俺様獅子と子兎の幸福
「ふふふふ~!! ようやく、ようやくこの日が来たわ~!!」
――春。
天上の湖面は曇り一つなく、柔らかな風の気配に乗って桜のはなびらが舞う季節。
黄色いパーティードレスを身に着けた御機嫌状態の琥春さん、征臣さんのお姉さんに笑みを返しながら、私は鏡台の前で立ち上がった。
心地良い重みを与えてくれているのは、女の子にとって特別な意味を持つ、――無垢なる白。
首元には真珠のネックレスが輝き、童話のお姫様にでもなったかのようなAラインのドレスがフリルと共に波を描きながら広がっている。
今日のこのドレスは征臣さんが式場の人達と相談してデザインしてくれたドレスで、特別な一点ものだ。式場のスタッフさん達にして貰ったお化粧のお陰で、幼めの顔が少しは大人っぽく見えるはず。
「私……、本当に今日、征臣さんと結婚するんですね」
「そうよ~!! 征臣のお嫁さんになるって事は、私の可愛い義妹になるって事でもあるのよ~!! ふふっ、ふふふふふふっ、念願の子兎ちゃんゲェエエエエットッ!!」
「こ、琥春さん……」
昔から妹が欲しかったという琥春さんは、私に抱き着きたい衝動を抑えながら両手をわきわきと蠢かせてどうにか耐えてくれている。琥春さん……っ、せっかくの美人さんがそのハイテンションモードのせいで台無しですよ!!
とは、この口からは絶対に言えないので、曖昧に引き攣った笑いで誤魔化しておく。
だって、私が義妹になる事を、琥春さんが本当に心から喜んでくれているから……。
「はぁ……。琥春、ほのかさんが私達の家族になるのは勿論嬉しいけれど、その反応はやめなさい。傍から見たらただの変態だから」
「ふふ、ふふふふふふっ!! 今日まで堪えてきたんだから、問題なっしんぐよ!! ねぇっ? ほのかちゃ~ん!!」
「はは、……お、お手柔らかに可愛がって貰えると、助かります」
「ほのかさん、遠慮なんてしなくていいのよ? この子ったら自分のお気に入り、特に、女の子に対しての愛情表現が凄いから」
「あは、ははは……。だ、大丈夫、です」
征臣さんのお母さんにそう呆れられている琥春さんが開き直る姿を目にしていると、スタッフさん達がお客様を連れて控室に入ってきた。
粉雪が降り積もったかのように綺麗な絨毯の広がる室内に足を踏み入れてきたのは……。
「梓さん! 幸希ちゃん!!」
鍋屋・勝の女将さんこと、梓さんが上品な藤色の着物姿で現れ、その後にアクアブルーのドレス姿の幸希ちゃんが続いて入ってくる。
「お式の前に顔が見たくて、来ちゃった」
「ごめんなさいね。ご迷惑じゃなかったからしら?」
「いえ! わざわざ来て下さってありがとうございます。それに、幸希ちゃんもありがとう。この日の為に戻ってきてくれて」
梓さんとは鍋屋・勝でよく顔を合わせているけれど、幸希ちゃんとは中々会えないから……。
たとえ招待状の返事が出席だとわかってはいても、もしかしたら来れなくなるかもしれないと思う時もあった。でも、幸希ちゃんは今目の前にいる。ちゃんと来てくれた。
私はドレスが皺にならないように気を付けながら、感謝の気持ちを込めて幸希ちゃんを抱き締める。
「本当に……、ありがとう」
「ふふ、ほのかちゃんの結婚式だもの。絶対に参列するに決まってるでしょう?」
「うん……」
だけど、やっぱり嬉しい事に変わりはない。
幼い頃からの大切な親友が、私の新しいはじまりの一歩を見届けてくれるのだから。
「ほのかちゃん、幸せになってね。約束だよ?」
「うん、絶対に……、幸せになるよ。だから、最後まで見守っていてね?」
「勿論」
優しい手つきで背中をポンポンと叩かれ、互いの温もりを離す。
幸希ちゃんとは、昔からずっと一緒だった。
周囲の人達からは仲の良い双子のようだと微笑ましく思われていた私達。
大人になってから別々の道を歩き始めたけれど、きっと、心はいつも一緒に在り続ける。
これからも、ずっと……。
「鈴城様、あと十分ほどでお迎えに参りますので、ご準備をお願いいたします」
