先客と苛立ち
最初は獅雪視点、後半は、ほのか視点で進みます。
―― side 獅雪征臣。
一体……何がどうなってこういう状況になったんだ。
仕事を終えて、ほのかの顔を見ようと鈴城家に寄った会社帰り。
俺を玄関で出迎えたのは、恋人のほのかではなく、兄の蒼だった。
リビングに続く廊下を通り、やっとアイツの顔が見れる……そう思った矢先。
鈴城家以外の連中がソファーに陣取っていやがった。
「蒼、……説明しろ」
「ほのかって、本当に凄いよね。
思わぬところで、秋葉家三兄弟を釣ってくるんだから」
秋葉、という名に、俺の眉間に青筋がピキリと浮かび上がる。
今の、聞き間違いじゃないよな? 秋葉、って言ったよな?
鈴城家と獅雪家の縁を承知していながら、手を出してきている家の奴ら……。
その息子達が、今、俺の目の前にいるこいつらの事なのか?
「お前は茶を淹れるのも上手いんだな」
ヘアワックスで髪を撫でつけている眼鏡の男、
おそらく俺より少し上だな、そいつがほのかに表情を和らげて礼を言っている。
って、ちょっと待て! この男……、この前、ほのかの幼稚園の前にいたよな……っ。
「押しかけてしまったというのに、色々すみませんね」
ティーカップをテーブルの上へと置いた二十代前半、いやもしかしたらもう少し下か?
今度は、年若い眼鏡の男が礼を言いながら、息を小さく吐き出す。
「……なんか、眠くなってきた」
茶請けに出されたらしき菓子をつまんでいた銀髪の男が、
俺の見ている前で、ほのかの膝の上に倒れ込んでいく。
……こいつら、ほのかを含め、俺が来た事に気付いてないよな?
三兄弟から話しかけられ、その相手に忙しいほのかは、こちらにはまだ視線が動いていない。
「何がどうなって、ほのかと秋葉家の奴らがこんな風になってるんだ……っ」
「この前の休日に、ほのかと百貨店に行ったんだけどね。
……そこで、ばったり、秋葉家の長男と出会っちゃったらしいよ」
「その話は、この前ほのかから聞いたっ。
問題は、なんで鈴城家にまで上がり込んでるかって事だろうがっ」
「ほのかの勤めている幼稚園がね……。
彼らの親戚が園長先生をやっているらしくて、その縁で」
「ほぉ~……っ!」
つまり、親戚が園長をやっているのをいい事に、押しかけたわけかっ。
――ダン!! ダン!! ダン!!
わざと乱暴な足取りでソファーへと近づくと、俺はほのかの手を掴み自分の方へと引き寄せた。
腕の中にほのかを抱き寄せると、反対側のソファーへと座り込む。
急に現れた俺の存在に、秋葉家三兄弟……銀髪以外の二人が怪訝な目を向けてきた。
「し、獅雪さんっ」
「お前は本当に、変なモンばっか引き寄せて来やがって……っ」
ほのかの頬を指先で挟んで、苛立った気持ちをぶつけるように睨む。
俺があれだけ注意したってのに、何でこうも学習しないんだ、こいつはっ。
腕の中でビクビクと震え「ご、ごめんなさいっ」と謝る姿は、まるで付き合う前のほのかを彷彿とさせるものだった。
「彼女は、今俺達と話をしていたんだがな?」
剣呑な様子を湛えたスーツ姿の男と俺の視線が火花を散らすように交わった。
勝手に人の婚約者の家に上がり込んでおいて、偉そうな態度だな。
こういう奴は、最初から本気で牽制しておかないと、後が面倒だ。
「それは悪い事をしたな。だが、これは『俺の婚約者』なんでな。
他の男の傍においておけるほど、……俺は寛容じゃないんだよ」
「なるほどな……。お前が、彼女の『仮』婚約者という奴か」
こいつ、今、俺の事を『仮』を強調して言いやがったな……。
口許に余裕の笑みを履き、挑発するように鋭く貫くような視線を向けてくる。
「次の日曜には、正式に婚約を交わす予定だ」
「それはめでたい事だな。
彼女の『友人』として祝福しておこうか」
「……『友人』?」
ビクリと……、俺の手に伝わったほのかの震え。
疑心の視線を下へと落とし、その怯えた顔を覗き込む。
「ほのか……、お前、俺が言ってた事……ちゃんと覚えてるか?」
あえて笑顔で聞いてやる。この小動物は、一体何度言えばわかるんだろうな?
