予感と両親の帰宅~蒼視点~
ほのかの兄、蒼の視点でお送ります。
――side 蒼
――カタカタカタカタ……。
妹が征臣に雷を落とされて三日後、
俺はいつものように持ち帰った仕事に手を付けていた。
午後二十ニ時……。
パソコンキーを打つ手を止め、ぐっと背を伸ばす。
明日仕事で必要な資料はもう揃えてあるし、
こっちの作業も終わった。
あとは、……適当に時間を潰して、寝るかな。
一階に下りて、珈琲を手に戻って来た俺は、
テレビのスイッチを付けてソファーに座った。
ニュースでも見るか……。
流れてくるアナウンサーの声を、情報として捉えながら見ていると、
ふいに、俺のスマートフォンが着信を知らせた。
またか……。
「お前も飽きないね? 毎日毎日……。
俺は男にラブコールされて喜ぶ趣味はもってないんだけど?」
『誰がお前にラブコールなんぞするか!!
……それより、今日も大丈夫だったのか?』
俺のお茶目なからかいに真面目に怒鳴り返した征臣が、
通話口の向こうで確認するように尋ねてくる。
この三日間同じ事ばかり繰り返すので、そろそろ着信拒否でいいかなとか思っていたりする。
「はいはい。透君の情報では、
今日も幼稚園には現れていないそうだよ。良かったね?」
『そうか……』
安堵したのか、ほっと息を吐きだす気配がした。
征臣が確認したいのは、先日ほのかを連れ去ったという某ロックバンド歌手の青年の事についてだ。
ほのかが彼にうっかり付いて行ってからというもの、
その銀髪の青年が妹の前に現れていないかどうかを、しきりに気にしては連絡を寄越してくる。
今だって、ほのかに連絡をしたいのを抑えて、先に事実確認をしなければ安心できないという感じなのだろう。
まったく……、どれだけ余裕がない男なんだろうね?
「何かあったらメールでも送ってやるから、少しはどっしりと構えて出張に専念したら?
気になって仕事どころじゃなくなったら本末転倒だろう?」
『言われなくても仕事はちゃんとやってる!
……全部投げ出すほど馬鹿じゃねぇよ』
「公私をちゃんと分けてるならいいよ。
にしても、俺の妹は、お前といいロックバンドの歌手の子といい、
なんでこうも、個性的な男に好かれるんだろうね……」
大学時代に知り合った征臣や恵太には、
絶対にほのかを会わせないようにしていたのに、
いつの間にか、卒業後に出会っちゃうんだもんなぁ……。
ほのかは覚えていないだろうけれど、
征臣は卒業後に、そう、二年ほど前に大学の後輩から助っ人を頼まれた過程で、
文化祭の日に、偶然ほのかと出会ってしまったのだ。
本当に……、どういう運命の悪戯なんだか……。
「俺様気質で我儘なお前なんて、ほのかには手が余るだろうと思って
無理難題を押し付けてやったっていうのに、乗り越えてくるんだもんなぁ……。
俺としてはがっかりだったよ」
『そりゃ残念だったな? 好きなだけがっかりしてろ。
確認も出来たし、それじゃあな』
急に電話してきておいて、用件が済んだらすぐに切っちゃうってどうなんだろうね。
俺は征臣の情報収集センター兼見張り係じゃないんだよ?
