悪意の奔流
※本編中の台詞に、『強姦』の類を匂わせるものがあります。ご注意ください。
※残酷表現・暴力表現の類が少々強まります。
「……夜さんのライヴまで時間も少ないし、さっさとやっちゃわないとね」
「ん……っ」
ドラム缶の中で響くような、誰かの声……。
鼻先に漂う、錆びた匂い……。複数の声が、何かを話し合っている気配が、する。
徐々に取り戻し始めた視界の中で、進藤さんが銀に煌めくナイフを手に嗤っている姿が見えた。
「進藤、……さ、ん」
「あぁ、丁度良かった」
ここは……、ど、こ。
薄暗くて広い空間をぼんやりと見まわした私は、そこに古ぼけた機械や鉄パイプなどの存在を目に留めた。稼働していないところをみると……、多分、廃工場の、類。
それに、コートが脱がされているせいか、凄く、寒い。
汚い地面にごろんと転がされた状態で目覚めた私は、きつく縛り付けられている縄の感触に眉を顰めた。
「やっぱ意識がないと、愉しめないもんねぇ……」
「私を……、どうする、気、ですか? ――痛っ!!」
嫌な予感しかしない状態で彼女を見上げると、容赦なくそのブーツの底が私の身体を踏み付けてきた。ぐりぐりと踏み躙られ、唾を吐かれる。
「アタシや月夜さんが味わった以上の傷を、アンタにつけてやるんだよ」
「痛っ……、やめ、てっ」
「こいつらさぁ……、結構溜まってるみたいなんだよねぇ。性悪のアンタにぴったりじゃん。相手してあげなよ」
「進藤さん……、そ、それ、って」
どこの誰かもわからない、四、五人の男性達。
下卑た笑みを浮かべているその人達の年齢はバラバラで、恐怖しか抱けない対象だった。
男性の一人に縄を外され、その場に座らされる。
これから何が起こるのか、何をされるのか、簡単に答えは出ているけれど……。
(これも、蒼お兄ちゃんや征臣さんが想定した範囲内の事、なの……?)
何が起こっても怖がる必要はない。そう言われたけれど……、本当に、大丈夫、なの?
ご機嫌な様子で私の前に腰を屈めた進藤さんが、猫の爪のように鋭いその先を私の頬へとなぞらせてくる。
「アタシねぇ、月夜さんの事……、本当に好きなんだぁ。出会ったのはまだ高校生の時で、月夜さんもまだメジャーデビューなんかしてなくて、ホント、偶然の出会いだった」
「……っ」
「あの人はね、学校で陰湿ないじめを受けまくってたアタシが、何の希望もなく生きてた時に出会った、……奇跡みたいな存在なんだよ。あの日からずっと……、ずっと、追いかけてきたんだ」
月夜さんは、彼女にとっての希望、光、生き甲斐……。
わかっていた事だけど、うっとりと語る進藤さんの目には、それ以上の何かが秘められているような気がする。
自分にとっての、恩人であり、憧れであり……、そして。
「公園で子供達に歌ってた月夜さんは、すっごく綺麗だった……。あの瞬間がなかったら、今のアタシはない。だから……、あの人がアタシを救ってくれたように、アタシも、あの人を救ってあげるんだ……」
「こんな、事をするのが……っ、月夜さんを救う道だっていうんですかっ!!」
「当たり前じゃん。アタシ達はあの人との境界線を守って応援してるっていうのに、アンタみたいな悪い女が簡単に近づいた、なんて知ったら……、誰だって排除したくなるでしょ?」
「私は……、月夜さんとは何でもありませんっ!! ただのお友達です!!」
それ以上でも、以下でもない関係。
完全に誤解しきっている進藤さんに通じるかわからないけれど、きちんと伝えないと。
「私には、大切な人がいるんです。結婚を約束している、大切な人が」
「ホント……、百回殺しても物足りない女だよね、アンタ……。婚約者とかいう男も、アンタに騙されてるだけじゃん。他にもいっぱい男を囲いまくって、媚びまくってる……、悪魔みたいな女」
「違います!! 私は本当に……、ぐぅうっ!!」
全然人の話を受け入れてくれない進藤さんの右手が、私の首を鷲掴んだ。
