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俺様獅子との猛愛エンゲージ!  作者: 古都助
~第二部・俺様獅子様の出張と婚約パニック!~
48/71

俺様獅子のお怒り

時間軸は前回より少し戻ります。

昔からの親友、幸希と、悠希と別れた後、

ほのかは迎えに来てくれた獅雪と共に車に乗り込んで出発します。

しかし、行く先が予定とは違っていて……。

「迎えが遅くなって悪かったな」


「いえ、幸希ちゃんといられる時間も長くなりましたし、楽しかったですよ」


「そうか……、なら、いいんだが」


 迎えに来てくれた獅雪さんの車に乗り込んで十分ほど……。夜の闇と道路用の街灯の光に照らし出された夜道を走り続けるその中で、何かを考え込んでいるような緊張した気配を纏っていた獅雪さんが、ようやく口を開いてくれたかと思ったら、……その内容は、私を迎えに来てくれた時と同じ言葉。

 視線は運転中だから前を向いたままだけど、何だか……、頭の中で他の事を考えているような、そんな気がするのは、きっと気のせいじゃない。

 私との待ち合わせの時間に遅れて来た事と、蒼お兄ちゃんが通話の向こうにいた事と……、何か関係があるのだろうか。

 暫くの間、一度別れた後にあった楽しい親友との出来事を話して聞かせていると、獅雪さんは相槌を返してはくれるものの、その返事に中身はないような気がした。


「獅雪さん、……あの、何か、ありました、か?」


「……」


「獅雪さん?」


 相槌さえなくなり、いつもとは違うその様子を不安に思い尋ねてみても、反応は反って来ない。

 何が獅雪さんの頭の中を占領しているのか、……見えない。

 私は伸ばしかけた手を膝の上に収め、窓の外の景色の方に意識を向ける事にした。

 獅雪さんが思案の向こうから戻ってくるまでは、何だか声をかけない方が良いと、そう、思えたから。


 ――……。


 それからまた十分ほど、車内は少しだけ緊張した静寂に包まれた。

 目まぐるしい速さで変わっていく闇夜の中に浮かぶ景色、車の走行する独特の音と、……獅雪さんの小さな息遣い。

 私には読み取る事の出来ないその心の内に、獅雪さんが何を抱え込んでいるのか……。

 せっかく二人きりの時間になったというのに……、一緒にいるのに、そうではないような気になってしまう。

 


「……ほのか」


「は、はいっ」


 不意に、獅雪さんが私へと意識を向けたかと思うと、少しだけ言い辛そうに戸惑い交じりの視線を一瞬だけ寄越してきた。

 ハンドルを切り、交差点を右に曲がった獅雪さんは、暫くの間真っ直ぐに車を走らせ、やがて、道路脇にゆっくりと近づいていく。

そして、足を運転席のペダルから離すと、疲労のこもった吐息をひとつ……。

 右手でその綺麗な色素の薄い髪を苛ついたような仕草で掻き上げる獅雪さんに首を傾げた私は、その言葉の続きを待った。


「蒼からの伝言だ。……今日は、家に戻るな」


「え……」


「今夜は、とりあえず俺と一緒に予約してある旅館に泊まるが、

 明日からは、俺が持ってるマンションの一室で寝泊まりしろ。いいな?」


「い、いえ、あの、全然意味がわからないんですけど!?

 何で急に旅館、というか、獅雪さんのマンションで暮らす事が決定してるんですか!!」


 説明が全く足りないどころか、その理由もわからない!!

 慌てふためく私の顔に獅雪さんが両手を伸ばし、ぐにっと頬のお肉を摘まんでくる。

 獅雪さんは、ずいっと顔を近づけ、「旅館に着いたらちゃんと説明してやるから、お・ち・つ・け!!」と、迫力満点の怖い顔で私を言い含めると、再び車のエンジン音を響かせ夜道を走り始めた。

 何で? 何で、獅雪さんと旅館に一泊なの!?

