偽物(3)
施設の中に入り、幾つかの階段を下ると、白い廊下に出た。
窓のない廊下を進んでいると、クリフが独り言のように呟いた。
「今から百年以上前に、シティに特殊な能力を持った少女が生まれたんだ」
クリフの話は脈絡なく、唐突に始まった。
だが27は訊き返すようなことはせず、彼の話に黙って耳を傾ける。
彼女の無言の相槌に応えるように、クリフが淀みなく話を続ける。
「当時の世界情勢は、とても穏やかなんて呼べるものではなくてね。
世界の各地域には、このシティのような街が点在しているんだけど、その近隣地域と冷戦の状態にあったんだ。
いつ寝首を掻かれるか分からない状況で、議会は特殊能力を持った少女を、兵器利用することに決めた」
前方から、この施設の職員と思われる男性が、27とクリフに向かって歩いてきた。
クリフが一度話を中断する。
その男性はすれ違いざまに27をちらりと一瞥するも、何も言うことなく彼女から離れていく。
クリフは通路の角を曲がり、人気がなくなったことを確認すると、話を再開した。
「だが、その少女の特殊能力は、まだ軍事利用できるほど強力なものではなかった。
それに、少女一人だけが特殊能力を持っていたところで、その運用は非常に困難だ。
議会はその問題を解消するために、とある施設を森の奥地に建設した。
その施設というのが――」
「コロニー」
黙って話を聞くつもりだったのだが、思わず27の口を突いて、その言葉が出た。
クリフは27を一瞥すると、小さく頷く。
「そう、コロニーだ。
コロニーとは少女の特殊能力――つまり念動力を成長させることと、その能力を保有する固体の増産を目的に作られたんだ。
コロニーを建設すると、議会は少女をコロニーに隔離し、その目的に向けてコロニーの運用を始めた。
そしてその運用管理は、コロニー専用にカスタマイズされた、人工知能を用いて行われたんだ」
クリフが一つ息を吐く。
そしてそのまま、暫く沈黙する。
話がまだ終わっていないことは、クリフの気配から知れた。
恐らく、頭の中で話の筋道を立てているのだろう。
27は黙して、クリフが再び口を開くのを待った。
約十秒後。
クリフが口を開く。
「人工知能の役割は、それほど複雑なものじゃない。
特殊能力を持った少女の、その遺伝子を基準として、少女のクローンを造り続けることが、人工知能の主な役割だ。
そしてそのクローンというのが、75を含むコロニーの兵士達なんだよ」
クリフの話に、27は違和感を覚えた。
クリフが話すコロニーの成り立ち。
その真偽を27に判断することはできないが、それが事実であるならば、驚くべきことだ。
クローン技術については、素人程度の知識なら27にもある。
SF小説などではもはや陳腐と化した技術だが、よもや現実で利用されていたなど、にわかには信じ難い。
だが、27が感じた違和感の正体は、それではない。
特殊能力を持った少女。
その少女から造られたクローン。
そのクローンの例として、クリフは27ではなく75を上げた。
そのことが奇妙であると同時に、27の不安を掻き立てた。
だが、27はその違和感を口にせず、クリフの話を黙して聞いた。
「クローンは常に一定の数、九十九体が造られる。
過剰に増えることはなく、損失すれば補われる。
そうやって人工知能は、コロニーが発展も衰退もしないよう、日々調整をしている。
それと同時に、人工知能はその九十九体のクローンに、異なる遺伝子操作を施して差別化を図り、クローンの多様性を生み出すと同時に、強力な念動力を発現する遺伝子の塩基配列を見つけようとしたんだ。
少女の能力向上と増産。
コロニーの建設目的は、人工知能によって見事に果たされたと言っていい。
その優秀な人工知能というのが――」
クリフが27を一瞥し、言う。
「君達が女王と呼んでいるモノだよ」
その事実は、27にとって驚くほどのことではなかった。
