暴走(3)
27がクリフの看病を受けてから五日目。
ようやく意識も明瞭になり、身体も動かせるようになってきた。
そんな時、27にクリフがこう尋ねてきた。
「何か着たい服はあるかな?」
「着たい服?」
目を丸くして、クリフの言葉をオウム返しする27。
ベッドに腰掛けている彼女は、視線を下げて、自身の服装を確認した。
水玉がプリントされた、薄い生地の長袖と長ズボン。
この五日間、気にしたことはなかったが、今27が着ている服は、上下ともに彼女の持ち物ではなかった。
ふと気になり、27は服を指先で捲り、中を覗き込む。
どうやら下着も、彼女の持ち物ではないようだ。
27が怪訝に首を捻っていると、クリフが「ああ」と気が付いたようにぽんと手を打った。
「その服は、君がここに運ばれた時に着せたものだよ。
君が着ていた服は、汗や泥でひどく汚れていて、不衛生だったからね。
君は眠っていたから、僕が……」
突然、クリフがビクリと肩を震わせた。
そして見る見るうちに顔を赤く染めると、両手を左右に強く振りだした。
クリフの奇妙な行動に、27が目を瞬く。
クリフが慌てたように27に言った。
「ち……違うよ!
僕が着替えさせたんじゃない!
使用人の女性にやってもらったんだ!
嘘じゃない!
だからその……安心してほしい!」
「安心?」
クリフが慌てている理由が分からず、益々眉根を寄せる27。
そんな彼女の様子に、今度はクリフが、きょとんと目を瞬かせた。
「安心とは……どういう意味だ?」
27の質問に、クリフが「えっと……」と視線を宙に彷徨わせる。
彼は、喉にモノでも詰まらせたかのように、ひどく喋り辛そうに言う。
「だから……僕は君の服を脱がしていないとそう言いたいんだけど……」
「それがどう私の安心に繋がるんだ?」
「だからその……僕は君の裸を見ていないと、そう言いたいわけで……」
27は腕を組んで、視線をクリフから一度逸らす。
暫く考え込んだ後、再び視線をクリフに戻して、27はあっけらかんとクリフに尋ねた。
「私の裸をクリフが見ると、何かまずいことがあるのか?」
「え!?
ないの!?」
手を戦慄かせて叫ぶクリフ。
27はこめかみを掻きながら「うーん……」と思案し、ゆっくりと応える。
「取り敢えず、思い当たらないな。
君が裸を見ただけで、その人物の内蔵を引きずり出せるなんて、特異な能力の持ち主でない限り、私にとってまずいことはない」
「まあ、ぼくにそんな能力はないけど」
「コロニーでは、裸で共有スペースを歩いている連中も稀にいた。
マナーとして感心できないから私はやらないが、別に裸を見られることに、嫌悪したことはないな」
「じゃあ、僕が27の裸を見たいと言えば、君は見せてくれるの?
嫌じゃないの?」
「別に。
着替え直すのが面倒だとは思うから進んではやらないが……見たいのか?」
一瞬、クリフは首を縦に振り掛けた。
だがすぐにピタリと身体を硬直させ、何かを耐えるように、強く歯を食いしばる。
クリフはそのまま暫くの間、身体をぷるぷると震わせていたが、やがてゆっくりと首を左右に振った。
「いや……結構だ。
それは……紳士的な振る舞いとは言えない」
「どうした?
汗が引くほど出ているが」
「何でもないったら。
そんなことより、話を元に戻そう。
着たい服はないか?」
顔を真っ赤にして言うクリフに、27は訳が分からず首を傾げる。
(まあ、何でもないというのなら、追求する必要もないか)
取り敢えず27は、クリフの質問に対して考えることにする。
腕を組み、頭をくるくると回す。
答えはあっさりと出てきた。
「そうだな、ジャージかな」
「ジャージ?」
「ん?