 何か事情があるのだろうけれど、情報が足りなさ過ぎて私の頭の中に湧き起ったパニックは容易には収まらない。

 旅館に一泊した後は、獅雪さんのマンションに……って、本当に意味がわからない。

 まさか、お義父さんに認めて貰えないから実家を出るとか、そういう事なんじゃ……。

 と、少しだけ考えたものの、獅雪さんが私と二人暮らしを始めたところで、ますますお義父さんのご機嫌を逆なでしてしまうだけだし、多分それはないと思う、うん。

 結局私は、それから旅館に着くまでの間、また静かな気配に満ちた車内で居心地を悪く感じながら、その『理由』をずっと頭の中で考えるしかなかった。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 

 自然の産物である鬱蒼と茂る木々の群れを抱く山道……、前方を車のライトで照らしながら登って行くと、旅館へと導くように灯篭の光が現れた。

 闇夜を彩るその光の螺旋を追っていくと、やがて……、昔ながらの趣を感じさせる古風ながらも立派な佇まいの建物が視界に映った。

 あれが……、今夜、私と獅雪さんが泊まる……場所。

 旅館の入り口には薄紫の着物を着こなした品の良い四十代半ばほどに見える女性と、何人かの仲居さん達が表に出ていた。

 獅雪さんが車を駐車場へと停め、助手席に座っている私を促して外に出て行く。

 後部座席のドアを開き、何だか見覚えのある大きなバッグを取り出した獅雪さんに、私は、「あ」と声を上げる。それは、私の部屋にあったはずの旅行バッグ。

 主に、小旅行的な場所に行く時に使っている薄桃色のバッグだ。何故、獅雪さんがそれを?

 疑問を伝える暇もなく、私はスタスタと前を行く獅雪さんの後を追うしかなかった。


「ようこそ、おいでくださいました。

 獅雪様とお連れ様でございますね?」


「はい。今夜はお世話になります」


「蓮の間を御用意しておりますので、こちらに。お客様のお荷物を」


 女将さんらしき人がその言葉を掛ける頃には、すでに仲居さんの一人が獅雪さんから荷物を受け取っていた。

 玄関口から中に入り、明るい旅館内を女将さんに先導して貰いながら進んで行く。

 時折、廊下を走ってくる子供の姿や夫婦と思われる人達を見かけながら、着いた先は旅館内の奥部分にあたる『蓮の間』と呼ばれる露天風呂付きの和室だった。

 

「お食事はもうお持ちしてもよろしいでしょうか?」


「いや、一時間ほどしてからお願いします」


「かしこまりました」


 音もなく静かに襖が閉められると、獅雪さんが漆塗りのテーブルの前に腰を下ろした。

 ぽかんと立ち尽くしている私に視線を寄越し、こっちに来いと手招きをされ、おずおずと向かいの席に置かれている座布団に向かう。

 私の荷物を自分の背後にある壁側に置いた獅雪さんは、右手で頬杖を着き、心から面倒そうなため息をひとつ零した。


「とりあえず、飯を食う前に話しとくが……」


「は、はい」


「お前、今後は秋葉家の次男とはもう会うな。園に来てもすぐに追い返せ」


「え……」


「言っとくが、俺の私怨とかじゃないからな?」


 ごめんなさい、ちょっとだけ……、嫉妬故の規制がかかったかと思いました。

 とは言えない、私の臆病な心。誤魔化す為に「そんな風には思ってませんよっ」と言い返し、話の続きを聞く事にする。

 私から悠希さんに連絡をとったり、自分から会いに行った事は一度もないけれど、来るものは拒めないというか、まず……、園長先生が親戚の縁で許可しちゃうから、悠希さんは園内に楽々侵入可能なのだけど……。