話の序盤で、すでに人工知能の正体について、ある程度の予測が付いていたからだ。
それに――
(もともとあの女王は、生物と呼ぶには違和感があった)
コロニーの最上階から動けず、飲食も排泄も行わない。
歳を取ることもなく、コロニーの兵士を生み続ける。
そんな存在が、生物たり得るはずがない。
(女王を神格化する一部の兵士は、そんな当然の疑問すら抱いたことはないだろうが)
何にしろ、いけ好かない女王についてはその正体が判明した。
だがまだ、27にはその存在に疑問が残る連中がいる。
27は、再び横を通り過ぎた職員――今度は女性だった――を尻目に、その疑問が残る存在の一つ、機械兵についてクリフに尋ねる。
彼は一瞬躊躇いを見せるも、観念したように27の質問に答えた。
「女王を稼働し続けるには、それを動かす電力が必要になる。
つまり、電池を定期的に交換しなきゃいけないんだけど、人が運ぶには森の中は危険だし、何より、議会の人間がコロニーに接触するのは、情報漏洩の観点から推奨されなかったんだ。
だから簡易な人工知能を搭載した機械兵を送り、そのコアを電池としても使用できるようにした」
「ちょ……ちょっと待ってくれ」
クリフの説明を聞き咎め、初めて27は彼の話を遮って、訊き返した。
「じゃあ、機械兵はコロニーに電池を運ぶための、ただの入れ物だったってことか?」
「そういうことだね」
クリフが気まずそうに頷く。
27は強く頭を振ると、彼の言葉を否定した。
「あり得ない。
だったら何故奴らは私達を攻撃してくるんだ?
奴らに殺された同胞は何人もいる。
それをどう説明するんだ?」
「それは……その……コロニーは兵器利用のために造られたって話しただろ?
つまり、念動力が実戦でどれほど役に立つのか、サンプルをついでに取ろうとしたらしい」
「ついでに……?」
声を失う27。
そんな彼女から視線を逸して、クリフが先を続ける。
「それと、力のない固体を早めに排除して、女王による出産のサイクルを早める意味もあったらしい。
より強い個体を効率的に生み出すために」
「そんな……そんなことのために……」
83は殺されたのか。
クリフが話した内容で、これが最も衝撃的だった。
三年前に殺された83、45、16。
彼女達の死は、百年前から決められていた、予定調和でしかなかった。
その事実に、27は心が灰になるような、強い喪失感に襲われた。
しかし――
より残酷な真実は、その直後に待っていた。
「……ここだよ」
クリフが立ち止まる。
27から向かって通路の左手に、扉がある。
クリフがその扉を視線で指し示し、言う。
「ここに、君の知りたいモノがある」
「……」
27にとって、最も疑問の残る存在。
自分自身。
その答えが、この扉の奥にある。
27は一度唾を飲み込むと、クリフに頷く。
クリフが右手を伸ばし、扉の取手を掴む。
僅かな逡巡の後、彼が扉を開いた。
扉の奥には、小さな部屋があった。
窓すらない密閉された部屋。
面積は約二十平方メートル。
天井の高さは二メートル強。
白い壁紙が貼られた内壁には、汚れ一つ見当たらない。
清掃が行き届いているということなのだろうが、それはまるで、凍結された時間の中にその部屋が存在しているような、空虚な印象を27に抱かせた。
天井に吊るされた照明。
その不自然なまでに白い明かりに照らされ、27は思う。
どことなくコロニーの部屋と似ている。
部屋は伽藍洞としており、余計なオブジェは一切見当たらない。
机や椅子どころか時計すらない。
唯一そこにあるのは、床から突然生えてきたように、無造作に置かれた白いベッドと、そのベッドに横たわる――
石膏のように白い肌をした女性だけだ。
クリフが部屋に入り、女性が横たわるベッド脇に立つ。
そして27に振り返ると、無言で手招きをする。
27はそっと目を閉じた。
まるで冷水を掛けられたかのように身体の芯が冷えている。
そのくせ、体表面は火傷しそうなほど熱い。
