嫉妬と悪意の小悪魔
「はぁ~い、ごめんなさ~い!!」
悠希さん達とコーヒーカップに乗った後、一度撮影が中断された。
理由は、……進藤さんの過剰な悠希さんへのスキンシップ、と、テンションが高すぎるという部分のせいで。全身で愛情たっぷりに接し過ぎる彼女に、撮影現場のスタッフの人達が頭を抱えてしまったのだ。
「全然反省してないね……」
撮影スタッフや参加者の子達と一緒にベンチで休んでいると、私の隣でジュースを飲んでいた幸希ちゃんが、不機嫌を露わに、進藤さんが怒られているメリーゴーランドの方を見た。
責任者の人に何を言われても、確かにあの子は全く反省した様子が見られない。
別のベンチでバンドのメンバーの人達と休んでいる悠希さんの方ばかり、ちらちら、ちらちら。
あれはもう、ファンというよりも……、一人の恋する女の子のそれだ。
「あの子に脅されたんでしょう? ほのかちゃん……」
「え……、う、うん。そう、なんだけど、ね……、でも、多分、悠希さんへの愛情が強すぎて、つい、攻撃的になっちゃったのかな、って」
「つい、で、ほのかちゃんの心を傷付けた事、私は絶対に許せないよ」
やっていい事と悪い事がある。眉根を寄せながら私の為に怒ってくれている親友。
その気持ちは本当に嬉しい。だけど、今日頑張らないといけないのは、私だから。
「幸希ちゃん、大丈夫だから。あの子が私に対して敵意を抱いていても、それに負けたりしない。そう、征臣さんと約束したの」
「ほのかちゃん……」
幼い頃から一緒にいた、大切な親友。
ずっと昔から、私達は手を取り合って目の前の問題を乗り越えてきた。
だけど……、私達はもう、別々の道を歩いている。
幸希ちゃんには幸希ちゃんの、私には私の、自分の足で歩いて行く道が。
だから、親友に守られて震えている立場ではいられない。
そう自分の決意を話すと、幸希ちゃんは困ったなぁといった表情で怒り顔を解いて笑った。
「私も引っ越してから色々あったけど……、ほのかちゃんも、変わったんだね」
「そう、なのかな。変わりたい、って、強くなりたいって、今は思ってるけど」
「なってるよ。脅迫なんてされて、普通だったら怯えてしまうものなのに、その相手を前にしても、ほのかちゃんは逃げない。凄く、強い意志が感じられる瞳になった」
嬉しそうに私の手を握り締めると、彼女は続けてこう言ってくれた。
「だから、見守るね。あの子と、自分の問題と戦おうとしてるほのかちゃんを、傍で見てる。ずっと……」
「幸希ちゃん……、ありがとう」
大切な親友に微笑みを返し、私は進藤さんに視線を戻す。
悠希さんの事が好きで、好きで、大好きで、その感情を敵意に変えて、私を憎んでいる人。
征臣さん達が何をしようとしているのかはわからないけれど、私は、私に出来る戦い方で、彼女と向き合っていこう。たとえまた、心無い言葉や、――危害を加えられる事になったとしても。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「は~い、それじゃ、お昼の休憩に入りますね~! 皆さん、一時間自由行動です」
「「「は~い!」」」
撮影は順調に進み、ようやく一息つける時間帯になった。
この瞬間に至るまで……、本当に、気が遠くなるような目に遭ったけれど、征臣さん、私はまだ頑張れます。どうか見守っていてください。
疲労を負った心で溜息を吐いていると、私の左側に、あの子が立った。
「うざ……、さっさと消えればいいのに」
「――っ。……進藤さん」
「ふふ、どうしたんですか~? 顔色、悪いみたいですけどぉ~?」