 とりあえず、お茶でも飲みながら聞こうかなと、急須にお茶っ葉を入れ、ポットから中にお湯を注いで二人分のお茶を淹れてみた。

 湯呑を受け取った獅雪さんがそれを受け取り、ごくりとひと口……。


「はぁ……。親父の件だけでも面倒なのに、なんでこんな事になるんだか」


「あの、獅雪さん……。話が見えないんですが」


「話すかどうかは迷ったが、知っておいた方が何かあった時に対処がしやすくなるからな」


 獅雪さん……、物凄く視線に『面倒』と書いてありますよ。

 ぴきりと浮き上がった額の青筋と、ぐっと寄せられた眉間の皺……。

 どんな面倒な話を聞かせられるのかと、私も湯呑からひと口啜って心の準備をする。

 そんな私に、獅雪さんはまだ脱いでなかったコートの懐から一枚の写真を取り出すと、それを私の前に置いた。


「……これは、私と、悠希さんの、写真?」


 場所は……、幼稚園内のようだけど、悠希さんが私の傍で優しい微笑を浮かべているものだった。

 周りは子供達も写っているから、間違いない。

 だけど……、なんで獅雪さんがこんなものを?


「獅雪さん……、まさか、私の事が心配だからって、張り込んでっ」


「る訳がないだろうが!! 俺はこれでも会社勤めの大人なんだよ!!」


「で、ですよね……。はは、すみませんでした」


 痛い、痛いです、獅雪さん!! 私の頭におっきな手で渾身のアイアンクローはやめてください!!

 ギリギリと頭を鷲掴まれた状態での、獅雪さんからのお仕置きに、私はぷるぷると痛みに震えながら何度も謝った。

 冗談で言ったつもりだったのだけど、今の獅雪さんには寛容してくれる心の余裕はないようだった。


「張り込まれてた、ってのは正解だがな……」


「え……」


「お前が親友と楽しんでる間、……鈴城家にそれが送られて来たんだよ。

 ご丁寧にも、金目当ての手紙付きでな」


「そ、それって……」


 私の家に送られて来た写真と、お金目当ての手紙って……。

 獅雪さんに天然だと怒られる私でもわかる……。

 この場合、私、というよりも、悠希さんと一緒に写っているという事が問題なのだろう。

 そして、お金を要求してきたという事は……。


「パパラッチ……ですね?」


「正解だ。まぁ、今までよくバレずに済んでたと感心したいくらいだが……。

 秋葉家の次男も、色々考えて誤魔化しながら行動してたんだろ。

 だから、今までは何も起こらなかった……」


「でも、今回は……」


「しつこいのがいたんだろうな。

 それも、スキャンダルとして載せるタイプじゃなくて、

 スキャンダルをネタに金を要求してくる悪趣味な奴が、な」


 ありえない話ではない。むしろ、幼稚園に通ってくる悠希さんには、有名なアーティストとしての行動には気を付けるべきだと何度も訴えていた。

 だけど、悠希さんはマスコミやパパラッチの類を上手くかわせる自信があったらしく、その行動が改められる事はなかった。本当に……、何の問題も起きなかった事が不思議で仕方がない。

 有名バンドのボーカルが、幼稚園の教諭と熱愛……、恐らくは、そういう方面での誤解をされたのだろう。ううん、たとえそう思わなくても、そう仕立てる事は出来る。


「……ごめんなさい」


 私が、もっと強く悠希さんの行動を抑える事が出来ていれば……。

 この写真が送られてきた事で、両親にも蒼お兄ちゃんにも、そして、獅雪さんにも迷惑をかけたはずだ。

 私は肩を落とし、自分の迂闊さを呪った。


「今日は、お前の親友が一緒だったからな……。

 秋葉家の次男が傍にいても大丈夫かとは思ったんだが、一応聞いとく。二人きりにはなってないよな?」


「……えぇと」


「いたんだな?」


「は、はいっ。ちょ、ちょっとの……間、だけ、ですけど」


 幸希ちゃんが外に出ている間、豪奢なウェディングドレスの並ぶ店内で悠希さんからのお願いを聞いて、試着をしていた事も言わなければならないのだろうか……。

 店員さんもいたし、実質上は二人きりではなかったけれど、色々とアウトだ。

 獅雪さんの怒気がゴォオオオオと強まっていくのを感じながら、私はどんどん小さくなっていく。

 

