7 第11次十字軍地中海戦 2
リディアは既に少女たちの喧騒からは離れて、船内に戻っていた。幼女の体にはあまりにも大きい、自分の指定席に飛び乗って座る。
そこに人間の部下がやってきて敬礼をした。
「艦長! 魚雷を確認しました! 数は約300であります!」
「300ね……わかった」
リディアは鴉の濡れ羽色の髪を背中に払って、椅子の上に立ち上がり部下たちに告げた。
「マスカー発動! 投射型静止式ジャマー、自走式デコイ用意! 本艦は右舷へ退避!」
「イェス! マム!」
科学の発達した現代と言えど、魚雷も100発100中ではない。マスカ―やジャマー、デコイで位置を誤認させてやれば、魚雷を逸らすことは可能だ。それで更に艦ごと逃げれば、回避率は上昇する。
それでも、100%回避できるかというと、そう言うわけでもない。だから、リディアは更に命令を続けた。
「ラミア族、魔法発動用意! ヴォーテックスを詠唱せよ!」
「はいっ! お母様!」
ラミア族の配下の者達が、魔法の詠唱を始める。
「我らが大いなる父、海神トリトンよ。海の力を我の前に示せ、海の引力をここに現せ!」
少女たちの詠唱に伴い、カリプソの左舷、魚雷が迫っているであろう海が発光し、徐々に波が高くうごめきだす。
「ヴォーテックス!」
詠唱が完了すると、海は荒れ狂いその波は時計回りに回り始め、カリプソと十字軍の間の海洋上に、大渦が出現する。その渦に、デコイなどを躱した魚雷はことごとく飲み込まれ、時には魚雷同士が衝突して爆発し、海中に沈みこんでいく。
ソナーに映る魚雷が瞬く間に数を減らしていく。その事にリディアがほっと息を吐いたが、彼女はその幼い顔をすぐにきりりと引き締め、正面に向けた。
「戦闘機を無力化する! クルーは耳栓用意! セイレーン族、歌え!」
「了解、リディア……いいえ、艦長」
返事をしたラウラを初めとした、セイレーン族の少女たちが、マイクを手に持って歌いはじめる。その歌声は高音質のスピーカーを通して、地中海じゅうに響き渡るような大音響で響いた。
戦闘機に乗っていても聞こえた。その美しくのびやかな、優しく暖かな歌声。その歌声に導かれるように、戦闘機はカリプソの周囲から姿を消し、空母へと引き返していった。
命令もなく帰投したパイロットたちに、空母のクルーは驚きの声を上げた。すぐに何故帰投したのかと問い詰めても、彼らはこう答えるだけ。
「わからない。帰らなきゃいけない、そんな気がして。あぁ俺は、イタリアに帰りたい」
パイロットたちは口々にそう言って戦闘を放棄し、誰一人使い物にならなくなった。
耳栓が功を奏したようで、こちらのクルーに被害はない。攻撃はコバルトが担うが、このカリプソを動かすのは人間の海兵隊員なので、彼らに影響が出ないように配慮するのは大事だ。
魚雷は今後もクリアできる。戦闘機は飛ばせたとしても、また役立たずに出来る。
後は接近戦だ。手に詰まった十字軍は、必ず接近戦に持ち込んで、カリプソをその物量で包囲して、駆逐艦総出で砲撃してくるだろう。
アルヴィンにそう聞かされていたが、まさか本当に十字軍がその通りの行動をとるとは思っておらず、リディアは少し面食らった。
敵の哨戒艇や駆逐艦が、30ノットは超えるであろう勢いで迫ってくる。ここからが正念場だ。アルヴィンに言われた命令を遂行するためには、接近戦はこちらだって臨むところ。
「Ⅲ、準備は出来た?」
「あともう少し待って」
見た目高校生くらいの少年が返事をする。彼の名前は知らない。コードネームがⅢという事と、情報捜査局ドレスクリアの特別捜査官と言う事しか知らない。
あと知っている事と言えば、彼は情報捜査局における、実力ナンバー2の天才ハッカーだということ。
Ⅲが軽快にキーボードをたたく音が少し響き、そしてタンと小気味良くエンターキーが押下される。
「できたよ」
「ありがとう」
Ⅲに返事をして、リディアは無線に向かって言った。
「エウリュアレ、出番よ。準備を」
「任せて」
エウリュアレが準備をしている間に、リディアは席を立ってコックピットを離れ、別室に移る。その部屋は何も置かれていない船室で、あるのはパソコンとカメラだけ。
リディアは軽くパソコンを操作して、そしてカメラの前に置かれた椅子に腰かけた。
