偽物(1)
シティは27にとって、まるで本の中に出てくる世界のようだった。
固く舗装された道路と、その脇に並ぶ建物。
その高さは、小さいモノでもコロニーの半分、大きい建物になるとコロニーの倍以上はあった。
建物の外観は――ドーム状のコロニーとは異なり――、その殆どが直方体のシンプルな形をしていた。
道路と接する面には一定の間隔で窓があり、その窓の内側には艶やかな柄のカーテンが取り付けてある。
建物の色は白や薄緑、水色など淡い色合いのものが多い。
全体的にのっぺりした印象を受ける建物の外壁だが、稀に複雑な模様を施した奇抜な建物もあり、ただ道路に立って周囲を見回すだけでも、十分に視界を楽しませてくれた。
だが何よりも驚かされたのは、その人の多さとその多様性だった。
道路に行き通う人の群れ。
それは視界に収まる範囲に絞っても、二、三十人はいるだろう。
それが、入れ代わり立ち代わり延々と続き、途切れることがない。
人の数は有限であるはずだが、そんな当然の理さえ疑って掛かってしまうほど、その光景には圧倒されるものがあった。
その人種も幅広い。
十歳にも満たない幼い少年少女。
精悍な顔つきをした若い男性や、丁寧に化粧を施した若い女性。
顔に深いシワを刻んだ腰の曲がった老人。
服装もまちまちで、黒や白といった地味な色でまとめている者もいれば、眼が痛くなるようなカラフルな服を身にまとった者もいる。
コロニーでは、年齢層が二十代未満の女性しか存在しない。
また着ている服は、戦闘服かジャージ、或いは全裸――に近い服装――とバリエーションも乏しい。
それだけに、ひどく個性的な姿をしたシティの人々は、コロニーの人々とは異なる、別種の生物のようにさえ感じられる。
まるで一匹の蟻が、異なる種の蟻の巣に迷い込んでしまったような、そんな落ち着かない感覚だ。
コロニーで生まれ育った彼女にとってシティとは、異世界そのものといえた。
現実味を欠いた、夢の中にだけ存在する異質な世界。
そう27は考える。
電柱に寄り掛かり通りを眺めていた27。
彼女はつらつらと思いを巡らした後、そっと目を閉じた。
そして、ほんの数分前の出来事を思い返す。
「ああ、やっぱり。
思った通り。
とっても素敵じゃない。
うん、可愛いわ」
「そ……そうか?」
クリフの屋敷に仕える使用人――アニーの賛辞に、27は曖昧に返事をした。
27は両手を控えめに広げて、腰を捻りながら自身の全身を眺める。
27は今、赤いノースリーブのワンピースを着て、膝丈のスカートの下に、黒のストッキングを履いている。
それは27にとって、非常に稀有な格好といえた。
女性らしい服装など、彼女が好んで着たことは一度もない。
まるで珍獣を見るような眼付きで、27は繰り返し全身を眺め回した。
薄い――だがひどく丈夫な――生地で作られたワンピースのスカートが、彼女の腰の動きに合わせて、艶やかにひるがえる。
27は再び曖昧に尋ねた。
「可愛い……のか?
これは」
「ええ、とっても」
アニーが強く頷く。
彼女の表情に満面と浮かんだ笑顔からは、27をからかっている気配は微塵も感じられなかった。
どうやら、アニーは心から、27のことを可愛いと賞賛しているらしい。
その事実に、27は何とも形容し難い、引きつった笑みを浮かべた。
27がクリフの屋敷に住み始めてから、もう八日が経っている。
使用人のアニーとも、軽い雑談を交わす程度には、打ち解けてきた。
その雑談の内容の大半を占めていたのが、ここシティでの生活についてだ。
高い建物が軒を連ねる居住地区や、活気あふれる商業地区。
高速で走る車や、学校や会社へと向かう人々で埋め尽くされる道路。
話に聞くだけで唾が出そうな、グルメの数々。
コロニーから出たことのない27にとって、アニーが話してくれるシティの内容は、本の中でしか存在していなかった、お伽噺のような世界に聞こえた。
そんな世界を自分の足で見て回りたい。
27はすぐにそう思うようになった。
先日、27がクリフにその旨を伝えると、体調に問題がないのならば自分がシティを案内すると、彼は請け負ってくれた。
27はクリフに感謝し、その日程を二人で決めた。
そしてその約束の日が、今日だった。
27が出掛けようと、部屋で身支度――ジャージを着るぐらいだが――をしていると、アニーが大量に服を抱えて現れた。
彼女の話によれば、27が着ているジャージは、外を出歩くのに不適切だという。
シティでの常識に疎い27は、アニーに言われるがまま服を着替えさせられた。
そして、現在の姿に至る。
「あら、ビアンカ様?