ジャージ知らないのか?」
27が首を傾げると、クリフは「いや……」と、口をモゴモゴさせながら言う。
「もちろん知っているけど……もっと可愛いやつとか……色々あるんだけどな……」
「ん?」
「ああ……えっと、何でもない。
ジャージだね。
分かった。
すぐに持ってくるよ」
肩落とすクリフに、益々27は首を捻った。
クリフは、気を取り直すように一つ咳払いすると、続けてこう言った。
「それを着たら、この家の使用人に君を正式に紹介しようと思うんだ。
動けるようになったのなら、いつまでもこの部屋にいるのも退屈だろ。
この家を歩き回るには、ちゃんとした挨拶はしておかないとね」
クリフの提案に、27は眉をひそめる。
「挨拶をするのは構わない。
看病してもらった礼も言わなければならないからな。
だが、動けるようになった以上、あまり長居をするつもりもない」
「どうして?」
「どうして……て、迷惑だろ?」
27の言葉に、クリフが微笑む。
「迷惑なものか。
君さえ良ければ、いつまでだって居てもらって構わない。
僕はね、君と再開できて本当に嬉しいんだ。
もっともっと、君と色々なことを話していたい」
「しかし……」
それでも27が躊躇していると、クリフは浮かべていた笑みを、僅かに曇らせた。
「75から聞いたけど、君はコロニーに殺され掛けたんだろ?
それなら、もうコロニーには戻れないはずだ。
行く宛が他にあるのなら兎も角、それがないのなら、暫くはシティに身を置いて、先々のことを考えるというのが、得策だと思うよ」
確かにクリフの言う通りだろう。
27は口には出さず、それを認めた。
コロニーが27を処分する決定を下した――その理由は不明確だが――以上、彼女はコロニーにはもう戻れない。
だからといって、コロニー以外に身を寄せられる場所など、27にはない。
クリフの下に長居するつもりはない。
だが暫くの間は、ここで十分な休息を取りながら、今後の方針について検討するのが、最善というものだろう。
27はそう判断すると、一つ頷いてクリフに言う。
「分かった。
では申し訳ないが、暫く厄介になることにするよ。
実は私も、クリフとは色々な話をしてみたいと思っていたんだ。
昔のこともそうだが、君自身についても……」
白い夢の中。
27はクリフの話を黙って聞いているだけで、彼女の方から彼に話し掛けるようなことはしなかった。
クリフに興味がなかったわけではない。
彼に対する相槌や質問は、何度も27の口を突いて出掛かった。
しかし結局、彼女はそれをしなかった。
だが今、27はクリフと再開しその機会を再び得ることができた。
27はクリフのことを、もっと良く知りたいと思っている。
少年が少女に向けた想いと、少女が少年に向けた想い。
その正体を、27は理解したいと思っている。
それはきっと、クリフと一緒に過ごしていくことで、分かるような気がしていた。
27がこの場所に残ることを承諾したからだろう。
クリフが安心したように、ホッと息を吐く。
そして、再び満面の笑みを浮かべて27に言う。
「それじゃあ挨拶の件は、使用人達にも予め伝えておくよ。
ああ……それと、君のことは、家の都合で幼いころに離れ離れになった、幼馴染ってことで話をしておくから」
「なぜだ?」
訝しげに問い掛ける27。
クリフは形の良い眉を曲げて、彼女に言う。
「ここに住む一般の人達は、コロニーの存在を知らないんだ。
コロニーやそこに住む君達のことは、公務員の――さらにそのごく一部の人間にしか伝えられていない」
「そのコウムインというのは良く分からないが、つまりクリフはそこの所属だと?」
27の問いに、クリフが目を丸くする。
「そうだけど……あれ?
