10 シュティレード・トルコ戦
シュティレード・トルコ。現在はシュティレードの支配下に置かれてしまった、かつてのトルコである。ギリシャからは陸路でも国境線を接しており、エーゲ海を渡って海路でも行ける、最も近い国の一つだ。
本来トルコはギリシャと同様、NATO加盟国であり、対シュティレード戦を想定すれば、重要なポジションに位置する国だった。だが、トルコが既に陥落したとあっては、NATO軍第2位の軍事力は、ただの脅威でしかない。
この国との戦争は、今後の展開でも非常に重要な鍵になる。ヨーロッパと中東とどちらが先かと政府は考えたが、今後の事を考えて、トルコを先に迎撃しておくことにしたのだった。
海の方はリディア達が迎え撃っているが、陸と空はヴィンセントの範疇だ。彼らはすぐに大隊を引き連れて出撃した。
シュティレード・トルコ統合参謀本部。陸路で向かっている軍など、この時代ではそう急がせる必要はない。今は戦術ではなく戦略の時代。つまり、兵力よりも兵器の時代と言う事だ。
トルコは核保有国だ。とっくにミサイルが数発、ギリシャに向けて発射されている。首都を初めとした主要都市をミサイル攻撃し、その後に陸軍を投入する。
その戦略は、とても安定していて、確実で、定石の中の定石だ。だから当然、ヴィンセントも想定しているだろう。参謀総長である大統領は、くくっと喉を鳴らす。
ヴィンセント・ドラクレスティ。ギリシャの特殊部隊将軍。どんな男かと調査員を送ったが、誰も何も調べることが出来なかった。映像にも写らず、彼の素性もわからない。そして調査員はほとんどが連絡を絶った。恐らくヴィンセントに見つかって殺されたのだろう。
それは参謀総長にとっては脅威となった。国のスパイが全く役に立たない。何の情報も得られず、貴重なスパイが一方的にやられるのだ、国としては全く頭が痛い。
だが、わかっていることが一つだけある。スパイは全員が死亡したわけではなく、辛うじて生き延びた者もいたのだ。それによってもたらされたのは、彼が人間ではないという事だ。それは利用させてもらう。
シュティレード・トルコは、国境線間近の北西に、コンスタンティノープル(イスタンブール)がある。そこは正教会の中心地であり、コンスタンディヌーポリ総主教庁が置かれる聖地だ。その力を利用しない手はない。参謀総長は決して敬虔な教徒ではない。だが、使える手は使う。
まずはミサイルの成果だ。サカリヤから発射された対地ミサイルが、そろそろ直近の都市アレクサンドルポリスにでも落ちた頃だろう。そう考えてモニターを眺めていた参謀総長は、目を疑った。
参謀本部は騒然とした。打ち上げられたミサイルが、一つずつレーダーから消えていく。そんな事が出来るはずがない。確かにパトリオットミサイルによる迎撃率は94%を超えると言われているが、それでもこちらは絨毯爆撃を仕掛けているのだ。ギリシャの軍事力では、迎え撃つことは困難だったはず。
「何故だ! 何が起きている!」
「わ、わかりません! 現在調査中です!」
「ホーネット全機消失を確認!」
「なんだと!?」
一体何が起きている。ミサイルは移動式で、ミサイル発射前に発射地点を確認する事は困難だったはず。だから迎撃自体が困難でもあるはずだ。仮に発射地点と発射が発覚していたとしても、目標まではわからなかったはずだ。
だが現にすべてが迎撃されている。一体何故そんな事が可能なのか、一体何故発覚してしまったのか。
その答えは、単純だった。
参謀長の一人がおもむろに立ち上がり、帽子を床に放った。喧騒の中でそれに気付く者は誰もいなかった。参謀長はすぐそばでコンソールを動かしていた兵士に近づき、口を開き鰐のように尖った歯列を剥きだして、その兵士の首元に噛みついた。
それに気付いた直近の兵士が悲鳴を上げて周りも気付いたが、すぐにその兵士もかみ殺された。