肌を抉るように爪が食い込んで、もう片方の手にも、首を絞められる。
「うぅっ……」
「月夜さんは……、月夜さんは、アンタみたいな女に、駄目にされていい人じゃない!!」
「うぐぅっ、……やめ、か、はっ」
進藤さん……っ、ほ、本気で……、私の事を殺したい、って、……そう、思ってる。
息をするのが苦しい……っ、首が、強い力で締め付けられて……っ、本当に、死んで、しまい、そうっ。
「おい!! 殺しちまったらまずいだろうが!!」
「流石に殺人なんてやっちまったら、後がヤバイって!!」
意識が飛びかけたその時、二人の男性が進藤さんを私から引き剥がしてくれた。
どちらも慌てた様子で、必死に進藤さんの事を宥めているけれど、人を無理矢理拉致した上に、こんな所に連れ込んだ時点で、すでに犯罪だと言いたい。
月夜さんの事を想うあまり、物事の善悪がつかなくなっている進藤さんもだけど……、こういう事に平気で加担しているこの男性達も信じられないっ。
あきらかに犯罪だとわかる事を、何故平然と協力しているのか……。
酸素を求めて咳を繰り返している私の前に、進藤さんが片手で構えられるサイズのビデオカメラを持ち出してきた。
「ぜ~んぶ、撮ってあげる……。アンタが沢山の男達と遊んでる最高の場面を」
「本気なんですか……っ、進藤さん!! これは犯罪ですよ!! 同じ女性なのに、どうしてこんな事をっ、目を覚ますのは貴女の方です!! ――痛ぅっ!!」
ビデオカメラを構えた進藤さんは、行き過ぎた狂気にどっぷりと溺れ込んでしまった醜悪さを感じさせる嘲笑を浮かべていて……、本気で恐ろしいと思えた。
抵抗しようとする私を蹴り飛ばし、彼女は男達に指示を出す。
「好きにヤッちゃっていいよ。どうせ遊び慣れてる奴なんだし、アンタ達も愉しんで」
「――そんな事をしたら、俺は絶対にアンタを許さない」
「え……」
ビデオカメラを構えながら男性達に合図を出そうとしていた進藤さんの向こう側から、その静かな声は響いた。
シャッターの閉まっているその内側で、私達の方に歩み寄ってくる……、幾つかの影。
振り返った進藤さんが、信じられないようなものを目にしたかのように、震え始める。
「な、なんで……、なんで、……っ、月夜、さん」
「蒼お兄ちゃん……、征臣さん、も……」
夜の部を控えているはずの、月夜さんの恰好をしている悠希さんだけでなく、その背後には蒼お兄ちゃんや征臣さん、それに、昴さんと怜音さんの姿もあった。
悠希さんはビデオカメラを手にしている進藤さんの前に立つと、静かに、じっと、見つめ始める。
憧れの人を前にしているからか、それとも、彼の読めない感情を前に恐れているのか……。
進藤さんは今にも泣きだしそうになっている。
「なんで……、なんで、つ、月夜さんが、ここに、いるのっ。それに、アンタ達……っ」
「悪い子には、お仕置きが必要だからね。進藤夏実さん、君は自分で思うよりも、まだまだ子供だったって事だよ」
普段の蒼お兄ちゃんらしくない、とても、冷たい声……。
それに応えるかのように、私を取り囲んでいた男性達が大人しく壁際の方へと引き始めた。
「君が使おうとしていた駒は、全部俺達が先回りで潰しておいたんだよ。君の事を調べれば調べるほど、次に何をしでかすか、それを予想するのは簡単だった。今回君に金で雇われた男達も、結構前からウチの妹を脅す為に使う予定があったみたいだし、どうせなら利用させて貰おうと思ってね」
「な……っ、そ、そんな……」
「言っとくが、お前が脅し続けてきた女の兄貴……、この蒼は、『裏』にも結構顔が利く奴だからな。それを敵にまわした時点で、お前の破滅は決まってたようなもんなんだよ」
「何、それ……っ。い、意味わかんない!! 何で皆、こんな性悪女を庇うの!? 守ろうとすんの!? こいつの本性を知らないから、そうやって」
「ふぅ……。レベルの高い大学に通っているという情報だったが、勉強以外に関しては阿呆だったようだな」
