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スズメバチの恋  作者: 管澤捻
コロニー
2/26

コロニー(1)

 彼女が目を覚ました時、最初に考えたことは、自分が何者であるか、ということだった。

 彼女はその答えを、二度三度瞬きをする間に、模索する。


 だが、その作業は困難を極めた。

 記憶が散り散りになり、思考がまとまらない。

 掻き混ぜた直後の混合溶液のように、それぞれの物質(きおく)が分離している。

 記憶間で明確な境界が設けられるには、まだ時間が掛かりそうだ。


 彼女は、背中に走った鈍い痛みに、不快に眉根を寄せた。

 硬い床にシーツを敷いて、簡易的に作った寝床。

 当然、寝心地は良くない。

 それでも背中に痛みを覚えるまでは、熟睡することができたらしい。

 その事実に、彼女は一人苦笑した。


 彼女は床に横たわったまま、視線を左右に振り、周囲を確認した。

 まず見えるのは、自分を囲い込むように設置されていた、薄茶色の布だった。

 使い古されたその布は、チープなアルミのポールで支えられ、頭上に天蓋を作っている。


(テントの中……野外任務)


 頭に浮かんだ、『任務』の二文字。

 この言葉に、彼女は自分の立場をおおよそ理解する。


(私は……兵士だ)


 テントの布は薄汚れ、所々に虫食いのような穴が空いている。

 その穴から見えるテントの外は、原色に近い暗闇だった。

 そのことに、彼女は内心で一人頷く。


(陽が落ちている……夜中)


 テントの天蓋に設置されたランプ。

 そこに湛えられた橙色の炎が、テントに満ちる闇を押しのけ、滲んだ光を空間に注いでいる。

 その温かい光によって、睡眠で低下した彼女の体温と思考力が、徐々に回復していく。


 彼女は上体を起こすと、さらに首を捻って周囲を見回した。

 炎の揺らめきに合わせて明滅する光が、テント内の物体に反射して、彼女の網膜に像を結ぶ。

 ピンボケのように霞む視界には、彼女の他に、床で眠っている一人の女性が写し出されている。


 十代後半の、栗色の髪を三つ編みでまとめた女性。

 彼女の仲間だ。

 名前は――


(なんだったか……)


 まだ思考が本調子にならない。

 それほど深く、眠っていたのだろう。

 自身の鈍重な思考に苛立ち、彼女は頭を強く振る。

 それでも眠気は振り払えない。

 絡み付くような眠気に彼女は嘆息すると、立ち上がってテントの外に足を向けた。


 スライドファスナーで閉じられた出口を引き開け、彼女は身体をテントの外に出す。

 その時、強い風が彼女の身体を叩いた。

 首筋で切り揃えた金色の髪が揺れ、シャツが大きく捲れ上がる。

 下着を付けていない胸が、大胆にも顕になった。


 ここでようやく、彼女は自身の格好を意識した。

 小柄な彼女には少し大きい、白のノースリーブに、黒の短パン。

 任務中にはあるまじき、軽装だ。


 彼女は自身の身体を見下ろして、何故こんな格好をしているのかと、怪訝に眉根を寄せる。

 すると――


「またそんな格好で眠っていたの?

 27(ツーセブン)


