小悪魔の心の内と、天然ボーカルとの水面下
最初に、進藤夏実の視点が入ります。
途中からは、ヒロイン・ほのかの視点で進みます。
――Side 進藤夏実
アタシにとっての十七歳までの日々は、本当に下らない事ばかりだった。
両親の期待に応える為、自分の為にと頑張っていた勉強も、学生生活も、そこで受けた悪質な行為も、何もかも……。
あの人に出会えた、あの奇跡の瞬間に、アタシの中から意味を無くして、吹き飛んでいった。
勉強以外に何の意味も持たなかったアタシに、希望を与えてくれたあの人の歌声。
ねぇ、月夜さん……、貴方に出会ったのは、ライブハウスでも、テレビの中でもないんだよ。
今のアタシと、十七歳の頃のアタシは全然違うし、性格も……、すっごく、地味な方だったから、きっと覚えてないよね。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「きゃぁ~ん!! 月夜さん、カッコイイ~!!」
待ちに待った日曜日。月夜さん達バンドメンバーが勢揃いした、ファンとの交流企画。
お昼を食べた後に行われた野外生ライブを前に、アタシは今日一番の歓声を上げている。
この三年近く、ずっと、ずっと、バンドを、というよりも、月夜さんだけを見つめて、その姿を、声を追いかけて……。なんだか、あっという間だった気がするなぁ。
でも、まだ終わりじゃない。これからもずっと、アタシは月夜さんだけを追いかけて生きていく。
彼から貰った幸せに感謝しながら、彼の幸せを、ずっと願い続ける人生。
すっごく幸せ……。月夜さんの為だったら、アタシ、何でも出来るよ。
だから……。
(月夜さんを傷付ける奴は、絶対に許さない……!!)
アタシから少し離れた場所でライブを見ている二人連れの片方。
如何にも清純ぶってる黒髪ロングの女……、鈴城ほのか。
今日の交流企画の参加者だって事にも驚いたけど、こんな所にまで入り込んでくるなんて……、ホント、ウザ過ぎる女っ。
月夜さんを大切に想ってるアタシ達ファンの気持ちも考えないで、図々しい奴。
(何人もの男にちやほやされてるくせに、月夜さんの事まで弄んで……っ)
あの女の本性を、月夜さんはどうして見抜けないんだろう。
自分が遊ばれてるって、ちゃんと気付いてよ!!
月夜さんを追いかけている内に知った、あの女の存在。
調べれば調べるほど、鈴城ほのかは最低最悪の女だってわかった。
男だけじゃなく、子供だって嘘くさい笑顔で騙すような女……、月夜さんには似合わない!!
「は~い、それじゃあ交流ツアーの参加者さんはこっちに集まってくださ~い!!」
ライブが終わり、スタッフの呼びかけで観覧車の方に向かいかけたアタシは、鈴城ほのかの近くへと早足で歩み寄り、
「鈴城さ~ん、一緒に行きましょうか~」
「え? は、――痛っ!!」
本当はものすっごく嫌だけど、鈴城ほのかの右腕に自分の腕を絡めてくっつくと、よろけるふりをしてその足を踏ん付けてやった。ふん、ザマァミロ。
「あっ、ごめんなさぁ~い!!」
「い、いえ……。大丈夫、ですから」
わざとだって、気付いてるくせにわからないふりをする鈴城ほのかは、あくまで善人ぶる気なのか、一瞬眉を顰めつつも笑顔を寄越してきた。
ホント……、面の皮の厚い女っ。服越しに長い爪を立ててやっても、本性を現しもしない。
(ふんっ、無駄なんだからね……。アタシは知ってる。大人しそうな顔をした女ほど、腹の内は真っ黒だって)
だから、丁度いいわ……。二度と月夜さんに近づけないよう、この女に身の程ってやつを教えてやる。
アタシは正しい。月夜さんを応援している沢山のファンを代表して、こうやって頑張ってるんだから。
だけど、鈴城ほのかに敵意を向けながら歩いていると、アタシの左腕が誰かに掴まれた。
逃げる暇もなく、がっしりと絡められた腕。そこにいたのは……。
「進藤さん、私とも仲良くしてくれませんか? 朝の時もほのかちゃんとばっかり喋ってましたよね? 私もお喋りしたかったんですよ」
「ひっ……、あ、そ、そうだったんですか~? アタシもぉ~、月埜瀬さんと仲良くしたいな~って、そう思ってたんですよ~」
「ふふ、そうなんですか? じゃあ、是非仲良くしてくださいね」
「は、はぁ~い!! 夏実、すっごく嬉しいで~す!!」
す、鈴城ほのかの友達とかいうこの女……。
交流企画の最初の方じゃ頻繁にアタシの邪魔をしてたっていうのに、途中から大人しくなったかと思えば……、またなの!?
何ていうか、猫被りしてる鈴城ほのかとは違って、隠す気皆無の……、なんていうか、邪悪? っぽいオーラ全開でアタシを威嚇してくるけど、こいつもホント邪魔!!
