表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スズメバチの恋  作者: 管澤捻
偽物
14/26

偽物(1)

 シティは27にとって、まるで本の中に出てくる世界のようだった。


 固く舗装された道路と、その脇に並ぶ建物。

 その高さは、小さいモノでもコロニーの半分、大きい建物になるとコロニーの倍以上はあった。

 建物の外観は――ドーム状のコロニーとは異なり――、その殆どが直方体のシンプルな形をしていた。

 道路と接する面には一定の間隔で窓があり、その窓の内側には艶やかな柄のカーテンが取り付けてある。


 建物の色は白や薄緑、水色など淡い色合いのものが多い。

 全体的にのっぺりした印象を受ける建物の外壁だが、稀に複雑な模様を施した奇抜な建物もあり、ただ道路に立って周囲を見回すだけでも、十分に視界を楽しませてくれた。


 だが何よりも驚かされたのは、その人の多さとその多様性だった。

 道路に行き通う人の群れ。

 それは視界に収まる範囲に絞っても、二、三十人はいるだろう。

 それが、入れ代わり立ち代わり延々と続き、途切れることがない。

 人の数は有限であるはずだが、そんな当然の理さえ疑って掛かってしまうほど、その光景には圧倒されるものがあった。


 その人種も幅広い。

 十歳にも満たない幼い少年少女。

 精悍な顔つきをした若い男性や、丁寧に化粧を施した若い女性。

 顔に深いシワを刻んだ腰の曲がった老人。

 服装もまちまちで、黒や白といった地味な色でまとめている者もいれば、眼が痛くなるようなカラフルな服を身にまとった者もいる。


 コロニーでは、年齢層が二十代未満の女性しか存在しない。

 また着ている服は、戦闘服かジャージ、或いは全裸――に近い服装――とバリエーションも乏しい。


 それだけに、ひどく個性的な姿をしたシティの人々は、コロニーの人々とは異なる、別種の生物のようにさえ感じられる。

 まるで一匹の蟻が、異なる種の蟻の巣に迷い込んでしまったような、そんな落ち着かない感覚だ。


 コロニーで生まれ育った彼女にとってシティとは、異世界そのものといえた。

 現実味を欠いた、夢の中にだけ存在する異質な世界。

 そう27は考える。


 電柱に寄り掛かり通りを眺めていた27。

 彼女はつらつらと思いを巡らした後、そっと目を閉じた。

 そして、ほんの数分前の出来事を思い返す。




「ああ、やっぱり。

 思った通り。

 とっても素敵じゃない。

 うん、可愛いわ」


「そ……そうか?」


 クリフの屋敷に仕える使用人――アニーの賛辞に、27は曖昧に返事をした。

 27は両手を控えめに広げて、腰を捻りながら自身の全身を眺める。


 27は今、赤いノースリーブのワンピースを着て、膝丈のスカートの下に、黒のストッキングを履いている。

 それは27にとって、非常に稀有な格好といえた。

 女性らしい服装など、彼女が好んで着たことは一度もない。

 まるで珍獣を見るような眼付きで、27は繰り返し全身を眺め回した。

 薄い――だがひどく丈夫な――生地で作られたワンピースのスカートが、彼女の腰の動きに合わせて、艶やかにひるがえる。


 27は再び曖昧に尋ねた。


「可愛い……のか?

 これは」


「ええ、とっても」


 アニーが強く頷く。

 彼女の表情に満面と浮かんだ笑顔からは、27をからかっている気配は微塵も感じられなかった。

 どうやら、アニーは心から、27のことを可愛いと賞賛しているらしい。

 その事実に、27は何とも形容し難い、引きつった笑みを浮かべた。


 27がクリフの屋敷に住み始めてから、もう八日が経っている。

 使用人のアニーとも、軽い雑談を交わす程度には、打ち解けてきた。

 その雑談の内容の大半を占めていたのが、ここシティでの生活についてだ。


 高い建物が軒を連ねる居住地区や、活気あふれる商業地区。

 高速で走る車や、学校や会社へと向かう人々で埋め尽くされる道路。

 話に聞くだけで唾が出そうな、グルメの数々。


 コロニーから出たことのない27にとって、アニーが話してくれるシティの内容は、本の中でしか存在していなかった、お伽噺のような世界に聞こえた。


 そんな世界を自分の足で見て回りたい。

 27はすぐにそう思うようになった。


 先日、27がクリフにその旨を伝えると、体調に問題がないのならば自分がシティを案内すると、彼は請け負ってくれた。

 27はクリフに感謝し、その日程を二人で決めた。


 そしてその約束の日が、今日だった。


 27が出掛けようと、部屋で身支度――ジャージを着るぐらいだが――をしていると、アニーが大量に服を抱えて現れた。

 彼女の話によれば、27が着ているジャージは、外を出歩くのに不適切だという。

 シティでの常識に疎い27は、アニーに言われるがまま服を着替えさせられた。


 そして、現在の姿に至る。


「あら、ビアンカ様?