感慨深い思いになっていると、控室の外から声がかかった。
「わかりました」
「じゃあ、私達も教会の方に行きましょうか。ほのかちゃん、征臣の事、頼むわね」
「私からも、あの子の事、どうかよろしくお願いしますね」
「琥春さん、お母さん……。はい、こちらこそ、これからどうぞよろしくお願いします」
征臣さんと出会ってから、本当に自分がこの人に相応しいのかと悩む時もあった。
だって、顔のレベルどころか、何もかもが違い過ぎたんだもの。
同じところを挙げるとするなら、人間ってところくらいかな、と。
だから、最初の頃は全力で逃げ回っていた。絶対に捕まってはいけないと、必死になって……。
大学の文化祭で出会った、あのたった一度の縁で開いた道。
征臣さんが私の事をずっと想い続けてくれていたから、必死になって捕まえに来てくれたから、――今の幸せがある。
「ふぅ……」
皆が出て行った後、私は控室の中で全身を映す鏡の前に歩み寄った。
いつもの私とは違う、愛する人の許に向かう為に整えられた今日の装い。
夢じゃない。もうすぐ、私は征臣のお嫁さんになるんだ……。
嬉しいはずなのに、心のどこかで不安の鼓動も聞こえる気がするけれど……。
――大丈夫。私は、征臣さんと一緒にこれからの人生を歩んでいく。
一人じゃない。何かあっても、二人で手を取り合えばきっと、前に進んで行ける。
「よし……!」
心の中で気合を入れた私は、俺様獅子な旦那様の顔を思い浮かべなら笑みを浮かべた。
どんなものにも負けない、そんな力強い笑みを――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「新婦様、御入場でございます」
式場の敷地内。その一角にある大きな教会の中で、私は司会者の女性が発した声で顔を上げ、お父さんと一緒に開いた扉の向こうへと歩き出す。
深紅の絨毯に聖なるマリアベールを添わせながら、祭壇の前に立つ新郎の姿を見つめる。
真っ白なフロックコートに身を包んだ征臣さんの美し過ぎる立ち姿。
征臣さ~ん……、花嫁の私よりも目立ってますよ。格好良すぎて世界中の誰よりも素敵に見えます。
気合を入れてきたつもりだったけど、……ちょっとだけ、この場から逃げ出したくなった。
そんな私の気後れした様子に気付いたのか、征臣さんが若干怖い笑みで「逃げんなよ?」と無言の脅しをかけてくるっ。あぁ、絶対に今考えてる事が全部バレてるっ。
でもですね? 自分よりも綺麗で素敵な旦那様を前にしたら、誰だって及び腰になりますよっ。
あぁ……、本当に、今日の征臣さんが普段以上に魅力的で、くらりと目眩がしてしまいそう。
でも、頑張って征臣さんの許まで行かなくちゃ。でないと、――後でお仕置きされてしまう!
教会の中に響き渡るオルガンの演奏を耳にしながら、私は必死で祭壇まで歩き抜く。
お父さんと征臣さんが小さく一礼し、私を指定されていた場所へと促す。
「ほのか、幸せにな」
「うん……」
少しだけ涙ぐんだ様子を見せたお父さんに頷き、征臣さんに支えられながら横に並ぶ。
「……やっぱり、間近で見ると破壊力あり過ぎ、ですよねぇ」
「そりゃこっちの台詞だろうが」
「え?」
「綺麗過ぎて、今すぐに押し倒してやりたくなる」
「――っ」
小声だからといって、この人は何て事を言ってるの!?
神聖な挙式の場で「押し倒したくなる」……って、もうっ、私の心臓を止める気なの!? この人はっ。猛烈な気恥ずかしさと、がぶりと捕食されてしまいそうな危うさを感じながら慄いていると、神父様がコホンッと咳払いをして、式の始まりを告げた。
ごめんなさい、神父様。悪いのは全部、目の前の俺様獅子様のお戯れなんですっ。
と、心の中で謝りつつも、征臣さんの方は全然反省していない様子だ。まったく……。
まぁ、でも……。式に対する緊張も、心の片隅で震えていた僅かな不安も、全部吹き飛んでいった気がするから、感謝した方がいい、のかな?
