繋がる命(2)
その後、クリフは仕事に向かうため部屋を出ていった。
昨日、27が本物の27を殺してしまったことで、それに関する事後処理をしなければならないとのことだった。
27はまだクリフの部屋にいた。
部屋の中で一人、椅子に座り物思いにふける。
クリフは優しい人間だ。
自分のことも、コロニーのことも、彼は本気で守ろうと考えてくれている。
それは27にも十分伝わっていた。
しかし――
(実際問題、それは難しいな)
クリフの言う通り、コロニーの存在を開示するというのは、交渉材料としては利用できるだろう。
だがその程度のことで、議会がコロニーを見逃すとは到底思えなかった。
議会にとってコロニーは、自分達の汚れた歴史を証明する、唯一の物的証拠なのだ。
どんな交渉材料を突き付けられても、それを議会が放置するはずがない。
クリフは決して馬鹿ではない。
むしろ頭は切れる方だろう。
だが経験が絶対的に不足している。
組織をコントロールするためには、誠実さだけでなく、他者を出し抜く強かさが必要となる。
(それに長けた人間が彼をサポートすれば、或いは、議会を操れるかも知れない)
だが仮に、それが可能だとしても――
(コロニーと女王を、議会が放置することだけはないだろうな)
議会がコロニーや女王を破壊しようとすれば、コロニーの兵士は女王を守るために、議会と戦うだろう。
そしてほぼ間違いなく――
コロニーの兵士は全滅する。
(私にできることはなんだろうか?)
その答えはもう、すでに出ていた。
昨晩眠りにつく前に――
託すことのできる希望を見つけていた。
27は椅子から立ち上がる。
そして、自身の右手に掴んだモノを見下ろした。
クリフから受け取った銀のケース。
27の命を繋ぎとめる、暴走を抑える薬。
27は銀のケースを机にそっと置くと、廊下へと続く扉に足を向ける。
そこでふと、足元を見やる。
27の足元には、昨晩ベッドに入る前に脱ぎ捨てた、赤いワンピースが無造作に落ちていた。
27は暫くワンピースを見下ろし、ふっと笑った。
「赤は女の勝負服……か」
昨日のアニーの言葉を思い出し、27は手早くジャージを脱ぎ捨てた。
勝負服である赤いワンピースに着替えた27は、刀を手に持って森に出た。
27は目を閉じると、自身の体調を分析する。
大きな問題はない。
だが、身体の奥に小さな違和感がある。
それは、煮詰めて濃厚に凝縮した、痛みの根源のようなものだった。
それが、身体に染み広がっていくのを感じる。
暴走の予兆。
薬で抑えていた念動力の力が、元に戻りつつあるのだ。
まだ大した痛みはないが、本格的に痛み始めれば、念動力の使用は疎か、身動きすらできなくなるだろう。
(急いだほうが良さそうだな)
27は周囲に力場を展開すると、自身の身体を宙に押し上げた。
力場を調整して空中で身体のバランスを取ると、一気に浮上し、森の天蓋を抜けて上空へと躍り出る。
穏やかな風が、宙に浮かぶ27の金髪とワンピースをなびかせた。
27は髪を指先で押さえつつ、視線を左右に這わせる。
視界に写るのは、抜けるような青空と、地平の先まで続く新緑の樹海。
27は時刻と太陽の位置を計算し、慎重に視線を動かす。
暫くして、彼女はその視線を、ある一点でピタリと止めた。
シティを起点にして南西の方角。
シティに27が連れてこられた直後。
朦朧とする意識で行われた、クリフとの会話。
その中で、彼から話されたシティとコロニーの位置関係。
彼女はそれを思い出していた。
(この視線の二十キロほど先に、コロニーが存在するはずだ)
世間話程度の会話から得られた情報だ。
根拠としては薄弱と言えるだろう。
だがクリフにコロニーの場所を細かく尋ねれば、彼はそれを訝しく思うに違いない。
(コロニーを見逃さないよう周囲に注意を払いつつ、移動するしかないな)
27はそう決断すると、空中で態勢を整え、南西に向かって飛んでいった。
視界を隈なく白で満たす女王の間。
そこに、三人の10以内が集結していた。
02と03、そして06だ。
残りの10以内はまだ十二歳未満で、養護施設で暮らしている。
つまり、現在コロニーを実質的に管理しているのは、この三人の10以内となる。