 その服のどこか気に入らなかったかしら」


 27の引きつた顔を見て、心配そうに眉を曲げるアニー。

 彼女には、27がコロニーの人間であることは伏せており、クリフと幼馴染のビアンカだと話をしている。

 呼ばれ慣れていない名前に戸惑いつつ、27は慌てて首を左右に振った。


「いや……気に入らないわけじゃない。

 その……あまりこういった服は着たことがないので、どう反応すればいいのか分からないんだ」


「そうなの?

 それなら簡単よ。

 ニッコリと笑っていればいいの。

 赤は女性にとって勝負服なんですから。

 これで落ちない男なんていやしないわ。

 特にビアンカ様は可愛いんだから、笑顔になるだけで男なんてイチコロよ」


「イチコロ……か。

 はは……」


 アニーに言われた通り、笑ってみる。

 だが頬がピクピクと痙攣し、我ながら気味の悪い乾いた笑いしかできなかった。

 そんな27の様子に、「ふふふ」と可笑しそうにアニーは笑うと、両手をぱちんと打ち合わせた。


「それにしても安心したわ」


「安心?」


 27が疑問符を浮かべる。

 アニーは「ええ」と相槌を打ち、先を続けた。


「クリフ様は仕事ばかりで、お付き合いされている女性など、いらっしゃらないようだから。

 差し出がましいと思いつつ、心配していたの。

 でもこんな可愛い幼馴染がいたんじゃ、他の女性に目が行かないのも当然よね」


「そう……かな?」


「そうよ。

 あ、でもこの話は、クリフ様に内緒でお願いね。

 余計なお世話だって、クリフ様におばさん怒られちゃうから」


 ウィンクして、悪戯っぽく笑うアニー。

 その子供のように愛らしい笑顔に釣られ、ようやく27も、自然な笑顔を浮かべることができた。


 ここで、部屋の扉がノックされた。

 アニーが返事をすると、扉を開けてクリフが部屋に入ってくる。

 クリフは27の姿を見つけると、目を大きく広げ、頬を赤らめた。


「2……いやビアンカ。

 すごいよ。

 すごく綺麗だ……」


「そ……そうか。

 クリフがそう言うなら、何よりだ」


 胸の鼓動が疼くように高まり、27の頬が僅かに紅潮する。

 照れたようなぎこちない笑みを交わす27とクリフ。

 その二人の間に、アニーの大きな身体が滑り込んできた。


 ぽかんと眼を丸くするクリフに、アニーがにこやかに告げる。


「では、次はクリフ様の番ね」


「え?

 いや僕はこのままで……」


「何をバカなことを。

 女性に恥を掻かせるつもり?

 クリフ様。

 良い女性の隣に立つには、男性もそれ相応の身だしなみをしなければいけないのよ」


 言うが早いか、アニーがクリフの首根っこを掴み、ズルズルと彼を部屋の外へと引きずっていく。

 二人の姿が扉の奥に消える前に、27は頭を掻きながら、ポツリとクリフに告げる。


「では……私は家の外で待っていることにする。

 街を少し見ておきたいしな」


「うん。

 ごめん。

 すぐ行くから」


 アニーに引きずられ、クリフの姿が扉の奥へと消えた。




 シティの光景を眺め始めてから、十分が経過した。

 ただ、建物と人を眺めているだけでも飽きることがない。

 それだけシティは雑多な情報にあふれている。


(コロニーの単純さとは違うな)


 27は思う。

 だが、だからといってコロニーがシティに劣っているとは、彼女も思っていない。

 シティにはシティの良さが、コロニーにはコロニーの良さがある。

 何より――


(コロニーは……私の故郷だ)