 声に反応して、彼女は視線を上げる。

 彼女の周囲を囲い込むように乱立する樹木。

 その木々の隙間に空いた狭い平地に、焚き火を囲って三人の女性が座っている。

 その三人の内、最も彼女に近い位置に座っていた女性が、彼女を見て微笑んでいる。


 革のジャケットとズボンを身に付けたその女性は、腰まで伸びた自身の青い髪を、指先で丁寧に梳いていた。

 眼鏡越しに見える女性の柔和な瞳。

 それが面白そうに、細められる。


「いくら暑くても、そんな格好では寝冷えするわよ。

 27」


「……その戦闘服っていうのは、どうにも窮屈で適わない。

 あんな服を着て休んでいたら、余計に疲れてしまうよ」


 無意識に応えながら、彼女は急速に記憶が鮮明になってくるのを感じた。


 自分の名前は27。

 この森林地帯で目撃された敵を殲滅するために、コロニーから派遣された四人の戦闘兵の一人だ。


 コロニーを出たのが二日前。

 今日の昼過ぎに、当該地域の常駐キャンプに到着。

 一人の非戦闘兵を道案内として、目撃証言のあった現場へと、向かっている途中である。


 現場までは、それほど距離があったわけではなかった。

 少し無理をすれば、今日中にそこに辿り着くことはできただろう。

 だが、日が落ちてからの戦闘行為は、危険が窮まる。

 新月の今夜は、光で敵を視認する手段しか持たない自分達にとって、都合が悪いのだ。


 そのため、彼女達は現場から少し離れた場所で、野宿をすることにした。

 四人の戦闘兵の内、三人が見張りに当たり、一人が二時間の休憩を取る。

 つまり――


(まさに今が、私の貴重な休憩時間だったというわけか)


 27は夜空を見上げて、星の配置から大まかな時刻を推測する。

 十二時十分前。

 見張りを交代する時間まで、まだ十分ある。

 何となく損した気分になり、彼女は肩を落とした。


 そんな27の様子に、青髪の女性が心配そうに眉尻を落とした。


「どうしたの?

 気分でも悪い?」


「いや……なんでもないよ。

 83(エイトスリー)


 十分間の休憩時間をフイにしたことで落ち込んでいる。

 そんな下らない理由など言い辛く、27は曖昧に返事をした。

 もう一度テントに戻っても良いのだが、先程までの鈍重さが嘘のように冴えわたる思考は、彼女を再びまどろみに引き込む力を、すでに失っていた。


 青髪の女性――83は27の返事を聞いた後も、暫く心配そうに27を見つめていた。

 そして、躊躇いがちに言う。


「もしかして……また例の夢を見たの?」


「例の夢?」


 83の言葉の意味が分からず、27が目を丸くして訊き返す。

 83は再び逡巡するように間をおくと、指を唇に当て、27から視線を微妙に逸らして言う。


「ほら、白いベッドで寝ている女の子に、窓から男の子が声を掛けるっていう……」


 ようやく合点がいき、「ああ」と27はぽんと手を打った。


「その夢のことか……どうだったかな。

 言われてみると見たような気もするが、よく覚えていないな。

 でも、どうしてそんなことを思ったんだ?」


「27がその話を私にする時は、何だかいつも表情が暗いというか……調子を悪そうにしているから」


 83の言葉に、「そうだったかな?」と27はとぼけた返事をする。

 実を言えば心当たりはあったが、83に気付かれているとは思っていなかった。

 流石は幼馴染というところであろう。

 27は、妙な気不味さを取り繕うように、口早に言う。


「その夢を見た時は、調子が悪いというよりは、少し考え事をしているんだ。

 あの夢は、一体何なのだろうかとね」


「確かに、私達コロニーの人間が見る夢としては、変わっているわね。

 だってその夢、男の子が出てくるんでしょ?」


 83が顎に指を当てて、考え込む仕草をする。

 27は頷いて、83の言葉に同意した。


「そうなんだ。

 奇妙なものだよ。

 男を夢に見るなんてな」


 83はさらに考え込むように腕を組み、首を傾げてポツリと呟く。


「夢はその人の深層心理が表れるって、どこかで聞いたことがあるわ。

 つまり、そういうことなんじゃないかしら?」


「そういうこと?」


「27は今、男に飢えているのよ」


 名探偵よろしく、びしりと27に指を突き付ける83。

 そんな彼女を、27は冷ややかな目で見つめた。

 数秒の沈黙。

 83は小さく舌を出すと、茶目っ気たっぷりに言う。


「なんてね。

 私達コロニーの人間が、そんなことあるわけないか」


「まったくだ……」


 27が溜息を吐いて、肩をすくめる。


「深層心理なんて下らない。

 夢は夢だよ。

 それ以上の意味なんてないさ」


「でも飢えているはないにしても、興味はあるんじゃない?