怖いものも、恐れるものも、何もない。征臣さんの自信に溢れた笑みが、私を励まし、包み込んでくれている。この人が今日から、私の愛する旦那様……。
「それでは、皆様ご起立下さい」
神父様の厳かな声によって、私達の今日この日の為に集まってくれた皆さんが席を立ち、オルガンの音色に合わせて讃美歌を唄い始める。
今日だけ……、日常とは切り離された時の流れを感じるこの場所で始まる、夢のようなひととき。
忘れらない、大切な瞬間の始まりに、私は大きな幸せを感じながら臨んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ふぅ……」
「大丈夫か?」
「はい。少しお腹は空きましたけど、まだまだ大丈夫です」
教会での挙式が無事に済んだ後、私達は控室のあった建物に移動する事になった。
獅雪家と鈴城家所縁の人達が再度集まった披露宴の席は豪勢なものとなっており、さっきから挨拶に来てくれた人達のお相手で大忙しだった。
落ち着いて食事をする暇もなかったから、これでようやく……。
と、美味しそうな食事に手を出しかけたその時。式場の女性スタッフが私の傍へとやって来た。
「鈴城様、少々よろしいでしょうか?」
「はい」
「先程、お式にいらっしゃったお客様の一人から、お預かり物をしたのですが。秋葉悠希様という方を御存知でいらっしゃいますでしょうか?」
「悠希さん……。はい、知り合いです」
女性スタッフから手渡されたのは、水色の四角い封筒。
悠希さんとは、進藤さんの一件以来、一度も顔を合わせていない……。
彼に中途半端な希望を持たせない為でもあったけれど、あの辛い出来事が二度と起きませんようにという願いもあった。私から連絡をする事もなく、悠希さんが会いに来る事もなかったこの一年。
一応、今回のお式には、秋葉家の方々にも招待状を出していたけれど……。
出席して下さったのは、秋葉家の長男である昴さんと三男の怜さん。
そして、そのご両親。……悠希さんは一年前にバンドの休止発表をした後、一人で外国に行ってしまったと聞いている。
「征臣さん……」
「戻って来たみたいだな……」
「はい」
一人でどこに行ってしまったのか……。御家族の方達にさえ時々しか連絡を寄越さないと聞いていた悠希さんの事を思うと、一目で良いから顔を見たいと望んでしまう。
無事に帰って来てくれた事を喜ぶ気持ちと、傷付けたまま距離を取ってしまった一年前の……。
後悔、してるわけじゃない。そうしなければ、悠希さんが私に救いを求める事はわかっていたから。
だから、心を鬼にして、自分の選ぶべき道に進むしかなかった。……だけど。
「征臣さん、少しだけ……、付き合って貰えますか?」
「会うのか?」
封筒の中に入っていた一枚のCDアルバム。
真っ青な大空の中に綺麗な花びらの舞うパッケージ。添えられていた手紙。
そこに紡がれていたタイトルは、――『幸せの小鳥と、新たな歩み』。
私は旦那様兼、保護者な征臣さんにCDを見せ、しっかりと頷いてみせた。
披露宴での余興に皆さんの意識が向いている今なら、少しの間くらいは大丈夫のはず。
「お礼を言いたいんです。私の大切なお友達に」
「中途半端な事はもうしない、って、前に言わなかったか?」
「そうですね……。でも、私の愛する人は征臣さんだけですから。悠希さんがまだ私の事を想ってくれていたとしても、その想いには応えられません。絶対に」
「……」
「そして、それを悠希さんも十分にわかってくれていると思うんです。このCDと、手紙を見れば……」
顔を見せずに去ろうとしている理由も、今、あの人がどんな気持ちでいるのかも……。
だから私は、友人として悠希さんにもう一度会いたい。
新しい一歩を歩み出そうとしているあの人に会って、心の中に在る想いを伝えたい。
「征臣さん……」
何の感情も宿していない真顔で私を見ていた征臣さんが、席を立ちあがる。
征臣さんを蔑ろにしたつもりはないけれど……、他の男性に会いに行くなんて、やっぱり駄目……、よね。
「――褒めてやる」
「え?」
視界に映ったのは、白手袋が嵌められた征臣さんの大きな手。
「ちゃんと旦那(俺)を頼ったからな。合格だ」
「征臣さん……っ」
式場の端に控えていた男性スタッフを呼び寄せて席を抜ける伝言を済ませ、征臣さんが私の手を引いて外へと向かい始める。
今日の披露宴の為に練習してくれたのだろう、鍋屋・勝のご主人恵太さんの大きな歌声。
マイク越しに響き渡るその声に皆さんが耳を塞いで苦笑いをしているけれど、私達が抜け出そうとしている姿に視線を向ける人は一人もいなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「よっと!」
「きゃああっ!」
披露宴会場とロビーを隔てる扉を越えた後、私は征臣さんの肩に勢い良く担がれる事になってしまった。お姫様抱っこでも吃驚するけれど、何でまた米俵担ぎなの!?
