コロニー(2)
27の思考が停止する。
頭部を失った83の身体が、仰向けに崩れ落ちる。
その姿がコマ送りのように視界に流れていく。
まるで粘り付くように緩慢で、息苦しさを覚えるほどに重い、時間の経過。
83の右手からこぼれ落ちる、コーヒーが注がれたカップ。
それが――
地面に落ちて割れた。
その瞬間、停止していた27の思考が再び活動を始めた。
堰き止められていた思考が高圧力で放流される。
轟音を立て流れる思考が、27に警告を発する。
防御せよ!
一瞬の集中から、27が周囲に力場を展開する。
空間を歪ませ染み渡る、物理的な力を伴った意識。
世界と自身が結合され、感覚が共有される。
その感覚に、無数の小さな塊が飛び込んできた。
銃弾だ。
27がそれと理解した時には、力場が銃弾を受け止め、宙に固定していた。
僅かな時間差で、空気の弾ける発砲音が、27の鼓膜を叩く。
「敵の奇襲だ!
応戦しろ!」
45が分かりきったことを叫ぶ。
だが、言葉にするのとしないのとでは、その心構えに雲泥の差が生じる。
27は素早く立ち上がると、鞘から刀を抜き構える。
銃弾の出処である森の奥を、27が鋭く睨みつける。
敵の姿は見えない。
焚き火の明かりが届かない森の奥は、揺らめくことのない漆黒で満たされていた。
迎え撃つべきか自ら出るべきか。
僅かな逡巡。
その迷いが結果を左右した。
27が睨む森の奥から、白い霧が大量に噴き出す。
白い霧は地面に這うようにして広がり、瞬く間に27の足元に沈殿した。
45が口元を手で抑え、困惑した声を上げる。
「毒か!?
ちくしょう!」
(違う!)
27は45の言葉を、即座に否定した。
この白い霧は足元に沈殿している。
つまりこの白い霧は、空気よりも比重が重い。
こちらが屈み込まなければ吸うこともできない毒を、敵が使用するなど考えられない。
これは――
「くそ!」
27は力場を展開し、足元に溜まった霧を薙ぎ払った。
だが一足遅い。
周囲を照らしていた焚き火の明かりが、突如消失する。
視界が黒く染まり、27は苦々しく舌を鳴らした。
(白い霧の正体は二酸化炭素……私達の視界を奪うことが目的だったんだ)
45と16の困惑が気配で伝わってくる。
だがその二人の姿は、幾ら目を凝らしても見つけることができなかった。
二人が近くにいることは間違いないのだが、墨で塗り潰されたこの視界では、それらしい影を捉えることすら難しい。
闇に閉ざされた視界で、火花が激しく瞬いた。
周囲に展開していた力場に、数発の銃弾が叩き込まれる。
力場に捕まった銃弾は宙に固定され、27まで届くことはなかった。
しかしその銃弾の軌道から、敵が闇雲に銃を発砲しているわけではないと知れた。
(敵は光を必要としない。
私達の正確な位置は、奴らには筒抜けなんだ)
そう考えている間も、27の展開した力場に何発もの銃弾が叩き込まれる。
力場によってその推進力を奪われ、次々と宙に固定されていく銃弾。
その数は優に百発を上回った。
だがそれでもなお、敵は諦めることなく、発砲を続ける。
力場による防御は鉄壁だ。
だが弱点がないわけではない。
力場で押さえ込める力には、限界がある。
物量で押し切られる前に、対策を講じなければならない。
だが絶え間なく続く甲高い発砲音に、27の思考は掻き乱され、考えを上手くまとめることができなかった。
力場の範囲を外れた銃弾が、地面で弾ける。
力場を展開していなければ、その着弾で跳ねた小石に当たっただけでも、手痛いダメージを受けていただろう。
ここで、27はハッとする。
(しまった!