十字軍側は、海洋上と海中を映し出していたモニターが乱れ始め、何も映らなくなった。数刻して次に映し出された物に、十字軍は騒然としていた。
何もない部屋、椅子だけがある部屋。その椅子に腰かけた、5歳ほどの幼い幼女。鴉の濡れ羽色の髪をした、海の様に青い、コバルトブルーの瞳をした女の子が、そこに映し出されていた。
その幼女が、珊瑚色の唇を開いた。
「我が名はリディア・トリトン中尉。ギリシャ軍特殊部隊、海洋小隊コバルト隊長、および当艦カリプソの艦長である。十字軍に告ぐ。貴艦を失いたくなければ、速やかに降服せよ」
少女たちが乗船していることは聞いた。だが、こんな幼い女の子が、カリプソの艦長を名乗っている。それが示すのは、リディアが人間ではない、その事実。
当然、十字軍の艦長は嘲笑した。
「お嬢さん、状況を理解できているのかね? 貴艦はたった1隻、我が軍の艦隊は56隻。哨戒艇もミサイル艦も駆逐艦もある。勝てると思っているのか? 降服しろだと? 笑わせる! 我らが神が、貴様ら化け物に屈するものか!」
十字軍の艦長の嘲笑に乗って、パソコンからは他の船員たちの嘲笑も漏れ聞こえた。それでもリディアは顔色を変えることなく、続けた。
「我らが何故1隻しか用いていないのか、それに気付けぬ愚か者どもめ。キリスト教徒? カトリック? 笑わせるのは貴様らの方だ。我々が何年生きていると思っている。少し昔は、そんな宗教はなかったぞ? ぽっと出の新興宗教が大層な口をきくなどと、片腹痛いわ」
リディアは魔族にこそ堕ちたが、それでも元は神族の血を引く、れっきとしたギリシャの神の一族だ。かつてはある国の女王も務めていた。数千年、数万年の時を生きる、歴史の生き証人だ。
神話の時代から生きている彼女にしてみれば、2000年ほどの歴史しか持たないキリスト教徒など、確かに新興宗教なのだろう。
だが、人間にとっては2000年というのは、途方もない時間だ。最古とまでは言わないが、それでもキリスト教は歴史ある宗教で、そして世界最大の宗教でもある。
その矜持、神への信仰を冒涜されて黙っていられるほど、彼らの信仰心はぬるくはない。
篤い信仰心が、敵愾心に火種を灯した。十字軍の艦長が、幼女をギロリと睨みつけた。
「舐めるなよ化け物。我らが神の力、思い知るがいい! 全クルーに告ぐ! 全速前進、カリプソを包囲し、神の鉄槌を喰らわせよ!」
応っ、と十字軍が意気軒昂したのを見て取って、リディアはやはり表情を変えず、小さく溜息を吐いた。
「残念だ。お前達は我が父の胸に抱かれ、安らかに眠るがよい」
リディアの言葉と共に画面は真っ暗になったが、それに気付く者は一人もおらず、興奮した様子で戦闘態勢を整えた。
ついに40ノットを超える速度で走って来た敵艦隊が迫る。こちらは重装備ではない巡洋艦がたった1隻。あちらは軍備も十分な艦隊56隻。
駆逐艦の大砲がカリプソに顔を向ける。甲板には十字軍の機銃兵たちが立ち並ぶ。カリプソに乗り込む算段もあるのか、甲板ではロープや船が降ろされてくる。
リディアが溜息を吐いて椅子から立ち上った時、船室のドアが開いた。そして、エウリュアレが入室してきた。彼女は頭から、すっぽりと黒いヴェールを纏っていた。
それを横目で見送って、リディアはドアに手を掛けた。
「Ⅲが準備してくれたから、すぐにつながるわ」
「ええ、ありがとう」
十字軍は元に戻った画面の向こう側、カリプソの甲板を見ていた。映し出される少女たち。海は渦巻いていてそれ以上近寄れないが、これだけ近寄れれば砲撃も容易い。
化け物の乙女。あれを駆逐すると思うと、胸が躍った。十字軍の男達が、獰猛な興奮に晒されていた時、また元に戻ったはずの画面が荒れて、再び映像が映し出された。
その映像に映っていたのは、リディアではなかった。白い肌、赤く輝く瞳、蛇のようにうごめく無数の髪、蛇の舌をちらつかせた、エウリュアレ・ゴルゴン。メデューサと共にゴルゴン三姉妹と呼ばれる姉妹の末妹。
かつて神すらも嫉妬すると言われたほどの美髪を誇った、海の妖精の彼女たち。嫉妬した神が与えた罰は、その美髪を呪われた蛇の魔物に変えてしまうこと。
エウリュアレの姿を見た全てのクルーは、一瞬で全身が石化し、その生命活動を停止した。




