悠希の困惑
大変お待たせいたしました。
今回は、有名バンドボーカル、ほのかに懐いて子犬状態の、
秋葉家次男、悠希の視点でスタートです。
時間軸的に、前回のウェディングドレスの件があった夜の事です。
ほのかは、悠希の我儘に抗えず、ドレスを試着してしまったようです。
――秋葉家。
Side 秋葉悠希
ほのかとゲームセンターで会う事が出来て、その友達も一緒に遊ぶことが出来た今日一日。
バンドの仲間とも違う、……ほのかと一緒にいる事でしか得られない、特別な感覚。
楽しいという感情だけじゃない、ほのかの傍にいると、心の一番奥が……ぽっと、優しい炎に抱かれるかのような、そんな感覚と、きゅっと心臓が締め付けられるような感覚があって……。
「何だろ……これ」
「悠希? 玄関先で何をぼーっとしているんだ? 早く中に入れ」
「あ、昴兄さん……」
気が付くと、俺は自宅の玄関ホールに立ち尽くしていた。
靴も脱がず、ただ、ぼーっと……ほのかの事ばかりを考えていたようだ。
「今日もまた、バンドの練習か? それともメディア関係の仕事で忙しかったのか?」
「……ううん。ほのかと一緒だった」
瞬間、俺の兄である、長男の昴兄さんの目に不機嫌そうな気配が浮かんだ。
「約束でもしていたのか?」
「ううん。デパートで偶然会った」
「そうか……」
そういえば、昴兄さんは……、ほのかの事が好き、なんだっけ。
今まで女性になんて興味もなかったくせに、……今は、ほのかの事を欲しがってる。
ほのかの恋人の前で、ほのかの事を欲しいって、結婚したい気になってる、って……。
あの時は、昴兄さんがほのかと結婚すれば、自分とも家族になって、今以上に仲良く出来るのかなって少しだけ喜んではいたけれど……。
「ねぇ、昴兄さん」
「何だ?」
リビングへ向かおうとする昴兄さんを呼び止めたのは、無意識だった。
靴を脱ぎ、昴兄さんの傍まで近寄った俺は、じっとその気難しそうな顔を見上げ、……尋ねた。
「昴兄さんは、ほのかの事、好き?」
「……どうした、いきなり」
「好き?」
「お前は本当に唐突な奴だな……。まぁいい。
だが、好きという感情ではないが、鈴城の娘は俺と相性も良さそうだし、興味は抱いている」
「結婚したいって思うほど?」
「鈴城の娘であれば、母さんや父さんの望む嫁でもあるし、
俺もあの娘の前であれば……楽に出来る気はするからな」
自然体でいられる、という事だろうか……。
俺も、ほのかと一緒にいると、ふわっと心が軽くなって、……でも、何か、きゅっとなって、この子とは一緒にいたいなって、そう思える。
だけど……。
「それは、……恋?」
「恋、か。俺の年齢程になると、恋愛のような熱いものは性に合わなく感じるが、
鈴城の娘に対する感情は……好ましい、という思いが際立つな」
「つまり?」
「一緒にいれば、いつかは恋になる日も来る……という事だ」
「……昴兄さんと、ほのかが、恋」
以前は、昴兄さんがほのかに興味を示しても、皆が仲良くなれるなら、それでいいって、そう、思ってはいたけれど……。
ほのかと会う度に、その笑顔や困った顔をこの目に映す度に……何か、胸の奥がおかしいんだ。
仲良くしたい、一緒にいたい、俺の好きなほのかの声を聞きたい……。
それ以外にも、段々と……別の願いも心に湧いてくる気がして。
「……だ」
「ん?」
「昴兄さん……、ほのかには、恋人がいるよ。それでも、結婚、したいの?」
「相手がいようと、その心を俺に振り向かせれば、奪う事が出来るだろう?」
「振り向かせる……、奪う?」
ほのかを、恋人の手から……奪う。
彼女の気持ちが自分の方に向いて、愛情を向けてくれれば……。
それは、良い事、なの? 悪い事、なの、かな……。
「よく、わからない……」
俺は階段をゆっくりと上がり始め、後ろからかかった昴兄さんの声にも、応える事はなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
自分の部屋に戻り、荷物をその辺に置くと、ベッドに倒れ込む。
ずっと一緒にいれば……恋、に、なる?
今は好きだって、そう感じる気持ちが……別のものに、変わる?
