親友とのひとときと、天使の我儘。
――デパート内・カフェ。
Side 鈴城ほのか
親友であり幼馴染である幸希ちゃんと半年ぶりの再会をして一時間ほど。
本当は獅雪さんも一緒にお話をするはずだったのに、獅雪さんは会社の用事があるとかで、同席は出来ずに終わってしまった。
そんなわけで、私は幸希ちゃんのキラキラと好奇心に満ちた眼差しを受け止めつつ、獅雪さんとの出会いから今に至るまでのお話を、頬を染めながら話す事になったのだった。
「お互いに初恋もまだだったものね……。
恋に対する憧れを話す事はあっても、なかなか好きな人と出会えなくて」
音を立てずにティーカップをソーサーに戻した幸希ちゃんと、そうだねと笑い合う。
ずっと二人一緒だった大学時代までの間、確かに私達は、本当の恋というものを知らなかった。
誰かを一途に想い、一緒にいたいと思える心を、まだ知らぬままだったあの頃……。
だけど、獅雪さんと出会って、私は人を愛する事を知る事が出来た。
最初は、こんなハイスペックな美形さんのお相手なんて絶対無理!! って、そう怯えて臆病になって、逃げる事ばかり考えていたのに。
「多分、獅雪さんという存在そのものが、
私の中に芽生え始めていた恋心を引っ張り出してくれたのかな、って、思うのだけど」
怖いだけだった存在の、檻から飛び出して来た獅子みたいな獅雪さんと、一緒に時を過ごして、強引だけど、それだけじゃない……。
確かな優しさを私に与えてくれた獅雪さんを知って、私の中で花開いた恋心。
それはきっと、本当なら……、もっとゆっくりと育っていくはずの想いだったのかもしれない。
だけど、あの人の行動や言葉、私に向ける想いの強さに出会う度、その熱に溶かされるかのように、私の心は彼の想いに惹き寄せられていった。
早く、早く、自分の想いに追いついて来いと求められているかのように……。
「ほのかちゃん、……本当に幸せそうだね」
「そ、そう、かな……」
確かに私はこれ以上ないほどに幸せだ。
愛する人に抱き締めて貰える、好きだと囁いて貰える。お嫁さんにと望まれている。
だけど、……。
獅雪さんのお父さんが提示した条件の事を思うと、心の奥が鈍く痛んだ。
幼い頃に、ご両親が共働きで寂しい思いをなさった獅雪さんのお父さん……。
閉じた瞼の裏に、……一人辛そうに膝を抱えて泣きじゃくる子供の姿が見える。
お仕事に対して譲れない思いがあったお母様は、それが元でお父様と離婚に至ってしまった。
獅雪さんのお父様の心に刻まれてしまった傷……。
(やっぱり、言う通りにするのが……最善の方法なのかもしれない)
獅雪さんは言う事を聞く必要はないと、そう言ってはくれたけれど……。
「ほのかちゃん……、大丈夫?」
「え……」
知らず、下を向き、思考の狭間へと落ちていた私は、幸希ちゃんが心配そうに私を見ている事に、その声で気付いた。
「何だか……、幸せだけど、幸せになりきれていない……感じがするのだけど」
「幸希ちゃん……」
「話しては……貰えないのかな?」
いつも一緒だった、大切な幼馴染であり親友……。
私は首をふるふると左右に振ると、今悩んでいる事について打ち明け始めた。
幸希ちゃんならどう思うのか、私がとるべき道を……指し示してくれるような気がして。
――……。
「婚約と結婚の条件が、仕事を辞める事……なんて」
「獅雪さんのお父さんは正しい事を言っているとは思うの。
だけど、……急に辞めろと言われても、園の子供達の事もあるし」
「幼稚園の先生になる事は、ほのかちゃんの昔からの夢だったものね。
再会出来た時だって、夢を叶えられたんだって、私も嬉しかったもの」
幸希ちゃんも、海外への移住の件がなければ、今頃私と同じ職業に就いていたはずだった。
彼女も子供達が大好きで、一緒に夢を叶えようと……そう誓ったあの日を思い出す。
「どうしても、続ける事を許しては貰えないの?」
「うん……。何度も獅雪さんと一緒にお願いしているのだけど、
