幼稚園で結ばれるひとつの関係
最初は、秋葉家三男・秋葉怜の視点で進みます。
後半は、ほのかにバトンタッチです。
――side 秋葉怜。
二日前から、どうにも昴兄さんの様子がおかしかった。
休日にどこかに行っていた事は知っているけれど、問題はその後。
家に帰宅した昴兄さんは、リビングのテーブルの上に鈴城家の娘に関する資料を並べていた。
それをじっと見下ろしながら、彼女の写真を手にとり……悩ましげな溜息を漏らしていた昴兄さん。
一体何があったのだろうと話を聞いてみると、どうやら外出時に鈴城家の娘と偶然出会ってしまったらしい。
迷子の子供に縋り着かれている所に、丁度良く救いの手を差し伸べるように彼女が現れたのだとか。
「(で、興味を持ってしまった……と)」
写真やデータだけではわからない、本物の生きている鈴城家の娘。
彼女の職場についての話を、珈琲を飲みながら聞いていたと話す昴兄さんは、幸せそうな笑みを浮かべていた。
勿論、俺達家族に対しても表情を和ませる事は勿論ある。
だけど、あの笑みは……もっと別の意味合いを含んでいるような気がした。
「(けど、鈴城家は獅雪家と縁を結んでいるし、難しいとは思うんだが)」
昨日の晩なんて、彼女を夕方に誘いに行ったのを断られたと言っていたし、
表情はいつもの真面目な物でも、内心は……落ち込んでいたんだろうな。
大抵の女性は、自分から昴兄さんに擦り寄るように寄ってくる。
昴兄さんが秋葉の名と会社を継ぐ者だから、将来どれだけ自分が得出来るかと考える女性が後を絶たない。
まぁ、そういう女性は魂胆が見えすぎているから、昴兄さんは相手にもしないけどな。
「(昴兄さんが望むのは、損得関係なしに心を通わせられる女性だ)」
だけど、そういう稀な女性は滅多な事では見つからない。
たとえ無欲でも、昴兄さんと愛を交わせるとは限らないから。
「(だから……、いまだに一人、なんだよな)」
働き盛りの三十歳、別に焦らなくても結婚はいつでもできる。
だけど、昴兄さんの秘書をやっている都々凪さんや、父さんと母さんは……。
「(子供の顔を早く見たいって急かしてるんだよな……)」
気持ちはわかるけれど、もう少し本人の意思を尊重出来ないものか……。
で、そんな父さん達の熱烈な思いが天にでも通じたのか、昴兄さんは鈴城家の娘に興味を抱いてしまった。
もう予想外というか……、たった一度会っただけで惹かれてしまうなんて……。
昴兄さんに興味を抱かせた人……、その珍しい女性に、俺も興味がないわけではない。
――ほのかの勤務する幼稚園。
~side ほのか~
「ほのか先生~!! これどういう事~!!」
ぐつぐつと煮えるお鍋を掻き回しながら、ご近所中に響き渡るかのような絶叫を聞いていた。
透先生……、そう叫びたい気持ちはよくわかります。
私だって……、子供達との行事イベントで、何故『こんな事』になっているのか不思議で仕方ないんですから。
「こっちの方はもう食べごろだぞ」
「飲み物の用意も終わりましたよ」
「ほのか……、子供達がお腹空いたって。
俺も……空いてる」
私の右隣りには、同じく大きなお鍋を前にして、その中身を小皿に入れて味見をしている男性が一名。
上品に着こなしていた高級スーツに白のエプロンを纏って、真面目に行事に参加してくれている。
あの休日の日に出会い、翌日にお誘いを断った相手だ。
さらに、向こうの野外用テーブルに紙コップを置いてジュースを注ぎ終わって声をかけてくれたのは、
眼鏡のよく似合う、私より少し年下の理知的な雰囲気が特徴的な青年だ。
どうして二回しか会った事のない名前も知らないスーツ姿の男性と、
この初対面の眼鏡をかけた青年がここにいるかというと……。
「園長先生の……、ご親戚の方だそうなんです」
「え? し、親戚って……まさかっ」
そう、……園長先生のご親戚だと紹介されたこのお二人は、
秋葉家の長男、秋葉昴さんと、三男の秋葉怜さんだったのです。
スーツ姿にエプロンを着ているのが昴さん。
眼鏡をかけている青年が怜さん。
つまり……、
「ほのか、ご飯……食べよう」
「ゆ、悠希さん……」
子供達と地面に座り込んで見上げてくる青年、
メディアでもよく取り上げられているロックバンドのボーカルの月夜さんこと、秋葉悠希さん。
彼の上のお兄さんと、そのすぐ下の弟さんが……昴さんと怜さんなのです。
園長先生に紹介された時は、さすがに吃驚した……。
だって、悠希さんに続いて、まさか長男の昴さんとも出会っていたなんて。
予想外というか、一体何の運命の悪戯なんだろうとは思わずにいられない。
「悠希さん、もう少ししたら食べられますからね。
それまで待っててください」
「うん……。わかった」
「ちょおお!! 俺への説明は!!