その服のどこか気に入らなかったかしら」
27の引きつた顔を見て、心配そうに眉を曲げるアニー。
彼女には、27がコロニーの人間であることは伏せており、クリフと幼馴染のビアンカだと話をしている。
呼ばれ慣れていない名前に戸惑いつつ、27は慌てて首を左右に振った。
「いや……気に入らないわけじゃない。
その……あまりこういった服は着たことがないので、どう反応すればいいのか分からないんだ」
「そうなの?
それなら簡単よ。
ニッコリと笑っていればいいの。
赤は女性にとって勝負服なんですから。
これで落ちない男なんていやしないわ。
特にビアンカ様は可愛いんだから、笑顔になるだけで男なんてイチコロよ」
「イチコロ……か。
はは……」
アニーに言われた通り、笑ってみる。
だが頬がピクピクと痙攣し、我ながら気味の悪い乾いた笑いしかできなかった。
そんな27の様子に、「ふふふ」と可笑しそうにアニーは笑うと、両手をぱちんと打ち合わせた。
「それにしても安心したわ」
「安心?」
27が疑問符を浮かべる。
アニーは「ええ」と相槌を打ち、先を続けた。
「クリフ様は仕事ばかりで、お付き合いされている女性など、いらっしゃらないようだから。
差し出がましいと思いつつ、心配していたの。
でもこんな可愛い幼馴染がいたんじゃ、他の女性に目が行かないのも当然よね」
「そう……かな?」
「そうよ。
あ、でもこの話は、クリフ様に内緒でお願いね。
余計なお世話だって、クリフ様におばさん怒られちゃうから」
ウィンクして、悪戯っぽく笑うアニー。
その子供のように愛らしい笑顔に釣られ、ようやく27も、自然な笑顔を浮かべることができた。
ここで、部屋の扉がノックされた。
アニーが返事をすると、扉を開けてクリフが部屋に入ってくる。
クリフは27の姿を見つけると、目を大きく広げ、頬を赤らめた。
「2……いやビアンカ。
すごいよ。
すごく綺麗だ……」
「そ……そうか。
クリフがそう言うなら、何よりだ」
胸の鼓動が疼くように高まり、27の頬が僅かに紅潮する。
照れたようなぎこちない笑みを交わす27とクリフ。
その二人の間に、アニーの大きな身体が滑り込んできた。
ぽかんと眼を丸くするクリフに、アニーがにこやかに告げる。
「では、次はクリフ様の番ね」
「え?
いや僕はこのままで……」
「何をバカなことを。
女性に恥を掻かせるつもり?
クリフ様。
良い女性の隣に立つには、男性もそれ相応の身だしなみをしなければいけないのよ」
言うが早いか、アニーがクリフの首根っこを掴み、ズルズルと彼を部屋の外へと引きずっていく。
二人の姿が扉の奥に消える前に、27は頭を掻きながら、ポツリとクリフに告げる。
「では……私は家の外で待っていることにする。
街を少し見ておきたいしな」
「うん。
ごめん。
すぐ行くから」
アニーに引きずられ、クリフの姿が扉の奥へと消えた。
シティの光景を眺め始めてから、十分が経過した。
ただ、建物と人を眺めているだけでも飽きることがない。
それだけシティは雑多な情報にあふれている。
(コロニーの単純さとは違うな)
27は思う。
だが、だからといってコロニーがシティに劣っているとは、彼女も思っていない。
シティにはシティの良さが、コロニーにはコロニーの良さがある。
何より――
(コロニーは……私の故郷だ)
他の土地とは比べられない、想いの詰まった場所。
それは、彼女がコロニーを追われる立場となった今でも、変わりはしない。
「ま……待たせたね」
背後から声。
27が振り返ると、そこには黒いスーツをきっちり着こなした、クリフが立っていた。
ネクタイが苦しいのか、結び目を指で弄っている彼に、27が微笑み掛ける。
「その格好が、ここでの正装か」
「シティを案内するだけなのに、こんな格好大袈裟なんだよ。
まったくアニーの奴……」
頭を掻きながら愚痴をこぼすクリフ。