 他の土地とは比べられない、想いの詰まった場所。

 それは、彼女がコロニーを追われる立場となった今でも、変わりはしない。


「ま……待たせたね」


 背後から声。

 27が振り返ると、そこには黒いスーツをきっちり着こなした、クリフが立っていた。

 ネクタイが苦しいのか、結び目を指で弄っている彼に、27が微笑み掛ける。


「その格好が、ここでの正装か」


「シティを案内するだけなのに、こんな格好大袈裟なんだよ。

 まったくアニーの奴……」


 頭を掻きながら愚痴をこぼすクリフ。

 少年のように唇を尖らせる彼に、27は可笑しくて、つい「ふふ」と笑い声を漏らした。

 その声を聞いたクリフが、頬を赤くし照れくさそうに笑う。


「やっぱり、変だよな?」


「いや……こういうのが適切かは分からないが……その……カッコイイと思うよ」


 27の言葉に、クリフは頬だけでなく顔全体を赤くした。

 27はクリフの下に近づくと、彼の右腕に両腕を絡ませ、身体を寄せた。


「それじゃあ、案内してくれ」


「は……はいぃ」


 クリフは声を震わして、何故か敬礼をした。




 それから暫くは、住宅街の通りを二人で歩いた。

 27はクリフに身体を寄せて、忙しなく視線を動かした。

 そして、気になるところがあると、指を差してクリフに質問する。


「見てくれ。

 随分とでかい車だな。

 その上、大勢の人が乗っている。

 あれはみんな家族なのか?」


「いや……家族じゃないよ。

 あれはバスって言ってね……お金を払うと誰でも車に乗せて、目的地まで運んでくれるんだ」


 顔を赤くしたクリフが、上擦った声で27の質問に答えた。

 その答えを聞いた27が、ぱっと顔を輝かせる。


「ああ。

 あれがバスか。

 本で読んだことがあるぞ。

 本物はあんなにでかいんだな。

 あれだけの質量、私でも一刀両断することができるか、断言は難しいな」


「随分と物騒な想像だね……いや、全然ね、いいんだけど……」


「あれは何だ?

 妙に細長い建物があるぞ。

 あんなところに誰か住んでいるのか?」


 慌てて言い繕おうとしたクリフの言葉を遮って、27が周囲の建物から一際大きく突き出した、針のような建物を指差す。

 クリフが27の指の先を追い、「ああ」と頷く。


「あそこに人は住んでいないよ。

 あれは電波塔って言うんだ」


「電波塔?

 それは聞いたことがないな。

 人が住まないなら、何をするところなんだ?」


「テレビとかラジオとか知っているかい?」


「絵が動いたり、声が聞こえる機械のことだろ?

 にわかには信じ難いが」


「そう。

 ちなみに僕の家にもテレビとかラジオはあるんだけど、27は殆ど部屋から出たことがなかったから、まだ見てなかったんだね。

 今度見せてあげるよ」


「ああ、頼む。

 それで、そのテレビとラジオが、この建物とどう関係するんだ?」


「この建物はね、テレビとかラジオが出力する情報を送信しているんだ。

 つまり、テレビやラジオは、この電波塔からの電波を受信して……ってこんな説明で分かるかな?」


「技術的なことは難しいな。

 兎に角、重要な役割があるってことだな。

 それにしても、高い建物だな。

 見晴らしが良さそうだ」


「建物に入ることもできるよ。

 何なら、そこも案内しようか?」


「本当か?

 ぜひ頼む」


 頬を紅潮させた27が、クリフに笑い掛ける。

 クリフは「う……うん。

 任せてよ」と、力強く自分の胸を叩き、すぐに咳き込んだ。

 そんな彼が可笑しく、27がクスクスと笑う。


 二人の横を、複数人の少女が通り過ぎる。

 27はその少女達の服装を見て、クリフの腕を引いて尋ねる。


「見ろ。

 みんな同じ格好をしているぞ。

 今度こそ家族か?」


「家族だからって同じ服は着ないよ。

 あれは学生だね。

 学校に通っている子供達さ」


「学校か。

 それも本で読んだことがある。

 コロニーの養護施設のようなものだな」


「ぼくはコロニーの養護施設を詳しく知らないけど、近い年齢の子供達が集まって、必要な知識を学ぶところだね」


「あそこにも同じ服装の子供がいるな。

 憂鬱そうに、テストがどうと言っているが……」


「あんな遠くにいるのによく聞こえるね。

 ああ、そう言えばもう学力試験の時期か。

 みんな勉強で疲れているんだよ」


「確かに、彼女達の顔には疲労がにじみ出ている。

 だが――」


 愚痴をこぼしながら、友人関係と思しき少女達が笑い合っている。

 そんな少女達の姿が眩しくて、27は目を細めて言った。


「楽しそうだな……」


「……うん。

 そうだね」


 クリフが優しく頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