 だってほら、27ってそういった本をよく読んでいるじゃない。

 二人の男女が出てくる恋物語の……」


「恋愛小説のことか?

 別によく読むわけじゃない。

 あんなものただの暇潰し……」


「おい」


 27の話を遮ったのは、83から向かって右手に座っている、戦闘服に身を包んだ赤髪ショートカットの女性だった。

 名前は45(フォーファイブ)


 45は不機嫌そうに唇を歪めると、犬歯を覗かせて27に言う。


「夢の話なんかではしゃいでんじゃねえ。

 ここは敵地から目と鼻の先なんだぜ?

 観光気分かよテメエらは」


 目尻を吊り上げ、挑発的な物言いで27を非難する45。

 そんな彼女に、27は素直に頭を下げ「すみませんでした」と謝罪をした。

 27の愁傷な態度に、45がきょとんと目を丸くする。

 27は下げた頭を少し持ち上げると、呆けた表情をする45に、ひどく真剣な面持ちで言う。


「緊張している45の心情を理解せずに、余裕のある会話をして悪かったよ。

 これからは君に合わせ、私達もオロオロおどおどすることにしよう」


「っんだとオイ!

 誰が緊張してるってんだ!

 全然余裕だっつううの!」


 27の安い挑発を受け、45が怒声を上げて立ち上がった。

 83が「またこの二人は……」と、呆れたように項垂れる。


 27と45はいわゆる犬猿の仲だ。

 少なくとも、周りからはそう評価されているし、45もそう考えていることだろう。


 しかし、27は違った。

 何かと対抗意識を燃やす45だが、27がそれにまともに取り合ったことはない。

 眼中にないわけではなく、45を認めているからこそ、張り合う必要性を感じていないのだ。

 もっとも、軽い挑発ですぐムキになる45が面白く、27は彼女をからかうような言動を取りがちだった。

 それは反省すべきことなのだが――


(鬱屈とした戦場での、私のささやかなストレス解消法でもあるしな……)


 などと勝手な理屈で、27は納得している。


 45は、ずかずかと大股で27に近づくと、顔を突き出し、唾を飛ばして捲し立てた。


「今回の任務だって、本当は私一人で十分なんだよ!

 それなのに、しゃしゃり出てきてんじゃねえよ!

 そんなに私の邪魔がしたいのか、27!」


「派遣する人員を決めたのは10以内(アンダーテン)の連中だ。

 そんなことも知らないのか?

 お勉強不足が過ぎるぞ。

 帰ったら補習だな、45」


「それぐらい知ってんよ!

 十五のテメエより私は一つ歳上なんだぞ!

 私が言いたいのは、奴らに取り入って、テメエが好き勝手なことしてんじゃねえかって皮肉ってんだ!」


「驚いた。

 君に皮肉を言えるほどの知恵があるとは。

 成長したんだな。

 泣ける」


 キリリと表情を引き締めたまま、淡々とした口調で45をおちょくる27。

 そんな彼女の態度に、45の顔がみるみる赤く染まる。

 拳を突き出し、45が声を震わせて言う。


「テメエ……もう勘弁ならねえ……今ここで私がぶっ殺してやる」


「そう怖いことを言わないでくれ。

 気に障ったなら謝るよ。

 ほら、飴玉をあげよう」


 そう言って差し出した27の右手を、45が乱暴にはたき落とす。


「いるか!」


「残念、今は持っていない」


 空の右手をぱっと広げて、27は悪びれる様子もなくそう言った。

 45の頭から湯気が立ち上る。

 歯をぎりぎりと鳴らしながら「まじで殺してやる……」と、45が呟く。


 少しからかいすぎたかなと、27は表情には出さずに、内心で反省する。

 今にも27に掴み掛からんばかりの45。

 彼女をどう宥めたものかと、27が思案していると――


「うるさい」


 小さい、だが強制力のある声が、27と45に掛けられた。

 声の主は、83から向かって左手に座っている、戦闘服に身を包んだ黒髪ツインテールの女性だ。

 名前は16(ワンシックス)


 16は半開きの瞳に、焚き火の炎を写しながら、抑揚のない声で言う。


「馬鹿な言い合いは、無駄に体力を消耗する。

 非効率。

 27の次に休憩するのは45。

 さっさと休憩して。

 そして、頭を冷やして」


「まだ時間じゃねえし!