「……んっ、よし」
「ま、征臣さんっ、私歩けますから!! こ、これはちょっと!!」
「さっさとしねぇと、アイツが逃げちまうだろうが。効率重視だ」
それはそうだけど……。花婿が花嫁を肩に担いで式場を駆け回るなんて、前代未聞だと思う。
きっとこの式場で面白話のひとつとして語り継がれる事に……。
でも、征臣さんの言う通り迷っている暇はない。効率重視!!
「征臣さんっ、お願いします!!」
「おう! 任せとけ!!」
直後、征臣さんの目が猛獣のように輝き、悠希さんを全力で捜索し隊こと、俺様獅子号が全速力で発進した!! ――ってちょっと待って!! せめて先に情報集をしてからっ!!
だけど、それを伝える暇もなく、私の俺様獅子号は赤絨毯の敷かれた階段を駆け下りていく。
お色直しで着替えた薄桃色のドレスがぶわりぶわりと揺れ動き、震動がドッドッド! と伝わってくる。
「ま、征臣さぁ~んっ、ゆ、揺れっ、うぅっ、あ、安全運転でお願いしま~すっ!!」
「これ以上ないぐらいに安全運転だ!! よっと!!」
俵担ぎというのは、結構担がれている方にも負担があるわけで!!
肩の上から悠希さんを優雅に捜すというのは到底無理な話です!!
むしろ、悠希さんを見つけ出した時に私の意識が保たれているかどうか……、あぁ、全く自信が持てないっ。
「ねぇ、ママ~。花嫁さんと花婿さんが来るよ~」
「あら、本当? ――きゃああっ!!」
まさに、風を切る高速の俊足。
一階にある別の披露宴会場付近を通りがかった際に、征臣さんと私は何人もの人達を驚かせながら悠希さんを捜し回った。
会場の外には僅かな人しかいなかったから、すぐに見つかると……、そう思っていたのだけど。
変装でもしているのか、悠希さんの姿はどこにも見つからない。
「くそっ……。あの野郎どこに行きやがった」
「ま、征臣さんっ、……う、っぷ、ちょっ、も、もう下ろしてっ」
「もう外に出たか……。いや、アイツの場合、顔は見せられなくても、すぐに帰るようなタイプじゃ……」
エレベーターからぞろぞろと降りてくる人波に注意の目を向けながら、征臣さんが顎先に手を添える。その隙に私はよいせっと力を入れて肩から下り、ほっと胸を撫で下ろした。
俺様獅子号の乗り心地は、全速力の時もそうでない時も心臓に悪い、と。うん、再確認。
「呼んだら、出て来てくれますかね……」
「どうだろうな。本人は会わない覚悟で来たんだろうが……、ここで叫ぶわけにもいかねぇしな」
「う~ん……、じゃあ、やっぱり地道に」
でも、このまま広い建物の中を闇雲に捜すのは効率が悪すぎるし……。
「あの、……征臣さん」
「ん?」
「悠希さんだったら、きっと……、見えないところで私の幸せを見守ってくれているような気がするんです」
「……」
「優しくて、繊細な人だから……、きっと、今も私の結婚を祝う為に、どこかで」
悠希さんなりの祝い方を思い浮かべていた私は、徐々に気付き始めた。
歌を愛するあの人の事だから、アーティストである悠希さんだからこそ、きっと。
「確か、この式場には中庭がありましたよね。ひとつはお式用の場所で、もうひとつ」
「そっちか……。アイツなら居そうだな。行ってみるか」
「はい!!」
ドレスの裾を下から鷲掴んで持ち上げ、見据える先はもうひとつの庭に続いている通路。
今度こそ見つけてみせる! と、気合い十分で駆け出そうとした私の肩に、がっしりと重々しい力が加わった。
「だから……、それじゃ遅ぇって言ってんだろ?」
「ま、征臣さん……っ、ま、まさか、また!?」
振り向けば、旦那様になったばかりの男性の眩いくらいに爽やかな、満面の笑顔とご対面!