声を荒げるわけでもなく、秋葉家の長男である昴さんは軽蔑の視線で進藤さんを見ている。
怜さんもそれに同意らしく、「彼女みたいな極端な人、たまにいるんですよね……」と、呆れ果ててしまっているようだ。
やっぱり……、この誘拐騒動も、蒼お兄ちゃん達にとっては、最初からわかっていた事、みたい。
万が一、想定外の事だったらどうしようと不安に思っていたけれど、現れてくれて本当に良かった。ほっ……、と、息を吐いていた私の傍に、征臣さんが膝を着いて助け起こしてくれる。
「悪かったな、ほのか……。怖い思いをさせちまった」
「い、いえ……、大丈夫です。このくら、痛っ」
私の黒髪にその手を差し入れて抱き締めてくれる征臣さんの温もりが、匂いが、とても心地良い。
「月夜さん!! アタシ、アタシっ……、貴方の為に頑張ったんです!! 月夜さんについた悪い虫を追い払いたくてっ、一生懸命……っ」
子供のように泣きじゃくりながら、悠希さんの胸に縋り付く進藤さん……。
その想いはとても一途で、彼女の世界が悠希さんだけなのだと、改めて強く思わせられる姿だった。けれど……、悠希さんは彼女の両肩を掴むと、拒絶を表すように、引き剥がした。
「俺の大切なものを傷付けておいて……、どうして、そういう事が言えるんだ……っ」
「月夜……、さん?」
「俺は、バンドのボーカル、月夜としての俺は、アンタ達ファンのものかもしれない……。けど、俺自身は、秋葉悠希としての俺は、誰のものでも、ないっ」
「え……」
表情にあまり変化のない悠希さんだけど、今は違う……。
辛そうに眉根を顰め、進藤さんを心から拒んでいるかのように……、怒っている。
そんな表情を見た事がなかったのだろう。進藤さんは何を言われているのかわかっていないらしく、「月夜さんは、月夜さん、でしょ?」と、戸惑いがちに動揺しているのがわかった。
「違う……。月夜と、俺は、違う。アンタが今までやってきた事は、ほのかにした事は、月夜だけじゃなく……、秋葉悠希としての、俺の心を殺す暴力だ」
「そん、な……、え? な、何、言ってるんですか? あ、アタシは、月夜さんの事が大好きで、貴方の歌に、存在に救われて、だ、だから、恩返しをしよう、って」
「君の独りよがりだった、って事だよ……。進藤夏実さん、君はファンの立場を弁えず、悠希君のプライベートまで調べ上げて、それを全部知ろうとした。まるで自分の所有物のようにね……」
「だ、だって、好きだからっ、だから、月夜さんの事、何でも知りたくてっ!! そうやって、月夜さんの事、調べてたら……、そ、その女が悪いの!! 勝手に月夜さんと喋って、勝手に纏わりついて……っ、許せなかったからっ!!」
征臣さんの腕の中から見る彼女は、とても、辛そうで……、苦しそうで……。
沢山の冷たい視線に、心が引き裂かれそうになっている事が、伝わってくる。
でも……、本当に辛いのは、きっと。
「俺は……、アンタの所有物じゃない」
「――っ、つ、月夜さんっ、あ、アタシ、そういう意味で、言ったんじゃ……っ」
「同じ事だろう。お前は俺の弟の為と繰り返しているが、結局は自分の為にしか行動していない」
「昴兄さんの言う通りです。結局は、ただの嫉妬からくる暴走じゃないですか。よくもまぁ、悠希兄さんの為だなんて、言えたものですよね。いっそ感心するくらいの妄想癖だ」
長男が攻撃の手を出せば、すぐさま三男が追撃の手を出す。
ズバズバと進藤さんの心を容赦なく抉りつけていく昴さんと怜さんの恐ろしさに、思わず私の方までぶるりと震え上がってしまう。
「征臣さん……、ど、どうしましょう。この事態……」
「気にすんな。この件は、秋葉家の次男が招いた事だからな。お前は俺の腕の中で大人しくしてろ」
「でも……、幾ら何でも、男性四人からの攻撃は、ちょっと」
「はぁ……。お前なぁ、自分がヤバイ目に遭った事実を少しは考えてみろよ。俺だって、本当はお前をこんな目に遭わせたくなかったんだぞ」