(沢山の男に囲まれて、友達にも守ってもらって……、お姫様気取りでもしたいわけ!?)
アタシを笑顔で威嚇している女への怒りは、そのまま鈴城ほのかへと向く。
人を利用して、オイシイ思いをしまくる女……、立ち直れないぐらいに痛めつけてやる。
アンタを守ってる奴らが、アンタの本性を見て離れていくように……、月夜さんの目が覚めるように。アタシが、化けの皮を剥いでやる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――Side 鈴城ほのか
「え? ゆ、……月夜さん?」
野外でのライブが終わり、次は観覧車に乗り込む事になった私達のグループ。
悠希さんの隣に座る気満々だった進藤さんの期待を裏切るように、その行動は起こった。
私の隣へと、静かに腰を下ろした悠希さん。こんな事をすれば、進藤さんの怒りを煽るだけなのに、どうして……。
「月夜さぁ~んっ、一緒に座ってくれないんですか~?」
「交代で相手しないと駄目だって、上から言われてるからな……。アンタはまた後で」
「うぅっ、そ、それじゃあ仕方ないですね~っ。夏実我慢しま~すっ」
普段のぼんやりとした悠希さんとは違い、『月夜』としての彼は、ファンに対して少し冷たいというか、視線の気配も鋭い。
近寄りがたさを感じさせるというか、演じているという事がよくわかる姿だった。
多分、彼の素を知っている人でないと気付かないかもしれないけれど……。
「鈴城さん、だっけ? アンタ、ちょっと静かすぎるから、撮影中はもう少し頑張って喋ってくれる? でないと撮影にならないから」
「は、はいっ!! ご、ごめんなさいっ。頑張りますっ」
当然の事ながら、知り合いである私に対してもその態度を貫いている悠希さん。
本当に……、あの物静かな悠希さんとは雰囲気が全然違う。
顔を寄せられて注意された際に、思わずドキッとしてしまったのは……、不意打ちのせいだと思う。少し顔の赤くなった私を見ていた進藤さんが、小さく舌打ちを漏らした。
けれど、その敵意に満ちた顔が、すぐ真横から伝わってきた真っ黒な気配に圧されて大人しくなっていく。……ゆ、幸希ちゃん、お願いだから威嚇行為はやめてっ。私も怖いから!!
水面下で繰り広げられている恐ろしい争いに気付かず、スタッフの人が撮影用の小型カメラを設置して扉を閉めた。
(とりあえず、……会話のネタに困る事がないようにって、スタッフの人がネタくじの入った箱を渡してくれたけど、この気まずい空間で、しかも密室で仲良くって……、無理な気がするっ)
でも、頑張らないと……!!
箱の下でグッと拳を握り締めた私は、進藤さんの前に箱を差し出した。
「ひ、引いてください……っ」
「えぇ~? アタシが引いていいんですかぁ~? じゃあ、遠慮なくっと」
とりあえず、企画を進行しよう。そう決めて箱を差し出すと、進藤さんがわかりやすい猫撫で声でくじを引き、そこに書かれたお題を見て嬉しそうにテンションを上げた。
「月夜さぁ~んっ、お題出ました~!! 『歌に興味を持ち始めたのはいつ頃の事ですか?』だそうです~!!」
「ふぅん……。それ、雑誌でも何度か答えてるけど、幼い頃から、って感じだな。気付いたら歌う事が日常になってて、高校の頃に今のバンドメンバーと出会ったんだ」
「きゃぁっ、知ってます知ってます!! 子供の頃に歌のコンテストで幾つも賞を獲ったりしたんですよね!! 天使の歌声って、新聞やテレビでも騒がれたって、ネットで見ました~!!」
「そうなんですか? 全然知りませんでした……」
「もうっ、ファンなら知ってて常識ですよぉ、常識ぃ~!!」
「ご、ごめんなさい……っ。もっと勉強しますっ」
あぁ、やっちゃった……。バンドのファンとして企画に参加しているのに、何も知らないなんて、悠希さんとスタッフさん達、それに、ファンの皆さんに申し訳ないっ。
幸希ちゃんの方は事前にバンドに関する情報収集でもしてきたのか、進藤さんの話に上手く乗っている。凄いなぁ……。
「別に、俺の昔の事なんて知らなくてもいいよ……」
「つ、月夜さん?」
「大事なのは、俺達の歌や音を、アンタ達が聴いてくれる、って事だから……」
「その通りです~!! 昔と今の月夜さんは違いますもんね~!! 大人になってからの方が、魅力たっぷり色気たっぷりっていうか、心に訴えかける力が強いっていうか~!! ――痛ぁあっ!!」
ファンサービスなのか、悠希さんの艶めいた視線を流された進藤さんが、喜びのあまり立ち上がりかけて観覧車の天井にぶつかった。
「だ、大丈夫ですかっ、進藤さ、――っ!!」