「参謀長!」
「き、君は何を!」
「やめろ!」
「うわぁぁぁ!」
次々と殺害される兵士、首を噛み千切られて、溢れる程血をしたたらせる同僚の有様。上司であったはずの、同僚であったはずの、人間であったはずの参謀長が、まるで化け物のように人間を食い荒らしている。
「参謀長! 何の真似だ!」
参謀総長が銃を構えて、参謀長と対峙する。参謀長は尖った牙の並んだ口から、だらだらと血をしたたらせながら、悍ましい微笑を浮かべた。
「簡単なことです。地位と、永遠の命。永遠とは、素晴らしい!」
「き、貴様……!」
あぁ、参謀長が裏切ったのだ。あの化物に国を売ったのだ。悪魔に魂を売ったのだ。
永遠の命と地位、そんなものの為に。
仲間の裏切りに絶望的な気分に支配されたが、参謀総長は化け物を殺しきる武器を持っている。
コンスタンディヌーポリ総主教庁の大聖堂で洗礼を施した、銀の十字架から鋳造した銀弾。これで撃たれてマトモな化け物はいないはず。
最早彼は仲間ではない。ただの裏切り者だ。ただの化け物だ。ここで彼を殺さなければ、トルコはシュティレードの支配から解放されても、ギリシャに支配者を変えるだけ。
「この国を、化け物などに渡さんぞ!」
「流石は大統領、ご立派です。ですが、これを見てもそれが言えますかな?」
「っっ!?」
参謀総長は言葉を失った。参謀長の背後で蠢いている。ぞろり、ぞろりと蠢いている。起き上がって来たそれは、参謀長に殺されたはずの部下たち。溶けた眼球、爛れた皮膚、獲物を求めるようにさまよわせる醜悪な腕と呻き声。
「なんということを……」
「こいつらはただの木偶人形ですがね、私には絶対服従する、食欲旺盛な獣。グールというそうです。参謀総長も、よかったら仲間になりませんか」
「貴様! ふざけるな!」
国を裏切り、部下を殺しただけでなく化け物に変えるなど、参謀総長は軍事のトップとして、国のトップとして捨て置けるはずがなかった。
普段は政治家であるから、軍人としての自分の腕が未熟であることはわかっている。だが、どうしても一矢報いなければ、この吸血鬼を倒してしまわなければならない。その一念だけで発砲し続ける。
だが、グール達が前に立ちはだかって参謀長を守る。他のグールが生き残った部下に次々と襲い掛かり、襲われた部下たちもグールに変貌してしまう。
ついに弾切れを起こし、撃鉄の音だけが虚しく響く参謀本部。全ての部下がグールと化した部屋で、生きている人間は参謀総長、彼だけだった。参謀長がグールの群れから進み出て、やはり悍ましく笑う。
「さぁ、あなたにも永遠の世界を見せて上げますよ」
さすがに、悟った。もう自分は終わりだ。軍の指揮系統も滅茶苦茶になるだろう。それぞれの部隊が、それぞれの思考で務めを果たしてもらうほかない。その意志を信じるしかない。国を諦めること、人生を諦めること、それは彼が彼であることを否定されるほどに苦渋だ。
だが、決して譲れない一線だけは越えない、それが参謀総長の、トルコ大統領の、一人の男としての決断だった。
「永遠などバカバカしい。私は人間だ。私はお前の手にはかからない。私は人間として死ぬ」
参謀総長は鉛玉の詰まったピストルを懐から取り出すと、それをこめかみに当てて、自ら命を絶った。
参謀総長の自殺体を見下ろして、参謀長は以前の彼のように笑った。
「憎らしいほどに、ご立派な最期でした」
参謀長は参謀総長の死を見届けた後、すぐにヴィンセントに連絡をした。ヴィンセントからの命令は、そのままグールを増やし、各地の基地及び政府機能の中枢を襲撃せよというものだ。
吸血鬼とグールの能力をもってすれば、そう時間はかからなかった。1週間ほどでヴィンセントに連絡を取って、彼をトルコに招き入れた。
「よくやった。お陰でこちらは無傷だ」
「おほめに預かり光栄であります、我が主」
