藍繪正真の場合 その3
成長した藍繪正真が両親に対してやっていたことは、完全にこいつの両親がやっていたことのコピーだった。自分の思い通りになるように威圧して操ろうとしたのだ。
しかもそれが人間として好ましいやり方でないことをこいつに分かるように諭してくれる奴が周囲にいなかったことで、歯止めが効かなくなった。
『殴って言うこときかせてやりゃいいだろ』
と言う人間ならいくらでもいたが、それはこいつの両親が散々やってきたことだ。そうしてきたからこそ藍繪正真はこうなってしまったのだ。
しかし力関係が逆転したことで効果がなくなったどころか、同じことを返されるようになったのだ。
にも拘らずその現実を理解できん自称<専門家>が力尽くでこいつの態度を改めさせようとして殴り、それで恨みを募らせ、とうとう、そんな自称<専門家>に解決を依頼した両親をさらなる地獄へと叩き落そうとして、通り魔事件を起こそうとしたというのが、事の顛末だな。
自称<専門家>は、
『暴力で問題を解決する』
というやり方の後押しをしてしまったということだ。
『善悪の区別もつけられないのか!?』
と言う者もいるだろう。しかし一から十まで『自分達の体裁が大事』だった両親はこいつに善悪の区別など何一つ教えてこなかったのだ。口先だけではそれっぽいことも言ったようだったが、それすら、
『自分達に迷惑がかからないようにするため』
というのが見え見えで、<善>などというものをこいつの両親がそもそも持ち合わせていなかったのだ。
いや、
『自分達の体裁を整えることこそが善』
とは思っていたかもしれないが。
藍繪正真はそのための道具でしかなかった。それでどうやって真っ直ぐ育つというのか?
せめて誰かがフォローでもしてくれていればまだ何とかなったかもしれないが、自称<専門家>が完全に火に油を注ぐだけの間抜けなマネをするまで誰も何もしなかったのでは……
全ては両親の<身から出た錆>であった。
親だって人間だ。いい気分にもなりたいし楽をしたいというのもあるだろう。だが、それが後々何を招くかを考えもせずに自分だけがいい気分になって楽をしたいと思うからおかしなことになる。
とは言え、それに巻き込まれた側はたまったものではない。
「~♪」
その日、気に入ったTシャツを見付けられて鼻歌交じりに上機嫌で店から出てきた中学生くらいの少女は、そこが何か異様な雰囲気に包まれていることに気付き、
「!?」
ハッと身構えた。
普通なら通行人が好き勝手に行き交っている筈の歩道に一人もおらず、やや離れたところで立ち止まっているのだ。
まるで何かから逃れようとするかのように。同時に、スマホを掲げて写真や動画を撮っていると思しき者もいる。
そして少女が思わず振り返った時、そこに男が立っていた。
パッと見には成人男性であるのは分かるのだが、年齢がまるで分からない。若いようにも見えるし、初老だと言われてもそうかもと思ってしまうような、痩躯の、無駄に背だけ高い男だった。
見た目で年齢がよく分からなかったのは、造形の所為だけではない。男の表情があまりにも異様だったからだ。醜く歪んだそれは、もはや人間離れしているとも言えるだろう。
その男は、右手を高く振り上げている。
少女は見た。掲げられた男の右手に、包丁のようなものがギラリと光るのを。
「キャーッッッ!!」
突然のことに呆然としてしまっていた少女とは別の女の悲鳴が、その場に響いた。
だがその瞬間、神の御業か悪魔の所業か、男の心臓に異常が生じる。
信号が乱れ、正常な鼓動を刻むことができなくなり、心室細動を起こした。見る間に血流が滞り、全身の機能もそれに伴って失われていく。
こうして男は、見ず知らずの少女に包丁を振り下ろそうとした格好のまま、歩道へと倒れ付した。
藍繪正真だった。
自分を蔑ろにした両親を生きたまま地獄に叩き落すために無差別通り魔殺人を起こそうとしてそれを果たすこともなく、駆けつけた救急隊員により死亡が確認された。
藍繪正真。享年、三三。死因、急性心不全。
長年の不健康な引きこもり生活の果てに通り魔殺人という凶行に及ぼうとしたことで神経が耐え切れず、心臓を動かすための正常な信号を送れなくなったことが原因と見られている。
親の道具として生を受け、しかしそれを自ら打開することもなく短絡的で破滅的な結論を出そうとした愚かな男の末路であった。