私達は兎も角、ここまでの道案内をしてくれた彼女は、非戦闘兵だ)
非戦闘兵でも力場を展開することはできる。
しかしその力は、戦闘兵と比べると非常に脆弱で、とても銃弾を受け止められるような代物ではなかった。
非戦闘兵の女性は、先程までテントの中で眠っていた。
だが、この騒ぎで目が覚めているはずだ。
それなのに、姿を現さない――というより、声が聞こえてこない――のは、すでに殺されてしまったのか、テントの中で息を潜めているのか、そのどちらかだろう。
(もっとも、テントにも銃弾は飛んでいるだろうし、後者に期待するのは難しいか)
非戦闘兵の女性の名前は忘れてしまった。
だがテントの中で見た彼女の寝顔は、とても安らかなものだった。
それを思い返し、27は沈痛に表情を歪める。
と――
27に閃きが走った。
27は力場を展開したまま、踵を返して駆け出した。
最後に網膜に写したテントの映像を頭の中で再生しつつ、その方角と距離を慎重に図る。
視界が暗闇に閉ざされたまま、27は右足を大きく踏み込み、刀を横薙ぎに一閃した。
刀から伝わる微かな手応え。
27の眼前で、何かが崩れる気配を感じる。
テントの骨組みを切断し、倒壊させたのだ。
27は倒壊したテントを踏み付けると、ぎりぎりと目を凝らして、足元で潰れているテントの布を睨み付けた。
するとここで――
「きゃああああああ!」
布を引き裂くような16の悲鳴が、背後から聞こえてきた。
それと同時に、鼓膜を叩き続けていた銃声が一斉に止む。
27は逸る気持ちを押さえ、暗闇の中で必死に視線を巡らす。
遮光性に優れたテントの布地。
すぐにそれを見つけることはできなかった。
実時間では五秒かそれ以下、体感的には十分かそれ以上の時間を掛け、ようやく27はそれを見つけ出す。
暗闇の中に浮かび上がる薄い光を。
27は光に駆け寄ると、鉄で補強された靴底を、その光に向けて叩き付けた。
靴底からガラスの砕ける音が鳴った。
そして、靴底を中心にして徐々に光が広がり――
一気に燃え上がった。
踏み付けた靴底を離して、27は燃え上がる炎から距離を取る。
テントの布に引火したランプの炎は瞬く間に燃え広がり、周囲を橙色の光で染め上げた。
27は背後を振り返り、45と16の様子を確認した。
45は無事だった。
45は周囲に強力な力場を展開し、多くの銃弾をその力場で受け止めていた。
揺らめく炎に照らされた45の顔色は、当然、良好とは言えない。
だが、この切迫した状況で、強力な力場を冷静に展開し続けた彼女の手腕は、流石と言えるだろう。
同様に、16も優れた戦闘兵だと、27は考えている。
彼女が展開する力場の精度は45と遜色なく、精神の成熟度ならば45を上回っているとさえ言える。
だが、16は運が悪かった。
27が16を発見した時、彼女は地面に仰向けに倒れていた。
彼女の腹部には、斧や剣といった無数の武器が、突き立てられている。
そしてその武器の柄を握るのは――
三体の機械兵だった。
16の大きく広げられた口腔からは、舌と大量の血液がこぼれていた。
飛び出さんばかりに剥かれた眼球が、頬を濡らす涙で湿っている。
無数の武器によって引き裂かれた彼女の腹部。
そこからバラ撒かれたであろう赤黒い肉片が、周囲の地面に散らばっていた。
暗闇で乱射された銃弾。
16はそれを受け止めるために、周囲に力場を展開していたはずだ。
その彼女の力場に、機械兵が直接飛び込んできたのだろう。
銃弾程度の質量なら受け止められる16の力場も、機械兵三体の突進を、一度に受け止められるだけの力はなかった。
力場を突き抜けた機械兵は、手に持った武器で無防備な彼女を斬り付け、彼女をぶちまけた。
三体の機械兵が、16の亡骸から武器を引き抜き、27と45に向き直る。
デッサンで使用するモデル人形のような形状をした、鋼鉄の機械兵。
全長は丁度二メートル。
頭部には暗視機能付きのカメラが一つ搭載されており、それを目玉のようにぎょろぎょろと動かし、27と45を見据えている。
「16……」
力なくそう呟く45。
その彼女の心情を、27は何となく理解することができた。
16が殺されたことは、ただ単に彼女が機械兵から近い位置にいたというだけで、それ以上の意味はなかったに違いない。
もしも機械兵が45の近くに潜んでいたのなら、ハラワタをぶちまけ絶命していたのは、16ではなく45であったろう。
45は運良く生き残り、16は運悪く死亡した。
そんな曖昧な基準で生死を決定付けられたことに、45は憤りを覚えているに違いない。
だが――
(頼むから熱くなるな……)
四人の戦闘兵の内、二人が殺された。
こちらの戦力は単純に半減したと言っても良い。
しかし冷静に対処すれば、これ以上の犠牲を出さずに、敵を殲滅することは可能だ。
45の右手に握られているコロニーから支給された刀。
それがカタカタと揺れている。
45が徐々に態勢を落としていく。
「待て!
