篠崎幸生の場合 その1
篠崎香保理の父、篠崎幸生が生まれたのは、一九五〇年代の終わり、世間では<カミナリ族>という言葉が生まれた頃だっただろう。幸生の両親も、実はこのカミナリ族の一人だった。
人間というのはえてして過去というものについては美化したくなるものの様で、当時のカミナリ族については後の<暴走族>と呼ばれるものとは一線を画した筋の通った反骨精神の表れであったと評することが多いようだが、その実態は必ずしもそうとは限らなかった筈である。それより以前の<学生運動>の実態も、陰惨を極める部分があったのと同じで。
当時、非常に高価な贅沢品であったオートバイを改造し乱雑に乗り回す行為ができるほどに恵まれた家庭に育ちながら、幸生の父親も母親も、暴力や威圧で他人を支配することを良しとした人間だった。もっともそれは、さらにその父母や祖父母が<躾>と称して力で他人を捩じ伏せ支配することを是とする人間であったことを見習ったに過ぎないが。
だから、気に入らない相手がいれば殴って自分の方が優れていると見せ付けて従わせてきたのだ。それが当時は当たり前とされていた。その<当たり前>のことを、幸生の両親も彼に対して行ってきたに過ぎなかった。それが正しいことだと思っていたから。
しかし、父親はもとより母親もそんな人間だったことで、幸生は、大人の顔色を窺って、大人の機嫌を損ねまいと上辺ばかりを取り繕う人間として育っていった。見てくれを良くすることで大人をはじめとした他人からの評価を稼ぎ、それによって自分が他人よりも価値のある存在であると見せかけようとした。その分、中身を育てることを怠ってしまっていたのだろう。
それ故か彼には、自分に対して従順な相手にだけは鷹揚に振る舞えるという一面もあった。見た目はそこそこなので普通にしていれば女性とも付き合えるし実際そうやって付き合ってもいたのだが、それと同時に、自分の思い通りになる女性でないとすぐに嫌になって関係を投げ出すような人間でもあった。そのクセ、性的な欲求は人並み以上に強く、しかもそれを制御する方法を身に付けてこなかったことで、彼は、自分のすぐ傍にいて、自分の言いなりになる女性。つまり幼い我が娘を己の性欲を満たす為に都合の良い存在として目をつけてしまったのだった。まあそれは、仕方なく結婚した彼の妻が彼にとってあまり都合の良い女性でなく、結婚した時点で既に気持ちが冷めていた所為もあるのだろうが。
結局、幸生が香保理に性的虐待を行う人間となったことにも、そこに至るまでの要因があったのである。
当然か。原因がなければ結果は生まれないのだから。




