露天風呂と俺様獅子様の忍耐
突然の旅館一拍……、悠希さん絡みのパパラッチ騒動、私の迂闊な判断による獅雪さんのお怒り、などなど、頭の中はパニックだらけだというのに、さらなる追い討ちがかかってしまった。
「おい、……離れすぎだろ」
「え、えっと……、こ、こっちの方が落ち着くんですっ」
「ほぉ……」
最後まで頑張って抵抗をしてみたけれど、結局私は獅雪さんの強引なお誘いに勝つことが出来なくて、無理矢理服を剥かれて素っ裸で露天風呂に放り込まれるのと、自分からタオルを巻いて大人しく混浴コース、どっちを選ぶんだと怖い顔で迫れて……、ううっ。
獅雪さんに全裸を見られるよりはと選んだのは、勿論後者の選択肢だった。
白いバスタオルを身体に巻き付け、先に入っていた獅雪さんとはかなりの距離を空けて熱い湯船に顔下まで沈み込んでいる。
だけど、それを良しとしてくれる俺様な獅子様ではなかった。
ぴきりと青筋をこめかみの辺りに浮かべ、大股でお湯を掻き分けて近づいてくる。
「な、何でこっちに来るんですかっ」
「一緒に入ってんのに、離れてる方が変だろうが!」
「へ、変じゃありません!!」
「いいや、変だ!! 大体な、その内全部見ちまうんだから、今見ても一緒だろうが!!」
「な、ななななっ、何を言ってるんですか!!」
逃げようとする私を、獅雪さんはその力強い腕で肩ごと掴んで自分の方に抱き寄せてしまう。
み、見ないように気を付けていたのに、普段は服の壁で隠されていたはずの肉付きの良い逞しい胸板の感触が……、た、タオル越しとはいえ、こんなにも近くにっ。
お互いに正面を向いた形で、私は身動きをとる事さえ出来ずに背中を抱え込まれている。
あきらかに機嫌を損ねている事がわかる眉根の寄った怖い顔を近づけられ、コツンとその額を同じ場所に押し付けられてしまう。
「別に、今取って食う気はねぇよ……。かなり堪えちゃいるがな」
「うぅ……、で、でも、この状態は、恥ずかしすぎるんですよっ」
「俺だって我慢してるんだ。お前も根性出せ」
「む、無理ですよ~……」
肌を包むお湯の熱でのぼせる前に、獅雪さんからの無茶で意識を失ってしまいそうだものっ。
な、何か……、何か、気を逸らす話題でも出して密着している恥ずかしさを誤魔化さないと。
私は獅雪さんに、この状態では話しづらいからと訴え、自分の身体を反対側に向けて貰えるように懇願する。勿論……、その不機嫌さに威力が増しはしたけれど、三回ほどお願いしたところで、ようやく身体の向きを変える許可を得ることが出来た。
獅雪さんの身体に背中と頭を預ける形で、後ろからまわされてきた両腕で檻を作られる。
「あ、あの……、さ、さっきの、悠希さんの件なんですけど」
「お前が俺以外の男の為にドレスを着て、写真まで撮らせた件か?」
「そ、そっちじゃなくて!! ぱ、パパラッチの件です……。
今、私の家の方では……、どうなっているんでしょうか」
「心配すんな。そっちは蒼の奴が上手くやってる最中だ。
……ま、鈴城家に金の要求なんかしやがった以上、酷い目に遭うのは」
そこで、獅雪さんが何故か言葉を留めてしまった。
お湯の中に沈めている私の左手に腕を伸ばし、何も言わずに指先を弄ってくる。
それは、言い難い事を躊躇っているような、そんな気配を背中越しに伝えてくる仕草だった。
「……まぁ、あれだな。道理に反した事をやった奴は、必ず罰を喰らう、つーか」
「獅雪さん?」
「とにかく、お前は秋葉家の次男には今後一切接触すんな。
園の方にも、蒼が話を通す事になってる……。外で会っても、絶対に流される事はやめろ」
いつも、どこからともなく現れる悠希さん……。
私が、もう話をする事も、顔を合わせる事も拒んだとしたら……。
あの純粋な人の顔が悲しみに染まるのを、簡単に想像出来てしまう。
きっと凄く傷付いてしまう事だろう……。だけど、そうしなければ、悠希さんだけじゃなくて、他の大勢の人にも多大なる迷惑をかけてしまう事は……、絶対的な未来だろう。
私と悠希さんの間違った噂が世間に出回れば、獅雪さんにも迷惑がかかる……。
「……わかりました。悠希さんとは、もう、会わないようにします」
悠希さんは私にとって、獅雪さんが心配するような恋愛対象ではないけれど、なんというか……、素直で可愛い、例えるならば、弟のような存在であり、良い友人のように思える人だった。