それは、まぁ……、そう、なのだけど……。
好きな人にも拒絶され、その家族からも、となると……、もう少し、手加減してあげてほしいというか。あぁ、進藤さんがますます大混乱の底に沈んでいくのが見える。
「や、やっぱり、そうなんだ……っ。皆……、皆、鈴城ほのかに言い包められて、アタシの事が敵に見えるんだ!! ねぇっ、月夜さんっ、目を覚ましてよ!! あの女は最低最悪の奴なんだから!!」
「それ以上、ほのかの事を馬鹿にしたら……、口だけじゃ済まなくなる」
「はぁ……、まぁ、この子の場合、こうなるよねぇ……。悠希君、ちょっと下がって貰えるかな?」
「……はい」
涙を零す進藤さんの手が、離れていく悠希さんの銀髪に掠った。
場所を入れ替わるように蒼お兄ちゃんが彼女の前に立ち、その手を掴む。
「そろそろ、現実を見たらどうかな?」
「――っ、うっさい!! アンタの妹のせいでっ、月夜さんも、皆、皆、不幸になったんだ!! アタシの言葉が、全然月夜さんに届かないのも、わかって貰えないのも、全部、全部っ!! 鈴城ほのかの、――痛ぁあっ!!」
「蒼お兄ちゃん!! やめて!!」
「ほのか……、甘やかすばかりが、正しい事じゃないんだよ」
喚き散らしていた進藤さんの左手首を捻りあげると、蒼お兄ちゃんがそう言って冷たく微笑んだ。
今までに見た事のない……、心の奥底まで凍り付くような微笑。
ずっと一緒に育ってきた、私の……、お兄さんの、はずなのに。
「蒼……、可愛い妹に嫌われても知らねぇぞ」
「あぁ、それは辛いね……。ほのか、ごめんね。けど、これは、必要な事なんだよ。自分勝手な行動で人を傷付けて、タダで済むはずがない、って……、この子にはちゃんとわかって貰わないと」
「くっ……、妹と同じように、兄貴の方も、ド最低な下種じゃんかっ!!」
「ねぇ……、俺が何で、今日まで君を野放しにして好き放題にさせてあげたと思う?」
身を捩って暴れる進藤さんを的確に押さえ込み、蒼お兄ちゃんはその耳元に囁く。
彼女を嘲笑っているかのようなその音は、私達にも恐怖の片鱗を運んでくるかのようだった。
「もうちょっと頭が回れば、こんな風にあっさり現場を押さえられたりしないんだよ? それなのに、君は自分の頭を有効利用も出来ず、ただ悪意を撒き散らすだけ……。面白くも何ともない、玩具にもなれない、無意味な存在。それが君だよ」
「ぐぅうっ、はな、せっ!! 放せって言ってんでしょ!!」
「ははっ、君……、本当に馬鹿だね。パパラッチを使っての脅迫に、ネットでの誹謗中傷、挙句の果てには、誘拐と強姦未遂。これだけ揃えば、警察沙汰は免れないよね?」
「なっ……!! あ、アタシを脅迫しようっての!?」
「はぁ、やっぱりわかってないね……。いいかい? 進藤夏実……、君は、俺に人生そのものを掴まれてるんだよ。俺の機嫌ひとつで、君も、君の家族も、進藤という名の会社も、全部、一瞬で破滅する事が出来る……。俺に絶対服従するしかない立場になった事を、自覚しようか?」
そう低く囁いた蒼お兄ちゃんから、その場の全員が顔を背けた。
私……、今まで、猛獣みたいにアプローチしてくる征臣さんが一番怖いなぁ、と、最初の頃は思っていたけれど、実は一番近くに、その何倍も恐ろしい人がいると、今気付かされた気がするっ。
征臣さんも私をぎゅうううっと抱き締めながら、「ほのかっ、聴覚と意識を遮断しろっ!! 精神を殺られるぞっ!!」と、必死に……。
あ、壁際に整列していた男性達が、お互いに寄り添いあって、ブルブルと震え上がって……。
「おい、鈴城の若造……。その辺にしておけ。大人げないぞ」
「そうですか? これでも、……抑えに抑えて、手加減しているつもりなんですけどね」
「抑えてそれなら……、本気を出したらどうなるんだよ、おいっ」
「あ、蒼お兄ちゃん……、私の事ならもういいからっ、もう、進藤さんを許してあげてっ」
でないと、進藤さんが精神的な意味で死んでしまう!!
