百貨店での出会い
獅雪帰国前日。
ほのかは兄の蒼と共に、百貨店を訪れ別行動をする事に。
そこで、迷子の子供と一人の男性と出会う事になるのですが……。
――いよいよ、明日は獅雪さんが帰国する予定の日。
二週間という期間は、思ったよりも長く感じられたように思う。
子供達と過ごす幼稚園の日々と、夜に少しだけ獅雪さんと話せる時間……。
それを頼りに過ごしてきたけれど……、やっぱり、姿を見て、触れて、あの人の元気な顔が見たかった。
だから、……早く貴方に会いたいです、獅雪さん。
――コツコツ……。
休日の午後、私は蒼お兄ちゃんと共に大型百貨店へと来ていた。
お互いに見たい物が別だから、時間と待ち合わせ場所を決めて一階で別れる。
確か、私の好きなブランドの三階に入ってるんだよね。
エレベーターをあえて使わず、階段を上り三階を目指していると、
ふと、上の方から子供の泣き声が聞こえてきた。
「……何だろう」
タンタンと足早に階段を越えていくと、その途中で小さな男の子に足にしがみつかれている男性の姿が見えた。
ヘアワックスで綺麗に纏められた髪に、高級そうなスーツを着こなした眼鏡の男性は、
子供が泣くのをどうにかやめさせようと、何か言葉をかけ続けているようだ。
多分……、見るからに迷子に遭遇して戸惑っているというシチュエーションだろう。
私は傍に寄り、男性に声をかけた。
「あの、もしかして……、その子、迷子ですか?」
「ん? あぁ、そうなんだ……が」
あれ、子供から視線を外した男性が、私の顔を見てピタリと動きを止めてしまった。
信じられないような物を目にした時のような、驚愕の表情が浮かび上がっていく。
何だろう、私、この男性とは初対面だよね? どうしてこんな顔をされているんだろう。
「……すまない。……君の言うとおり、この子は迷子だ。
階段を上っている際にしがみつかれてな。困っていたところだ」
「おかあさっ、んっ、ひっく……うわあああっん」
「はぁ……、またか」
「迷子センターに連れて行った方がいいですね」
「そう思ったんだが……、見てのとおり、動けん」
あぁ、確かに、しっかり足に抱き着いて泣いてばっかりのようだ。
これでは、迷子センターに連れて行こうとしても無理、だよね。
苦笑して「わかりました」と頷くと、私は男の子の傍にしゃがみ込んだ。
「僕? お姉ちゃんと一緒に迷子センターに行こうね。
そこに行けば、お母さんとも会えるから」
「ひっく……えぐっ、おかあさっ、んっ、うぇえええっんんっ」
「……さらに泣いたぞ」
ん~……、これは、迷子になった事で感情が大放出して、私の言っている事が上手く呑み込めてないのかな。
まぁ、年齢的に……、三歳ぐらいだもんね。仕方ないか。
男性の方も、さらに困ったように眉間に皺を寄せているし……。
「大丈夫だよ? 怖くない怖くない……」
男の子の頭を優しく撫でて、安心させるように笑顔を向けると、
少しだけ興味をこちらに向けたようで、泣き声が徐々に治まっていった。
とりあえず、まずは落ち着かせる事には成功した、かな?