全然話を聞いて下さらなくて、……今日の朝も頷いては貰えなかったの」
「そんな……!!」
耐えがたい苦しみを感じているように、幸希ちゃんは突然テーブルを叩いて立ち上がり、彼女にしては珍しい怒り顔に変化した。
「幼稚園の先生になる事が、ほのかちゃんと私にとって、どんなに大切な夢だったか……。
簡単に辞めろだなんて、酷過ぎるわ!!」
「ゆ、幸希ちゃん……」
「獅雪さんのお父さんのお気持ちもわかるけれど、
だからといって、勝手に辞める時を決められるのは、絶対に間違ってるもの!!」
「お、落ち着いて、幸希ちゃん!! お店の人達が見てるから!!」
「あ……」
周囲の視線に気づき、ポッと羞恥で頬を赤らめた幸希ちゃんが、ストンと椅子に腰を下ろす。
「ご、ごめんなさい……」
「あ、謝らないで、幸希ちゃん。
私の為にごめんね? こんな話を聞かせてしまって……」
「そんな事ない!! あ……。
えっと、話してくれて嬉しかったよ。だけど、まさか半年の内にそんな事が起こっていたなんて」
「あはは……。そう、だよね。
半年前に会った時は、恋愛なんてまだまだ、って、一緒に笑いながら話していたし……。
だけど、私、頑張るから。獅雪さんと一緒に」
話し続ければ、いつかはきっと……。
苦笑しながら、「だから大丈夫だよ」と、笑ってみせた私に、幸希ちゃんは困り顔で下を向いた。
「いっそ……、……さんに頼んで、考えが即変わる様に裏工作とか……」
「幸希ちゃん?」
何だろう……。幸希ちゃんがどことなく黒い雰囲気を醸し出しながら、ホットココアのマグカップを握り締め、不穏な言葉を呟いている。
戸惑いながら声をかけると、彼女はバッと顔を上げ、私の手を握ってきた。
「ほのかちゃん、もし、どうしても獅雪さんのお父さんの考えが変わらなかったら、
その時は、……私にまた教えて? 絶対にどうにかしてみせるから……」
「え……」
幸希ちゃん、どうしてそんなに……不穏極まりない目をしているの?
優しげな笑みを浮かべているのに、大切な親友が纏う気配は、正反対のものだった。
「あ、有難う、幸希ちゃん。
えっと、その時はまた相談させて貰う、ね」
「うん、是非ともそうして!」
「ところで、幸希ちゃんは、どうなの?」
「え?」
私の話で場の雰囲気を盛り下げてしまったから、今度は幸希ちゃんのお話も聞いてみたい。
海外に移住して結構経つけれど、恋のお話については何も話していなかったから。
そう話題を振ってみると、幸希ちゃんはポッと頬を桃色に染め、視線を彷徨わせた。
これは……、間違いない。私と同じように、幸希ちゃんもまた、恋をしている。
「い、一応……。お付き合いをしている人が、いるの」
生クリームと苺のショートケーキをフォークで切り分けながら、幸希ちゃんが恥ずかしそうに頷く。
彼女のこんな顔……初めて見た。きっと、お付き合いをしている人の顔を脳裏に思い浮かべているのだろう。
もじもじと、その人について語る幸希ちゃんは、私の目から見てもお世辞抜きで、とっても可愛い。
私が獅雪さんを想うのと同じように、彼女もまた、大切な誰かを想っている。
そんな彼女を微笑ましく思いながら、私達はそれから互いの近況や好きな人に関する話で楽しいひとときを過ごしたのだった。
――デパート三階のゲームセンター。
「あ……また取れなかった」
幸希ちゃんが操作していたぬいぐるみキャッチャーのアームが景品口に到達する直前、うさぎのぬいぐるみをポトリと落とし、景品GETを阻んでしまった。
あぁ、あと少しだったのに……。私の隣で、幸希ちゃんがしょんぼりと肩を落としている。
「幸希ちゃん、今度は私がやってみるね」
百円玉をコイン口に投入し、アームを移動させ、うさぎのぬいぐるみに狙いを定める。
――ウィーン……。
「あ! 上手く引っかかったみたい!!」
「う、うん!! ……あぁ、また落ちたっ」
アームに対して、ぬいぐるみのサイズが大きいのが問題なのだろうか。
