コロニー(1)
彼女が目を覚ました時、最初に考えたことは、自分が何者であるか、ということだった。
彼女はその答えを、二度三度瞬きをする間に、模索する。
だが、その作業は困難を極めた。
記憶が散り散りになり、思考がまとまらない。
掻き混ぜた直後の混合溶液のように、それぞれの物質が分離している。
記憶間で明確な境界が設けられるには、まだ時間が掛かりそうだ。
彼女は、背中に走った鈍い痛みに、不快に眉根を寄せた。
硬い床にシーツを敷いて、簡易的に作った寝床。
当然、寝心地は良くない。
それでも背中に痛みを覚えるまでは、熟睡することができたらしい。
その事実に、彼女は一人苦笑した。
彼女は床に横たわったまま、視線を左右に振り、周囲を確認した。
まず見えるのは、自分を囲い込むように設置されていた、薄茶色の布だった。
使い古されたその布は、チープなアルミのポールで支えられ、頭上に天蓋を作っている。
(テントの中……野外任務)
頭に浮かんだ、『任務』の二文字。
この言葉に、彼女は自分の立場をおおよそ理解する。
(私は……兵士だ)
テントの布は薄汚れ、所々に虫食いのような穴が空いている。
その穴から見えるテントの外は、原色に近い暗闇だった。
そのことに、彼女は内心で一人頷く。
(陽が落ちている……夜中)
テントの天蓋に設置されたランプ。
そこに湛えられた橙色の炎が、テントに満ちる闇を押しのけ、滲んだ光を空間に注いでいる。
その温かい光によって、睡眠で低下した彼女の体温と思考力が、徐々に回復していく。
彼女は上体を起こすと、さらに首を捻って周囲を見回した。
炎の揺らめきに合わせて明滅する光が、テント内の物体に反射して、彼女の網膜に像を結ぶ。
ピンボケのように霞む視界には、彼女の他に、床で眠っている一人の女性が写し出されている。
十代後半の、栗色の髪を三つ編みでまとめた女性。
彼女の仲間だ。
名前は――
(なんだったか……)
まだ思考が本調子にならない。
それほど深く、眠っていたのだろう。
自身の鈍重な思考に苛立ち、彼女は頭を強く振る。
それでも眠気は振り払えない。
絡み付くような眠気に彼女は嘆息すると、立ち上がってテントの外に足を向けた。
スライドファスナーで閉じられた出口を引き開け、彼女は身体をテントの外に出す。
その時、強い風が彼女の身体を叩いた。
首筋で切り揃えた金色の髪が揺れ、シャツが大きく捲れ上がる。
下着を付けていない胸が、大胆にも顕になった。
ここでようやく、彼女は自身の格好を意識した。
小柄な彼女には少し大きい、白のノースリーブに、黒の短パン。
任務中にはあるまじき、軽装だ。
彼女は自身の身体を見下ろして、何故こんな格好をしているのかと、怪訝に眉根を寄せる。
すると――
「またそんな格好で眠っていたの?
27」
声に反応して、彼女は視線を上げる。
彼女の周囲を囲い込むように乱立する樹木。
その木々の隙間に空いた狭い平地に、焚き火を囲って三人の女性が座っている。
その三人の内、最も彼女に近い位置に座っていた女性が、彼女を見て微笑んでいる。
革のジャケットとズボンを身に付けたその女性は、腰まで伸びた自身の青い髪を、指先で丁寧に梳いていた。
眼鏡越しに見える女性の柔和な瞳。
それが面白そうに、細められる。
「いくら暑くても、そんな格好では寝冷えするわよ。
27」
「……その戦闘服っていうのは、どうにも窮屈で適わない。
あんな服を着て休んでいたら、余計に疲れてしまうよ」
無意識に応えながら、彼女は急速に記憶が鮮明になってくるのを感じた。
自分の名前は27。
この森林地帯で目撃された敵を殲滅するために、コロニーから派遣された四人の戦闘兵の一人だ。
コロニーを出たのが二日前。
今日の昼過ぎに、当該地域の常駐キャンプに到着。
一人の非戦闘兵を道案内として、目撃証言のあった現場へと、向かっている途中である。
現場までは、それほど距離があったわけではなかった。
少し無理をすれば、今日中にそこに辿り着くことはできただろう。
だが、日が落ちてからの戦闘行為は、危険が窮まる。
新月の今夜は、光で敵を視認する手段しか持たない自分達にとって、都合が悪いのだ。
そのため、彼女達は現場から少し離れた場所で、野宿をすることにした。
四人の戦闘兵の内、三人が見張りに当たり、一人が二時間の休憩を取る。
つまり――
(まさに今が、私の貴重な休憩時間だったというわけか)
27は夜空を見上げて、星の配置から大まかな時刻を推測する。
十二時十分前。
見張りを交代する時間まで、まだ十分ある。
何となく損した気分になり、彼女は肩を落とした。
そんな27の様子に、青髪の女性が心配そうに眉尻を落とした。
「どうしたの?