「おかあさん……ひっく」
「はぐれちゃったんだよね? 一人で心細かったでしょう。
すぐにお母さんに会わせてあげるから、お姉ちゃんの手をとってくれるかな?」
すっと右手を男の子に差し出すと、おずおずと男性の足から離れてこちらに向き直ってきた。
小さな手が、ぷるぷると震えながら私の手のひらに重なる。
寄ってきた小さな身体を腕の中に抱き締め、もう一度「大丈夫だよ」と声をかけると、ぎゅっとしがみ付いてきた。
「手慣れたものだな……」
「一応、幼稚園の先生をしているので、子供の相手は得意なんです」
男の子の背中をポンポンとあやすように軽く叩き、ゆっくりと抱き上げながら身を起こした。
さてと、まずは迷子センターにこの子を連れて行って、お買い物はそれから、かな。
「じゃあ、私、この子を迷子センターに連れて行きますね」
「……いや、俺も行こう。最初に見つけた手前、親が迎えに来るのを見届ける必要がある」
「いいんですか?」
「あぁ、構わない」
男性は私の横に並ぶと、一階にある迷子センターへと一緒に歩み出した。
――迷子センター。
「大樹!! もう、心配したのよ!!」
「おかあさん!!」
迷子センターに着くと、ショートカットの髪形をした女性が私達を見て駆け寄って来た。
どうやら、お母さんの方が先に迷子センターに来ていたようだ。
「お母さんが来て下さっていて良かったです」
「すみません! ご迷惑をおかけしたようで!!」
私と男性に何度も頭を下げると、お母さんはお礼にと一階のカフェで使える珈琲の無料券をくれた。
「おねえちゃん! おじちゃん!! ありがと~!!」
男の子が、お母さんの腕の中から何度もこちらに向かって手を振ってくれる。
もう涙は完全に引っ込んで、お母さんに会えた嬉しさで笑顔全開だね。
私も手を振り返して、「もう迷子になっちゃ駄目だよ~」と声を投げかけた。
男性も小さく手を振っている。
「本当に良かったです……。お母さんに会えて……」
「子供とは……不思議なものだな。
さっきあんなに騒々しく泣いていたかと思えば、けろりと笑いだす」
「皆、幼い頃はそんな感じだったんですよ?
泣く事が仕事というか、大人になると色々我慢したりで感情が表に出せなくなる人もいますし」
「そういうものか……。そういえば、先ほどあの母親から無料券を貰ったな」
男性はそれぞれに貰った無料券を見つめると、カフェのある方に視線を向けた。
「せっかくの貰い物だ。時間があるなら、一緒に行くか?」
「え? 私と、ですか?」
「丁度喉が渇いてな。付き合ってくれると助かるんだが」
そう言ってカフェの方を指差し、端正な顔に小さな笑みを浮かべた男性に、私は断るのも失礼かと思い頷く事にした。
ただ、珈琲を一緒に飲むだけだし、大丈夫……だよね?
それに、カフェはすぐ近くで人目もあるから、獅雪さんだって怒りはしないはず。
私は男性と共にカフェへと向かった。
――百貨店一階・カフェ。 side 秋葉 昴。
まさか、出掛けた先で鈴城の娘と出くわす羽目になるとはな。
迷子に泣きつかれた時は、さすがにどう対処するべきか焦ったものだが、この娘のお蔭で助かった。
仕事や取引先の対応に関してはプロフェッショナルなスキルを自負していても、
子供相手の対応は少々苦手に感じる部分があったからな。
無事に母親に迷子を引き渡す事も出来たし、あとはさっさと立ち去れば良かったんだが……。
子供をあやし、それに微笑む鈴城の娘を見ていると、……柄にもないが、興味が湧いた。
もう少し、この娘と話がしてみたいと……そう思ってしまった自分がいる。
「幼稚園の教諭をしていると言ったな」
「は、はい。そうですが……」
俺の方は鈴城の娘を知っているが、あちらは当然俺の事を知らないのだろう。
初対面の相手とカフェに入り、同席するという状況に若干緊張しているようだ。
確か六つ下……だったか。まだ幼さの残る表情は、女性というよりは少女を連想させるような顔立ちだ。
「子供と日々過ごすのは楽しいか?」
「そうですね……、ずっとなりたかった職業でもありますし、
毎日子供達の笑顔を見るのが、楽しみのひとつになっていますね」
