俺様獅子を看病します!
「ごめんね~!蒼君、ウチの子がご迷惑かけちゃったみたいで……」
「こんにちは、琥春さん。
前回はうちの妹がお世話になりましたから、お気になさらずに」
私達が獅雪さんのお家の前に到着した時、それに気付いた琥春お姉さんが玄関から出てくるところだった。
甘栗色の綺麗なウェーブがかった長い髪が、ふわふわと風に揺れながらやってくる。
装いを見るに、どうやらこれからお出掛けでもするはずだったのだろうか。
真っ白な品の良さそうなコートが、とても温かそうで思わず触ってみたくなる。
「あらあら、本当。顔が真っ赤……。
柾臣、アンタいつ以来よ、こんなの」
琥春お姉さんが獅雪さんの額に手を当てると、「熱っ」と驚いて手を引っ込めた。
病院で注射は打ってもらったけど、やっぱりそんなに簡単には良くならないようだ。
蒼お兄ちゃんが助手席から獅雪さんを支えながら外に連れ出すと、
一足先に玄関の扉を開けに戻った琥春お姉さんが道を誘導してくれた。
私の家と同じで、玄関の扉を潜ると広い玄関ホールが広がり上に続く長い階段が見えた。
「でも困ったわねぇ……。
生憎と、もうすぐ出掛けなきゃならないのよ。
結婚式の打ち合わせもあるし……」
「じゃあ、私が看病します!」
「ほのかちゃん?」
この前、獅雪さんには仕事を休んでもらってまで看病してもらったんだもの。
このくらいの恩返しは軽いものだ。
いいよね?と蒼お兄ちゃんに承諾をとると、私は獅雪さんの部屋へと向かった。
二階の右端、「MASAOMI」と書かれたルームプレートのかかった扉を開けると、
女性の私とは違う、シンプルで綺麗に片付いた部屋の光景が目に映った。
ふんわりと獅雪さんと同じ香りのするこの部屋に、私は緊張を抱えて足を踏み入れた。
始めて入る、蒼お兄ちゃん以外の男性の部屋……。
扉から入って左側の方には、大きな机と窓が見える。
明るい日差しが窓に差し込み、窓の側には可愛らしい観葉植物がひとつ置かれている。
獅雪さんがお世話をしているんだろうか……。
キョロキョロと部屋の中を落ち着きなく見渡していると、琥春お姉さんが熱いお湯の入った洗面器とタオルを抱えてやってきた。
「汗だくのまま寝るのはNGだからね。
ほのかちゃん、悪いけど身体を拭くの手伝ってもらっていいかしら?
拭いたら、こっちのパジャマ着せてやって」
「わ、私がですか?」
「本当は私がやればいいんだけど、ちょっと時間がないのよね。
家の鍵は渡しておくから、ね、お願い!」
「は、はい……」
「琥春さん、あとはこっちでやっておきますから。
気にせず行って来てください」
蒼お兄ちゃんが獅雪さんをベッドに寝かせ終わったらしく、私の横に立ち琥春さんから洗面器とタオルを受け取った。
そして、嵐のごとく言うだけ言って家を出て行ってしまった琥春さんを見送り終わった私達は、
部屋の中に二人、ぽつんと取り残された。
えーと……、まず、この熱いお湯の入った洗面器でタオルを絞って……。
「俺がやるから、ほのかは途中で買ってきたお粥のパックを下の階のキッチンで調理してきて」
「え?人様のお家だけど、いいのかな?」
「大丈夫、昼間は琥春さん以外誰もいないから。
階段降りて、左に行くんだよ。いいね?」
「う、うん」
タオルをお湯に浸し始めた蒼お兄ちゃんにそう指示され、私は早速階段へと向かった。
内心、身体を拭く役目を蒼お兄ちゃんが担ってくれたことに安堵していたのは内緒の話。
さすがに、男性の肌を拭うなんて行為は少々抵抗があって、琥春さんにお願いされた時にはドキッとしてしまった。
苦しそうに息を繰り返している獅雪さんを楽にしてあげたいという気持ちはあるけれど、
やっぱり、ちょっとハードルが高いというか……。
本当に、蒼お兄ちゃんがいてくれてよかった……。