恐れ戦く私を問答無用で再・米俵担ぎで肩に乗せ、俺様獅子号は目的地へと向かって爆走し始めたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ゆ、悠希さん!!」
「え……。ほの、……か?」
所々に桜の花が咲き乱れ、春の花が控えめな様子で静かに佇んでいる庭の奥。
東屋の仕様で建てられたその場所に、悠希さんはいた。
思った通り、観客のいない静寂の中で瞼を閉じて歌っていた悠希さん。
その表情はとても落ち着いていて、一年前とはまるで違っていた。
「お久しぶりです……、悠希さん」
「……うん、久しぶり。……ごめん、本当は、会いに来ちゃいけなかったのに。どうしても、近くで祝いたくて」
「だから、CDと手紙だけ預けて、ここに来たんですね……」
「顔さえ合わせなければ、ほのかの傍に行かなければ……、一人で歌って祝う事ぐらいは、……許されると思った」
「悠希さん……」
一年前、悠希さんとはもう二度と会わない。そう決めたのは私。
お互いにそれが一番良いとわかった上で、どちらも距離を取り続けてきた。
だから、悠希さんがこの場所に一人でいたのも仕方がない事で……。
「ごめん……。我儘で」
苦笑を浮かべて髪を掻き上げた悠希さんに、私は叫ぶ。
「そんな事ありません!!」
「ほのか……?」
また、傷付けてしまうかもしれない。こんな事を言っても、何にもならないかもしれない。
悠希さんの欲しい言葉を、想いを、私は持っていないから……。
だけど、このまま悠希さんに申し訳ない気持ちを抱かせた状態で帰らせたくなんかない。
――だから。
「嬉しかった!! 嬉しかったんです……っ。一年前……、あんな言い方で貴方の想いを拒んだ私なのに、それでも、お祝いに駆けつけてくれて……」
「ううん……。あの時は、俺が悪かったから。ほのかには相手がいるのに、子供みたいな我儘を言って、ほのかを困らせた。嫌われたって、そう、思っていたから……」
「嫌ったりなんかしません!! こう言われるのは嫌でしょうけど、私にとって悠希さんは、男性というよりも、その、可愛い弟みたいな存在で、だから、あのっ、い、今だって大事なお友達だと思っているんです!!」
「弟……。そう、思ってたんだ……、そっか、弟……。そっか」
ああっ!! やっぱり傷付けてしまった~!!
嫌われていないと安心した表情が弟というキーワードで一瞬にして絶望一色になってしまったところを見ると、最初に落ち着いた雰囲気に見えていたのは精一杯の虚勢だったらしい。
東屋の白い柱に額をゴンゴンと小さく額をぶつけ、悠希さんがブツブツと繰り返す。
「結局……、最初から脈なしだったんだ……。はぁ~……、男に見られる以前の、以前の、問題」
「あ、あの、悠希さん……っ。ご、ごめんなさいっ」
「……ふぅ、ちょっとショックだったけど、うん、大丈夫。それと」
「はい?」
「さっきからスルーすべきか迷ってたんだけど、……その体勢、きつくない?」
と、少しだけ復活した様子で悠希さんが指摘してきたのは、『私達』の姿。
悠希さんの方を向いているのは私だけで、腰にしっかりとまわされている頼もしい腕の感触が俵担ぎの状態を安定して支え続けてくれている。
つまり、この場所に来る前からの俺様獅子号仕様が続いている、と。
お腹の辺りに圧迫感があるし、建物の中を全速力で来たから乗り物酔いも少々……。
でも、征臣さんが下ろしてくれなかったんだから仕方がない。
「き、気合で耐えているので大丈夫です!」
「おい……、大事に担いでやってる旦那に酷い言いぐさだな? 落とすぞ……」
「と、とにかくっ、私達の珍妙なスタイルは横に置いといてください。それよりも、悠希さん……、良かったら、披露宴に参加しては貰えませんか?」
「……近くで、見ていてもいい、の?」
「はい! 私の新しい一歩を、悠希さんにも見届けてほしいから」
勿論、悠希さんの心がそれを許してくれるのなら……。
一年前のやり直しをさせてほしい。今度は、大切なお友達として、笑顔で新たな一歩を踏み出す為に。征臣さんの背中から、じっと辛抱強く、私は答えを待つ。
悠希さんは一度東屋の外に出ると、ゆっくりとした動作で透き通るかのような青空を見上げた。
「俺が顔を出したら、式に参加したら……、ほのかを傷付けると思ってた」
「え?」
「だから、嬉しい。ほのかの幸せな姿を近くで見られるなんて」
「悠希さん……!」
こちらを向いてはにかむように笑った、悠希さんの可愛らしい笑顔。
バンドのボーカル、月夜さんの時の荒々しさとは正反対の、、まさに天使! と評したくなる悠希さんの姿。それをファンが目にすれば、歓喜の声を大絶叫で響き渡らせて即倒してしまう事だろう。
その想いを受け入れられなかった私には勿体ないほどの、悠希さんの笑顔。
「ほのか」
「痛っ!」
旦那様からの手厳しい一撃。その痛みをお尻に感じた私は、惚けていた表情を改めた。
いけない、いけない。私もついうっかり悠希さんの笑みに魅了されてしまっていた。
征臣さんが……、静かに私をその場へと下ろす。
「……ほのか」
まるで、閻魔様の目の前に引き摺り出された罪人のような心地だ。
「は、はいっ!」
「……」
ああああっ!! こんな記念すべき日に、旦那様のご機嫌がマイナス値に!!