昨日か一昨日に、僕の仕事については話さなかったっけ?」
どうやら、似たような話はすでにクリフから聞いていたらしい。
この五日間、27は目が覚めている間も、夢現の状態が続いていた。
そのため、そこで話された内容については、その殆どを記憶していなかった。
27はバツが悪くなり、それを誤魔化すために口早にクリフに質問をぶつけた。
「シティは、コロニーからだいぶ離れたところにあるのか?」
「そうだね。
コロニーはシティの南西にあって、直線距離だと二十キロぐらいかな。
コロニーは森に囲まれているから、シティまで踏破するのは難儀だろうね。
シティの正確な場所を知らない限り、コロニーの人達が偶然ここに辿り着くなんて、ないと思うよ」
最後の一言は、コロニーから追われる身となった27を慮っての言葉だろう。
彼女もそれを理解しつつ、クリフの言葉を改めて自身で検証する。
コロニーの活動領域は、コロニーを中心とした半径約十キロ圏内とされている。
これが、目印の乏しい森を迷わずに進める限界の距離なのだ。
それ以上の距離は、常駐キャンプも存在しないため、遭難のリスクが飛躍的に高まることとなる。
シティがコロニーから二十キロ離れているのであれば、コロニーの兵士がシティに偶然辿り着くことは、クリフの言う通りあり得ないことだろう。
つまり、シティにいる限り27がコロニーの追手に怯える必要はない。
だが――
「しかし、75はここを知っていた。
これはどう説明するんだ?」
その質問に、クリフが困ったように頭を掻いた。
「偶然に辿り着くなんてないといった矢先に言い難いけど、二年前にシティを訪れた彼女は、偶然だと言っていたね。
まあ、コロニーから差し向けられた刺客ってわけでもなさそうだったし、その点については少しあやふやなんだ」
「刺客?
コロニーとクリフ達は敵対関係にあるのか?」
「あ……いや、そういうわけじゃない。
あまり詳しくは話せないんだけど……ごめん」
クリフが申し訳なさそうに頭を下げる。
コロニーとシティの関係性。
当然気にはなるが、クリフに話す気がない以上、問い詰めたところで詮ないことだろう。
「75も私と同様、この建物の中に住んでいるのか?」
27が質問を変えると、あからさまにクリフはホッとした表情になった。
「いや、彼女は特定の住居を持っていない。
基本は森の中で生活をして、必要な物資を調達する時だけ、シティに現れる感じかな」
「75に会うことはできないだろうか?
彼女にお礼を言いたいんだ」
「ああ、ここまで運んでくれたお礼だね」
「それもあるが、彼女に薬を貰ってね」
「薬?」
クリフの表情が、さっと引き締められる。
「薬なんて……75からはそんな話聞いてないな。
どんな薬だった?」
「どんな……て、そんなことを聞いてどうするんだ?」
「大事なことなんだ。
答えてくれ」
先程までの会話と違って、妙に緊張味を帯びたクリフの声。
それに戸惑いつつ、27は75と森で出会った時の記憶をなぞり、彼の質問に答える。
「赤い液状の薬だった。
注射器を使って首筋に打たれたんだ」
「銀のケースに入っていなかった?」
「ああ……知っているのか?」
クリフが黙り込んでしまった。
何かを考え込むように顔を俯け、視線を足元に向けている。
クリフが何を気にしているのか分からず、27は困惑した。
クリフが俯けていた顔を上げる。
そして27に向き直ると、彼は口を開いた。
「27。
使用人との挨拶はなしだ。
案内役を付けるから、君はすぐに75に会いに行ったほうがいい」
「なんだ?
どういうことなんだ?」
27の問い掛けに、クリフは首を横に振る。
「彼女が敢えて薬のことを、僕に話さなかったのなら、それは僕が言うべきことじゃない。
彼女と会って、彼女の口からその真相を聞いてくれ」
クリフの言い回しに、27の胸の奥で不安が広がっていく。
彼女は深く追求することを止め、クリフの指示に素直に頷いた。
ただ一つだけ、どうしても気になることがある。
「案内役と言ったな……誰なんだ?」
27の質問に、クリフが簡潔に答えた。
「機械兵だ」