45!」
「きさまあああああああああ!」
27の制止を無視して、45が怒声を上げた。
地を蹴り、機械兵に突進する45。
彼女に向け、三体の機械兵が左掌をかざす。
その掌には直径五センチほどの丸い穴。
そこから激しい光が瞬き、銃声が鳴り響いた。
45の展開した力場が、機械兵の銃弾をあっさりと捉える。
銃弾は、透明な粘土にでも撃ち込まれたように、急激にその速度を減衰させ、宙に停止した。
27は違和感を覚える。
不意を突くならば兎も角、こちらに銃弾が通じないことは、先程の暗闇での攻防で、理解したはずだ。
それなのに、何故、発砲したのか。
何かから気を逸らすため?
機械兵に向かって駆けていた45が、突然、つんのめるようにして転んだ。
驚きの表情を浮かべ、自身の足元を見やる45。
彼女の両足首には何かが絡み付いていた。
それは、地中から生えた機械兵の手。
「くっ」
45の表情が痛恨に歪む。
全方位に展開された、銃弾をも受け止める45の力場。
だが地に足を付けている以上、当然、下方に対しては力場を展開していない。
機械兵はその力場の欠点を見極め、地中から45を拘束した。
それだけではない。
先程の発砲も含め、暗闇で銃を乱射し続けたことも、その耳をつんざく銃声で、地中にいる機械兵の移動音を掻き消すことが、目的だったのだろう。
地中に潜っている機械兵が、掴んだ45の足首を強く握りしめた。
45が苦痛に悲鳴を上げる。
彼女の足首が、奇妙な形に捻れて曲がった。
45の展開した力場によって、宙に固定されていた銃弾が、一斉に地面へと落下する。
折られた足首の激痛が、45から力場を維持する集中力を奪ったのだ。
27は咄嗟に45に駆け寄ろうとする。
だがそれはあまりにも遅すぎた。
地面に横たわる45に、一体の機械兵が近づく。
機械兵は、45の右肩を踏み付けると、彼女の右腕を両手で掴んだ。
瞳を震わした45の口から、「いや……」と声が漏れる。
械兵が両腕を引き、45の右腕を千切った。
「あああああああああああああああ!」
45が悲鳴を上げる。
そこに残り二体の機械兵が、お菓子に群がる子供のごとく、45に一斉に飛び付いた。
はしゃぐように、両腕をブンブンと振り回す機械兵。
その度に、45の部位が辺りに散らばっていく。
ミンサーで肉を潰す時と同じ音が、45の位置から繰り返し聞こえてくる。
27の足元に、放物線を描いて一際大きな破片が、転がってきた。
それは45の頭部だった。
自身の血に濡れ、目を剥き、涙を流して絶命する彼女の頭部。
27は、刀の柄を握る右手に、力を込める。
足元から視線を上げ、前方に向ける。
赤く染まった45の一部を、地面にベシベシと叩き付けて遊んでいる三体の機械兵。
その頭部にあるカメラが、27に向けられた。
全身に赤い血を浴びた三体の機械兵。
その機械兵をさらに赤く染める炎の明かり。
倒壊したテントを燃やすその炎は、未だ勢いの衰える様子はない。
この炎の熱に耐え、テントの中で身を隠し続けることなど不可能だろう。
つまりテントで眠っていた非戦闘兵の女性は、27の予想通り、すでに死亡していたと考えられる。
生存者は27一人だけだ。
だがそれも、三体の機械兵と地中に潜る一体の機械兵から、彼女が生き延びることができればの話である。
そしてそれは――
(まったく、問題ないな)
一瞬の集中。
27の足元が弾け飛び、地面から大きな物体が現れる。