別に浮気心を出したわけでもないのに、この無言の圧迫感は……!!
誰か、誰かと助けを求めて視線を彷徨わせていると、悠希さんの姿が目に入った。
「ほのか、先に披露宴会場に行く……。幸せに」
「ゆ、悠希さっ、ちょ、ちょっと!!」
悟りを拓いたかのような、穏やか一色の笑みでこの場所を離れて行く悠希さん!
幸せを祈って貰える事は嬉しいけれど、出来れば救出の手を! 手をぉおお!!
と、助けの手を伸ばしかけた私のそれをお怒りモードの征臣さんががっしりと掴み、ついでに腰へとホールドの手がまわってくる。か、完全に捕獲された!!
「ま、征臣さん……っ、あ、あのっ、わ、私達も戻りましょうっ! 結構時間も経ってますし、スタッフさん達も捜しに来るんじゃないかと、――んんぅっ!?」
神様の前で交わした触れるだけのキスを凌ぐ、独占欲とお怒り全開で押し付けられた感触。
歯でガードする間もなく、ぬるりと潜り込んできた舌の気配に全身がびくつく。
「まさ、……んぅっ、ふ、ぁ」
本気で怒っている時の征臣さんは、冗談抜きで怖い!
普段とは違って舌の動きが酷く乱暴で、猛獣に喉笛を喰いつかれているかのような恐ろしい心地!! 宙を彷徨っていた指先がぴくぴくと震え、酸素を求めて頭の中が真っ白になりかけた頃。
ようやく、征臣さんの唇が離れていった。
「はぁ、はぁ……、ま、征臣さんの、鬼ぃっ」
涙目で目の前の胸に縋りついて見上げながら文句を言えば、征臣さんの怒っていた顔が和らいで笑みを作った。
「旦那以外にときめいた罰だ。しっかり反省しとけ」
「痛っ。……もうっ、ときめいたりなんかしてませんよ!」
「ほぉ~……。バッチリ見惚れてたようだけどなぁ?」
「見惚れてません! だ、大体、私には」
悠希さんの素敵な笑顔に一時でも見惚れた事は事実だけど、そこはあえて全力で否定しておく。そうでないと、征臣さんの機嫌がまた悪くなってしまうもの。
それに、征臣さんに対するドキドキとは全くの別ものだから、絶対に『ときめく』のカウントには入っていない。……と、言い張っておく。
だけど、肝心の花婿様は私の額をグリグリと指先で弄りながら、私の心を探るように見下ろしてくる。私が他の男性にクラリときた、なんて事は本気で思っていないくせに、私の心を表に引き出したくて意地悪な物言いをする征臣さん。
ここで私が素直に愛の告白でも口にすれば、ニンマリと笑って満足するのだろう。
――でもそれじゃ、私がスッキリしないんですよ、旦那様。
「で? 大体、の続きは何だよ? ほら、全力で言い訳してみろ」
余裕綽々でいられるのも今の内ですよ、征臣さん!
確かに恥ずかしい事この上ないけれど、これも勝負に勝つ為!
いつまでも食べられっぱなしの、転がされっぱなしの子兎ではいられない!
今こそ、反逆の時!!
