表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花詠  作者: 花詠 詞子
4/6

#4

 御所へ着いた花詠一行。

 清涼殿へと続く廊下を歩いていく。

 周囲の反応は屋敷の者たちと変わらなかった。

──あれが新しい女御様。なんとお美しい方なんでしょう。

──きっと帝の寵愛を一身に受けるんでしょうね。

しかも左大臣様が後見されていて。

──何の憂いもないなんて、羨ましいですわ。

 御簾内より交わされる後宮の女たちの会話。

 さらには、値踏みするような不躾な視線。

 あちこちから聞こえてくるひそひそ話。

 棗は心の中で辟易し、毒づいていた。

 そして、そっと花詠を気遣うように目を向けてみる。

 周囲の雑音が気にならないのか花詠は涼しい顔をしていた。 その瞳は前を見つめ、頬は朱に染まっていた。

 口元は心なしか微笑んでいるようにすら見える。

(もしかして、姫様は……)

 一瞬、嫌な想像が棗の頭をよぎった。

 だがすぐに、そんな思いを打ち消すように棗は頭を振る。

(それは考え過ぎだわ)

 清涼殿(せいりょうでん)に着いた花詠たち。

 主のいない御簾の前に座す。

 色とりどりの重ねが美しい女房装束を身につけた女たち。

 彼女らは左右に座し、優雅に扇をゆらす姿が目の端に写った。

 しばらくして。

 御簾内に気配を感じたと同時に帝の訪れが告げられた。

 花詠一行は頭を下げる。

 彼からの言葉を待った。

 なかなか声をかけられないと思ったら。

 御簾内を揺らし、突然、帝が出てきた。

「待っていたよ、私の花詠」

 愛おしそうな瞳を向けて。

 耳をくすぐる心地の良い低い声が甘く響いた。

 許しを得ていなかったが花詠はたまらず面をあげる。

 その姿、その声、その微笑み、そのすべてが、記憶の中にある愛しい恋人。

 目の前には恋しくてたまらなかった葵の君がいる。

 そう思いこんでしまうには十分だった。いまだ葵の君の死を現実のものと理解できずにいる彼女にとって。

 帝は甘い毒でしかないと棗は思った。

 そっと主である花詠の様子を伺う。

 彼女の頬は牡丹の花のように赤く染まり。

 その瞳は嬉しそうに潤んでいた。

(なんて悲しい現実なのだろう。これでは花詠様は……)

 棗は引き結んでいた唇を噛みしめていた。

 すると、いつの間にか花詠の傍らに立っていた帝が一言。

「下がって良い」

 と退出を促した。

 するすると衣音をたてながら、左右に座していた女房たちは一斉に退出していく。

 棗たち侍女も、それにならうよう花詠を残し退出した。

「やっと会えたね。私はずっとこの日を待っていたんだ」

 花詠の瞳を見つめ、ゆっくりと言い聞かせるように帝は話す。

「葵の君」

 花詠は焦がれ過ぎた愛しい恋人の名を、細い声で呼ぶ。

 それを聞いた帝は少し寂しそうに微笑んだ。

 一瞬だけ目を伏せたが、何かを決意したように花詠を自らの胸に抱き寄せた。

 すっぽりとその存在を包み込む。

 急に抱きしめられた花詠は少し困惑した表情を浮かべた。

 久しぶりに感じる葵の君のぬくもりを確かめるように。

 その胸に耳を当て、規則正しく動く心音に安らぎを覚えた。

「会いたかった」

 震える声で花詠は葵の君だと勘違いした帝に言った。

 胸からわき上がる切なさは喉を渇かすような感覚を与える。

 帝は次の言葉を紡ぐことをためらってしまった。

『帝、あなたは花詠を以前からほしがっていた。なら、ためらわないことだ。葵として、彼女に接すればいいだけ。それで彼女が手に入るのだから』、帝の脳裏に左大臣の言葉が過ぎた。

 そして、揺れる心を奮い立たせるように改めて誓った。

(これから先、葵の君として花詠のそばにいることが、彼女を手に入れる唯一の方法なのだ)

 悲しい選択をした。




◇◆◇◆◇◆◇




 満月になる前の欠けた月。 まるで今の帝と花詠の関係を表すような小望月(こもちづき)の浮かぶ。

 帝と花詠が初めて過ごす夜。

 帝の訪れを告げる女房の声。

 単衣(ひとえ)に身を包み、正面を静かに見つめる花読の姿があった。

 緊張からか白い肌はさらに白く見える。

 そのため、口元にひかれた紅がとても目を引く。

 部屋に入り、花詠の姿を見た帝は思わず、心の中で呻いてしまった。

 月の佳人、かぐや姫を思わせる。

 宵闇を照らす気高き姿。

 まだ誰も触れたことのない清らかさが。

 単衣の袖からこぼれ落ちていた。

 やっと、彼女を手に入れることができる。 そう思うだけで帝は身震いが止まらない。

──たとえ、その心が誰に向いていようとも構わない。今生きて彼女に触れることが叶うのは私だ。

 帝は緊張してきた気持ちを鎮めるように。

 花詠の元へ静かに歩み寄る。

 近づく気配に気づいた花詠がそっと視線を帝へ合わせ。

 花がほころぶような笑みを向けた。

 その笑みを見た帝は思わず息を飲む。

 雷に撃たれたような衝撃が全身を駆け巡り。

 その先への一歩を踏み出すことができない。

 どれくらいの間そうしていただろう。

 もしかしたら、それほど時は過ぎていないのかもしれない。 二人は、どちらからも言葉を紡ぐことなく。

 だが視線は逸らさず絡め合っていた。

 ふいに、帝の手から扇子がすべり落ち、畳にポトンっと。

 まるで、それが合図かのように。

 帝と花詠は磁石が引き寄せられるように唇を合わせた。

 触れるだけの軽い口づけ。

 それだけでも、二人の体に火を灯すには十分だった。

 一度離れた唇は、求め合うようにまた引き寄せられていく。

 何度も何度も重ねられていく口づけ。

 その行為と比例するように洩れる熱く切ない吐息。

 花詠は体のすべてを帝に委ねた。

 瞳を閉じた花詠は、早まっていく鼓動に戸惑いと。 もっと欲しいという望みに支配されていく。

 そして、さらに熱くなっていく自らの体とその望みは。

 帝を受け入れ、まどろみの中に沈んでいった。

 まるで、心に生まれた寂しさを埋め尽くすように激しく求め合う。

 二つの魂が一つに溶けていくように。




◇◆◇◆◇◆◇




 まだ暗さの残る中。

 一筋の月の光が花詠の眠りを妨げた。

 けだるさを引きずる体をゆっくりと起こす。

 花詠は、傍らに眠る男の顔を眺めた。

 ふと、その頬へ触れたくて左手を伸ばす。

 だが、たどり着く直前、(くう)を握りしめる。

 そして、その手を花詠は胸元へ引き寄せて。 右手でそっと包み込むように抱きしめ瞼を閉じた。

──あなたは、誰なの?姿も声も葵の君と同じなのに。私の心はあなたを葵の君ではないというの。

 彼に感じた違和感。

 それは、花詠の心に小さな棘となって突きささる。 その痛みは、いつか夢から覚めるきっかけを与えるような気がした。

 そんな思いを振り切るように花詠は頭を左右に振る。

──手を伸ばせ、ぬくもりをくれる、あなたが葵の君であっても、そうじゃなくても……お願い、もう少しだけ夢を見させて……

 瞳に溢れてきた涙をそっと袖で拭った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