翌日の再会と疑問
「ほのか先生~!」
それは、獅雪さんが帰国する当日の夕方の事。
今から家に帰宅して彼を出迎えに空港に向かう予定だったところに、
透先生の慌てたような声と駆け込んでくる音が聞こえてきた。
「どうしたんですか、透先生?」
教諭室にズササッ! と飛び込んで来た透先生が、
口をパクパクさせて何かを伝えようとしている。
……一体どうしたんだろう。
とりあえず、まずは透先生を落ち着かせるのが先ね。
私は透先生の許に近寄ると、その顔を見上げた。
「透先生、何があったかはわかりませんが、まず落ち着いてください。
はい、深呼吸~。吸って~、吐いて~」
「ひっひっふ~!」
「透先生、それはラマーズ法ですよ~。
普通に深呼吸してくださいね~」
「すー、はー……、……ん、ごめん、ほのか先生~。
俺、ちょっと驚いちゃってさ~」
やっと通常状態を取り戻したと思うと、幼稚園の門の方を指差した透先生。
窓の方に向かいそこから外を覗いた私は、透先生の最初の慌て様を正しく理解した。
門の近くに、黒塗りの高級リムジンが一台場違いな様子で停まっている。
何故幼稚園にリムジン……?
「ね、吃驚するだろ? しかもさ、さっき門の方に掃除に行ったら、
すげー高そうなスーツ着た男に、ほのか先生を呼んでくれって言われて……」
「……え? 私を……ですか?」
「うん。なんか、この前カフェで一緒した者だと言えばわかるとか言ってたんだけど」
「カフェ……」
その時、私の記憶に背の高いスーツの良く似合う眼鏡姿の男性が思い起こされた。
あぁ、もしかして……。カフェで男性とご一緒するなんて滅多にないし、きっと間違いない。
私は透先生にお礼を言って、バッグを持って門へと急いだ。
――幼稚園・門前。
門を出て、リムジンの方に視線を向けると、予想通りあの時の男性が車に背中を預けて立っていた。
やっぱり、間違いなかったようだ。ヘアワックスで綺麗に撫でつけられた髪、仕立ての良い高級スーツ。
一見して近寄りがたい端正な美貌。あの時の男性だ。
「あのっ」
私の声に、男性がゆっくりとこちらを向いて近付いてくる。
「昨日ぶりだな」
「は、はい。昨日はケーキをご馳走様でした」
「ふっ、それ以上に楽しめた有意義な時間だったからな。礼を言う事はない」
そこに社交辞令やお世辞はないようで、男性は小さく笑んでいた。
こうやって表情を和ませると、近付きがたい雰囲気が薄れていくようで、私も自分の中の緊張が解けるのを感じていく。
……だけど、昨日は私の勤務先の幼稚園名や住所までは喋っていないはずなのだけど。
「あの、どうして私の勤務先を? というか、何か御用でも?」
「もう少し……、お前と話をしてみたいと思ってな。
勤務先の方は、資料を元に辿った」
「資料……?」
一体、何を言っているの……? 資料……って?