キッチンに辿り着き、慣れない他所様のお家のキッチンを見渡す。
えーと……、お鍋……。
「あ、こんなところにあった。えーと、……」
キッチンの下の棚から鍋を見つけて、それに水を注いで火にかけた。
ぐつぐつとレトルトパックの中のお粥が熱をもって温まっていく。
時間を見計らって、レトルトパックをお鍋から取り出し、切り口を破ると、
それを深いお皿の上に流して、はい、簡易お粥完成です。
本当は作ってあげた方が良いんだけど、蒼お兄ちゃんに手間がかかるから簡単でいいよと
レトルトの方を勧められたのだ。
さて、あとはこれを、こっちの用意していたトレイに乗せて……。
「ほのか、お粥出来た?」
「あれ、蒼お兄ちゃん、どうしたの?」
二階で獅雪さんの身体を拭いていたんじゃなかったんだろうか。
ちょっと困ったようにやってきた蒼お兄ちゃんは、スマホを手にして言った。
「会社から呼び出し。悪いけど、あと、頼んでいいかな?」
「それはいいけど……」
獅雪さんの身体を拭く作業は終わってるのかな。
それを問うと、蒼お兄ちゃんは「少ししか終わってない」と首を振った。
まさかの選手交代……なのかな、これは。
ということは、考えなくてもわかるけど……。
私が、獅雪さんの身体を拭かないといけないって……ことだよね。
カッと頬が熱を持ち、鼓動が小さく騒ぎ出した。
「出来るとこまででいいから。
用事が終わり次第こっちに戻ってくるから、だから、頼むよ」
「う、うんっ」
私はお粥とお水の入ったコップをトレイに載せて二階へ。
蒼お兄ちゃんは会社へとお互い別方向に歩みを向けた。
一人で看病ぐらい出来る!……はず、なんだけど……。
獅雪さんと二人きりになった部屋で、私はタオルを片手にプルプル震えていた。
「し、失礼しますっ」
反応の返ってこない獅雪さんの首元にタオルを這わせると、ゆっくりとその酷い汗を拭い始めた。
ふきふき……、ふきふき……。
たまにゴクリと獅雪さんの喉仏が上下するのにドキッとしながらも、
私は下に下にとタオルを移動させていく。
や、やっと……、首まで終わった……。
顔の方は蒼お兄ちゃんが終わらせておいてくれたみたいで、あとは首から下に向けて作業していかねばならない。
一旦、洗面器のお湯を変えに一階に下りようと思い私は立ち上がった。
しかし、
「ほのか……、お前……、なんで帰ってないんだ……」
「あ、気付きました?
ちょっと待っててくださいね。お湯変えてきますから」
「……湯?」
「琥春お姉さんに頼まれたんです。
汗が酷いから綺麗にしてほしいって」
「くっ……、そんなこと、しなくていいっ。
げほっ……ぐっ、……シャワーでも浴びればすぐ済む」
シャワーでもって……。
そんな体力ないくせに、何言ってるんだろう、この人は……。
私は口をへの字にして、首を左右に振った。
風邪が悪化して今の状態になっているのに、そんなことを許せるわけがない。
「駄目です!また酷くなったらどうするんですか!!」
「だからって……、お前にこんなことさせられるかっ。
……ごほっ、ごほっ……、風呂行く……」
「だから、駄目ですって!!あぁっ、起き上がったらっ」
ふらり。
意地でもお風呂場に行こうと身を起こそうとした獅雪さんの身体がぐらりと揺れた。
高熱で自由に動けないはずの身体が、無理やり起こしたために重心のバランスを崩し、
私の方へと倒れ込んでくる。
思わず両手を伸ばす。しかし、よく考えてみてほしい。
私の力で、支えを失った成人男性の身体を上手く受け止められるかということを!
……はい!勿論無理に決まってます!!
―ドシィィィン……!
「し、獅雪さんっ、苦しっ……うぅっ」
予想通り、私は雪崩の如く倒れ込んできた獅雪さんの大きな身体によって押し潰された。