それが風船のようにゆっくりと上昇し、27の目の前に浮かび上がった。
45を破壊する音に紛れ、こっそりと27の足元まで移動していた、機械兵だ。
その機械兵は他の三体と異なり、丸いずんぐりした体型だった。
宙に身体を固定された機械兵は、空気の中を泳ぐように、短い手足をバタつかせている。
27は無言のまま、刀を縦に振るった。
力場をまとった刀は、まるで豆腐を斬るように、鋼鉄の機械兵を両断した。
二つに分断された機械兵の身体。
その半身を、27は力場で左右に放り投げた。
そして、前方の機械兵に鋭い視線を向けると、身体の奥底から絞り上げるように声を出す。
「殺してやる」
三体の機械兵が、一斉に27へと突進してくる。
16を殺害した時と同様、三体の機械兵の突進力で、27が展開している力場を突破するつもりなのだろう。
だが――
27の展開した力場は、三体の機械兵を容易に受け止め、それぞれを強く弾き飛ばした。
力場によって吹き飛ばされた一体の機械兵が、地面を跳ねて転がる。
その機械兵に向かって、27が接近する。
力場を利用し、まるで空中を滑るように、自身の身体を高速移動させる。
十メートルほどの距離を一息に詰め、彼女は機械兵の頭部に刀を突き立てた。
機械兵の身体がビクリと震える。
27は機械兵に突き立てた刀をひねり、横に払う。
機械兵の頭部が千切れ、森の暗がりへと飛んでいく。
直後に背後から銃声。
27は振り返ることなく、その銃弾を力場で受け止める。
そして、逆再生するかのように、発砲した機械兵に向かって、その銃弾を力場で撃ち返した。
機械兵の頭部が、自身の発砲した銃弾により、粉砕される。
27は注意深く振り返り、残り一体となった機械兵を視界に収める。
45の時のように、地面にまだ機械兵が隠れていないとも限らないため、足元にも意識を集中しておく。
もっとも――
(私なら、地面から機械兵が腕を出した直後に、力場で捉えられる)
その確信が、27にはあった。
ここで突然、残り一体となった機械兵の頭部が、左右にぱっくりと割れた。
怪訝に眉をひそめる27。
まるでくす玉のように2つに分かれた機械兵の頭部。
その中から――
直径十センチほどのノズルが現れた。
27の背中に冷たいものが走る。
彼女は直感に従い、強力な力場を周囲に展開する。
それとほぼ同時に、機械兵頭部のノズルから、紅蓮の炎が吹き出した。
27を包み込むように広がった炎は、27の展開した力場に触れると、見えない壁にぶつかったように、四方に弾け飛んだ。
周囲の樹々に炎が燃え移り、辺りに熱風が吹き荒れる。
27は力場を操作することで空気を対流させ、肌を焼く熱を拡散した。
27は対流する空気をまとったまま、最後の機械兵へと、一歩一歩、近づいていく。
27を中心として対流する空気が、彼女の金色の髪を大きくはためかせた。
機械兵は、27の碧眼に射すくめられたかのように、身動き一つしない。
27の広く展開された力場によって、機械兵は動きを封じられているのだ。
残り一体ともなれば、力任せに機械兵の動きを封じることさえ、27には造作もなかった。
27は機械兵の目の前まで来ると、左手を強く握り、腰だめに構える。
そしてその拳を、機械兵の頭部へと叩き付けた。
27に殴られた衝撃で、機械兵の身体が振動する。
僅かな間が空いた後、27の拳より放たれた力場によって、機械兵の頭部が砕けた。