「幸希ちゃんが少しだけ、店内から出てまして……、そ、その時、に」


「ほぉ……、どこでだ?」


「う、ウェディングドレスを展示している……、お、お店、で」


はたから見たら、結婚式の準備で訪れたカップルにしか見えないと思うのは、俺の気のせいか?」


 確かに、何も知らない人が……、私と悠希さんがあの場所にいる光景を見たら、誤解は免れない。

 それも……、ウェディングドレスを着た姿まで見られたら、言い訳無用だ。

 だけど、どうしてもその事だけは獅雪さんに言えなくて、ひたすらに自分の迂闊さを呪って謝罪を連呼する。


「くそっ、やっぱりすぐに迎えに行くべきだったな。

 お前の親友が一緒にいるなら大丈夫だと蒼に言われたからあっちに留まったが……。

 よりにもよって……、ウェディングドレスの展示場とか最悪すぎるだろ」


「し、獅雪さん……、あの、本当に、ごめんなさい」


「別にお前のせいだけじゃねぇしな……。謝るのはもういい。

 俺があの秋葉家の次男に早い段階で釘を刺しときゃ良かったんだ」


「えっと……、その、ほ、本当に、ご、ごめんなさ……いっ」


 何度も何度も謝ってしまうのは、心の中にやましい事があるからだ。

 悠希さんの為にウェディングドレスを着た事がバレたら……、火山の大噴火の如く、目の前の猛獣様は激怒なされる事だろう。

 それこそもう……、どんな恐ろしいお仕置きとお説教が待っているかと思うと……、ううっ。

 まるで地獄の閻魔様を前にしたような心地を味わっている私に、獅雪さんは目敏く気づいたかのように、徐々にその視線の温度を急速下降させていった。


「ほのか……、さっきから妙に連呼して謝ってくるが、どういう意味だろうな?」


「え、えっと、そ、その、獅雪さん達にご迷惑をおかけしてしまった罪悪感と申しますかっ」


 無意識に、試着したドレス姿をポラロイドカメラで撮って貰った時の写真が入っているコートのポケットに手を添えてぐっと握りしめてしまう。

 駄目、獅雪さんに言ったら……、物凄く怖い目に遭ってしまうものっ。

 恐怖による冷や汗がダラダラと背中を伝っていく。

 獅雪さんが……、ゆっくりと席を立ち、私の座っている方に向かってくる。


「お前、何を隠してる?」


「えっ、あ、あの、な、何もっ、きゃあ!!」


 がばっと私が押さえている手元に腕を伸ばしてきた獅雪さんが、それを無理矢理引き剥がしてポケットへと手を突っ込んでしまう。

 ああ!! そこには写真が!! その腕を両手で掴んで首をブンブン振って止めようとするけど、女性が男性の力に敵うわけもない。

 ぐしゃりと、ポケットの中で写真を掴まれる気配を感じると、獅雪さんがそれを自分の視線の先に引きずり出した。


「……」


 数秒……、乱暴に取り出された写真の中の光景を獅雪さんが無言で見つめる。

 獅雪さんの怒気が一度静かに収まったかと思うと……、恐ろしいほどの冷たい気配を肌に感じ始めた。

 これは、嵐が起きる前の静けさと一緒で、収まった怒りの気配はきっと、さらなる感情の昂ぶりを外に出す為の前兆なのだろう。

 ガタガタと震えながら私は部屋の外に向かって這って行く。

 は、早く、逃げないと!! 一歩、一歩……、障子を開けて全力で逃亡を!!