気分でも悪い?」
「いや……なんでもないよ。
83」
十分間の休憩時間をフイにしたことで落ち込んでいる。
そんな下らない理由など言い辛く、27は曖昧に返事をした。
もう一度テントに戻っても良いのだが、先程までの鈍重さが嘘のように冴えわたる思考は、彼女を再びまどろみに引き込む力を、すでに失っていた。
青髪の女性――83は27の返事を聞いた後も、暫く心配そうに27を見つめていた。
そして、躊躇いがちに言う。
「もしかして……また例の夢を見たの?」
「例の夢?」
83の言葉の意味が分からず、27が目を丸くして訊き返す。
83は再び逡巡するように間をおくと、指を唇に当て、27から視線を微妙に逸らして言う。
「ほら、白いベッドで寝ている女の子に、窓から男の子が声を掛けるっていう……」
ようやく合点がいき、「ああ」と27はぽんと手を打った。
「その夢のことか……どうだったかな。
言われてみると見たような気もするが、よく覚えていないな。
でも、どうしてそんなことを思ったんだ?」
「27がその話を私にする時は、何だかいつも表情が暗いというか……調子を悪そうにしているから」
83の言葉に、「そうだったかな?」と27はとぼけた返事をする。
実を言えば心当たりはあったが、83に気付かれているとは思っていなかった。
流石は幼馴染というところであろう。
27は、妙な気不味さを取り繕うように、口早に言う。
「その夢を見た時は、調子が悪いというよりは、少し考え事をしているんだ。
あの夢は、一体何なのだろうかとね」
「確かに、私達コロニーの人間が見る夢としては、変わっているわね。
だってその夢、男の子が出てくるんでしょ?」
83が顎に指を当てて、考え込む仕草をする。
27は頷いて、83の言葉に同意した。
「そうなんだ。
奇妙なものだよ。
男を夢に見るなんてな」
83はさらに考え込むように腕を組み、首を傾げてポツリと呟く。
「夢はその人の深層心理が表れるって、どこかで聞いたことがあるわ。
つまり、そういうことなんじゃないかしら?」
「そういうこと?」
「27は今、男に飢えているのよ」
名探偵よろしく、びしりと27に指を突き付ける83。
そんな彼女を、27は冷ややかな目で見つめた。
数秒の沈黙。
83は小さく舌を出すと、茶目っ気たっぷりに言う。
「なんてね。
私達コロニーの人間が、そんなことあるわけないか」
「まったくだ……」
27が溜息を吐いて、肩をすくめる。
「深層心理なんて下らない。
夢は夢だよ。
それ以上の意味なんてないさ」
「でも飢えているはないにしても、興味はあるんじゃない?
だってほら、27ってそういった本をよく読んでいるじゃない。
二人の男女が出てくる恋物語の……」
「恋愛小説のことか?
別によく読むわけじゃない。
あんなものただの暇潰し……」
「おい」
27の話を遮ったのは、83から向かって右手に座っている、戦闘服に身を包んだ赤髪ショートカットの女性だった。
名前は45。
45は不機嫌そうに唇を歪めると、犬歯を覗かせて27に言う。
「夢の話なんかではしゃいでんじゃねえ。
ここは敵地から目と鼻の先なんだぜ?
観光気分かよテメエらは」
目尻を吊り上げ、挑発的な物言いで27を非難する45。
そんな彼女に、27は素直に頭を下げ「すみませんでした」と謝罪をした。
27の愁傷な態度に、45がきょとんと目を丸くする。
27は下げた頭を少し持ち上げると、呆けた表情をする45に、ひどく真剣な面持ちで言う。
「緊張している45の心情を理解せずに、余裕のある会話をして悪かったよ。
これからは君に合わせ、私達もオロオロおどおどすることにしよう」
「っんだとオイ!
誰が緊張してるってんだ!
全然余裕だっつううの!」
27の安い挑発を受け、45が怒声を上げて立ち上がった。
83が「またこの二人は……」と、呆れたように項垂れる。
27と45はいわゆる犬猿の仲だ。
少なくとも、周りからはそう評価されているし、45もそう考えていることだろう。
しかし、27は違った。
何かと対抗意識を燃やす45だが、27がそれにまともに取り合ったことはない。
眼中にないわけではなく、45を認めているからこそ、張り合う必要性を感じていないのだ。
もっとも、軽い挑発ですぐムキになる45が面白く、27は彼女をからかうような言動を取りがちだった。
それは反省すべきことなのだが――
(鬱屈とした戦場での、私のささやかなストレス解消法でもあるしな……)
などと勝手な理屈で、27は納得している。
45は、ずかずかと大股で27に近づくと、顔を突き出し、唾を飛ばして捲し立てた。
「今回の任務だって、本当は私一人で十分なんだよ!
それなのに、しゃしゃり出てきてんじゃねえよ!
そんなに私の邪魔がしたいのか、27!」
「派遣する人員を決めたのは10以内の連中だ。
そんなことも知らないのか?
お勉強不足が過ぎるぞ。
帰ったら補習だな、45」
「それぐらい知ってんよ!