重量と、アームの力を考えると……うむむっ。
また駄目だった、と、二人でまた肩を落とす。
「はぁ、こんな時、獅雪さんがいれば……」
「獅雪さんはこういうの得意なの?」
「うん……。昔ハマってた時期があったらしくて、
以前ここに一緒に来た時は、沢山取ってくれたの……」
その狙いは獲物を逃す事なくアームの餌食とし、獅雪さんの猛攻を受けた景品達は次から次へと紙袋の中へと収まっていったのを、よく覚えている。
だけど、ぬいぐるみキャッチャーの仕組みや、GETする為のポイントを心得ていない私達には、どうにも荷が重かったみたいで……。
「も、もう一回頑張ってみよう!! ね、幸希ちゃん!!」
「ほのかちゃん……。そうだね、じゃあ、今度は別の角度から」
幸希ちゃんがガラスケースの横側へとまわり、うさぎのぬいぐるみを今度こそGET出来る様にと、サポートを買って出てくれた。
幼い頃や学生時代は、互いの家に遊びに行ったり、一緒にお出掛けしたり、沢山の楽しい事を共有し合っていたのに、大人になると、その機会は貴重なものへと変わってしまう。
だから、限られた時間だけど、幸希ちゃんと何かを一緒に出来る事が嬉しい。
――コツ……。
「ほのかだ」
「え?」
幸希ちゃんの指示を受け、丁度良いところでアームを下ろすボタンを押そうとしたその時、背後から綺麗な低音が聞こえた。
ポチッとボタンに指先の重みをかけながら振り返った先には、さらさらの綺麗な長い銀髪の……秋葉家の次男、悠希さんの嬉しそうな笑みがあった。
「ゆ、悠希さん、こ、こんにちは」
何故、悠希さんがデパートのゲーセンにいるんだろう。
しかも、サングラスしてない!! 変装も何もせず、無防備に素顔を晒してしまっている。
私は慌てて辺りを見回し、悠希さんに訴えた。
「悠希さんっ、何で変装せずに出歩いてるんですか!!」
「変装……。あ」
あ、って……、もしかしなくても、今思い出したの!?
ガラスケースの横から私の方へと歩み寄ってきた幸希ちゃんが、私と悠希さんを不思議そうに見比べる。
「幸希ちゃん、お知り合いの方?」
「う、うん。お友達の、秋葉悠希さん。
……有名なバンドのボーカルさんなんだけど、う~ん」
幸いな事に、周囲のお客さん達はそれぞれの遊び事に夢中のようで、まだ気付かれてはいないようなのだけど……。
「サングラス……、これで良い?」
自分のコート内に右手を差し入れ、胸ポケットらしき辺りから黒いサングラスを取り出した悠希さんが、すちゃっとそれを装着した。
「視界が見えにくいから、あまり好きじゃないんだけど……」
「何かあってからじゃ遅いんですよ?
沢山の人に取り囲まれるかもしれませんし……」
「日本を離れて結構経つけれど、そんなに有名な人なんだ……」
サングラスを掛けた悠希さんに頭を下げた幸希ちゃんをじっと見つめた悠希さんが、首を傾げる。
「ほのかの友達?」
「初めまして、月埜瀬幸希といいます。
ほのかちゃんとは、幼い頃からの親友同士なんです」
「……双子みたい」
騒がれる対象なのに、悠希さんは特に何も気にした様子はなく、幸希ちゃんと私を見比べて、そう感想を漏らした。
「俺は、秋葉悠希。よろしく」
悠希さんは表情を綻ばせ、幸希ちゃんへと右手を差し出す。
その手をぎゅっと握り、二人の自己紹介は穏やかに終わった。
まぁ、サングラスも掛けて貰ったし、これで大丈夫……かな。
「今日はお買い物ですか? 悠希さん」
「それもある、けど……。
ほのかの彼氏さんが表にいた、から、ほのかもいるかなって、思って」
つまり、私を探してデパート内を散策していたと?
「よく……騒がれませんでした、ね?」
「うん……、さっきまではコートの帽子部分を深く被ってたし」
なるほど、それなら顔も隠れるし、大丈夫かもしれない。
その事に、ほっとひと安心し、胸を撫で下ろした。
「ほのか……、俺、騒がれるのはあまり好きじゃないから、隠れるのは得意だよ?
