白小夏の場合 その2
戦争を生き延び、結婚して子供を産み、平凡な主婦としての人生を歩みだしていた白小夏は、自分が不思議な感覚に捉われるのを感じていた。
夫は決して器用でもないし気の利いたプレゼントをしてくれるような洒落者でもなかったが、彼女が知るどんな男よりも誠実で生真面目だった。仕事一筋かと思えば彼女が体調を崩した時などは黙って子供の面倒も見てくれて、労いの言葉もない代わりに不平不満も口にしなかった。
彼が作る粥と炒飯は絶品で、子供達も喜んで食べた。
決して裕福でなかったものの酷く困窮することもなく、彼女は淡々とした毎日を送ることができた。自分のことはきちんと自分でする夫のおかげで子供の面倒を見ることに集中でき、昨日できなかったことが今日はできるようになっていく我が子の姿を堪能することもできた。
『人間って、こんな風に成長していくんだ……』
自分が子供の頃はただ生きることに必死で、自分が成長していくとか自分以外の誰かが成長していくとか意識したことなどなかった。それどころか、道端で隣に寝ていた自分より年上の子供が朝になったら冷たくなっていたなどということも何度かあった。その頃から、『次は自分の番だ…』と思っていた。
なのにその『自分の番』はいつまで経っても巡ってこない。それどころか自分の腹から三人も子供が出てきて次々と大きくなっていく。
「お母さん、お母さん」と声を発しながら自分に抱き着いてきて、とろけるような笑顔を見せる。それを見てると、自分もすごく柔らかい気持ちになってくる。これは一体なんなのか……?。
彼女は、それが<幸せ>というものだと知らなかった。何人もの人間を殺してきた彼女ではあったが、それはそういう時代であり彼女に課せられた任務であったから、本人に責任があるものではなかった。たまたま生き延びてしまっただけで、彼女の方が殺されていた可能性は常にあったのだ。だから彼女が幸せを掴むことを阻む根拠など誰も持っていなかったのである。とは言え、それまでの境遇により何が幸せなのかということを実感することができなかったのだった。
だが、今、自分の感じているものは決して不快ではないということも確かにあった。
結婚して二十年が経った時、不器用な夫が思いがけず指輪をプレゼントしてくれた。
「結婚の時には渡せなかったから…」
そう言いながら指輪をはめてくれたのを見て、涙が勝手に溢れてきた。そして彼女はようやく理解した。
『ああ…、そうか、自分は今、幸せなんだ……』
道端の石ころのように誰からも顧みられず無価値なものと思われてきた彼女が、ようやく自分が生まれてきた意味を感じた瞬間であった。