背筋を伸ばし、横に整列する三人の10以内。
彼女達の前には、床に座った幼い少女がいる。
コロニーの支配者であり、全兵士の生みの親。
女王だ。
三人の10以内を前にして、女王が首を小さく傾けながら口を開く。
「27は偽物だね」
02が怪訝に眉をひそめた。
「先程生まれた27が……ですか?」
「まさか。
あれはぼくの子供だよ。
ぼくがお腹を痛めて産んだ可愛い子供さ」
それが楽しい冗談だとでも言うように、女王は自分の言葉にクスクスと笑った。
そして、02、03、06と順番に視線を移して、赤い瞳を輝かせる。
「ぼくが言っているのは、少し前にコロニーから姿を消した27のことだよ」
06の眉がピクリと反応する。
だが、彼女は女王の話に、口を挟もうとはしなかった。
「彼女が偽物と思う根拠を、伺っても宜しいでしょうか?」
淡々とした口調で03がそう言った。
女王は人差し指を立てて、彼女の問いに答える。
「もともと彼女の突出した念動力は疑問ではあった。
二十歳前に暴走を起こすなんて、前代未聞だからね。
そこでだ、ついさっき生まれた27の性能を、以前と寸分違わずに調整してみた。
本来なら世代ごとに多少の差をつけるんだけどね。
その結果、生まれた子の念動力は確かに強力なモノではあったけど、突出したものではなかった。
つまり、先日までコロニーにいた27と、新世代の27とは、遺伝子レベルで別人だってことだよ」
「では……今までの27は一体何者だというのでしょうか?」
女王はこめかみを指先で掻きながら、「うーん……」曖昧に答える。
「まあ、何となくアイツらの仕業かなっていうのはあるけど、君達が知る必要のないことだよ。
問題なのは、暴走するような爆弾を、このコロニーに潜ませた連中がいるってことさ。
幸い連中の仕掛けた爆弾は未然に取り除けたけど、それを知った連中は、今度はもっと直接的な攻撃に打って出るかも知れない」
「つまり、コロニーに武力行使をしてくる……と?」
02が眉をひそめ、そう言った。
女王は02に視線を移し、こくんと頷いた。
「その可能性はあるよ。
念のために、コロニーにいる戦闘兵には、周囲を警戒するように伝えておいて。
勿論、敵を見つけ次第始末するようにもね。
あと、各地域に常駐している非戦闘兵も招集しておいて。
彼らの念動力は弱いけど、ないよりはマシだから」
「はい」
「承知しました」
02と03が、女王に恭しく頭を下げる。
だが06だけは、女王の言葉に返事をしなかった。
彼女は微動すらせず、女王を黙して見つめている。
「06……何か質問でも?」
女王が06に問い掛ける。
06は、女王の赤い瞳を見据えて、口を開いた。
「その偽物の27というのは、すでに死亡したのでしょうか?」
06の質問に、女王がきょとんと目を丸くした。
ぱちぱちと目を瞬かせ、暫くしてから「さあ?」と女王が肩をすくめる。
「コロニーを出た時の彼女の状態を考えると、いつ暴走していてもおかしくないけど……75の例もあるから、何とも言えないな。
27の処分を担当した59が、先日転生したことを考えると、直接的に始末するのは失敗したんだろうけど」
「27が生きていれば、コロニーに戻ってくる可能性もありますね」
「コロニーに復讐するため?」
「あくまで可能性の話です」
女王は「うーん……」と口を尖らせた。
床にまで広がる自身の長い白髪を、指先で弄りながら、興味なさげに言う。
「まあ……生きていればあらゆる可能性は想定される。
復讐することも、或いはただ、故郷に戻ろうとすることも含めてね」
「もし戻ってきたら、どうしますか?」
女王は、06の質問が意外だったのか、大きな瞳をさらに大きく広げた。
彼女は瞳を二度瞬かせた後に、「そんなの、決まっているだろ?」と怪訝に眉をひそめる。
「処分してよ。
まだ暴走の危険があるし、何より、彼女はぼくの子供じゃないんだから」
女王の回答に、やはり06は返事をしなかった。
27が念動力で空中移動を始めてから二時間が経過した。
自身の飛行速度を正確に知ることは難しいが、眼下に流れる樹々の数と時間を除算し、おおよその見当をつける。
その試算によると――