ライブに出てる時は、雰囲気も変えてるし、印象……違う、から」
「そうなんですか?」
「うん……。ライブの時は、もっとシャキッとしろって言われてて、
結構性格作ってる時が多いから……意外とバレにくい、かも」
確かに、以前テレビで見た悠希さんは、もうちょっとキリッとしていたというか、歌声も力強さがあって、目の前にいる人が同一人物だなんて、顔以外は思えない。
私と話している時の悠希さんは、少し眠そうな感じがする人で、ぼんやりとしている姿が多く、喋り方も静かで、……不思議系に分類される方だとは思う。
「あ、ほのかちゃん! 景品取れてたみたいだよ!!
それも、三つも!! どうやらくっついて来ちゃったみたいだね」
ぬいぐるみキャッチャーがどうなったのかを思い出したらしい幸希ちゃんが、景品口にしゃがみ込み、中から水色のうさぎを三体取り出した。
今まで取れなかったのに、まさかの奇跡で三体芋づる式に……GET?
私にそれを手渡してくれた幸希ちゃんに、一体を差し出す。
「はい、幸希ちゃん」
「え? いいの? せっかくほのかちゃんが取ったのに」
「幸希ちゃんがサポートをしてくれたから、こんなに取れたんだもの。
これで、お揃い、だよね? ふふっ」
あぁ、でも、もう一体余ってしまう……。
くりっとしたお目目の可愛いうさぎを見つめた私は、悠希さんに向き直り、幸希ちゃんの時と同じようにそれを差し出した。
「悠希さんとここでお会い出来たのも何かの縁ですし、
もしよかったら、このうさちゃん、貰ってくれますか?」
「……いいの?」
悠希さんにしては珍しく一瞬だけ躊躇する気配を見せたものの、頷いた私の手から水色のうさぎを受け取り、それを手の中でふにふにと愛でた後、ぎゅっと腕の中で握り締めた。
「有難う。ほのかとお揃い……。嬉しい」
「「――っ!!」」
蕩ける様に甘い、純真無垢な少年のあどけなさを思わせる天使スマイルを私に向けた悠希さんに、幸希ちゃんと一緒に息を呑んだ。
な、何て危険極まりない、母性本能を擽って鷲掴んでくる笑顔なのだろうっ。
幸希ちゃんと二人、悠希さんの幸せそうな笑みに見惚れてしまう。
「大切にする……。ほのかからの、初めてのプレゼント」
「そ、そんな大層なものではないのですが……」
と、とりあえず、喜んで貰えたのなら、良かった、かな?
私達はその後、ゲームセンターの中を巡りながら、一通り面白そうなゲームやぬいぐるみキャッチャーを堪能し、デパートの外に出た頃には、すでに陽が暮れかけている時間帯だった。
「もう夕暮れ、かぁ……」
楽しい時間が過ぎるのは、本当に早い。
「ほのかちゃんは、これから獅雪さんと食事なんでしょう?
待ち合わせの時間と場所ってどうなってるの?」
水色のうさぎのぬいぐるみを腕に抱えていた幸希ちゃんが、それを私の目の前に差出し、腹話術をするかのように、フリフリと振ってきた。
「まだ、あと一時間くらい、かな……。
お仕事の関係もあるし、一回連絡してみようとは思うけれど」
「そっか……。じゃあ、連絡が終わったら、
待ち合わせ時間が来るまで、……あのお店に入ってみない?」
幸希ちゃんがぬいぐるみを回収し、指差した先を追って視界に映ったのは、デパートに隣接している大きな建物……。
「ここに来る時にちょっとだけ見たんだけど、
ウェディングドレスや若い女の子向けの可愛らしい服がいっぱいあったの。
ほのかちゃんと一緒に見たかったんだけど、すっかり忘れてて……」
一時間もあれば、きっと色々と見て周る事が出来るだろう。
「俺も一緒に……いい? ほのか」
「女の子向けの服屋さんですけど、いいんですか?」
「うん、見たい」
何を? と、聞く暇もなく、私のバッグの中で、スマホが着信を知らせてきた。
