偽物(4)
コロニーの生活に満足していたわけではない。
むしろ、辟易していたと言っていい。
終わることない機械兵との戦い。
死にゆく仲間達。
逃れられない女王の支配。
生き続ける理由も意味も見いだせないまま、日々を無為に過ごしてきた。
だが、だからといってコロニーを嫌悪していたわけではない。
コロニーには大切な仲間も、守るべき子供達もいる。
自身が生き続ける意味を見いだせずとも、彼らを生かし続けるために、死力を尽くそうと思った。
自分を信頼してくれる先輩のために――
自分を慕ってくれる後輩のために――
死なせてしまった友人のために――
自分にはそれを果たす義務があると思った。
それが自分の存在意義だと思った。
何故なら――
自分はコロニーで生まれた兵士なのだから。
――――
しかし――
すべては勘違いだった。
自分はコロニーで生まれた兵士などではなく、シティで造られた偽物に過ぎなかった。
そしてその偽物の存在理由は――
コロニーの仲間を守るためではなく――
コロニーの仲間を処分するためにあった。
白いベッドに横たわる女性。
十二歳の時、コロニーから連れ攫われた新世代の27。
27はベッドの脇に立ち、呆然と女性の顔を眺めていた。
暫くこの女性と二人きりにしてほしい。
27はそう言って、クリフを部屋から追い出した。
ベッドに横たわる女性は、薄く目を開けたまま、身動き一つしない。
ただ虚空を見つめ、浅い呼吸を繰り返しているだけだ。
クリフの話によれば、この女性は薬物投与によって、意識を破壊されているらしい。
彼女は十二歳の時に、シティに連れてこられた。
まだ幼い少女とはいえ、念動力の力を持った彼女を拘束するためには、この方法が最も効率的だったらしい。
いっそ殺してしまえばいい。
そう思ったが、彼女を殺してしまえば、コロニーで新しい27が生まれることとなる。
そうなれば、機械兵の襲撃に乗じて入れ替えた27が偽物であると、コロニーに気付かれる恐れがあった。
ゆえに彼女は、生かされることも殺されることもなく、その存在すらも隠蔽され、このような地下深くにある部屋で、独り眠り続けている。
それも全ては――
「私が……生まれたためか……」
兵士を暴走させることでコロニーを破壊する。
それは時間が掛かるものの、大型兵器を使用する必要もなく、大量の機械兵を導入する必要もない、最低限のコストで行える、コロニーの処分方法だった。
十八年前、議会は機械兵のコアを奪いに派遣された、一人の戦闘兵を拉致した。
それが、旧世代の27だった。
27の遺伝子を獲得した議会は、コロニーの女王と同じ手法で、子供を造り、すぐに旧世代の27を殺した。
旧世代の27が死ぬことで、コロニーでは新世代の27が生まれる。
こうして、同じ日に二人の27が、シティとコロニーで誕生した。
シティで生まれた27は、当時議会議員の一人だった、クリフの父親に預けられた。
そこで彼女は、最低限の知識と教養を学ぶこととなる。
ただし、彼女は定期的に薬物を投与され、その意識を極限まで希薄にさせられた。
コロニーに潜伏させた時、シティでの記憶が残っていると、都合が悪いためだ。
コロニーでは十二歳に避妊手術を受けることになっている。
手術を受けた者は術後、麻酔によって丸一日眠り続けることとなり、その間、非常に無防備な状態となる。
議会はシティとコロニー、二人の27を差し替える機会を術後に決定し、その計画を実行した。
こうして、シティで生まれた27はコロニーでの生活を始め、コロニーで生まれた27は連れてこられたシティで、その意識を議会によって破壊された。
ベッドで眠る自分の分身。
27はそんな彼女に話し掛けるように、独り言を続ける。
「私がいなければ……君はこんなところで眠らされることもなかった。
今頃はコロニーの仲間達と生きることができたんだ。
それだって楽なことではないが……少なくともそこには自分の意志がある。
それなのに、君はこんな偽物の私に居場所を、人生を奪われた。
しかも質の悪いことに、その偽物は――」
27が自嘲し笑う。
「コロニーを破壊するために潜り込まされた、爆弾だっていうんだから、報われないな」
本来、念動力による暴走は二十歳以降に発生する。