「……逃がすわけねぇだろうが」


「きゃあああ!!」


 ぐいっと右足首を鷲掴みにされた私は、容赦なく猛獣の檻へと強制的に引き戻されるっ。

 あああああっ、前に獅雪さんから全力で追いかけられて米俵にされた時より、物凄く怖い!!

 私を自分の許へと引き摺り戻した獅雪さんが、写真を手に上から覆いかぶさってきた。

 再び爆発した怒りの気配が満ちる双眸で私を睨み下ろし、写真をずいっと目の前に突き出した獅雪さんが、閻魔様も裸足で逃げ出すようなドスの聞いた低音と共に顔を近づけてくる。


「おい、……何で、お前が、秋葉家の次男と一緒に写ってるんだ?

 それも……、恥じらいながら頬染めて、ウェディングドレス姿なのは……、どういう事だ?」


「あ、あのっ……、そ、それは、私の意思、じゃなく、てっ」


「ドレスの試着は前に一度見てるが、……他の男の為に着たわけか、お前は」


「し、獅雪さん、は、話をっ」


 悪気があってやった事じゃないとは言えど、獅雪さん以外の人の為にウェディングドレスを着た事は、やっぱり……、裏切りに見えても仕方がない。

 涙目になって事情を説明してみるけれど、獅雪さんの荒ぶる感情に油を注ぐものでしかなかった。

 写真をテーブルに叩き付け、私の両手を畳の上に押さえ付けると、低く唸るような声を、獅雪さんは私の耳に落とした。


「お前は……、誰の婚約者かわかってんのかよ!!」


「は、はいっ、し、獅雪さんの、ですっ」


「じゃあなんで、あの野郎の為に、試着なんかしてんだよ!!

 お前は馬鹿か!? 頼まれたからって、……ますます気を持たせちまうだろうがっ」


「は、反省してます、反省してます!!

 だけど、目の前で……、その、悲しそうに泣かれてしまって、こ、心がっ」


「泣き落としに屈してどうすんだよ……!!

 相手が女ならまだしも、野郎の涙に何の価値があるんだ!! この大馬鹿娘!!」


「ううっ、そ、そんな……、ど、怒鳴らなくてもっ」


 確かに、全面的に私が悪いです。もしも逆の立場だったら、私だって嫌だものっ。

 だけど、悠希さんは純真無垢の天使というか、お願いを無碍には出来ない力を持っているというか……。

 激怒している獅雪さんに、半泣きで謝り続けるけれど、今回は簡単には許して貰えないらしい。

 手首に痣が出来るほど力が込められて、獅雪さんの眼光がますます鋭く恐ろしいものにっ。


「お前は人が好すぎんだよ……っ。

 泣かれたからって、普通そんな事許すか?