きょとんと目を丸くして不思議な心地になりながら見上げる私に、男性はまた一歩距離を詰めてきた。
「まだどうするかは決めていないが、もう少し知ってみるのも悪くない。
これから時間はあるか? 大通りの方に馴染みの店があるんだが」
「えっと、あ、あのっ」
私が疑問を抱いている事に気付いているだろうに、男性はそれを鮮やかに無視して自分の用件を話し始めてしまった。
勤務先を知っていた事といい、資料がどうこうと話していた事といい、わからない事だらけだ。
昨日一度会っただけの男性の背後に、私の知らない何かが隠れているように感じられて、……正直少し怖い。
「どうした? 予定でもあるのか?」
「お誘いは嬉しいのですが……、今日は、ちょっと」
「……」
それに、獅雪さんとの約束もあるから、昨日とは違い一緒に行くわけにはいかない。
頭をぺこりと下げてお断りを入れ、再度男性の顔を見ると……。
「そうか……」
わかりにくいけれど、声音と微妙な表情の変化で、男性が気落ちしている気配を感じた。
もしかしなくても、傷付けてしまったのだろうか……。
わざわざ幼稚園まで誘いに出向いて来てくれた事も考えると、少々罪悪感を感じないでもないけれど……。
やっぱり、駄目なものは駄目だものね。
「では、……また次の機会にでも誘いにくる」
男性はさっと潔く踵を返しリムジンへと乗り込むと、颯爽と幼稚園から去って行ってしまった。
疑問は残るけれど、無事に切り抜けられた事に安堵していた私は、ふと気付く。
あれ? ……また次の機会にとか言っていたような。
「ま、また来るって、こと……なのかなぁ」
だとしたら、……どうしよう。
多分、昨日のカフェでの時間を過ごして、友人的な意味で興味を抱いてくれたのだろうけど……。
だからといって、誘いを受けるのは獅雪さんとの約束に反するし、うーん、うーん。
頭を抱えてその場にしゃがみ込んでいると、私の上から何か影が差してくるのを感じた。
「(誰か……、後ろに……いる?)」
透先生だろうか? もしかしたら、私を心配して追いかけて来てくれたのかもしれない。
だけど、……背後にいるであろう人物は、何故か無言のまま。
「……(なんだろう、この寒気と圧迫感)」
久しぶりに感じたような気がする感覚に、私は嫌~な予感を感じずにはいられなかった。
一難去ってまた一難、確実に良い気配は感じない。
後ろを振り向く事も出来ずに固まっていると、背後の人物が無言のまま……、
――グイッ!!
「えっ、きゃ、きゃあああ!!」
腰の辺りを大きな逞しい腕に囚われたと思った直後、一気に私の視界がグン! と上昇した。
そして、抱き抱える為に向きを変えられたかと思うと、意外な人物との至近距離での対面が待ち受けていたのだ。
少しクセっ気の髪、男女問わず惹き付けるであろう美しいハイスペックな美貌、不機嫌そうに顰められている眉、
そして……。
「どうして俺との約束が守れないんだろうな……ほのか?」
逸らしたくても逸らせない。超至近距離での大好きな人の怒りに満ちた不機嫌な声音と力強い視線。
私は怖くて何も言えずに、ぷるぷると……肉食獣、――獅雪さんの数時間お早い帰国に恐れ戦いていた。
「たった二週間で……、『何人目』だ?」
「え、えっと、違うんですよ、獅雪さん!!
決して浮気とかじゃなくてっ」
「じゃあ、何か? 口説かれてる最中だったのか?」
「だから、違いますって!! さっきの人は、昨日偶然出会っただけの人で!!」
「何で偶然会っただけの奴が、翌日の夕方にお前の勤務先に来てるんだろうな?」
「そ、そんな事聞かれましても!!」
私だって意味がわからなかったんです!!
名前も何も告げていないのに、勤務先の前にリムジンを停められてすごく困惑したのに!!
そう言い訳したいのに、獅雪さんの凄味がどんどん増していくから、怖いっ。
「本当に、どこの誰だかわからないんですっ。
それに、お誘いは確かにされましたけど、ちゃんと断りましたっ」
「……」
「信じて下さい……っ、獅雪さんっ」
そろそろ我慢しきれなくなって涙を零すと、獅雪さんが大きな溜息を吐き出して、
私を肩に担いで米俵スタイルにして歩き出した。
何も喋らないし、どこに向かっているかもわからない。
ただ、獅雪さんが心から不機嫌と怒りで感情を支配されているのだけは伝わってくる。
――ボスン!!
昔のように乱暴にされたかと思うと、私は獅雪さんが乗って来たであろう車の助手席に押し込まれていた。
獅雪さんの踏み込んだアクセルが、その機嫌を表すかのように急速な速さを宿して車道を走り始める。
まるでいつかのデジャブのよう……。帰国したばかりの恋人と甘い雰囲気になるどころか、
これからどんなお仕置きをされるのかという心配をしなくてはならないなんて……!
数時間早い便で帰ってきた模様の獅雪氏。
一度自宅に戻り、車でほのかを迎えたところ、
秋葉家長男とほのかが話している現場を発見し、こうなりました。
というわけで、日本にお帰り!ぼっちヒーロー獅雪さん!!(マテ)