十五のテメエより私は一つ歳上なんだぞ!
私が言いたいのは、奴らに取り入って、テメエが好き勝手なことしてんじゃねえかって皮肉ってんだ!」
「驚いた。
君に皮肉を言えるほどの知恵があるとは。
成長したんだな。
泣ける」
キリリと表情を引き締めたまま、淡々とした口調で45をおちょくる27。
そんな彼女の態度に、45の顔がみるみる赤く染まる。
拳を突き出し、45が声を震わせて言う。
「テメエ……もう勘弁ならねえ……今ここで私がぶっ殺してやる」
「そう怖いことを言わないでくれ。
気に障ったなら謝るよ。
ほら、飴玉をあげよう」
そう言って差し出した27の右手を、45が乱暴にはたき落とす。
「いるか!」
「残念、今は持っていない」
空の右手をぱっと広げて、27は悪びれる様子もなくそう言った。
45の頭から湯気が立ち上る。
歯をぎりぎりと鳴らしながら「まじで殺してやる……」と、45が呟く。
少しからかいすぎたかなと、27は表情には出さずに、内心で反省する。
今にも27に掴み掛からんばかりの45。
彼女をどう宥めたものかと、27が思案していると――
「うるさい」
小さい、だが強制力のある声が、27と45に掛けられた。
声の主は、83から向かって左手に座っている、戦闘服に身を包んだ黒髪ツインテールの女性だ。
名前は16。
16は半開きの瞳に、焚き火の炎を写しながら、抑揚のない声で言う。
「馬鹿な言い合いは、無駄に体力を消耗する。
非効率。
27の次に休憩するのは45。
さっさと休憩して。
そして、頭を冷やして」
「まだ時間じゃねえし!
そもそも私に休憩なんていらねえんだよ!」
「私は十七歳で最年長。
私の指示には従うべき。
あなたと27が揃っていると周りが迷惑する。
簡潔に言えば、私が不愉快」
焚き火を見つめたまま、27と45を淡々と非難する16。
そんな彼女を見て、83が「あなたも煽ってるじゃない」と頭を抱えている。
83は苦労症だなと、他人事のように27は思った。
ここで、焚き火から決して離れなかった16の視線が、27に向けられた。
彼女は27の姿を、頭から爪先まで一通り眺めると、そっと眉をひそめる。
「……着替えて。
27」
「その戦闘服に?
暑いんだけどな、それ」
「任務中は基本的に着用が義務付けられている。
それに、あなた武器は?」
「あれ?
そう言えばどこにやったか」
「呆れてものも言えない」
16が大きく息を吐く。
27はポリポリと金色の髪を掻きながら、眠りに付く前の記憶を手繰り寄せようとした。
そんな彼女に「はい」と、83が何かを差し出す。
それは、黒塗りの鞘に収められた一本の刀だった。
「忘れたの、27?
あなた、私に武器の手入れを頼んで休憩に入ったでしょ」
「ああ、そういえばそうだったな」
27は首肯すると、83から差し出された刀を受け取った。
83が「もう、自分で頼んでおいて勝手なんだから」と愚痴をこぼし、苦笑する。
27は83に一言謝罪を述べた後、刀を鞘から引き抜き、刀身を覗かせた。
焚き火の明かりに照らされて、鋭利に輝く鈍色の刃。
思わず、27の唇から感嘆の息が漏れる。
「さすがだな、83。
感謝する」
「油を塗り替えただけよ。
誰でもできるわ」
「いや、丁寧な仕上がりだ。
どうも私がやると雑でいけない。
君に頼んで良かった」
「褒めてくれるのはありがたいけど、次からは自分でやりなさいよ」
そう言いつつも、頼まれれば断れないのが83の性分だ。
事実、27と83のこのやり取りも、初めてのモノではない。
すでに幾度か、繰り返されたモノだった。
「それ……27のものだったのね。
武器の手入れを他人に頼むなんて非常識」
27に非難の目を向ける16。
そんな彼女に便乗するように、45が声を上げた。
「ホントそうだよな!
27ってこういうどうしようもない奴……」
「45。
あなたはさっさと休憩に入って」
「おい!
私はお前に加勢してんだぞ!」
16と45が無言で睨み合う。
10以内がどういった基準で派遣する兵を決めたのかは定かではないが、この現状を見る限り、あまり適切な判断だとは、27には思えなかった。
27は肩をすくめると、刀を鞘に収めて83の隣に座った。
すると83が脇に置いていた水筒を手に取り、カップにコーヒーを注ぎ入れた。
黒い液体で満たされたカップから、白く温かい湯気が立ち上る。
83は水筒を再び脇に置くと、コーヒーが注がれたカップを27に差し出し、ニッコリと微笑んだ。
全てを包み込むような、83の優しい笑顔。
彼女の青い髪が、焚き火の明かりに照らされ、美しい紫色に染まっていた。
同性の27から見ても、83は魅力的な女性と言える。
その83の綺麗な顔が――
スイカが弾けるように、粉々になった。