やっぱり、悠希君とこのお兄さん達なわけ~!?」
「騒々しい人ですね……」
怜さんが、ちらりと透先生を見遣って眼鏡のずれを直しながら溜息を吐いた。
うーん……、物言いが冷めているというか……大人っぽい人だなぁ。
私は鍋の前を離れて、言葉の刃を受けて負傷している透先生の許に向かった。
「透先生、大丈夫ですか……?」
「ううっ……、俺、最近こんなのばっかり……っ」
「透……ドンマイ」
悠希さんがポンポンと透先生の背中を叩いてエールを送っている。
「透先生、子供達が待ってますし、どうか立ち直ってください。
それと、あちらにいるお二人は、透先生のお察しのとおり、秋葉家の方々です。
えっと……、スーツの方が長男の秋葉昴さんで、眼鏡をかけている方が三男の怜さんです」
「なんで悠希君に続くように、長男と三男まで来ちゃってるんだよ~っ。
ほのか先生、おかしくない!? ここ、俺達の神聖な職場だよ~!!」
本来なら、保護者さんか幼稚園関係者しか入れないのがルール。
透先生の言うように、あのお二人、悠希さんもだけど、ここにいるのはおかしい。
だけど、この幼稚園の園長先生が秋葉家の血縁であり、絶対的な権力者である以上……。
「(さすがに雇われている身としては、断れません……っ)」
寒さを乗り切ろうという趣旨の許、子供達に暖かくて美味しいお鍋を振る舞おうというこの行事。
透先生が室内に戻っている間に、園長先生が愛想の良い笑顔と共に昴さんと怜さんを連れて来てしまったのだ。
子供達との触れ合いに興味があるから、参加させてほしいとか何とか……。
女性教諭の皆さんは、お二人のルックスの良さに惚れ惚れして「どうぞどうぞ!!」と準備に招き入れちゃうし、
気が付けば、昴さんと怜さんは、立派な調理班と準備係の一員になってしまっていたのだった。
「ほらほら、透先生も遊んでないで、子供達に美味しい鍋物を配ってね~!!」
三十代前半程の女性の先生が、使い捨ての深皿を手に持って呼びかけている。
その声に泣く泣く立ち上がった透先生が、よろよろと子供達のお世話をしに向かっていく。
……大丈夫かな?
頼りない風情で去っていく透先生を見送っていると、昴さんと怜さんがこちらへと歩いて来るところだった。
「子供と関わるというのも、いいものだな」
「あ、お疲れ様です。今日は色々手伝って頂いて、ありがとうございました」
「無理に押しかけたようなものですからね……」
「確かに、最初は吃驚しましたけど、子供達も喜んでいましたし、
お二人のお蔭でイベントテントの設営も助かりましたよ」
「そうか……」
それに、ここなら大勢の人もいるし、獅雪さんが怒るような出来事も起こらないだろう。
私はひと息吐いた昴さんと怜さんの分を取りに、お鍋へと駆け足で向かった。
熱々の具材とスープを深皿に注ぎ、それをお盆に乗せてお二人の許へと戻る。
「はい、どうぞ」
「俺達も食べていいのか……?」
「いっぱい手伝って頂きましたから!」
「有難う……ございます」
深皿を受け取ったお二人が、その場でお箸を割って中身を食べ始める。
寒空の下、子供達は先に追いかけっこで運動を終えているから身体がポカポカとしているだろうけれど、
昴さんはコートを脱いでスーツの上からエプロンを着ているし、
怜さんも準備の為に同じくコートを脱いでしまっていた。
だから、きっと凄く身体が冷えているはず。
「ねぇ、ほのか……」
鍋物で温まっていくお二人を見ていると、ふいに背中に声がかかった。
空っぽの深皿を手にした悠希さんだ。
物足りなそうな表情で、私に伺いを立てる。
「もう一杯……おかわりしても、いい?」
「悠希兄さん、一杯食べれば十分でしょう……」
「子供達の分がなくなったらどうする気だ。少しは我慢しろ」
兄と弟にじろりと呆れ混じりの声音で窘められた悠希さんが、しょぼんと肩を落とす。
ちなみに、悠希さんはお二人が来る前に幼稚園に遊びにきていました。
そこに、昴さんと怜さんが来てしまったものだから、三人共驚いていた様子で……。
説明しようとしたものの、すぐにお鍋の準備に入ってしまい、今に至る。
「お前も鈴城の娘と縁があったとはな」
「というか、一応有名人だっていう自覚はどこに置いてきたんですか、悠希兄さん」
「大丈夫。ちゃんと、バレないように考えて動いてるから……。
でも、昴兄さん……ほのかと知り合い、だったんだね」
「この前出会ったばかりだがな。
だが、お前……、鈴城の娘との件は興味がないんじゃなかったのか?」