「泣いたり騒いだり、忙しなくはないか?」
「それが子供ですから、苦に思った事はないですよ。
感情が素直な子供達は、見ているだけで私に元気をくれます」
「そうか……」
本当に……、自分の仕事を楽しそうに語る娘だな。
色々と聞き続けると、鈴城の娘は俺の問いや疑問に、表情を曇らせる事なくポンポンとリズムを崩さずに答えていく。
徐々に、俺が初対面の相手だという事を忘れて、園での出来事を語る姿は、やはり、どこかあどけない。
嫌いではないな……こういう空気は。
「あ、すみません。私ばかり色々話し続けちゃって……」
「いや、退屈しなくていい」
俺がそう答えると、鈴城の娘はその瞳を大きく見開いて見つめてきた。
「俺の顔に何かついているか?」
「い、いえ……」
僅かに頬を染めると、そのまま誤魔化すように鈴城の娘はそう答えた。
よくわからないが、恥じらった仕草や表情も、妙に俺の目を惹くな。
写真ではわからなかった鈴城の娘のくるくる変わる面が幾重にも見える。
情報はあくまで字の羅列に過ぎず、直に対面して接してみなければわからない事もある。
それを……目の前で証明されたように思えた。
本当は、もし会う事があれば、協力を要請しようと思っていたが……。
もう少し、この鈴城の娘を知ってみるのも悪くはないかと思えてきた。
「注文をいいだろうか?」
隣の席を拭いていたウエイトレスに声をかけ、女子が好みそうなケーキをひとつ注文する。
「甘い物がお好きなんですか?」
「甘すぎなければ、時々食べるがな」
注文したケーキは、この娘にやる予定だ。
だが、俺が食べる為に注文したと思ったようで、意外そうに聞いてきた。
秘書の都々凪が、休憩中の茶菓子に甘い物を出す事もあるが、
俺の好みを知っているからな。大抵は甘すぎないレベルの物を選んで出してくる。
――コトン。
ウエイトレスが運んできたケーキを、鈴城の娘へと差し出してやる。
「あの……」
「カフェに付き合って貰った礼だ。食べるといい」
「い、いえっ、あの、私は珈琲だけで十分ですからっ」
「遠慮はしなくていい。俺が食わせたいと思っただけだからな」
「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて」
フォークを手にとり、鈴城の娘は恐縮しながらチョコレート仕様のケーキをひと掬いした。
そして、それを口の中に入れると、嬉しそうに表情を緩める。
こういう所も……、どこか子供のようで、見ていて飽きないな。
わからないように小さく苦笑を漏らすと、俺はその食べる様を頬杖を着いて見守る事にした。
――百貨店・カフェ前。 side ほのか。
「ご馳走様でした。ケーキ、とても美味しかったです」
「いや、俺の方こそ楽しませてもらった」
初対面の男性とカフェをご一緒しただけでなく、ケーキまでご馳走になってしまった。
男性は、見た目は近寄りがたい美貌の大人の人だったのだけど、
お話をしていると、時折見せられる笑みと共にこちらの緊張も解れていって、一緒に話す事が楽しくなってしまった。
私の幼稚園での話も、興味深そうに聞いてくれたし……、こういうのも一期一会というのかな。
貴重な出会いと時間を過ごせたように思えた。
「では、私は兄との待ち合わせがありますので、そろそろ行きますね」
「あぁ、気を付けて行くといい」
「はい。それじゃ」
男性とのお茶で、そろそろ蒼お兄ちゃんとの待ち合わせの時刻が迫っていた私は、
頭をぺこりと一度下げ、別れを告げて立ち去った。
けれど、そういえば男性と私はお互いに名乗る事もしていなかったなと気付くと、後ろを振り向いてみた。
もしまだいるなら、名前ぐらいは聞いておきたい気がしたから……。
だけど、振り返った先には、男性の姿はどこにもなかった。
多分、もうどこかに行ってしまったのだろう。
少し残念に感じながら、私は再び階段を上り始めた。
もしかしたら、またいつかどこかで偶然会う事もあるかもしれない。
ほのかさん、見事にフラグ立てていきましたね……(遠い目)
ついでに秋葉家長男さん、本物と対面して色々思い直す事が多かったようです。