通話の終わったスマートフォンをテーブルの上に置いて、俺はひと息吐いた。
少し冷めてしまった珈琲に口を付け、頭の中で件の銀髪の青年の事を考え始める。
確か、ほのかが……、『悠希』って彼を呼ぶようになったと言っていたんだよね……。
名字がわかれば確実なんだけど、生憎とそれはまだわからない。
「俺の読みが当たりだった場合、ちょっと厄介かなぁ……」
まぁ、欲しい物を手に入れるには、それ相応の苦労は必須だ。
だから、征臣が苦労するのは別に全然、むしろもっと頑張れ! なぐらいには構わない。
――『ガタッ……』
「ん? 父さん達が帰って来たかな?」
社長なんてやっていると、色々と面倒な事や会議が多くて帰りも自然と遅くなるのが日常だ。
それに、母さんもそんな父さんの秘書をやっていて、始終多忙な日々の中に身を置いている。
聞きたい事もあるし、ちょっと下におりてみようか。
………………。
「父さん、母さん、お帰り。お仕事お疲れ様」
「あら、蒼、まだ寝てなかったの?」
リビングに行くと、丁度アップにしていた髪を解く母さんの姿があった。
働く女性の代表とも言うべき、凛としたスーツの着こなしは、いつ見ても立派な秘書様だ。
ソファーには、余程疲れたのか、倒れ込んでぐったりとしている父さんの姿がある。
珍しいね、いつもはこんな風にだらしない姿は見せないのに。
「どうしたの、父さん?」
「ちょっとね……。お父さん、猛アタックを受けちゃってて……」
「それって……もしかして、例の話?」
「そう、秋葉の息子さんとほのかのお見合いの話よ。
もうあの子には征臣君がいるし、無理だってお断りしたんだけど……、
連日待ち伏せされちゃって」
秋葉というのは、『和楽器』の製造販売を主に行っている大会社で、
同じ和のテイストという事で、『香』と『着物』の商品を扱う鈴城とは、
何かと縁のある会社だ。
和関連のイベントで協力する事も多くあるし、互いに協力し合ってきた仲だ。
だけど、その縁があるからといって何でも頼みを聞くというわけにはいかない。
すでに獅雪家との縁談が実を結んでおり、二人は婚約関係になっている。
……と言っても、最初は征臣が他の男にほのかを取られないようにと、
俺の親に無理を承知で頼み込んで取付けた仮婚約なんだけど。
「(征臣の真剣な想いと、俺の口添えがあったから、
許しが出たようなものだったしな)」
仮というのは、当時ほのかにその気がなかった事が関係している。
ほのかを一年以内にその気にさせられなければ、婚約は解消というものだった。
結果はご覧のとおり、一ヶ月という短期間で見事にくっついちゃって、
お兄ちゃんは少し寂しいよ。
「だけど、なんでそこまで粘るんだろうね?」
「ほら、ほのかは幼稚園の先生をやってるでしょ?
子供に好かれる母性本能のある良い娘さんだからって、
自分の息子の嫁に是非って思ったらしいわ」
「あぁ……、そういえば、秋葉さん家って、
人でも技術でも、惚れ込んだら一直線って噂があったっけ」
「そうそう。だから余計面倒なのよ」
「となると……、征臣がこっちに帰国次第、
ほのかとの仮婚約を解いて、正式な婚約に切り替えて、
もういっその事、結婚式の日も決めた方がいいかもね」
まだ恋人同士になって一か月ほどの二人だけれど、
早く体裁を整えて周囲に壁を作ってしまわないと厄介な事になりそうだ。
母さんもそれに頷くと、キッチンから三人分の珈琲を淹れてソファーに戻ってきた。
「悪意がない分、秋葉さんの所は性質が悪いんだよな……」
「あ、父さん。やっと復活?」
ソファーからのっそりと起き上がった父さんが、テーブルに頬杖を着いてぼやいた。
これは、相当疲れているな。仕事で疲れて帰って来ても、ここまで疲弊している姿を見せることはないのに。
秋葉さん家のアタックに、余程圧されているようだ。
「蒼、ほのかはもう寝たのか?」
「多分まだ起きてると思うよ? 征臣から連絡が来てるだろうし」
「征臣君か……。ほのかとはその後上手くやっているようだな。
最初はどうなる事とかと思ったが、……」
「父さん的には、二人がくっつくとは思ってなかったんだろ?
ほのかの逃げの姿勢は凄かったしね」
二か月ほど前は、本気で征臣を怖がっていたというのに、
気が付けば大事な娘と獅雪家の息子は両想い。
父さんとしては、一年じゃ無理だろうって油断したのもあって仮婚約を許した面もあるから、
大誤算だったんだろうな。娘を取られた父親の寂しさが背中に感じられる。
「今、征臣君は海外だったか?」
「二週間ほどね。ほのかの事が気になって、欠かさず連絡を入れてくるよ」
「そうか……。ほのかを大事にしてくれているなら安心だ。
彼が帰国したらお前の言うとおり、正式に婚約させて結婚の日取りも決めないとな」
母さんの淹れた珈琲のティーカップを持ち、
一口飲んで「ふぅ……征臣君、早く帰って来てくれ」と遠い目をして呟いているし。
そうすれば秋葉さん家の猛アタックから解放される。
父さんの背中にはそう書いてあるね。
しかし……、そう上手く事が運ぶだろうか……。
なんとなくだけど、嫌な予感……というか、面倒な事になりそうな予感がして仕方がない。
それは、今はまだ朧気なもので、まだ形にはなっていないけれど、
……近い内に、何かが起こりそうな……、そんな予感がした。