「はぁ……」
今日、ほのかと会った時、いつもと同じように、会えて嬉しいって気持ちにはなったけれど、その後、女性用の大きな服屋さんに入って、綺麗なウェディングドレスを見て周っていた時、自分の目に映った好みのデザインを、友達と笑い合っているほのかに、着てほしいと、自然と思った。
だけど、ウェディングドレスは好きな人の為に着るもので、結婚が決まった相手の為にしか着てはいけないのだと言われた時、……凄く、寂しかった。
買ってプレゼントするのも駄目。試着も駄目って言われて……。
(だけど、ほのかは着てくれた)
多分、俺が我儘を言ってくれたからだろう。
だけど、大人げない我儘を言ってでも、あの綺麗なドレスを、彼女に着て欲しかったのも事実。
試着してくれたほのかが俺の前に現れた時、イメージ通り……いや、それ以上に幻想的で綺麗な雰囲気を纏うほのかが、恥ずかしそうに頬を染めていたその姿を見た瞬間。
(気付いたら、ぎゅって……抱き締めてた)
ほのかは凄く慌てていたけど……、すっごく可愛かったから、仕方がない。
瞼を閉じれば、ほのかのドレス姿がふわっと現れて、頭の中にいるほのかは、俺の方を向いて、嬉しそうに微笑んでくれている。
あの恋人の為じゃなくて……、俺の名前を、俺の好きなほのかの声で呼んでくれて、俺の腕の中に、自分から飛び込んで来てくれる姿が、自然と浮かぶ。
「ほのかへの好きは……、友達への好き、の、はず」
ほのかのお兄さんにも確認されたし、友達……友達。
だけど、頭の中で、また別の想像が浮かんだ。
ウェディングドレスを纏ったほのかの隣に、次々と別の男の人が浮かんでは変わっていく。
ほのかの恋人、昴兄さん……知らない人の顔。
「――っ!!」
見たくない……。そんな衝動が胸の奥で湧き起った瞬間、俺はベッドから飛び起きていた。
「痛い……」
胸が……、何だろう、これ。チリチリと焼かれるような、時々、ずきっとする痛み。
疲れているのかな……、そういえば、帰って来てから水も飲んでいない。
喉がカラカラで……、今すぐに何か冷たい物で潤したい、そんな衝動を抱く。
ベッドから降り、昴兄さんのいるだろうリビングへ、自然と足が向いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……はぁ」
冷蔵庫にあったミネラルウォーターを一気に飲み干し、ソファーへと腰を下ろす。
目の前のソファーには、昴兄さんと、お風呂上がりで髪にタオルを被っている怜がいた。
溜息を吐いては、ぼーっと遠くを見るような俺に、頬を引き攣らせている。
「昴兄さん、……あの人、何があったんですか」
「知らん。帰って来てから、鈴城の娘の事について聞いて来たが……」
「中身は?」
「俺の、鈴城の娘に対する感情は、恋、なのかと……。
本音で言えば、一度会った時に惹かれるものがあったからな。
素直に欲しいと思えた娘だ。だが、それがまだ恋という感情であるかはわからない。
だから、一緒にいれば、いずれは恋に変わる日も来るかもしれないと答えておいたが」
「……なるほど」
一緒にいれば……いつか、恋に、なる。
聞こえてくる言葉の中からそれを拾うと、ころんとソファーに倒れ込み、傍にあったふかふかのクッションを腕に抱え込んだ。
ほのかが笑うと……嬉しい。困った顔を見ると、もうちょっと困らせてみたくなって、可愛いって、そう、思える。
「ほのか……」
「重症ですね……。まるで、思春期の少年のようですよ」
「意味がわからん……」
ごろん、ごろん……。
ウェディングドレスを着てくれたほのかを抱き締めた時、その柔らかな身体の感触と、微かに香ってきた甘い香りに、一瞬……くらって、良い気持ちになった。
バンドの関係で女の子達に取り囲まれた時も、色んな匂いがしたけど……、あれは嫌いな匂いだった。
きつい匂いが気持ち悪すぎて……、ほのかの優しい匂いとは、全然違う物。
「ケーキみたいな……甘い、ほのかの、匂い」
「不味いですよ、昴兄さん。あれは完全に別世界に行っています。
何かに目覚める寸前の顔をしていますよ……」
「あ、あぁ……。鈴城の娘の名が漏れているようだが」
「今、悠希兄さんの頭を鈍器で殴ったら、目覚めないで済みますかね」
「犯罪を本気の目で提案するのはやめろ……」
そういえば、ほのかは結婚したら……あの人の奥さんになるんだよね。
真っ白な妖精みたいなドレスを着て、俺じゃなくて……あの人の胸に、飛び込んでいく。
「……ねぇ、昴兄さん」
「な、なんだ……?」
ソファーに寝そべったまま、ぼーっと昴兄さんを見遣れば、何故か一瞬ビクッとその身体が震えたのが見えた。驚かすつもりはなかったんだけど……。
「結婚した女の子と、仲良くするのは……駄目、なの、かな」
「普通に友人と接するのは問題ないとは思うが……、
必定以上に傍に寄ったり、好意を露わにするのは、マナー違反だろうな」
「悠希兄さんの場合、平気で抱き着いたりしそうな予感がしますけどね」
「そっか……、はぁ」
結婚したら、今みたいに、ほのかの傍にいけなくなる……。
そう思ったら……また、胸の一番奥が、
「……っ」
痛い……凄く、重いような辛い痛みが、針で刺されるみたいな嫌な痛み。
それと同時に、何だろう……目が、ん、霞む。
「昴兄さん、今すぐに救急車を呼びましょう。重傷を通り越してますよ、これは」
「状況も上手く確認出来ていないのに、119をタップしようとするな!!
悠希!! 一体どうしたんだ!! どこか痛むのか!?」
「……痛い」
「どこがだ!!」
「……胸」
「心臓病の類でしょうか。やはり救急車を」
「絶対に違う気しかしないんだが……、どうしたものか。
悠希、どうする? 病院に行くか? それなら車を出すが」
病院……、そうした方がいいのかな。
救急車を呼ぼうとしている怜からスマホを取り上げようと掴みかかっている昴兄さんに心配されながら、小さく頷いた。
よくわからない……この痛みが、病気なのかどうかもわからないし、一度診て貰った方が、いいよ、ね。
――その後、駆け込んだ夜間診療所で受けた診察では、特に異常はなかった。
安心は出来たけれど、……それからも、俺はほのかの事を思い出す度に、何故だか胸が痺れるように痛んだ。
ほのかは、悠希のお願いを聞いてしまった事を、必死こいて隠しています。
なので、まだ獅雪は気付いておりません。