着信相手は、……獅雪さんだ。
通話の部分をタップし、それを耳に押し当てると……。
『ほのか……。まだデパートの中か?』
どこか、疲弊を纏う声色に首を傾げながら、「はい」と頷く。
『こっちの用事がまだ立て込んでてな。
三十分ぐらい遅れるかもしれないが、大丈夫か?』
「あ、はい。まだ幸希ちゃんと一緒ですし、悠希さんもいるので」
『……は?』
「デパートの中で偶然会ったんです。
で、今から約束の時間まで、三人で一緒にデパートの隣にある服屋さんに行こうと思って」
『あの野郎……っ、やっぱり、ほのかの居場所を嗅ぎ付けたかっ』
ダンッ!! と、壁を拳で打ち付けるような音が聞こえたかと思うと、獅雪さんが誰かと言い争う声が響いた。
そして、直後に聞こえた呻くような声……。
『ほのか? 聞こえるかい?』
「あれ? どうして蒼お兄ちゃんが獅雪さんの傍に……」
『ちょっと事情があってね。それより、お友達が一緒にいるなら安心だから、
獅雪から到着の連絡が来るまで、もう少し時間を潰しててくれるかな?』
「それはいいのだけど、蒼お兄ちゃん……、何かさっき、獅雪さんの呻くような声が」
『ん? あぁ、気のせいだから大丈夫だよ。
それじゃあ、楽しんでおいで、ほのか』
全く動じず、優しさに満ちた声音で通話を終了させられた私は、一体このスマホの向こうで何があったのか……、追及してはいけない何かを感じてしまった。
「ほのかちゃん、どうだった?」
「う~ん、とりあえず、予定の時間よりは遅れるって話だった、かな」
「じゃあ、一緒にいられる時間が増えたね。行こっか」
「ふふ、そうだね」
今の通話における若干の謎は置いておくとして、私は気を取り直し、隣の大きな服屋さんへと向かって歩き出した。
――……。
自動ドアを越え、足を踏み入れた先に広がったのは、純白一色のウェディングドレスフロアだった。
品の良い店員さんが私達の来店に気付き、ゆっくりと歓迎の声と共に頭を下げてくる。
「凄いよね。こんなにも種類いっぱいのウェディングドレスが出迎えてくれるなんて」
「本当に凄い……。デザインの種類も多いし、まるで夢の世界みたい……」
女の子なら、誰もが憧れるウェディングドレス達に出迎えられた私達は、左右に並ぶ綺麗なドレスに見惚れながら、奥へと歩いて行く。
悠希さんも、ちょっとだけ吃驚したように目を瞠っているようだ。
「ほのかちゃんは、可愛いのと大人系なの、どっちのが着たい?」
「う~ん、どちらかというと、可愛い感じが少しあって、落ち着いたものがいいかなぁ」
「ほのか……、こっちのドレス、良く似合うと思う」
悠希さんがあるドレスの前で立ち止まり、私を手招きすると、熱心にそれを見つめ始めた。
肩を出す形になっているデザインで、腰の辺りまではぴったりとフィットするようになっているけれど、腰から下は、まるで童話に出て来るお姫様のドレスのようにふんわりと広がっているデザインだった。
「お姫様みたいな感じもするけど、
ベールに装飾されている花とか、羽根を見ていると……、妖精さんのドレスにも見えるね」
幸希ちゃんも一緒にその可愛いドレスを見上げ、悠希さんの意見に同意する。
「ほのか、着てみる?」
「え? い、いえっ、今日は時間もありませんし、それに……まだ」
獅雪さんのお父さんを説得出来ていない自分の立場を思うと、それを纏う事に抵抗があって……。
何より、獅雪さん以外の男性の前で試着なんてしてしまったら。
(きっと、すごぉ~く怒られる気がするっ)
普段から、私に異性に対する警戒心を持て!! と、声を荒げて言い含めてくる獅雪さんだもの。
悠希さんの前で、着て見せてしまった日には……。
(問答無用で、米俵担ぎ!! 怒りのお説教コース突入!!)