身体は大人だけど、中身が子供のようだと、会う度にそう感じられた人。
そんな悠希さんともう二度と会えないのは、少しだけ……、寂しく感じられる決断だったけれど、これがお互いの為にも、周りの人達の為にも最善の方法なのだと納得した。
それに、本当はもっと早くにそうしておくべきだったのだと、そう思えるから。
「まぁ……、事が落ち着いて、心配がなくなったら……、
俺がお前の傍にいるのを条件になら、アイツにもお前と過ごす時間を与えてやってもいいけどな」
「獅雪さん……。珍しいですね? そんな事を言うなんて」
「俺も根っからの鬼じゃねぇんだよ。
つーか、秋葉家の長男に比べたら、次男は人畜無害だろ」
「そ、そうでしょうか? 昴さんも良い方だと思うんですけど」
悠希さんよりは少ないけれど、三男の怜さんと一緒に幼稚園や自宅に訪ねてくる昴さんは、私の嫌がるような事はしていなかったし、基本的にあまり変わりはないような……。
だけど、獅雪さんは昴さんの事を口にする時、物凄く不機嫌になってしまうのだ。
まさに天敵! と言わんばかりの苛立ちを、獅雪さんは背中越しに伝えてくる。
多分、私の事がなくても、獅雪さんと昴さんは元から相性が悪いのではないだろうか。
「そういや……、前から気になってたが」
「はい?」
「何で俺の事は『獅雪さん』呼びなのに、秋葉家の奴らの事は名前呼びなんだ?」
「えっと、それは……」
悠希さんに本当の名前を教えられた時は、苗字がまだわからなくて、そのままの呼び方に……。
苗字がわかった後も、結局三人を呼び分ける為に名前の方で……。
それは、獅雪さんもわかっている事だと思っていたのだけど……、何でこんなに不機嫌さが増しているんだろうか。
だけど、前を向いていた私の身体の向きを、また強引に自分の方に振り向かせた獅雪さんの表情は……、予想外にも、寂しそうなものだった。
「俺は、お前の恋人だろ……? 他のどんな奴よりも、心の近いとこにいる……。そうだろ?」
「そ、それは……。で、でも……」
「でも、なんだよ?」
「今までずっと獅雪さんの事は、獅雪さんって呼び続けてきたので……、
呼び方を変えるとなると……、なんだか、は、恥ずかしく、て」
他の人の名前は自然に呼べたけれど、獅雪さんの……、一番大切な男性の名前となると……、自分の部屋で試しに音にしてみた事はあるけれど、本人を前にしているこの状況はまた違う。
この世界で一番大好きな人がこんなにも近くにいて、音にすれば、それがその人の心に直に届いてしまう距離……。
大人なのだから、他の子であればスマートにこなせるとも思うのだけど、私にとって獅雪さんは初めてお付き合いをした男性という事もあって……、名前を呼ぶ事は、どうにも気恥ずかしく感じてしまうのだ。子供っぽいって……思われてしまうかもしれないけれど。
だけど、このまま獅雪さんに寂しい思いをさせてはいけない。
私に名前を呼んで貰えなくて傷付いている、この……俺様的だけど、繊細な獅子様を。
「ま……、征臣、さん」
「……他の奴と同じか?」
それはきっと、そのままの音で呼べという意味なのだろう。
『さん』なんて……いらないのだと。自分を一番大切な存在なのだと思うなら遠慮なんかするなと、獅雪さんは私の頬をその大きな両手で包み込みながら促してくる。
人を呼び捨てで呼んだ事なんで、今までの人生の中で、一度もない。
ふと、今日久しぶりに会った親友の幸希ちゃんは好きな人をどう呼んでいるのだろうかと意見を求めたい気にはなったけれど、……今、私の目の前にいるのは獅雪さんなのだ。
どこにも逃げ場はない、愛しい檻の中……。
「……征臣」
「……」
「征臣……、さん? ンッ」
獅雪さ……、征臣さんは、一瞬真顔で無言になったかと思うと、突然私の顔にその唇を近づけて、予告もなしに深い口付けを与え始めてしまった。な、何で!?
熱いお湯の水面を掻き乱しながら、征臣さんの熱い吐息が私の中に交ざり込んでくる。
抗う事の出来ない息苦しさと、奪われそうなくらいに強引なその行動が、やがて彼の心の落ち着きを感じさせるように治まっていくと、征臣さんは私を抱き上げてしまった。
「あ、あの、な、何をやって!!」
「ほのか……、相談なんだが」
「な、なんですか?」
「夕飯を食う前に……、お前を食いたくなった」
「……はい?」
今……、何だかとても、私にとって危ない発言を聞いた気がするのだけど、幻聴?