 それとも、アイツが泣いて頼んできたら……、身体も許す気か?」


「そ、そんなわけないじゃないですか!! 馬鹿な事言わないでください!!」


「じゃあ、ドレスの件だって断れよ!! 男が目の前で泣いたぐらいで動じるな!!」


「だ、だって……」


 それとこれとは話が違う。……と言っても、獅雪さんにとっては全部同じ事なのだろう。

 馬鹿馬鹿と至近距離で罵倒の限りを尽くされ、私の声が嗚咽交じりになったところで、ようやくその大きな身体からの拘束が解かれた。

 怒っている気配は収まっていないけれど、これ以上私を責めてもどうしようもないと思ったのだろう。

 がしがしとその髪を掻き乱し、テーブルの上にある試着写真を殺意を込めた眼差しで獅雪さんが睨み付けていると、障子の方から低い男性の声がした。

 ……声、というか、あの、何だろう。その音が耳に届いた瞬間、ぞくりと変な痺れが身体に走るような、そんな、色香に満ちた響きだったのだけど。

 女将さんでも、ましてや仲居さんでもない。一体誰だろうと、自分の震える身体を起こし襖の方に向かおうとすると、獅雪さんが私をその場に留めた。


「何でいるんだよ……」


 いる……? 何が? 上半身だけを起こし、きょとんと入り口の方を見ていると、開いた襖の向こうから、二人の男女が顔を出した。

 どちらも、旅館で用意された浴衣を着ており、湯上りである事が察せられる。

 男性の方は、獅雪さんと並んでも遜色ない程に整った美貌を有し、ばちりと視線が合ってしまっただけでも、何だかドキドキと不自然な動悸が起きてしまう。

 その傍には、多分……、私と同じ歳ぐらいのロングストレートの髪を纏う女性が立っており、部屋の中にいる私の方へと心配そうな視線を送ってくれていた。

 もしかして……、獅雪さんの声が大きすぎて、別の部屋にまで響いたんじゃ……。

 それで、様子を見に来たのではないかと、申し訳ない気持ちに陥っていると、あ、獅雪さんが見知らぬ美男子さんから、痛そうな拳骨を頭に貰ってしまった。


「痛ぅうううっ、こ、この野郎っ、いきなり何しやがるっ!!」


「うるさいよ。か弱い女の子相手に暴言の限りを尽くすとか、見苦しい」


「だからって、普通いきなり現れて殴るか、普通!!」


「お、おい、二人ともやめろよな。他の部屋のお客さんに迷惑だろうが」


 あれ……、あの女性。言葉遣いが、ちょっと、男の子っぽいのだけど。

 いきなり現れた美男子さんの背中を容赦なくバシバシ叩き、騒々しく言い合っている男性二人にお説教を入れる姿は……、とても漢らしい。

 というか、まず声がとてもハスキーで、女性なのに、少年的な響きを帯びている素敵な声だ。

 物凄く男性寄りという声ではなく、女性だけどカッコイイ、むしろ、女性にしか出せない恰好良さを秘めた、そんな声音だった。

 

「痛いよ……、結音ゆいね


「やかましい。様子を見に行くだけだって言うから付いて来たんだぞ。

 それを、面倒な騒ぎを増やすんなら、今夜は別々に寝るからな」


「それは……、はぁ、わかったよ。

 征臣、とりあえず殴るのはこれくらいにしておくけど、

 あんまり女の子を感情のままに責めるのは趣味が良くないから、やめておきなよ」


「急に現れて説教かよ……。ちっ、本当に何でいるんだか」


 多分、男性と獅雪さんの方は、お知り合いなのだろう。

 拳骨を貰った頭を擦りながら、獅雪さんがぎろりと男性の方を睨んでいる。

 けれど、流石にうるさくし過ぎた事には反省しているようで、男性の方にではなく、一緒にやって来た女性の方に謝罪の言葉を向けていた。


「何で結音の方にだけ謝るんだろうね、お前は……」


「お前に対して迷惑かけても、昔の貸しがあるから帳消しにされるんだよ。……ひびき


「へぇ……、俺、何かお前に迷惑かけたかな?」


「記憶にないとは言わせねぇぞ、この野郎……っ」


 あわや第二回戦が始まろうとしていたその矢先、女性の方から怒りの一喝が入り、男性陣二人はその迫力に怯んだ様子を見せると、すごすごと互いの部屋に引っ込む事になった。

 襖が乱暴に閉まり、獅雪さんが私の傍に戻ってきた。

 その場に胡坐をかいて座り込むと、顔を下に向けて何かをブツブツつぶやき始める。


「あの、獅雪さん……、先ほどの方達は」


「……男の方は、俺の高校時代の悪友だ。傍にいたのは、その恋人だ」


「そうなんですか……。あの、さっきのお二人って、何か特殊な職業に就いてませんか?