年齢とともに成長する自身の念動力を、制御できなくなるためだ。
だが、コロニーを処分するために生まれた27は、念動力の力を故意に高めることで、二十歳前に暴走するよう、意図的に調整されていた。
コロニーの運用が開始されてから十年で、すでに念動力の力を高める遺伝子操作の手法は確立されていた。
だが念動力の力を高めると、どうしたところで暴走が引き起こされてしまう。
暴走を抑える薬物の開発も行ったが、それは強すぎる念動力の力を一時的に弱めるものであり、強い力を保ったまま念動力を操る術は、シティの技術力を持ってしても、発見するに至らなかった。
兵器開発のために造られたコロニーが、百年もの間、実戦投入されなかった理由は、その暴走問題を議会が解決できなかったためだという。
百年掛けて蓄積されたコロニーの研究結果。
それは結局、議会やシティに何の利益をもたらすことはなかった。
兵器開発に失敗したコロニーの、その唯一の成果物が、コロニーを適切に処分するための27だというのは、何とも皮肉がきいている。
「私は……どうすればいいんだろうな」
ベッドに横たわる女性からは、当然、返答はない。
だがそれでも、27は繰り返し彼女に問い掛けた。
「私は……何なんだろうな」
暴走によりコロニーを破壊する。
だが27が暴走を起こす前に、コロニーはその兆候を察知し、27を処分する判断を下した。
27がシティから差し向けられた、コロニーを破壊する爆弾であることを、彼らが気付いていたのかは、27にも分からない。
だが何にせよ、27の唯一の存在理由であった、コロニーの破壊は達成されなかった。
それ自体は、喜ばしいことだろう。
コロニーの仲間を殺したくはない。
自身の役割を知った今でも、その気持ちに変わりはない。
だが――
「私は……もう用なしなのか」
ならば、何故自分はここに存在しているのか。
自身の造られた理由さえも全うできず、薬を投与しなければ暴走してしまう、不安定な爆弾として生き続けることに、何の意味があるというのか。
目の前にいる女性。
意識を破壊された本物の27。
彼女の人生を奪い、それを自覚することもなかった偽物が、これ以上、何のために生き恥をさらすというのか。
「私は……もう……」
空虚な白い部屋。
それと同化したように――
胸の中は空っぽだ。
「駄目だ」
27は泣くようにして笑った。
何か切っ掛けがあったわけではない。
だがクリフは、自分の直感を信じることにした。
突然の胸騒ぎ。
27に頼まれ部屋の外で待機していたクリフは、扉をノックすることも忘れ、一息に扉を押し開けた。
伽藍洞とした白い部屋。
奥に見える一台の白いベッド。
それが――
真っ赤に染まっていた。
「27!」
クリフは、ベッド脇に立っている27の名前を呼んだ。
だが彼女に反応はなかった。
27は何をするでもなく、ただ呆然とベッドの上を見つめている。
その感情の欠落した彼女の表情に、クリフは言い知れぬ不安を覚える。
まるで底なし沼の上を沈まぬよう歩くかのごとく、一歩一歩慎重に、ベッドへと近づいていく。
カラカラに乾燥した部屋の空気。
そこに混じった粘り気のある臭い。
脳を刺激し、否が応でも恐怖を掻き立てるそれは――
血の臭いだ。
クリフがベッド脇に立つ。
彼の視線がベッドの上に横たわる、物体に向けられる。
六年前、コロニーからシティに連れてこられた女性。
薬物により意識を破壊され、議会の都合により生かされ続けてきた、新世代の27。
その彼女の頭部が――
ベッドの上に散らばっていた。
「っ……」
クリフは口を手で押さえると、背中を丸めてベッドから一歩後退った。
そして、血の臭いを嗅がないよう鼻を摘み、口を大きく開けて呼吸を繰り返す。
ベッドに四散した頭部の部品。
大量の血に浸され赤く染まったシーツ。
それらが、一瞬にして視界に焼き付いた。
目を閉じても脳裏に浮かび上がる、砕けた脳の破片と、血液の不気味な光沢。
身体が熱を帯び、汗が吹き出す。
芋虫が這い回っているような、全身を粟立たせる不快感。
胃を直接掴まれているような、絞り上げられる嘔吐感。
クリフは服の上から心臓を何度も手でさすり、それらの感覚を必死に宥める。