少年のように唇を尖らせる彼に、27は可笑しくて、つい「ふふ」と笑い声を漏らした。
その声を聞いたクリフが、頬を赤くし照れくさそうに笑う。
「やっぱり、変だよな?」
「いや……こういうのが適切かは分からないが……その……カッコイイと思うよ」
27の言葉に、クリフは頬だけでなく顔全体を赤くした。
27はクリフの下に近づくと、彼の右腕に両腕を絡ませ、身体を寄せた。
「それじゃあ、案内してくれ」
「は……はいぃ」
クリフは声を震わして、何故か敬礼をした。
それから暫くは、住宅街の通りを二人で歩いた。
27はクリフに身体を寄せて、忙しなく視線を動かした。
そして、気になるところがあると、指を差してクリフに質問する。
「見てくれ。
随分とでかい車だな。
その上、大勢の人が乗っている。
あれはみんな家族なのか?」
「いや……家族じゃないよ。
あれはバスって言ってね……お金を払うと誰でも車に乗せて、目的地まで運んでくれるんだ」
顔を赤くしたクリフが、上擦った声で27の質問に答えた。
その答えを聞いた27が、ぱっと顔を輝かせる。
「ああ。
あれがバスか。
本で読んだことがあるぞ。
本物はあんなにでかいんだな。
あれだけの質量、私でも一刀両断することができるか、断言は難しいな」
「随分と物騒な想像だね……いや、全然ね、いいんだけど……」
「あれは何だ?
妙に細長い建物があるぞ。
あんなところに誰か住んでいるのか?」
慌てて言い繕おうとしたクリフの言葉を遮って、27が周囲の建物から一際大きく突き出した、針のような建物を指差す。
クリフが27の指の先を追い、「ああ」と頷く。
「あそこに人は住んでいないよ。
あれは電波塔って言うんだ」
「電波塔?
それは聞いたことがないな。
人が住まないなら、何をするところなんだ?」
「テレビとかラジオとか知っているかい?」
「絵が動いたり、声が聞こえる機械のことだろ?
にわかには信じ難いが」
「そう。
ちなみに僕の家にもテレビとかラジオはあるんだけど、27は殆ど部屋から出たことがなかったから、まだ見てなかったんだね。
今度見せてあげるよ」
「ああ、頼む。
それで、そのテレビとラジオが、この建物とどう関係するんだ?」
「この建物はね、テレビとかラジオが出力する情報を送信しているんだ。
つまり、テレビやラジオは、この電波塔からの電波を受信して……ってこんな説明で分かるかな?」
「技術的なことは難しいな。
兎に角、重要な役割があるってことだな。
それにしても、高い建物だな。
見晴らしが良さそうだ」
「建物に入ることもできるよ。
何なら、そこも案内しようか?」
「本当か?
ぜひ頼む」
頬を紅潮させた27が、クリフに笑い掛ける。
クリフは「う……うん。
任せてよ」と、力強く自分の胸を叩き、すぐに咳き込んだ。
そんな彼が可笑しく、27がクスクスと笑う。
二人の横を、複数人の少女が通り過ぎる。
27はその少女達の服装を見て、クリフの腕を引いて尋ねる。
「見ろ。
みんな同じ格好をしているぞ。
今度こそ家族か?」
「家族だからって同じ服は着ないよ。
あれは学生だね。
学校に通っている子供達さ」
「学校か。
それも本で読んだことがある。
コロニーの養護施設のようなものだな」
「ぼくはコロニーの養護施設を詳しく知らないけど、近い年齢の子供達が集まって、必要な知識を学ぶところだね」
「あそこにも同じ服装の子供がいるな。
憂鬱そうに、テストがどうと言っているが……」
「あんな遠くにいるのによく聞こえるね。
ああ、そう言えばもう学力試験の時期か。
みんな勉強で疲れているんだよ」
「確かに、彼女達の顔には疲労がにじみ出ている。
だが――」
愚痴をこぼしながら、友人関係と思しき少女達が笑い合っている。
そんな少女達の姿が眩しくて、27は目を細めて言った。
「楽しそうだな……」
「……うん。
そうだね」
クリフが優しく頷いた。