蒼お兄ちゃんがその手や身体を解放すると、彼女はへにゃんと地面に崩れ落ちた。
「うぅっ……、なんで、なんで、こうなるのぉっ!! アタシ、何も悪い事、してないのにっ」
「う~ん、まだ自覚しないんだね、この子……。まぁいいや。とにかく、君に拒否権はないから、ちゃんと俺達の言う事に従って貰うよ。まず、第一に、今後、ウチの妹に近付く事も、嫌がらせをしたりする事も、絶対に許さない。勿論、ネットでのそれも同罪。もし次にやったら……、本気で潰すからね?」
「ひっ!!」
「それと、第二に、月夜のファンを辞める事。彼を追いかけまわしたり、プライベートを嗅ぎまわったり、ライヴに顔を見せたりしたら……、これも以下同文」
「い、嫌!! 月夜さんのファンを辞めるとか無理!! だって好きなんだもん!!」
もう罵声を浴びせる力もないのか、進藤さんは大泣き状態で蒼お兄ちゃんに首を振って、嫌だ嫌だと繰り返す。
流石に……、ファンを辞めろ、っていうのは……、可哀想な気が。
あぁ、でも、悠希さん自身が彼女のやってきた事で傷付いているわけだし、う~ん……。
ちらり、と、昴さんの陰で俯いている悠希さんの方を見ると、彼がぼそりと言った。
「俺はアンタに追いかけられたくない……」
物凄く……、憔悴しきった声。
その小さな音を聞き逃さなかった進藤さんが、ゆらりと立ち上がって悠希さんに駆け寄ろうとした、……のだけど、昴さんと怜さんがガードしているせいで、その先には行けない。
「月夜さん!! 月夜さん!! どいてよ!! 月夜さんと話をさせて!!」
「恋は盲目、と、どこかで聞いたような気がしますが……、これはもうなんというか」
「つける薬なし、だな……。おい、いい加減に諦めろ。お前の身勝手な妄想と執着で、悠希を苦しめるな」
「うるさい!! アタシは、悠希さんを苦しめてなんかない!! 彼が幸せになれるように、頑張ってるだけなんだから!!」
進藤さん……。本当は気付いてるはずなのに……、彼女は自分の間違いから目を逸らし続けている。手を伸ばし、壁の向こうにいる悠希さんを求めて、必死に、足掻いて……。
征臣さんの腕の中にいた私は、その姿を見ていられなくて……、ゆっくりと、立ち上がった。
「ほのか?」
「進藤さん……、もう、やめてください」
征臣さんに支えて貰いながら前へと歩き、背を向けている彼女に懇願する。
進藤さんの声が止まり、振り向いたその表情は……、涙と憎悪に濡れたくしゃくしゃの顔。
彼女の中では、まだ、私は悠希さんを不幸にする悪女のまま。
結果的に言えば、結城さんと私が出会ってしまった事は、その通りの未来を招いたのかもしれない。異性としてではなく、可愛い弟のように思っていた。
無害な存在だと思って、拒み切れずに、一緒の時間を過ごし続けた相手。
私にその気がなくても、悠希さんの中で、私への想いが育っている事にも気付かずに……。
結局、傷付けてしまった……。悠希さんも、彼女の事も。
「鈴城、ほのか……っ。アンタがいるから悪いんだ!! アンタさえいなければ、月夜さんはアタシ達ファンのものだったのに!!」
「ごめんなさい……」
「はっ!! また善人ぶってんの!? 本性真っ黒けのくせに!!」
怒りのままに進藤さんの手が私を打つ体に入った瞬間、征臣さんが私を庇ってくれた。