 何だか……、物凄くどこかで聞いた事のある印象的なお声をしていたんですけど」


「あ? あぁ……、そりゃそうだろうな。

 幼稚園の教諭をやってるお前なら、子供の見てる番組にもチェック入れてるだろ」


「は、はい」


「タイトルは忘れたが、……アニメ番組の主役声優と、その共演者だ」


 そこまで言われて、私は脳裏に子供達に人気のアニメ番組のキャラ映像を即座に思い出した。

 そうだ、そうだ。何で気づかなかったのだろう。

 子供達が見ていると楽しげに話してくれた、日曜朝八時のアニメ番組に出てくるキャラクターの声と同じなのだ。

 私も時間がある時は、子供達と話を合わせられるように見ているけれど、大人が見ても色々と学べる面白いアニメだった。

 まさか、そんな凄い人達がやってくるとは……。


「確か、さっきの結音さんという女性の方が、主役の少年役でしたよね?

 で、その側近役の男性キャラのお声が、あの」


「色気駄々漏れのマイペース男の方だ」


「……だ、駄々漏れ」


 確かに、あの容姿だけでも目の保養になるというか、少し気だるげな雰囲気も相まって男性特有の色香を感じた。

 そして、その上に、あの腰にきそうな艶めく低音美声……。

 初対面でも、かなりの影響を女性に与えられる事は間違いなしの男性だった。

 あれ? でも、なんで主役声優の女性と一緒にこの旅館に……。

 

「響……、男の方の親戚がこの旅館をやってるんだよ。

 で、ファンにバレないように、恋人と一緒に忍んで来てるってわけだ」


「そ、そうなんですか……」


「あの子も可哀想にな……。あんな面倒な野郎に捕まるとは」


「面倒、なんですか?」


「高校時代に散々俺が振り回されたからな……。

 すぐどっかに雲隠れするアイツを探しに行ったり、無理難題を吹っ掛けられたり……、蒼といい勝負だぜ」


 獅雪さんから……、哀愁と共に経験した苦労の残滓のようなオーラが立ち昇ってくるのだけど。

 一体、獅雪さんの高校時代に何があったのか……、彼を想うなら詮索をしてはいけないと、何だか心に訴えかけてくるものが感じ取れた。

 

「……悪かったな」


「え?」


「ちょっと、怒鳴りすぎた。怖かったよな?」


「えっと……、す、少し、だけ」


 本当は、肉食の獣であるライオンを前にしたかのような恐ろしい恐怖を感じたけれど、謝ってくれた獅雪さんの心の内を思えば、控えるべきだと思った。

 原因は私にあるんだもの。獅雪さんという恋人がいながら、他の男性の為に花嫁衣装を着るなんて、罵声を浴びせられても仕方がない。

 私は獅雪さんの身体に温もりを寄せると、その頭を胸に抱いて、もう一度、心を込めて謝った。


「本当にごめんなさい……。

 獅雪さんの心を傷つけるような事をしてしまって……、許して、くれますか?

 私に出来る償いがあるなら、何でもします」


「……ほのか」


 獅雪さんの気配がようやく落ち着いたものへと変化した事を感じていると、その手が私の腕を掴み、ゆっくりとその場から立つように促してきた。

 お互いに向かい合う形で立ち上がり、獅雪さんが両手を私の肩に置いてくる。

 そして、私に向けて上げたその顔には……。


「じゃあ、償って貰おうか?」


「え……」


 滅多にお目にかかれないような爽やかな笑顔が、目の前で光り輝いている。

 獅雪さんはあれよあれよという間に、窓の外で湯気を浮かべている露天風呂に向かうと、お互いの身体を隠すバスタオルを押し付け、混浴という名の二人っきりの世界に私を引き摺り込んでゆくのでした……。何故!?

旅館奥にある部屋とはいえ、響きますので……。

女将が般若の形相で来る前に、獅雪の高校時代のお友達が止めに来てくれました。

さて、次回は露天風呂でゆっくり、かぽーんと今後の事についての話し合いです。

バスタオル巻いてるから、きっと大丈夫!! そう信じたいです。

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