ようやく、僅かばかりの余裕を得たクリフは、俯けていた顔を上げ、ベッド脇に立つ27を見やった。
ベッドに横たわる頭部を失った女性。
それを無表情で眺めている27。
まるで不出来な義眼でも埋め込まれているように、彼女の瞳は光沢がなく、虚ろに揺らめいていた。
「27……」
クリフが27に再度呼び掛ける。
彼女の碧い瞳が、ゆっくりとクリフに向けられた。
彼女の乾いた瞳。
そこにはクリフは疎か、何物の影も写し出されていなかった。
「死んだよ」
「27……」
「私が……殺した」
27が微笑んだ。
今にも崩れ落ちてしまいそうなその笑顔。
彼女の碧い瞳が、再びベッドに横たわる死体へと移される。
彼女は頭部のない女性と話をするように、言う。
「これで……彼女はコロニーで転生される。
この地獄から解放される」
「……だが……」
「分かっている」
クリフの言葉を、27が遮る。
「コロニーで生まれる彼女は、ここにいる彼女とは別人だ。
こんなことをしても、彼女が救われるわけじゃない。
それでも……」
今にも崩れ落ちそうだった27の笑顔が、ボロボロと音を立てて壊れていく。
「私には……こんなことしかできない。
今度生まれ変わる彼女の……27のその幸せを願ってやることしか……私にはできないんだ」
「27」
「私は27じゃない!」
27が――27として今まで生きてきた女性が叫んだ。
「本物の27は、ここのベッドで眠っていた彼女だ!
私は彼女の居場所を奪い取った、単なる偽物だ!
コロニーの仲間を殺すために造られた、クソッタレな爆弾だ!
仲間を騙して、コロニーに寄生していた害虫だ!
そのくせ、皆から仲間だと思われているだなんて、そんな思い上がりをしていた、しょうもない勘違い野郎だ!」
「落ち着いてくれ!
確かに君はコロニーで生まれたわけじゃないが、コロニーにいる彼らを騙すつもりはなかったはずだ!
議会議員の僕が言えた義理じゃないが、君がどんな出生であろうと、コロニーの彼らが27を仲間だと思う気持ちに――」
「だから私は27じゃないんだ!」
クリフは口をつぐんだ。
27として生きていた女性が、目尻を吊り上げ、クリフを睨みつけている。
彼女の表情に浮かぶ感情。
それは焼けるような怒りと――
冷たい悲しみだった。
ふっと、彼女の表情が再び無に戻る。
空白で埋め尽くされた空間。
そこに姿を溶け込ませるように、彼女の存在が薄れたような、そんな気がした。
彼女が力なく口を開く。
「コロニーの仲間が見ていたのは、ここにいる本物の27だ。
私じゃない。
06も75も、そして83も、私によくしてくれた仲間は、私を27だと勘違いして、接していたに過ぎない。
みんなが私に向けてくれた想いは、彼女に向けられたものなんだ」
彼女の唇が震えだす。
「私に……」
掠れた彼女の声が――
「私に話し掛けている者など……誰もいなかった……」
徐々に滲み始める。
「私はずっと……」
そして、彼女の乾いた碧い瞳から――
「独りだったんだ」
大粒の涙がこぼれ落ちた。
クリフの前では、彼女は常に強い女性であった。
それは幼少期の頃も含めて、一貫していた。
感情の制御に長け、何事にも動じない心を持った美しい女性。
それが、クリフの彼女に対する印象だった。
そんな彼女が初めて見せた涙。
コロニーで過ごした日々を否定され、その存在すらも偽りだとされた。
その絶望が彼女の心を打ち砕き、彼女を強靭な兵士から、十八歳の脆く儚い女の子に変えてしまった。
彼女の涙を見て、クリフは強く拳を握りしめた。
彼女の悲しみの元凶を作ったのは、議会の存在だ。
そしてクリフは、その議会に所属する議員の一人である。
クリフが議会議員になったのは、今から一年前だ。
当然、十八年前に計画されたコロニーの処分や、27のクローンに関することに、彼は関与していない。
だが罪がないかと問われれば、それを否定することは難しい。
クリフ自身が関与していなくとも、その計画を立案し実行に移した議会議員の一人は、彼の父親なのだから。
(だから……僕には彼女に掛けられる言葉なんてない……そんな資格が僕にはない)
彼女を救えるのは自分ではない。
彼女の苦しみを生み出した自分が、そんな立場であるはずがない。
己の罪も顧みず、どの面下げて彼女に――
(馬鹿か!