ざばりとお湯の水面に大きな波紋と揺れを生じさせ立ち上がった征臣さんは、――冗談でない本気の目をしていた。
それが何を意味しているかなんて、考えなくてもわかる事だけど……。
生憎と、今夜そういう事が起きてしまう心の準備はしてきていない。
「な、何で急に……」
「蒼には、結婚するまで手を出すなとは言われたが……。
俺の名前を呼んだ時の、お前の顔が……、滅茶苦茶キたんだよ」
「か、顔?」
「一緒に風呂に入って、少しだけ恥ずかしい思いをさせてやろうと思っただけだったんだがな。
……俺の方が、面倒な立場に追い込まれた。……お前は、嫌か?」
い、嫌かと問われれば、私の心の中に在る答えは『嫌じゃない』になるわけで……。
だけど、色々と問題の起きている今の時期に、征臣さんと結ばれる事は……。
たとえ、私の中に……、征臣さんとひとつになりたい気持ちがあったとしても、やっぱり、何も解決していない今のこの時期は避けるべきだと、そう思う。
「ごめんなさい……。もう少しだけ、待っては貰えませんか?」
「……ほのか」
「征臣さんの事は、心から、あ、愛しています。
だけど、婚約さえ危ういこの時期ですから……、お義父さんに仕事の件も含めて認めて貰うまでは、本当の意味で幸せにはなれないって、思うんです」
男性である征臣さんに我慢をさせてしまうのは申し訳ないって思うのだけど、私の中に迷いがある限り、この心と身体を本当の意味で委ねる事は出来ないのだ。
不機嫌になっていく征臣さんの顔を見上げながら、もう一度、繰り返す。
「はぁ……。お前って奴は、本当に俺を振り回す天才だな」
「ご、ごめんなさいっ。でも、全てが片付いたら……、その時は」
「お前の全部……、俺にくれるのか?」
「は、はい……。そ、その時は……、が、頑張り、ますっ」
どうやって頑張るのかは全然わからないけれど……。
征臣さんを待たせてしまった分、私に出来る事なら頑張ってやるつもりだ。
だけど、征臣さんはちょっとだけ居心地が悪そうに視線を彷徨わせた後、疲れたような溜息をひとつ。
「はぁ……。無意識なんだろうが、そういう事を言うのはやめろ」
「え……」
「頑張る、とかな……。そういう可愛い事を言ったら、男が暴走するってわかれよ」
「ぼ、暴走……」
今にも頭を抱えて蹲りそうな気配の征臣さんに下におろされた私は、先に部屋に戻っていると告げて去っていく獅雪さんの背中を見送る事しか出来なかった。
多分、暴走の中身に関しては、あまり詮索しない方がいいのだろう。そんな気がした。
湯船にもう一度戻り、征臣さんが戻った先を見……ようとして、一瞬で慌てて視線を戻す。
(全部……、終わったら……、征臣さんと)
ちょっとだけ想像してみて、……湯船の奥深くにまで頭ごと沈んでしまう私。
結い上げている髪も何もかも、熱いお湯の中に溶けていく……。
好きな人との初めてって……、どんな感じなのかなぁ。
全部見られてしまうという羞恥と、少しだけの……怖いという感情と、大きな喜び。
私の初めては、全部征臣さんが奪ってくれるのだと考えると、お湯の中だというのに身体の奥が別の意味で熱くなって……、あぁ、何も考えられなくなっていくかのようだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
Side 獅雪征臣
「はぁ……、最悪だな」
俺は今、湯船でのぼせてぐったりとなってしまった大事な女を布団に寝かせ、この寒いのにうちわを片手に看病をしているという散々な目に遭っている。
ふにゃぁ……と、頼りないんだか可愛いんだか感じるに迷う小さな声を漏らしながら、ほのかは運ばれてきた美味い飯にもありつけず、気絶しているままだ。
一応、この旅館のオーナーが元医者だったお蔭で、すぐに診て貰う事は出来たが……、はぁ、やっぱり俺のせいか。年甲斐もなく仕掛けようとした俺のせいか。……だろうな。
(欲しいのは本当だが……、ガキみたいに突っ走ったら……、蒼に瞬殺されるな)
それは気のせいでも、過剰な心配事でもなく、俺がほのかを奪えば実際に起こるであろう事実だ。
妹を大事にしているあの過保護な男は、結婚するまでは絶対に手を出すなと何度も何度も……。
それこそ、鬼以上の気迫をその笑みに黒い炎のように纏わせて脅しをかけてくる男なのだ。
その約束を破って事を成せば……。
(だが……、さっきは本気で欲しくなっちまったんだよなぁ)