心から、愉しそうに、悪意を込めた笑みで私の足を踏みつけてくる進藤さん。
ストレート過ぎるその敵意に、負けてなるものかと視線を逸らさず、私も笑みを返す。
「大丈夫ですよ……。少し、疲れただけです。一緒に昼食でもとりますか?」
瞳に立ち向かう意志を込めて誘いをかけた私に、進藤さんはあからさまな舌打ちをして、足をどけた。気に食わない、大嫌い、そんな嫌悪の感情が伝わってくるような表情。
嫌がらせをすれば、私が怯えて泣くとでも思っていたのだろう。
彼女は怯まない私に機嫌をますます損ねると、吐き捨てるように小声でこう残して立ち去ってゆく。
「死ね、クソ女っ」
「……それじゃあ、また」
彼女が駆け足で去って行くと、私の肩に温かな感触が落ちた。
「ほのかちゃん……、大丈夫?」
「うん……、大丈夫。まだ、頑張れる」
進藤さんの言葉や態度はあからさまで、撮影中に何度も、幸希ちゃんは眉を潜めていた。
けれど、私が自分で頑張れると、そう言ったから、必死に耐えて、でも、放っておけなくて、こうやって寄り添ってくれている。
「蒼お兄さんの言う通り……、あの子、誰かが止めなくちゃ、きっといつか、取り返しのつかない行動に出る気がする。ほのかちゃん、くれぐれも、気をつけて」
「……うん」
気遣ってくれる幸希ちゃんと一緒に園内の飲食施設へと向かった私は、そこに着くと、彼女に席の確保をお願いして、お手洗いへと向かった。
頑張れる、そう口にはしたけれど……。
「うぅっ……、はぁ、はぁ」
女性用のお手洗いに入り、鏡の前で膝を折る。
たとえ年下の女の子が相手でも、――人の悪意は毒になる、それを身に染みて感じた。
胸を掻き回すような不快感と、こみ上げてくる吐き気。
進藤さんの嫉妬と憎悪の感情は、その存在の近くにいるだけでも、恐ろしい程に強い。
まるで、殺してやる、と、絶えず脅されているかのような恐怖感。
どうにかお昼まで耐える事が出来たけれど、……駄目だなぁ、身体が、情けない程に震えて、泣きそうな気持になる。
「……大丈夫、大丈夫。絶対に、負けたり、しない」
自分を強くみせる為の、勇気を持続させる為の、呪文のような言葉。
呼吸を落ち着け、私はゆっくりと立ち上がる。
「負けない……」
そう強く鏡の中の自分に告げて、不安に揺れる鼓動が落ち着いた頃、お手洗いを出た。
幸希ちゃんが待っているから早く戻らないと、急ぎかけたその時。
「きゃっ!!」
突然、腕を引っ張られるような感覚を味わったかと思うと、人目につかない通路の方に引き摺り込まれた。
まさか、あの子が……、そう恐怖を覚えたけれど、――違った。
「……征臣、さん?」
顔に押し付けられた温もり、私の身体を力強く抱き締めている腕の感触。
辛そうな吐息が落ち、彼の低く切なげな声音が、私の名を呼んだ。
「ほのか……」
「どうして、ここに……? 蒼お兄ちゃんと一緒にいたんじゃ」
「アイツの事はどうでもいい……。それよりも、ごめんな……、決着を着ける為とはいえ、お前にこんな……、辛い思いをさせちまって」
今にも泣きそうな顔で、私の頬をその大きな手のひらに包み込みながら、征臣さんが謝ってくる。
あぁ、……そうか。進藤さんとの事、全部、見てたんだ。
どこかで見守ってくれているとは思っていたけれど、私は自分が負った痛みよりも。
「大丈夫ですよ、征臣さん……。私は、辛くなんてありません」
「嘘吐け……っ。こんな青ざめた顔で、無理すんなっ」
「無理じゃありません。征臣さんが、皆が見守ってくれているから、強く在れるんです」
だから、そんな顔をしないでほしい。いつものように、自信満々に微笑んでください。