「だ、大体……、私には、征臣さんがいますから、他の男性にときめく暇なんてないんですっ」
「へぇ……、そうなのか」
「征臣さん以外の人なんて、好きになったりしません。こんなにも愛おしく思える人と、征臣さんみたいな素敵な男性とは……、絶対に、もう二度と会えないって、そう思ってるんですから!」
「お、おう……」
よし、征臣さんが私の勢いに圧されて徐々に動揺し始めている!
花嫁のドレス姿と女性スタッフ渾身のメイク術で魔法にかかっている今、効果は倍増のはず!
上目遣いに瞳を潤ませ、私は征臣さんを称える言葉を重ね、普段なら滅多に口にしない愛の告白をこれでもかと連呼してみせる。――あぁっ、物凄く恥ずかしい!
「私には、征臣さんだけなんです! 他にどんな素敵な最高物件の男性と出会ったとしても、征臣さんが文無しの身包み剥がされた不幸のどん底に落ちたとしても、何があっても、私は征臣さんだけを愛しっ」
「だああああっ!! も、もういい!! やめっ!! やめろぉおおお!!」
「はぁ、はぁ……、わ、私の気持ち、ちゃんとわかってくれましたか?」
「……っ、わ、わかった。十分にっ!!」
かなり大げさに征臣さんを褒め称えながら愛の告白を連打した結果、旦那様は予想通りに耳まで真っ赤にして許容量オーバーでギブアップ!! 勝った!!
征臣さんは私から自分への想いを引き出そうとする事がよくあるけれど、私が積極的に想いを伝え続ける場合は別。あまり言われすぎると、どうやら気恥ずかしくなってしまうらしい。
それを知ったのは、去年の事。征臣さんの部屋で、大切に抱かれた……、あの夜。
心から愛してくれる征臣さんに応えたくて必死になっていたら、今と似たような事になったのだ。
まぁ、この手を使って報復するには、私自身が色々と覚悟を持って羞恥心を全部捨てる事が必須なのだけど!
「ほのか……っ、お前、今のわざとやったろっ?」
「ふふ、さぁ? どうでしょう~」
牙を抜かれた俺様獅子こと征臣さんは頭を抱えて地面に蹲り、ギロリと微かに涙目になった視線で睨み上げてきた。
嬉しい、だけど、それと同じくらいに悔しい、ってところかなぁ?
でも、普段征臣さんに翻弄されている私としては、たまの仕返しくらいは許してほしいところだ。
「最悪だ……っ。こいつ、どんどん蒼に似てきやがるっ」
進藤さんの一件で垣間見た蒼お兄ちゃんの冷酷さに比べたら、私なんてレベル1もいいところだと思いますよ~、征臣さん。
それに、さっき口にした事に嘘はない。全部、本当の事。
私は征臣さんの前に腰を屈め、その額にキスをする。
言葉では伝えきれない想いを込めて。
「愛してます、征臣さん」
「も、もういい、って、言ってんだろ……。これ以上言われたら……、死ぬっ」
「ふふ、征臣さん……、可愛い」
攻めるのは好きなくせに、逆をされると弱い獣。
最初にお見合いをして顔を合わせた時には、この人の自信に溢れた姿と迫力のある強面さに慄いて、必死に逃げ回っていた一年前と少し前の頃。
強引で恐ろしく見えた一頭の獅子に捕まった子兎は、やがて気付いてしまった。
誰よりも強そうで鋭い牙を持つ獅子は、本当は誰よりも愛情を伝えるのが下手で、不器用な優しさを抱く温かな存在だと。
それに気付いた怖がりの子兎は――。
「征臣さん」
「んっ」
心優しい猛獣の頬にキスをして、その手に温もりを重ねて一緒に立ち上がる。
ヘアワックスでしっかりと前髪も後ろに向かって固められた髪型のせいか、征臣さんの気恥ずかしそうで、少し不機嫌な表情がよく見える。
百獣の王様は誰にも負けない。子兎なんかにしてやられたりはしない。
弱みを見せる事は恥ずかしい。いつだって、強くありたい。
そんな心の声が聞こえてくるかのようだ。
私の弱さは全身全霊で包み込んでくれるのに、その逆は駄目なんて……。
「ズルイと思いますよ?」
「は? な、何がだよ……っ」
「私は征臣さんの奥さんになったんです」
「あ、あぁ……」
「だから、見たいです。征臣さんの表情を、強さや喜びだけじゃない、沢山の感情を」
「――ッ」