(そろそろコロニーが見えてもおかしくないんだが……)
その時、視界の奥に奇妙な影が現れた。
眼下に連なる樹々の尾根。
それを突き破り、銀色のドーム状の建物が見える。
森の中に突如として現れた、異質な人工物。
コロニーだ。
27の胸の鼓動が僅かに高まる。
27はコロニーで生まれた子供ではない。
コロニーを破壊するためにそこに潜り込んだ、偽造された子供だ。
だがそれでも、27にとってコロニーは、仲間と共に日々を過ごした、掛け替えのない故郷なのだ。
例え彼女が、シティで造られたクローンに過ぎなかったとしても、その気持ちに変わりはない。
覚悟が僅かに揺らぐ。
これから自分がやることに、今更ながら尻込みする。
だが――
(迎える結末を他人に委ねて、後悔をするのもゴメンだ)
何も知らぬまま議会からコロニーを破壊する役割を背負わされ、何も知らぬままコロニーから命を狙われた。
もう他人の筋書きに沿って動かされるのは、まっぴらだった。
だから、この結末だけは自分の意志で選択する。
そう27は考えている。
もっとも――
(結局私も、他人の人生を勝手に決め、それを押し付けようとしているわけだ)
苦笑せざるを得ない。
矛盾した自己満足。
そう捉えられても、仕方ないだろう。
(それでも……決めたことだ)
27は決意を新たにして、揺らぎ掛けた覚悟を引き締め直す。
彼女は展開した力場を操作し、飛行速度を上げて一気にコロニーに接近しようとする。
しかしここで突然――
27の力場が消失した。
「――!?」
身体が重力を思い出したように、落下を始める。
眼下に写っていた樹々の尾根が、徐々に近づく。
彼女は上空十メートル弱を飛行していた。
地面に激突することは勿論、樹々の尾根を通過するだけでも、重傷は免れない。
27は即座に消失した力場を再展開し、地面に向かってそれを叩き付けた。
27を中心にして、球状に広がった力場が、地面と樹々を弾き飛ばす。
27はさらに力場を操作することで落下速度を緩和し、地面に降り立った。
27の展開した力場によって窪んだ地面。
彼女は歩いてその窪地から外に出ると、手に持っていた刀を、音もなく抜刀した。
鈍色に輝く刀身。
それを身体の前で一振りし、黒塗りの鞘を地面に捨てる。
前方を見据える。
27の眼前には二人の女性が立っていた。
二人とも、コロニーから支給された戦闘服と刀を所持している。
一人は好戦的な目で、もう一人は戸惑いの目で、それぞれ27に視線を送っている。
27が口を開く。
「私の力場に干渉したのはお前達か。
危うく大怪我をするところだったぞ。
えっと……」
「60だよ。
一度だけ、あんたとは任務を共にしたことがある」
好戦的な目をした女性がそう言った。
27は「そういえば、覚えがあるな」と頷き、もう一人の女性に視線を向けた。
「お前は……初めてだな。
顔は見たことあるが……名前は?」
「……91です」
僅かな逡巡を挟んだ後、彼女がそう答えた。
27は91の顔をまじまじと見つめて言う。
「ありがとう。
もう覚えた。
まだ新人のようだが、実戦は初めてか?」
「えっと……」
91が視線をキョロキョロと彷徨わせる。
自分もあんな初々しい時があったかなと、27は微笑ましい気持ちで彼女を見つめた。
ここで、60が「チッ」と鋭く舌打ちをした。
60は――凶暴に尖らせていた目をさらに斜に構えて――27を睨み付けると、抜き身の刀を彼女に突き付ける。
「仲間ヅラして話し掛けてくんじゃねえ。
テメエが27の偽物だってことは、もうコロニーの全兵士に伝えられてんだぜ」
27は、60から高圧的に告げられた事実に、特に動揺はしなかった。
昨日、本物の27を殺したことで、コロニーには新世代の27が生まれているはずである。
であるにも関わらず、生きた27を目の前にして、二人に驚く様子がない。
その時点で27には、おおよその察しが付いていたのだ。
(もっとも、どこまでコロニーから真実を伝えられているかまでは分からないが……)
恐らく、シティの存在は伏せられて伝えられているに違いない。
それならば、計画に大きな狂いは生じないはずだ。
だが――
「おい、91。