その温度差が、27の心を激しく対流させる。
冷えた不安と、焼けた緊張。
27は目を開けると、そっと部屋に足を踏み入れた。
コツンと、27の足音が部屋に響く。
27はピタリと停止し、ゆっくりと深呼吸をする。
そして再び歩き出す。
もう足音はしなかった。
27がクリフの横に立つ。
そして、ベッドに横たわる女性を見て――
彼女は膝から崩れ落ちた。
「そ……んな……どうして……」
自身の肩を抱いて震える。
今自分が見た事実を、27は信じることができなかった。
ベッドに横たわる女性。
上下白の簡易な服装。
ガリガリにやせ細った、血色の悪い青白い手足。
竹箒のように末端に広がる、伸ばし放題のボサボサの金髪。
僅かに開いた瞼から覗く、焦点の合わない虚ろな碧眼。
それは、27が初めて出会った女性だった。
しかし、27はその女性のことを、よく知っていた。
長年放置された人形のように、ひび割れた肌をした、その女性は――
「私……だ……」
ベッドに横たわる女性は、27と瓜二つの容姿をしていた。
同一人物とまで言えずとも、あまりにも多くの特徴が類似していた。
まるで女王により転生される新旧世代の27を並べたようだ。
眼前に横たわる不可解な女性。
27は荒い呼吸を繰り返し、混乱する頭を必死に宥めた。
だが幾ら呼吸を繰り返そうと、思考は全くまとまらず、息苦しさも増すばかりだった。
「これは……どういう……ことなんだ」
答えを求め、27は喘ぐようにしてクリフに問い掛けた。
立ち上がるどころか、顔を上げる気力すらない。
顔を俯けたまま、彼の答えを待つ。
だがクリフは沈黙したまま、27の問い掛けに答えてはくれなかった。
(いや……そうじゃない)
27は努めて冷静に、それを否定した。
クリフは27の問い掛けに、答えようとしていた。
だが彼が答えるまでの、僅かな躊躇いの時間が、27にはあまりにも長い時間に感じられたのだ。
稀釈し薄く伸ばされた一秒が、十秒にも一分にも体感される。
このまま時間が極限にまで薄まり、答えに永遠に辿り着かないのではないか。
そんな馬鹿げた不安すら抱きつつ、27はその一瞬が訪れるのを、ただひたすらに待った。
27が不安に押し潰されそうになった時、ようやくクリフの声が彼女の耳に届いた。
「シティは……コロニーを見捨てたんだ」
クリフの声は、暗く沈んでいた。
それだけで、27は彼から話される内容が、自身が期待しているものでないことを知る。
もっとも――
(私は何を期待していると言うんだ……)
ベッドに横たわる女性を見た時から、彼女がまともな結末を迎えられる可能性などなくなった。
彼女は絶望するためだけに、クリフから話を聞くことになる。
クリフの声が、27の鼓膜を揺らす。
「コロニーは兵器利用のために運用されてきた。
だが実運用に持ち込めるレベルに到達する前に、世界情勢は安定期を迎えた。
シティが強力な兵器を保有する意味はなくなり、コロニーの存在意義は失われた。
それどころか、議会にとってコロニーは、邪魔な存在になってしまった。
旧時代の非人道的な研究施設であるコロニーの存在が、シティの住民や近隣地域に知られるようなことになれば、議会の立場は大きく揺らぐことになる。
だから議会は、コロニーを処分することに決めたんだ」
コロニーには九十九名の兵士がいる。
それを処分の一言で片付ける議会。
彼らにとってコロニーとは、兵器以外の何物でもなかったのだということが、よく知れた。
「コロニーを処分するにあたって、議会が一番の障害と考えたのは、コロニーの運用を任されている人工知能、女王の存在だった。
女王は議会によって造られた存在だが、コロニーの存続を最優先にして行動するよう、プログラムされている。
たとえ議会の決定だろうと、自身とコロニーを守るためなら女王は議会に敵対行動を取ると予想された」
自身と自身の大切なモノのために、創造主とも戦う。
それはある意味で、生物らしい考え方とも言える。