けれど、その攻撃の手は進藤さんの背後から現れた力強い感触によって阻まれる。
悠希さんが……、昴さんと怜さんの前に出て、彼女の手首をきつく握り締めているのが見えた。
「許さない……。ほのかを、俺の大切な人に、アンタの悪意を向ける事は」
「月夜さっ……、うぅっ、放して!! 放してよ!! この女がいなきゃっ」
「――っ!! もういい加減にしてくれ!!」
視界の中で悠希さんの右手が進藤さんの頬を打ち付けるのが見えた。
昴さんと怜さんがポカンと口を開け、蒼お兄ちゃんも「あ」と、一言。
悠希さんが……、人を、女性を、叩いた。
「何度言えばわかるんだ!! 俺は、アンタの所有物じゃない!! 現実を見ようとしないアンタみたいな奴に好かれても、全然嬉しくない!! 大嫌いだ!!」
ゆ、悠希さんが……、静かに物を喋るあの人が、捲し立てるように……、本気で怒った。
進藤さんも、まさか叩かれるなんて事は予想していなかったらしく、ぴたりと泣き止んでいる。
「あ~……、久しぶりに出ましたね。悠希兄さんのブチ切れモード」
「滅多に出ないんだがな……。まぁ、この状況であれば当たり前か」
「秋葉家次男……、普通に感情表現出来たんだな」
「ゆ、悠希君……、ちょっと、落ち着こうか」
まるで、子供が大爆発の怒りを表に出した時のように、悠希さんは大声で進藤さんを怒鳴り続けている。それはもう……、ドストレートな言葉の連続で、グサグサと進藤さんの心を……。
言いたい事を全部吐き出し終わると、悠希さんは彼女を鋭く睨み付けた。
「追放……」
「えっ」
「俺のバンドに、俺に、二度と近づくな……っ。アンタみたいなのは、ファンじゃない。ファンなんかじゃ……、ない!!」
「月夜……、さん」
完全に、拒絶された……。
悠希さんの悲しみと怒りを目の当たりにした彼女はよろりと後退し、魂が抜けてしまったかのように視線を彷徨わせる。
どちらも、傷付いている……。自分の音楽を、歌を、存在を愛してくれたファンの暴走に苦しむ悠希さんと、好きで好きで仕方がないのに、受け入れて貰えない彼女の心。
「……み、ない」
「進藤さん?」
「意味……、ない、よ。大好きな月夜さんに、嫌われちゃったら……、ファンである事を許して貰えないなら、アタシ……、生きてる意味なんかない!!」
「進藤さん!!」
大好きな人から完全に拒まれてしまった彼女は、折り畳み式のナイフをスカートの中から持ち出すと、その刃先を自分の首筋に押し当てた。
自殺する気なのだと、そう感じ取った私達と廃工場内に緊張が走る。
「やめてください!! 進藤さん!!」
「ちっ、どうしてこう極端なんだっ、あの女は!!」
「極端過ぎるから……、面倒事を沢山起こす事になったんだよ。彼女は」
「冷静に言ってる場合か!! こんなとこで死なれたら、後味が悪すぎる!!」
私達から距離を取って、進藤さんは壊れたように嗤いながら呟く。
「ファンでいられなくなるなら……、もう、月夜さんの歌が聴けなくなるなら、アタシ……、死んだ方がマシだもん。はは……、はは、月夜さ~ん、……大好き」
「進藤さん、やめてぇええええええっ!!」
悠希さんだけを一心に見つめながら微笑んだ彼女に、――私の声は、届かなかった。