僕は!)
クリフが足を踏み出す。
そして、涙を流す彼女に向かって、歩き始めた。
(資格がない?
立場じゃない?
どの面下げてだって?
何を考えているんだ。
僕は誰に向かって言い訳をしているんだ。
誰に向かって体裁を保とうとしているんだ。
そんなこと、重要なことじゃないだろ。
今重要なことは、たった一つだけじゃないか)
クリフが彼女の横に立つ。
だが彼女に反応はない。
彼女の涙で濡れた瞳は、頭部を失った女性だけに向けられている。
だがクリフは、そんなこと構わなかった。
(僕のやるべきことは……)
クリフは彼女の肩を掴んで、強引に彼女を自分に振り向かせた。
それでも彼女の表情は変わらなかった。
虚ろな表情で、ボロボロと涙をこぼしている。
そんな彼女を――
クリフは力一杯抱きしめた。
腕の中で、彼女の身体がピクリと震えるのが分かった。
クリフは彼女の細い身体が折れてしまうほどに、強く、強く、抱きしめる。
「僕は……違う!」
そんなことを言う資格がなかろうと、立場でなかろうと、恥さらしであろうと、クリフは彼女に正直に伝える。
自分の気持を吐き出す。
「僕は……僕は君をずっと見てきた。
君と初めて出会った時から、君のことだけを見続けてきたんだ。
コロニーの27としてじゃない。
議会が造ったクローンとしてじゃない。
あの白い部屋で、ベッドで眠る君に会いたかったんだ。
話をしたかったんだ。
ただそれだけで、僕は満足だった。
君と一緒にいられるだけで、幸せだったんだ。
僕は――」
クリフの眼から涙が落ちる。
「君を愛したんだ」
全身が震えるようだった。
全ての事実を知った時、身体に住み着いた重苦しい絶望。
それが、身体の中から徐々に抜けていくのが分かった。
クリフが強く身体を抱きしめてくれれば抱きしめてくれるほど、それに絞り出されるように、悲しみが身体から消えていく。
クリフの身体が強く密着すればするほど、胸に感じる彼の強い鼓動が、弱りきっていた自身の心臓を昂ぶらせた。
途切れることなく瞳から流れる涙。
それがいつの間にか、冷たいものから温かいものに変わっていた。
まるで、抱きしめてくれるクリフの体温を帯びたように、熱い涙がどんどんと溢れてくる。
その涙が、頭の中を重く満たしていた様々な負の感情や想いを、溶かして流していく。
「僕がこんなこと言えるような人間じゃないことは分かっている。
でも……それでも、言わせてくれ。
僕は君を愛している」
クリフの声が、耳元で囁かれる。
彼の声は涙で濡れて、ひどく聞き取り難かった。
だが言葉以上に、彼の向けてくれる想いが、心に浸透していくのが分かった。
白い夢の中で見た、少女に笑い掛ける少年。
決して口がうまい少年ではなかった。
だがそれでも、少年は少女を喜ばせるために、不器用ながらに必死に話をしてくれた。
少年から少女に向けられた想い。
それと同じものが、今のクリフから伝わってくる。
少年から少女だけに――
クリフから自分だけに――
そこに偽りはない。
「だから……頼むから独りだなんて……言わないでくれ」
クリフの言葉に、一際大粒の涙がこぼれ落ちた。
ゆっくりとクリフの背中に腕を回す。
彼の背中を掴み、力強く抱きしめた。
「ごめん……ごめんね……」
その言葉は、殆ど声にならなかった。
泣き続けたことで横隔膜が痙攣を起こし、上手く喋ることができない。
それでも、精一杯に声を上げ、言葉を紡ぐ。
自分の想いを――
少女が少年に伝えられなかった想いを――
伝える。
「私も……あなたを愛している。
ずっと……ずっと小さい頃から……愛していたよ」
白い部屋で出会った少女と少年。
二人は互いの想いを伝えられないまま――
いつしか離れ離れになった。
そして六年の歳月が流れる。
少女と少年は、大人の女性と男性になった。
大人になった男性は――
少年が言えなかった想いを女性に伝えた。
そして大人になった女性は――
少女が分からなかった想いの正体を知った。