結構な凄い音がしたけれど、彼女に怪我がないかどうか声をかけようとしたその瞬間、小型カメラからは見えない視覚、私と悠希さんの陰で、力強い感触が動きを封じてきた。
私の右手を、悠希さんが自分の背中の方で隠すようにその左手に掴んで、強く握っている。
(悠希さん……!? 撮影中なのに、何をっ)
動揺を顔に出すわけにはいかない。どうにか取り繕って笑顔を浮かべると、私は改めて進藤さんに尋ねた。
「進藤さん、大丈夫ですか?」
「ふふ、ごめんなさぁ~いっ。アタシったら、月夜さんのフェロモンにやられちゃったみたいで~!!」
私に対する敵意さえもどこかに吹き飛んでしまったかのように、進藤さんはとてもご機嫌状態だ。
悠希さんも、まるで友達に接するかのように微かな笑みを浮かべ、「アンタ、ちょっとテンション高すぎ。少しは落ち着いたら?」と、親しげに声をかけている。
そう言われて彼女が落ち着くはずもなく、席に腰を下ろしたものの、恋する乙女のときめき度はさらに跳ね上がってしまったようだった。
その陰で……、悠希さんが私の指の間に自分のそれを絡めている事も知らず。
(悠希さん……、何を考えているんですか……っ)
逃げ場のない狭い空間、離そうとしても、離れてくれない温もり。
悠希さんの考えを読めずにいた私だけど、その温もりが……、微かに震えている事に気付いた。
『離さないで……』
まるで、絡めたその感触に縋るように、悠希が何かを訴えかけてきているような気がする。
気のせいかもしれないけれど、そう感じてしまった私は……、水面下での抵抗をやめた。
(悠希さん……、無理をしてる。進藤さんを前に、凄く、無理をして、……笑ってる)
外の綺麗な景色に視線を逃がす事も出来ず、自分の仕事を全うしようと、そう頑張っていても、悠希さんの心は助けを求めている。
進藤さんの、自分に対する熱心な愛情と、狂気と背中合わせの純粋さ……。
私と同じように、悠希さんも……、進藤さんから耐え難い何かを感じているのかもしれない。
「でも、俺以外にも歌ってる奴は沢山いるのに、こうやって一途に応援してくれるファンがいるっていうのは、幸せ者だよな……。他にはいないの? 好きな歌手やアイドルとか」
進藤さんだけじゃなく、私と幸希ちゃんにも問いかける悠希さん。
「月夜さんだけに決まってるじゃないですか~!! アタシ、高校の時に月夜さんの歌声を聴いて、一瞬でファンになっちゃったんですよ~!! それから三年近く、ずぅぅ~っと!! 月夜さんだけのファンなんです!!」
本当に……、一途な人。
だけど、彼女の態度も言動も、全てがファンの枠を超えたものであると、何度注意されても、改める様子はない。
後で撮影したものを編集出来るとはいっても、これじゃあ……、月夜さんとの部分だけ大幅にカットされる可能性が。
「じゃあ、そっちの子は?」
進藤さんに軽くお礼を言って、今度は幸希ちゃんへと視線を向けた月夜さん。
話題を振られても幸希ちゃんは動じた様子もなく、さっき下で買ったクッキーをポリポリと食べながら笑顔で答えた。
「素敵だなぁ、って、そう思える人達は沢山いますけど、月夜さんの事も好きですよ。歌ってらっしゃる曲はロック系ですけど、個人的には……、逆のも聴いてみたいって、そう思いました。声がとても綺麗だから、バラードとかもしっとりと歌い上げられるんじゃないかな、って」
「有難う。俺も、ロック以外の歌もCDで出したいって思ってるんだけど、事務所的になかなか、ね。……じゃあ、今度は、アンタ」
「え?」
絡められている感触がぐっと強くなり、向けられた視線の真剣さに息を呑む。
悠希さ~ん……、これ、企画ですよ~、テレビ用の企画なんですよ~……。
そんな、まるで愛の告白に挑むような目で私を見ないでください!!
けれど、悠希さんは小型カメラから見えないからと油断しているのか、それに背を向けた状態で、私の方に熱い視線を送ってくる。
「アンタはどっち? 他にも好きな奴がいるの? それとも、……俺の事だけ、好き?」
「え、えっと……、あ、あのっ、それ、はっ」
征臣さん!! 征臣さん!! 征臣さん!! 征臣さぁあああああああああん!!
今日一番の試練が来てます~!! 悠希さんが撮影中である事も忘れて、本気モードに!!
進藤さんもそれに気付いている様子で、私を殺気全開の目で見てくるし、あぁああああぁっ!!
「月夜さんのバンドも、す、好き、ですけど、童謡とか、そういう歌を唄っていらっしゃる方々も、好き、ですっ」
結局、水面下で問われているそれから全力ダッシュで逃げた私は、それから地上に着くまでの間……、ものすごぉ~く耐え難い空気の中で息をする羽目になった。