テメエはコロニーに戻って、27の偽物が現れたことを、10以内に伝えてきな。
まあ、他の兵士がくる頃には、私がこの偽物をぶった斬ってるがな……」
「あ……は……はい」
91は明らかに安堵した表情を見せると、踵を返してコロニーの方角に走っていった。
彼女も戦闘兵である以上、優れた能力を持っているに違いない。
だがその性格は、とても戦闘兵向きとは言えないようだ。
対して、60はその能力も性格も、優秀な戦闘兵のそれと知れた。
彼女は正中線に沿って刀を構えると、じりじりと27に摺足で近づいてくる。
「今コロニーは敵を警戒して、臨戦態勢に入ってんだ。
偽物のテメエが何しに戻ってきかたは知らねえが、見つけた以上は、コロニーの全勢力でもって始末させてもらうぜ」
(やはりそうか)
27は、60には分からないよう、小さく嘆息した。
コロニーの戦闘兵と衝突することは想定の範囲内だが、こうも早くそれが起こることは予想外だった。
(恐らく、シティの企みに気付いた女王が、警戒を強めていたんだろうな)
歓迎できる事態ではないが、起こったことは仕方がない。
27は気持ちを切り替えると、じりじりと近寄る60に注意を払う。
そして、ゆっくりと――
感情を凍らせた。
27が機械的に口を開く。
「私は女王を殺しにきた」
60の肩が震えた。
彼女は見る見るうちに顔を怒りで染め上げると、声を荒げて言う。
「テメエ……自分が何言ってんのか分かってんのか!」
全兵士の生みの親である女王。
そんな彼女を神格化し、崇める者が兵士の中には一定数いる。
60もまた、その思想――或いはそれに近い――の持ち主だったかも知れない。
それほどに、彼女の27に対する怒りは、熾烈なものだった。
「冗談でも許さねえぞ!
取り消せ!
その上でぶっ殺してやる!」
60の瞳に写し出された怒りの炎。
その架空の炎で焼き殺さんとばかりに、60が27を睨み付ける。
だが27は、その60の視線に、一切怯みを見せなかった。
それどころか、その炎すらも凍らすような冷徹な瞳で60を見据えて、淡々と言う。
「私は女王を殺す。
それを邪魔するというのなら、そいつも殺す。
だが――」
27は一旦言葉を止め、すぐに続きを話す。
「もしも女王のいない世界を生きる覚悟があるのなら、殺すことはしない」
「ああ!?
テメエ何言ってんだ!?」
「ただし、私の指示には従ってもらう。
質問も一切受け付けない。
その上で、判断しろ」
27を睨み、60がギリギリと歯を鳴らした。
怒りのあまり、声が出せないのだろう。
それは、彼女のどす黒く染まった顔色を見れば、容易に知れた。
60から力場が展開される。
「いかれたクソ野郎が……ぶち殺してやる」
「それが……お前の答えか?」
27の問い掛けには応えず、60が駆け出した。
60の展開した力場は、非常に強力なものだった。
戦闘兵の中でも頭一つ抜きん出ている。
彼女はその力場を刀にまとわせ、27に斬り掛かった。
力場によって極限まで殺傷力を高めた60の刀。
本来なら、受け止めることさえ不可能だったろう。
しかし、27は右手に握った刀を、無造作に振るい――
60の刀と、彼女の身体を両断した。
自身の展開した力場が、27にあっさりと斬り裂かれた。
そのことに、60が驚愕に目を見開く。
分断された60の上半身が、鮮血を撒き散らしながら、重力に従い地面へと落下していく。
だが、彼女の上半身は数センチ落下したところで――
粉々に四散した。
飛び散った60の血液が、27の左半身にベッタリと付着する。
浴びた血液で額に前髪が張り付く。
27はそれを丁寧に指先で整えて、ポツリと呟いた。
「せめて……苦痛を感じる間もなく、死んでくれ……」
27の視線が左右に走る。
前方の茂みから、新たに三人の戦闘兵が姿を現した。
先程コロニーに向かった91から話を聞き、駆け付けてきた者達だろう。
27を見て、三者三様の反応を見せる戦闘兵。
そんな彼女達に向け、27は再び抑揚なく宣言する。
「私は女王を殺しにきた」
三人の戦闘兵が息を呑むのが分かった。
半身を赤く染めた27は、刀の切っ先を前に突き出し、彼女達に鋭く言う。
「生きるか死ぬか、決断してもらうぞ」