「ん……。結婚する気は……まだ、ないよ。
でも、ほのかの事は……好き。大切な……友達、だから」
「友達……か」
三兄弟揃っての会話は、仲が良いのか悪いのか、私にはちょっとわからない。
怜さんは悠希さんの行動や言動に呆れているように見えるけれど、嫌っている気配はないようだし。
昴さんは静かに話を聞きながら、頷きを返している。
悠希さんの方は……うーん、普段から不思議な感じがする人だから、兄弟に対する好意の度合いがわからない。
「ほのか先生~……」
「あ、透先生! だ、大丈夫ですか……」
さっき子供達のお世話をしに行ったはずの透先生が、意気消沈した様子で戻って来た。
手にはスープだけの入った深皿……。
「お肉……、悪ガキ隊に……取られちゃった~っ」
「あ、えっと……、追加で入れてもらう、とかは……」
「スープや野菜はあるんだよ~……、だけど、肝心の俺の好きな肉がっ、肉がっ!!」
「本当に騒々しい人ですね、この人……」
「れ、怜さん……」
透先生の落ち込み具合に、怜さんが傍へと近寄っていく。
そして、自分の深皿に入っていた一番大きなお肉を、……ぽちゃん。
「え……」
「肉が食べたかったんでしょう? 俺は別に空腹ではありませんから、どうぞ」
「……い、……いいの~!? アンタ、マジ良い人だね!!
俺、これで後片付け頑張れるよ!!」
透先生……。なんてわかりやすい立ち直りを……。
お肉をもぐっと頬ばって、幸せそうにスープを啜っていく様は、まるで少年のよう。
「怜さん、ありがとうございました」
「いえ、元々……捨て犬などを目にすると、情を誘われるので」
「……」
気のせいかな。今……、透先生、犬扱いされた気が。
ぽかんと呆けた私をおいて、怜さんは食べ終わった空の深皿をさっさと捨てに行ってしまう。
昴さんも食べ終わったのか、ふぅと息を漏らして子供達の楽しげな笑顔を観察している。
「ここがお前の職場か……。話していたとおり、充実した日々を送っているんだな」
「はい、ここには、私の大切な人達がいっぱいいますから。
毎日が凄く幸せで……、楽しいんです」
「……綺麗だな」
「え?」
「いや……、自信を持ってそう言えるお前は……良い、と思ってな」
「昴さん……?」
眩しそうに穏やかに笑みを浮かべた昴さんが、右手を持ち上げて私の頬に触れてこようとする。
獅雪さんの手の温もりとは違う、お父さんに触られたような心地になる感触……。
振り払わないといけないのに、私はその場から動く事が出来ずにいた。
「お前とは、もっと話してみたい気にさせられる」
「あ、あの……」
「弟とは友人なのだろう? なら……、俺とも『友人』になってはくれないか?
お前と話す時間は、俺の興味を強く引き寄せる」
「えっと……それは」
この場合、どう答えたらいいんだろう。
昴さんが私に言っているのは、『友人』としての申し出。
告白なら、すぐに断ればいいのだろうけれど……。
「(友人って、友人の場合は……えっと)」
透先生も同僚だけど、友人みたいな存在だし、
悠希さんとも友人……。うーんっ。
獅雪さんの注意事項や警戒心を持てという言葉が頭の中をぐるぐる回る。
最初はただの興味でも、変化する事もあるって言っていたし……っ。
「俺自身、お前の話す事で気付かされる事もある。
だから、親しい友人として友好を築きたいと思っているんだ」
「あ、あっ……えっと、ゆ……友人として……なら、多分、大丈夫、だと……思います」
「そうか。礼を言おう。今日から友人として、よろしく頼む」
ちょっと待って私!! 何を友人関係許可しちゃってるの!!
獅雪さんにあれだけ怒られたのに……っ、昴さんの穏やかな笑みを見ていたら……ついっ。
どうしよう……、こんな事……獅雪さんに知られたら、……。
「(絶対に怒る! また正座させられて凄まれるんだ!!)」
パニックになっている私の手を、昴さんが力強く包んで、ぐっと握手している。
悠希さんが横で、「昴兄さんも……友達?」とボソッと呟くのを聞き流しながら、
私は、自分が今仕出かしたとんでもない事の言い訳と謝罪を、ぐるぐると頭の中で考え続けていた。
社員「あれ、獅雪さんどうしたんですか?
急に顔色が悪くなって……」
獅雪「いや……、なんか、嫌な予感がするっつーか……。
なんだ……寒気と吐き気もしてきたんだが……」
大切な恋人が、『友人』という盾を使われた事を、彼はまだ知らない(笑)