 そもそも私に休憩なんていらねえんだよ!」


「私は十七歳で最年長。

 私の指示には従うべき。

 あなたと27が揃っていると周りが迷惑する。

 簡潔に言えば、私が不愉快」


 焚き火を見つめたまま、27と45を淡々と非難する16。

 そんな彼女を見て、83が「あなたも煽ってるじゃない」と頭を抱えている。

 83は苦労症だなと、他人事のように27は思った。


 ここで、焚き火から決して離れなかった16の視線が、27に向けられた。

 彼女は27の姿を、頭から爪先まで一通り眺めると、そっと眉をひそめる。


「……着替えて。

 27」


「その戦闘服に?

 暑いんだけどな、それ」


「任務中は基本的に着用が義務付けられている。

 それに、あなた武器は?」


「あれ?

 そう言えばどこにやったか」


「呆れてものも言えない」


 16が大きく息を吐く。

 27はポリポリと金色の髪を掻きながら、眠りに付く前の記憶を手繰り寄せようとした。

 そんな彼女に「はい」と、83が何かを差し出す。

 それは、黒塗りの鞘に収められた一本の刀だった。


「忘れたの、27?

 あなた、私に武器の手入れを頼んで休憩に入ったでしょ」


「ああ、そういえばそうだったな」


 27は首肯すると、83から差し出された刀を受け取った。

 83が「もう、自分で頼んでおいて勝手なんだから」と愚痴をこぼし、苦笑する。


 27は83に一言謝罪を述べた後、刀を鞘から引き抜き、刀身を覗かせた。

 焚き火の明かりに照らされて、鋭利に輝く鈍色の刃。

 思わず、27の唇から感嘆の息が漏れる。


「さすがだな、83。

 感謝する」


「油を塗り替えただけよ。

 誰でもできるわ」


「いや、丁寧な仕上がりだ。

 どうも私がやると雑でいけない。

 君に頼んで良かった」


「褒めてくれるのはありがたいけど、次からは自分でやりなさいよ」


 そう言いつつも、頼まれれば断れないのが83の性分だ。

 事実、27と83のこのやり取りも、初めてのモノではない。

 すでに幾度か、繰り返されたモノだった。


「それ……27のものだったのね。

 武器の手入れを他人に頼むなんて非常識」


 27に非難の目を向ける16。

 そんな彼女に便乗するように、45が声を上げた。


「ホントそうだよな!

 27ってこういうどうしようもない奴……」


「45。

 あなたはさっさと休憩に入って」


「おい!

 私はお前に加勢してんだぞ!」


 16と45が無言で睨み合う。

 10以内(アンダーテン)がどういった基準で派遣する兵を決めたのかは定かではないが、この現状を見る限り、あまり適切な判断だとは、27には思えなかった。


 27は肩をすくめると、刀を鞘に収めて83の隣に座った。

 すると83が脇に置いていた水筒を手に取り、カップにコーヒーを注ぎ入れた。

 黒い液体で満たされたカップから、白く温かい湯気が立ち上る。

 83は水筒を再び脇に置くと、コーヒーが注がれたカップを27に差し出し、ニッコリと微笑んだ。


 全てを包み込むような、83の優しい笑顔。

 彼女の青い髪が、焚き火の明かりに照らされ、美しい紫色に染まっていた。

 同性の27から見ても、83は魅力的な女性と言える。


 その83の綺麗な顔が――


 スイカが弾けるように、粉々になった。


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