それは、いつも心の中でほのかに対して在る、男として当然の本能ではあったのだが……。
まさか、本気で実行に移すほどの扇情を俺の中から引き摺り出すとは……、ほのか、お前、本当に俺を振り回す天才だな。
白い布団に広がっている、ほのかの長い黒髪を指先に絡め、文句を言いながらそれを弄ぶ。
蒼からの面倒で厄介な試練を乗り越えて、やっと接触する事が叶った存在……。
最初は、本気で怯えられるわ拒絶しまくられるわ……、精神的にかなりの傷を負ったもんだが。
追いかけて追いかけて、ほのかの心がゆっくりと俺に対する愛情を育めるように行動しようと思っていたのに……、結局は、俺の焦りや、早く自分のものにしたいという欲を押し付ける形になってしまった。
(だからこそ……、最後の一線は、待つ、べきだよな)
別に、蒼から半殺しの目に遭わされる事が怖いわけじゃない。むしろ、立ち向かって勝つぐらいの気概は見せる気だ。蒼がどんなに腹黒く面倒な存在でも、俺はほのかに対する想いを遠慮する気はないからな。
もしも、結婚前であっても、ほのかが俺を心から受け入れてくれるのだとしたら、蒼には悪いが、誰かに奪われる前に、ほのかの俺を想う心ごと……、奪ってしまいたい。
「ん……」
「飯……、冷えたよな……。まぁ、ここの料理は冷めても美味いって、評判なんだが……」
温もりを失っていく旅館の豪勢な料理を振り返りながら、俺は苦笑する。
こいつの事だ。大方、俺が変な事を言い出したせいで、悩みに悩んでいたんだろう。
俺を待たせるのが悪い、とか、男との行為に対する恐れや戸惑い……。
真剣に俺との事を悩んでくれるのは嬉しいが、こんな事になるなら、先に上がらせておくんだった。
「ほのか……、大丈夫か?」
「んん……、ふぅ」
駄目だな。もう暫くは目を覚まさないだろう。
俺は浴衣を纏った姿でほのかの傍から立ち上がると、テーブルに置いたスマホを手に取り、静かに部屋を抜け出す事にした。
ほのかを無事に旅館へと保護した事、これからの事……、俺が借りているマンションの一室に移る前に、話し合っておく事がある。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『そう……。一応、秋葉家の方にも連絡を取ってみたけど、あの手紙と写真は届いていなかったそうだよ』
「届いてない……? じゃあ、事務所の方か……」
『多分正解だろうね。一応、所属アーティストの本名や実家のデータは公表されていないようだし、
秋葉家に電話をかけた時に、昴さんから悠希君に話して貰ったから、今頃は事務所の方に確認の連絡を入れているはずだよ』
旅館の玄関口に近い外の壁に背を預け、通話口の向こうにいる蒼の話を静かに聞いている。
鈴城家に届いた一通の手紙。そこに添えられていた一文は、……『幾らでこのネタを買ってくれるか』という、悪趣味極まりない脅迫者の欲だった。
先に公の記事として世間に出回る事に比べれば、金を要求する手段に訴えてくれて助かったとも言うべきかもしれないが、勿論、蒼や鈴城家は、黙って金を払う気はない。
差出人の特定と、現状を打破する対処を進めている最中だ。
「あんなもんをバラまかれでもしたら、次男の方だけじゃなく、
……ほのかの職場にも影響があるだろうからな」
『本当にね……。たとえ誤解であったとしても、マスコミの標的にはなるだろう。
それこそ、面白おかしく書き立てられ、征臣……、お前との事も表に出てくるだろうね』
「だろうな……。ドロ沼の三角関係とか、二人の男の心を弄んだ悪女とか、
書こうと思えば、幾らでも悪趣味極まりない言葉の羅列が並ぶだろうよ……」
さらに言えば、秋葉家次男についてる大勢のファンが動く可能性もある。
今の世の中、人の個人情報をネットに晒す面白がって事を大きくする馬鹿が多いからな。
自分が関係していない限り、祭りのように騒ぎ出す……。反吐が出る世の中の悪癖だ。
『俺は、ほのかに傷付いてほしくないからね……。
悠希君にも、暫くはほのかに接触しないように言い含めておいたから、これ以上の何かは起きないはずだよ。その間に……、ネタを持っている元凶と接触する必要があるけどね』
「金を要求した以上、向こうから連絡があるだろうが……。
はぁ、鈴城家、つーか……、お前みたいな魔王に手を出した奴には心底同情するけどな」
『褒め言葉なら受け取っておくけど……、俺もそこまで鬼じゃないよ?