永遠の命を与えてくれた、この国の国家元首と言う地位を与えてくれたヴィンセント。血の盟約の下、彼はヴィンセントの下僕となったのだ。美しく、強く、恐ろしい吸血鬼。自分もそれになれたのだと思うと、天にも昇る心地がした。
だが、少し問題があった。
「我が主、いささかグールが増えすぎて困っているのです。あれはどうしたら?」
「あぁ」
おざなりにヴィンセントは返事をして、アンジェロに向かって指を振った。するとアンジェロは素早く銃を取り出して、参謀長の心臓を撃ち抜いた。
心臓に埋まっているのは銀弾だった。撃たれたところからバキバキと石化が始まり、体が崩れ落ちていく。
「な、なぜ……」
「グールを殺すなら、親である吸血鬼を殺せば、全員死滅しますよ」
「用が済んだなら、さっさと死ね」
なぜ、どうして。こんなはずではなかったのに。永遠の命と若さ、力と権力を手に入れられるはずだったのに。
こんなことになるなら、国を裏切りはしなかったのに。こんなことになるなら、大統領を裏切りはしなかったのに。
「……化け物め……」
その言葉を最後に、参謀長はガラガラと崩れ落ちて、砂になって死んだ。その砂を退屈そうに見て、ヴィンセントは呟くように言った。
「今更何を言っているのか、意味が分からんな」
「そうですね」
一応同調したアンジェロだったが、「アンタがえげつない事考えるからだろ」と思った言葉は、何とか飲み込んだ。
報告を聞いたアルヴィンは、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。
「は? 大統領が死んでる?」
「自殺したようだ」
おかしい。確かアルヴィンは、大統領は生かしておけと命令したはずだ。トルコ大統領は確かにシュティレードの人間だったが、彼はシュティレードに併合された政治団体のリーダーであって、テロリストではなかった。だからシュティレード属国の中では、トルコは比較的マシな国だった。
だから大統領を生かしておいて、ギリシャ側に寝返るように操作して、シュティレードから独立させてやればいいと思っていたのだ。
だがその大統領が死んだとなれば、これは由々しき事態である。
「なんてことをしてくれたんだよ。これじゃトルコは内戦状態になるじゃないか」
「トルコの事だ。トルコに勝手にやらせればいいだろう」
「身勝手な事を言わないでくれ。トルコは対シュティレード戦では要衝になるんだよ。介入しないわけにいかないだろ。介入するにしても大統領が生きていればスムーズに運んだのに、彼が死んだら一からやり直しじゃないか」
「そう言われてもな。我々が殺したわけではないし」
「自殺するほど追い込んだせいだろ。罰として三か月減給」
「……納得いかん」
「これだけのミスを犯しておいて減給で済ませるって、かなり温情だと思うけど?」
確かにヴィンセントも失敗したなぁとは思っていた。そう言われてしまうと、ミスを認めるしかない。
「はぁ、仕方がない。次は殺すだけで済む国と戦争をさせろ」
「そんな国どこにもないよバカ!」
アルヴィンにしては珍しく乱暴に電話を切って、はぁっと怒り混じりの溜息を吐く。慰めるようにセルヴィが寄って、芳醇な香りを漂わせる、淹れたての紅茶を差し出した。それに一口口をつけて、紅茶の香りとセルヴィの優しさに、ちょっとアルヴィンは心がほぐれた。
一方最後にバカと罵られたヴィンセントは、切れた電話をバキバキと握り潰していた。それを見ていたミナが、ぷぅと頬を膨らませる。
「もう、ヴィンセントさん! それ私のケータイなんですけど! 弁償してくださいよ!」
「うるさい」
「人の持ち物壊しておいてうるさいって、どういう事ですか! ホンットあり得ない、このキチガイマスター」
ミナにまで罵られて、ヴィンセントの心は余計にささくれ立った。