私が傷付く事で、貴方に痛みを負わせる事なんてしたくない。
征臣さんの温もりを抱き締め返しながら、猫のようにその胸に顔を擦り付ける。
「悠希さんを想う進藤さんの気持ちは、怖いぐらいに強くて、そして、凶器のようでもあると、そう実感しましたけど……、負ける気はありません。だって」
「ほのか……?」
「私も、無敵の俺様な獅子様に恋する、一人の女ですから」
悠希さんにではなく、目の前のこの人を、愛する人を想うこの気持ちを胸に、私は彼女の歪んだ部分に立ち向かう。何をしても無駄だと、敵意や悪意を跳ね返す。全力で。
ニッコリと、無理ではなく、心からの笑顔で言い切ると、征臣さんがきょとんと目を丸くして、……ぷっ、と、噴き出した。
「ははっ……、そうだな。お前も、恋する強い女の一人だ。……あんな奴に、やられっぱなしで終わるような女じゃない。何倍にも膨らませて、報復してやれ」
「ふふ、流石に、酷い事をする気はありませんけど、引く気もありません。最後まで、戦ってきます」
「無理だと、限界だと感じたら……、その時は、遠慮なくお前の友達に言え。俺もすぐに駆けつける」
頑張ると、そう言っているのに、やっぱり征臣さんは過保護だ。
でも、今はその優しさが、この温かさが私にとっては、癒しであり、勇気の源。
額にそっとキスを贈ってくれた征臣さんの頬に、私も背伸びをしてそれを返す。
すると、征臣さんが私をぎゅっと強く持ち上げるように抱き締めて……。
「んっ……」
塞がれた唇から、征臣さんの熱い吐息が、想いが、流れ込んでくる。
誰が来るかもわからない場所だけど……、心地良い。
私は瞼を閉じて、征臣さんが与えてくれる抱擁と熱に身を委ねた。
大丈夫、私にはこんなにも、心強い味方がいてくれる。
進藤さんがこれから何かを仕掛けてくるとしても、決してこの心は折れない。
「全部終わったら……」
「はい?」
「欲しいだろ? ご褒美」
ニヤリと、まるで意地悪をしてくる時のように、征臣さんは不敵に笑う。
ご褒美……? う~ん、征臣さんが言うと、なんだか怖いような、素直に喜べないような……。
「なんだよ、欲しくないのか?」
「いえ、特に、何か征臣さんにお願いした事はないので、別になくても……」
「……激しく俺の存在価値を殺しにかかってくる返事だな、おい」
コツン、と、額に額をぶつけられて、私は困り顔で身を捩る。
だって、ご褒美はもう、沢山貰っている気がするし、これ以上は……。
私の為に駆けつけてくれて、こうやって勇気をくれただけで十分。
でも、ご褒美は確かに必要かもしれない。私じゃなくて、征臣さんに。
「征臣さんは私の為に今動いてくれているんでしょう? なら、私の方こそ、皆さんや征臣さんにお礼をしないと……。何がいいですか?」
これでも、毎日一生懸命働いてますから、貯金だってバッチリです!
征臣さんの欲しい物を今度一緒に買いに行きましょう、と、そう言ってみたら、物凄く残念で見下ろされてしまった。どうしてかな……。
「俺の欲しいモンなんて、……ひとつに決まってんだろうが」
「ひとつ?」
「可愛く首傾げんな、目の毒だ。……けど、くれるんなら、貰ってやる。今日の件が終わったら全力で考えろ。知恵熱出すくらいな」
「は、はぁ……」
恨みがましく睨まれて大きく溜息を吐かれた後、私は征臣さんと別れ、幸希ちゃんの所へと戻った。
征臣さんが言っていた言葉の意味を、遅れて気付いた時に……、自分の顔が真っ赤になるとも知らなかった私。
――そして、進藤夏実さんの悪意が、本格的に勢いを増し、事態は大変な流れへ進んで行く事も、まだ、知らなかった。