ウチの可愛い妹をネタに金をせしめようとした愚かな人には……、それなりの報復をするだけ、だよ』
「まぁ、そっちはそっちで頑張ってくれ。
ほのかの事は、俺が責任持って害が及ばないように面倒見る……」
今夜はこの旅館に泊まる事になったが、明日には俺の借りているマンションの一室に移る。
園の方にも迷惑がかからないように、園長にも蒼が話を通すはずだ。
秋葉家の次男を言い含めたとは言っても、アイツ……、どっか予想外の行動をしそうな気もするからな……。
念には念をだ。ほのかと同じ職場に勤めている透には先に連絡しておいたし、まぁ……、盾ぐらいにはなるだろう。
『それと、お前の父親にもほのかの件……、気付かれないようにね?』
「だな。あの頑固親父が今回の件を知ったら、ほのかの事を見限る可能性もある」
『ほのかの仕事の件だけでも焦れてるみたいだしね……。
スキャンダルのネタになったと知ったら……、今以上にややこしくなる』
悪い意味で世間の的になるという事は、本人達だけでなく、その周囲にも多大な影響を与える。
特に、立場のある奴や、社会的影響を受けやすい俺達の背後にある家柄には……。
獅雪家が経営する会社と、それに関連する会社にまで悪影響を及ぼすとなれば、親父もほのかを切る事に躊躇いを見せる事はないだろう。
「獅雪家の方にも妙な接触がないかは調べとく。……それじゃあな」
通話終了の項目をタップし通話を終わらせた俺は、この心の内とは真逆の……、綺麗な星空の光景を視界全てに埋め尽くす。
はぁ……、いつになったら俺は、好きな女とゴールに辿り着けるんだろうな。
ここまで面倒事が重なると、……誰かが俺に対して苦労をしろと呪いをかけているような気がしてならない。まぁ、受けて立つが。
「別に女が結婚して働いててもいいじゃねぇか……。
アンタが寂しい思いをしたのは同情するが……、俺達の子供にはそんな思いさせるかよ」
小さく呟いた親父への反抗の言葉だったが、上を見上げていた俺のすぐ近くで、「こんな所で何してるんだ?」と、……ハスキーな少年を思わせる声が響いた。
視線をそちらに落とせば、さっきと変わらずの浴衣を纏ったロングストレートの色素の薄い髪質をした、ほのかと同じ歳程の女性が俺を見上げていた。何故ここにいる?
すでに何度か俺の悪友の恋人として顔を合わせているだけだが、今ではすっかり気心も知れて、砕けた物言いを互いにするようになっているんだが……。
てっきり部屋に戻ってからイチャついてんのかと思っていた俺は、目を丸くして彼女を見つめてしまう。
「こんな所に長居してると、風邪引くぞ?」
「あ、あぁ……。ちょっと用事があって連絡をしてたんだ。
結の方は……、響の守りはしてなくていいのか?」
「アイツも獅雪っちと同じだよ。事務所から連絡がきて、中で話し中。
で、私は暇だから散策中、だな」
「そうか……。で、俺に何か用事か?」
「ん~……、あのさ、さっきの子、大丈夫か?」
さっきの子、というのは、恐らく、ほのかの事を言っているのだろう。
俺が自分の激情に任せてほのかを怒鳴っていたから、ちゃんと大丈夫になったか不安……、まぁそんなところか。
俺は結音の頭をくしゃくしゃと撫でると、「何とかな」と、安心させる為に微笑を向けた。
男に怒鳴られたり感情をぶつけられる事が、女にとってどれだけの恐怖なのか……。
今振り返ってみれば、本当に自分の迂闊さには頭が痛くなる。
普通に怒鳴るのだけでもきっとほのかにはいつも迫力がある事だろう。
それを、本気の怒りをぶつけようとしたんだ……。怖がられてもおかしくはない。
あの光景を見た結音が心配するのも当然か……。
つーか……、あ、いい事を思いついたぞ。
「なぁ、結」
「ん?」
「今夜……」
悪友には拷問のような提案だろうが、俺だけが堪えて切ない夜を過ごすのも理不尽だからな。
俺は悪友の恋人の耳元に唇を寄せ、至極平和的な事を提案したのだった。
それを聞いた彼女の顔は……、苦労が減る! と、心からの明るい笑顔を浮かべていたんだが、日頃の行いのせいだ。観念しろ、響。




