篠崎幸生の場合 その2
篠崎幸生は、威圧的な両親に怯えてその顔色を窺うような、本質的には気の小さい臆病者だった。その分、表面上は優しそうに振る舞うことも多かった。そうすることで相手のご機嫌を取り自分に対しても優しく接してほしいと期待していたからだ。特に自分を評価してくれる女性には優しかった。
だが、付き合いが長くなるにつれそういう上辺の部分だけでは通用しなくなってくるのも人間関係というものだ。弱い者に対しては強く、強い者に対しては弱いというのも彼の本性だった。
例えば、いわゆるヤンキーなどと呼ばれる、暴力的な雰囲気を纏った相手には愛想笑いを浮かべてぺこぺこするが、自分に逆らうことのないファミレスやファーストフード店の店員に対しては横柄に振る舞うというのも日常的にあった。そんな不様な一面が透けて見えてくるにしたがって女性から愛想を尽かされることも少なくなかった。
一見しただけなら見た目も悪くなく女性に対して優しい風であった彼で妥協して、『今日は大丈夫な日だから』と唆して既成事実を作って結婚にまで持ち込んだ彼の妻も、実際に結婚した時点では既に彼の本性の部分が透けて見えてきていたことで、元々さほど感じていなかった愛情が完全に冷めてしまっていたのだった。
それでも妻は、男に依存し、母親であることよりも女であることを選択した自身の実母と同じになるまいとして、冷めきった夫婦関係であってもその体裁を守り続けることに腐心した。だからその分、自分の娘のことが疎かになってしまった。
それどころか、夫が、娘を性の道具として利用することでこの家庭にとどまることを選択するのであれば結果としてそれは家庭を守ることになると考えて、血を分けた己の娘をその為のスケープゴートとすることも許されると思ってさえいたのだろう。
『離婚が悪だというのならば、その悪を退ける為にならどんな行為だって善として許される筈だ』
それが、幸生の妻であり香保理の母である女の発想を要約したものである。
母親が離婚と再婚を繰り返す度に周囲からは『お前の母親は淫売だ』というような誹謗中傷を浴びせられ、それによって母親に対する憎悪を募らせてきた彼女にとっては、<娘が実の父親から性的虐待を受ける程度のことは家庭を守る為には許容されるべき些細な犠牲>でしかなかったのだ。
さりとてそれは、自分が腹を痛めて産んだ子を、悪魔の生贄に捧げるような行為でしかなかった。それで得られる幸福など実際には存在しなかったのであった。