それだけ、女王の人工知能は優れているということだろう。
「女王はコロニーの全兵士を統率し、さらにその戦力はクローンによって無限に増殖する。
何百という機械兵を導入するにも、そのコストは甚大なものになり、かつ念動力を操る大勢の兵士を相手にして、女王を始末できるかは未知数だった。
だが本格的に軍を動かせば、コロニーの存在をシティの住民に知られる危険性がある。
出来る限り隠密に、かつ低コストにコロニーを始末するにはどうすればいいか。
議会が考え出した結論が――」
クリフが、ベッドに横たわる女性、そして27と、順番に視線を移す。
「君達27の存在だ」
君達27。
クリフはそう言った。
確かにベッドに横たわる女性は、27と容姿が酷似している。
だが、ただ似ているというだけでは、クリフのその表現は不適切のはずだ。
つまり――
「彼女もまた……コロニーで生まれた27だというのか?」
「……いや、違う」
27の言葉を、クリフが否定する。
力なく床に座り込む27。
彼女はその虚ろな瞳を動かして、クリフを見つめた。
27の無言の問い掛けに、クリフの顔が悲しそうに歪む。
クリフが口を開く。
「彼女こそがコロニーで生まれた27だ」
その言葉の意味が、27には分からなかった。
彼女こそがコロニーで生まれた27。
何故そんな言い回しをするのか。
彼女こそ。
ならば、今ここにいる――
「私は……?」
27の呟き。
クリフは27から目を逸らさずに――だがひどく辛そうに――、言う。
「君はこの27の遺伝子を使い、議会の手によって創られた、クローンなんだよ」
27の目が見開かれる。
クリフが目を細め、「いや……」と言葉を補足する。
「正確には、君は旧世代にあたる27のクローンだ。
ベッドで眠っている新世代の27とは、基準となる遺伝子が違う。
だが、ほぼ同一人物と言って間違いないだろう。
新世代の27と君は、シティとコロニーで同時期に創られた、双子のようなものなんだ」
「……馬鹿げている……」
27はクリフの話を否定した。
「議会が私を造る必要がどこにあるんだ?
そもそも、私はコロニーで育ったんだ。
シティで造られた偽物であるはずが……」
「27が十二歳になった時に、シティとコロニーの27を入れ替えたんだ。
機械兵による、養護施設の襲撃と見せ掛けてね」
六年前に起こった、機械兵による養護施設の襲撃。
多くのコロニーの子供が犠牲になる中、避妊手術後で身動きが取れなかったはずの27は、奇跡的に生き残ることができた。
それ自体は、何も疑問視することではない。
襲撃に生き残った子供は、27だけではないのだから。
27と幼馴染だった83も、その機械兵の襲撃を幸運にも生き延びている。
だが27と他の子供達とでは、ある一点において、大きな違いがあった。
多くの子供達が殺された機械兵による養護施設の襲撃。
誰もがその悪夢を、記憶に深く刻み込んでいる。
当時、養護施設で暮らしていた子供達は勿論、そうでない者も、その襲撃のあった日のことを克明に覚えていた。
だが、27はその襲撃に関する記憶が全くなかった。
機械兵の襲撃後、ベッドの上で目を覚ます。
それが、27の最も古いコロニーでの記憶だ。
機械兵に養護施設を襲われた直後の記憶を含め、それ以前の記憶が27には存在しないのだ。
機械兵の襲撃。
その恐怖で記憶が失われたのだろうと、他者からは説明された。
27も、そういうものなのかと、特に疑問に思うことはなく生きてきた。
だがもしも、失ったのではないとしたら、どうだろうか?
元々コロニーで生活した経験がないだけだとすれば、奇妙な記憶喪失などよりは、余程説得力がないだろうか?
「どうして……そんなことを?」
27が掠れた声で問う。
だがすぐに、27はそれを後悔した。
何故なら、その問いに対するクリフの回答が――
「君を暴走させコロニーを破壊するためだ」
あまりにも、残酷だったからだ。