨張する力を内側に押さえ込む。

 顔だけでなく、身体中から汗が吹き出してくる。

 いつの間にか涙がボロボロとこぼれていた。

 歯をガチガチと鳴らしながら、ただただ痛みが過ぎ去るのを、辛抱して待つ。


 身体に異常が現れたのは、つい最近のことだった。

 最初は痛みもそれほどなく、軽い目眩程度のものだった。

 だから軽い風邪だと決めつけて、特に気にすることもなかった。


 だがそれは日に日に悪化し、今では声を上げることもできないほど、強い痛みを伴うものになっていた。

 ただの風邪でない。

 それはもはや明白だった。


 誰かに相談することも考えた。

 何度06に話をしようと、思ったか分からない。

 だが結局、何も言うことができなかった。

 もしもこの病が原因で、もう戦うことができないと、そうコロニーに判断されてしまえば――


 今の27を処分して、女王に新しい27を産んでもらう。


 そう判断されても、おかしくはなかった。


 死ぬのは当然怖い。

 だがそれ以上に、白い夢の正体を知らずに死んでしまうのが、我慢ならなかった。

 少女と少年の想いを理解せずに死んでしまうのが、歯がゆかった。


 27は独り、破裂しそうな身体の痛みに、必死に堪える。


(原因不明の……激痛……)


 分からないことばかりだ。


 それから暫くして、27は意識を失った。

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