「し、獅雪さん、こ、これにはっ、深い事情が……っ」
「深い事情って何だろうな? 何でお前が秋葉家の奴と『友人』になる必要があるんだ?」
「俺が彼女に『友人』になってほしいと頼んだからだが?」
「それで? 俺の婚約者は素直にそれを承諾したって事か?」
「あぁ。弟も友人だそうでな。快く了承してくれた」
快く……ねぇ? 興味という好奇心が、いつ恋愛感情に結びつくかわからないと、
あれだけ強く念を押すように警戒しろと言っておいたのに……。
このお人好しは、一体どんな手を使われて頷いたんだか。
ほのかの怯え様と、目の前のスーツ男の言葉に胸の奥の苛立ちが膨れ上がっていく。
―― side 鈴城ほのか。
まさか獅雪さんが訪ねて来るなんて……!!
幼稚園での行事の後、一日の仕事を終えて帰宅した私は、蒼お兄ちゃんと一緒にDVD鑑賞に興じていた。
けれど、一時間ほど前に鳴ったチャイムに出たのが、この騒動の原因。
開いた扉の先には、秋葉家のご兄弟が、揃って私の前に立っていた。
『友人』として訪ねて来たのだと、そう微笑む昴さんに……私はお帰り頂くという選択肢を封じられとしか言えない。
丁度、蒼お兄ちゃんも在宅中だったから、多分大丈夫、と、そう思ってリビングに通した。
「(だけどまさか……、獅雪さんまで来てしまうなんてっ)」
バッチリと、秋葉家のご兄弟達と一緒にお茶をしている所を見られてしまった。
手を掴まれ、引き寄せられた時に誰だか認識した時にはもう遅く……。
私は今、獅雪さんの腕の中で絶賛小動物の気持ちを味わっていますっ。
「獅雪さん、あのっ」
「ほのかさん、貴方の婚約者は、堪え性のない短気な方なんですね」
「え?」
何とか獅雪さんを宥めようと声を上げた時、――冷静さを一切崩さない静かな声音が聞こえた。
それが秋葉家の三男、怜さんの声だと気付くのと同時に、私は獅雪さんの許から強い力で引き剥がされる。
「れ、怜さん!?」
どこにそんな力が秘められていたのか、私は怜さんの腕の中へと引き上げられ、
向こう側の昴さん達が座るソファーへと連れて行かれてしまった。
獅雪さんが、一瞬呆けた顔をしたものの、すぐに怒りを込めた瞳を怜さんへと向ける。
「彼女は俺達と話をしていたんです。途中で連れて行くのは失礼でしょう?」
昴さんの隣に私を座らせた怜さんは、あの獅雪さんの凄味にも動じず冷めた視線を投げ返す。
獅雪さんの手のひらが、小さく震えを伴いながら強く握り締められていく。
あれは完全に……、怒ってる!!
「先に来たのは俺達なんです。貴方は後ですから、順番は守ってくださいね?」
「――っ!!」
「怜、あまり苛めてやるな。『仮』の婚約者殿が、腹を立ててしまうだろう?」
「それは失礼しました。随分と横柄な態度の方だったので、これくらいは許容範囲内かと思いました」
だから、そんな風に煽るような言動を発したら……!!
獅雪さんの握り締めている手の甲に明らかな怒りの血管が浮き出ている!!
もう怒りなんて言葉じゃ表現しきれないというか、目に殺気のようなもの強く浮かんでいるのは私の気のせい!?
「ほのか……、あの人……『彼氏』?」
「あ、悠希さん……。えっと、そうですよ」
「そっか……。透が怖い人って言ってたけど、……あんまり怖くない」
場の空気を読まないのはご兄弟全員の特徴なのかな?