「これからもずっと、二人で歩んで行く長い時間の中で……、お互いに色んな面を見せ合っていきたいんです。だから、隠しちゃ駄目です。全部見せてください。ね? 旦那様」
貴方が私の心を優しい想いで抱き締めてくれているように、私も征臣さんを抱き締めたい。
頼もしくて強いところも、落ち込んだり、恥ずかしがったり、そんな面も……、全部、全部。
そう宣言しながら笑みを深めた私に、征臣さんが悔しそうな呻き声を喉の奥で押し殺すのが聞こえた。整えられているその髪を掻き回したいのを堪えているのか、征臣さんは自分の頭の上で手を彷徨わせる。あぁ、……これは間違いなく。
「さっき私が言った事に嬉しさを感じているのに、なかなか素直になれない心境……、ですかね?」
「当てんな!! 馬鹿!! ……まったく、とんでもねぇ嫁貰っちまったぜ」
「ふふ、取り消し、返品は出来ませんよ~?」
「ふんっ。……お前だって同じだろうが」
「はい。でも、私は絶対に返品なんてしませんから。ふふ、征臣さんこそ、覚悟してください」
居心地の良い猛獣様の懐。その場所を守る為に、子兎だって逞しくなっていくのだ。
大好きな人と一緒にいる為に、愛する人を支えていく為に、強く、強く。
征臣さんは白旗を挙げたように息を吐くと、私の両肩に手を添えた。
そっと触れ合った唇が少しだけ離れ、征臣さんの嬉しそうな笑みが至近距離に見える。
「この頼もしい嫁さんには、一生勝てる気がしねぇな」
「そんな事言っても、やられっぱなしじゃないでしょう?」
「当然。やられたらやり返す。それが俺の信条だ。――だから、後で覚悟しとけよ」
「ふふ。なら、全力で逃げますね」
「じゃあ、全力で捕まえに行ってやるよ。一晩中な」
すっかり普段の調子を取り戻した征臣さんの囁きが、私の鼓膜を甘く痺れさせていく。
少しだけ怖い響きでもあるけれど、この人に追いかけまわされるのは嫌いじゃない。
一生懸命逃げて、逃げて、最後には力強い腕の感触に、大好きな温もりに包まれるから。
「さて、早速仕返し開始だな」
「え? きゃああっ! ま、征臣さん!! ま、またぁあああああっ!!」
征臣さんに捕まえて貰えて、お嫁さんにして貰って良かった。
そんな感動を噛み締めている最中に旦那様がしでかした、仕返し第一弾!
来る時と同じように軽々と征臣さんの肩に担がれ、べしんっ! とお尻を叩かれる。
「もうっ、嫌です! またこの体勢で戻るなんて嫌ですからああああっ!」
「俺をあんな目に遭わせたんだ。お前にもたっぷりと恥ずかしい思いをさせてやるよ!」
「ちょっ、い、嫌ぁああああああっ!」
勢いが良すぎて、そのまま空に飛び立ってしまいそうな駆け出しで再スタートした俺様獅子号!
勿論、どんなに叫んでも、涙目で懇願しても、征臣さんが止まってくれる事はなかった。
エレベーターを使わずに自分達の会場目指して爆走する征臣さんのせいで、それぞれの階でまた物凄く恥ずかしいはするし、私の残念な悲鳴が響き渡りっぱなしだったし……。
ついでに、会場に戻った時が一番、一番……、は、恥ずかしかった!
征臣さんに担がれて正面から再入場!! 皆さんの驚いた視線を釘付けにし、方々から笑われてしまいながら席へと向かった私達。
当然、物凄く恥ずかしい思いをしたわけだけど……。
こんな風に破天荒な行動も、私達らしいのかもしれないと思えた。
私と征臣さん、そして、見守ってくれている温かな人達と紡ぐ、賑やかで楽しいこれからの人生。
きっと、飽きる事のない色々なハプニングや楽しい事が溢れ、苦しみや悲しみさえも力強く跳ね退けていける事だろう。
仕返しをしてご満悦の旦那様に向けていた困り顔を緩め、私は世界で一番幸せな花嫁の笑みを浮かべたのだった。
fin
ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました!
『俺様獅子との猛愛エンゲージ!』は、ひとまずこの回で本編は完了となります。
後日、おまけ扱いの後日談をUPさせて頂きますので、それを更新しましたら、
完結マークをつけさせて頂きたいと思います。