想像しただけでも恐ろしいっ。
怒った時の獅雪さんは本当に容赦がないというか、今までの出来事を振り返ってみても、ただでは済まない事は目に見えている。
「ゆ、幸希ちゃんはどう? 試着してみない?」
話を逸らすべく幸希ちゃんに試着を勧めてみると、悠希さんが少しだけ気落ちした様子で名残惜しそうにドレスへと視線を戻すのが見えた。
「じゃあ、ちょっと試着してみようかな。……ん?」
「どうしたの、幸希ちゃん」
幸希ちゃんが自動ドアの方に視線を流した瞬間、ピタリと動きを止めてしまった。
どうしたんだろうと、視線の先を追いかけると……あ。
「ごめんね、ほのかちゃん、十分ほど待っててくれるかな?」
「それはいいけど……」
幸希ちゃんんは迷いなく自動ドアの向こうへと歩き始め、私は悠希さんと二人で取り残されてしまう。
「ほのかの友達……どうしたの?」
「え~と……」
半年ぶりの再会をした時よりも、人数が増えている気がするけれど、多分、あれは間違いなく、幸希ちゃんのお知り合いの方々だ。
そろそろ陽も沈む時間帯だし、心配で迎えに来てくれたのかもしれない。
それを悠希さんにどう説明したものかと悩んだ後、「気にしないでいいですよ」とお茶を濁しておいた。
「……ほのか、このドレス」
「はい?」
「今、着られないなら、プレゼントしてもいい?」
「は……い?」
水色のうさぎと共にドレスを指差した悠希さんが、私の疑問の声を了承と受け取ってしまったらしく、店員さんへと声をかけに歩き出してしまう。
「ちょっ、ちょっと待ってください!!
こんな高い物受け取れません!! というか、プレゼントするなら、
悠希さんがいつか愛する女性にしてあげてください!!」
悠希さんのコートの裾を鷲掴み、ググッと歩みを止めに駆け寄った私は、他の店員さん達が目を丸くする気配を感じながらも、場違いな音量の声を出してしまっていた。
「俺の……愛する、女性?」
「そ、そうですっ。ウェディングドレスは、愛する人に着て貰う物なんです!!
も、勿論、結婚の約束や付き合っている恋人の事ですよ!!」
「……俺は、ほのかの事、好き、だけど、……駄目?」
「だ、駄目です!! 私には獅雪さんというお相手がいますし、
悠希さんの為に着る事は出来ないんです!!」
「……」
捲し立てるように訴えると、悠希さんは私の方に向き直った。
水色のうさぎを持っている方とは反対の手を伸ばし、私をコートの中に閉じ込める様に、ぽふんと抱き寄せる。
「なっ、何をしてるんですか、悠希さん!!」
「ほのかは……、あの人の、恋人、なんだよね」
「は、はい」
店員さん達が見ているのに、この人は一体何をやっているの!!
しかも、意外に抱き締めてくる力が強くて、ぬ、抜け出せないっ。
「俺は、ほのかの事、好き。だけど、……寂しい」
「え?」
「あのドレス……、ほのかに、着てほしい。
だけど、……駄目だって言われて、愛する人じゃないから、って、言われて……」
その声音が、次第に切なげな響きを帯びたと思った瞬間、上げかけた顔に零れ落ちてきたのは……。
「悠希、さん?」
傷付いた子供のような表情で、透明な雫を頬に伝わせ……泣いている悠希さんの姿があった。
な、泣かせた!? 私が!? どうして!?
「ほのか……。どうしても、駄目?
着てくれるだけでもいいから……、あのドレスを着たほのかの姿が、見たい」
ど、どどどどどどうしよう!! 懇願するようにポロポロと涙を零す悠希さんに、思考が滅茶苦茶に掻き回されるように、一体どうすればいいのか、解決策が見つからないっ。
試着なんてしたら、絶対に獅雪さんから怒られる!!
だけど、悠希さんをこの状態のままにもしておけないし……っ。
「駄目? ほのか……」
「あ、あぁ……え、えっと、うぅっ、……わ、わかりまし、たっ」
気が付けば、私は美しい天使の涙に絆され、頷いてしまっていた。
瞬間、悠希さんが涙を止め……。
「本当?」
「は、はい……」
もうそうするしか、方法はなかった……。
このまま泣かせっぱなしでいれば、きっと店員さん達の方が困ってしまうだろうし、幸希ちゃんが戻って来た時に絶対に驚いてしまう。
そして何より、悠希さんにそんな顔をさせてしまった自分に罪悪感を感じたのも、敗因のひとつだ。
「じゃあ、すぐに試着しよう? 俺、ほのかのドレス姿、早く見たいから」
天使の中の天使、ううん、大天使レベルの嬉しそうな笑顔になった悠希さんの姿に、周囲から小さな嬉声が微かに聞こえた気がした。
子供の我儘を仕方なく聞き届けたお母さんの気持ちになってしまうのは、きっと気のせいじゃない。
こうして、私は店員さん達に連れられ、悠希さんお望みのウェディングドレスを試着する為に、奥の部屋へと通されるのであった……。