普段から何を考えているのか読みにくい悠希さんが、獅雪さんをぼーっと見つめている。
本当に……、今の獅雪さんの迫力に何も感じてないのかなっ。
まさに一触即発の気配で向き合っている獅雪さんと秋葉家のご兄弟。
暴力沙汰だけは起こらないでほしいと願う私だけれど、事態はそうそう上手く治まりはしない。
「悠希兄さんが誰かを怖がるところなんて、想像できませんけどね。
でも、ほのかさん、貴方も趣味が悪いですね。
あのように短気な男性と付き合っていては、後で色々と苦労しますよ」
「えっ、あ、あのっ、獅雪さんは短気というわけではっ」
「怜の言うとおりだな。自分を抑える事が出来ない奴は、程度が知れている」
確かに短気で怒りっぽい性格をしているとは思うけれど、
その原因は、私の迂闊な行動が災いして、結果として彼の機嫌を損ねてしまっているだけだ。
決していつでもどこでも怒っているわけじゃない。
「そういえば、こちらでも色々調べさせて頂きましたが、
ほのかさんとは、無理やり見合いを続行させてなし崩しに仮婚約まで取り付けたそうですね?
短気で強引……、本当は彼女も内心嫌がってるんじゃないですか?」
「そうなの、ほのか?」
「ち、違います!! 私はちゃんと獅雪さんとお互いに想い合って……!!」
「じゃあ、俺が集めたこの情報は間違いだと?」
「ぜ、全部が全部間違いじゃないですけどっ」
過去がどうであれ、私はちゃんと獅雪さんの事を好きになって一緒にいると決めた。
この気持ちに偽りはない。だけど……、怜さんが言ってる事は、半分は正解なんですよね……。
否定できない、確かに脅かされた一ヶ月が存在するのだしっ。
「さっきから好き放題言ってくれるな……っ」
「事実を言っただけですが?
そんなに感情に振り回されているようでは、いつ婚約者に愛想を尽かされるかわかりませんね」
「怜さんっ」
一体どうして、こんなにも酷い言葉ばかり獅雪さんにぶつけるんだろう。
獅雪さんが来るまでは、こんな物言いをする人じゃなかったのに……。
怜さんの毒舌とでも表現すべき言動の数々を、昴さんは面白そうに聞いているだけだし、
悠希さんも止めてくれる気配はない。
助けを求める為に、蒼お兄ちゃんへと懇願の視線を向けると、くすりと苦笑が返ってきた。
獅雪さんの分の珈琲を淹れたティーカップを手に戻って来ると、
双方を宥めるように微笑んだ。
「とりあえず、……人の家のリビングで喧嘩はやめてくれるかな?」
見た目はすごく優しい笑顔。だけど、蒼お兄ちゃんの目だけが笑っていなかった。
まるで足元に氷でも押し付けられたじゃないかと感じる程に、嫌な寒気が伝わって来る。
獅雪さんが顔に手を当て、秋葉家の皆さんも気まずそうに下を向き始めた。
「蒼、わかったから……、とりあえず、その殺気引っ込めろ」
「そんな物、俺は少しも出してないんだけどね?」
「蒼さん……、すみませんでした……」
「俺も謝ります。少々、箍が外れてしまいました」
「すまない……」
おそるべし、蒼お兄ちゃん……。
たったの一言で、この険悪感漂う場を、謝罪一色に染め上げてしまった。
お互いの敵意を内側へとおさめた獅雪さんと秋葉家の皆さんは、
蒼お兄ちゃんに促されるままに、お互いの自己紹介を行い、
その後、少しでも言い争う気配が出るたびに蒼お兄ちゃんの笑みが割って入り、
皆さんが帰るまでの時間、なんとか大きな争いは表面化する事なく無事に解散までこぎつける事が出来た。
秋葉家の三男怜は、いつもは冷静沈着な青年ですが、
喧嘩を売られた場合は積極的に買います。
主に言葉で相手を追い詰めます。




