征臣のお説教
蒼と透に連れられて、鍋屋・勝を訪れたほのか。
そこで状況を説明した後、兄の蒼に征臣も今回の件を知っていると
教えられて……。
「あぁ、スタジオ・古月な。
小笠原のおっちゃんが経営してるスタジオだろ?」
夕食と、私に何があったのかを説明する為に訪れた恵太さんのお店、鍋屋・勝。
和室を一つ借りてご飯を食べていたんだけど、
仕事の合間に顔を出してくれた恵太さんが、スタジオの話を聞いて話に入ってきた。
「格安だし、路地の向こうにあるから結構穴場なんだよな。
バンド系の奴らがよく利用してるぜ」
「どうやら、ほのかがそこに連れて行かれたらしくてね。
今、話を聞いていたんだよ」
「小笠原のおっちゃんの目が光ってるから、
変な事は出来ねぇと思うけど……。
ほのかちゃん、あんまり無防備なのは良くないぜ?」
「んっ……、けほっ、けほっ」
「ほのか先生、大丈夫!? ほら、お水飲んでっ」
熱々のお豆腐をふーふーして口に入れた途端に、
恵太さんの呆れ混じりの苦笑が聞こえてきて、私はつい咽てしまった。
仰る通りです……、いくら害がなさそうだと判断したとはいえ、
男性にほいほい付いて行くのは駄目だよね。
子供達にも、知らない人には付いて行っちゃいけませんって注意している先生の行動じゃない。
面識があれば、それはいいのかっていうのも違うし……。
私は「すみません……」と小さく反省した。
「ほのか、一応言っておいてあげるけど……。
征臣、この件……知ってるからね」
「え!?」
「ほのか先生が連れてかれるの見て、
俺が征臣さんに連絡しちゃったんだよねぇ……」
「透先生……」
すまなそうにそう言った透先生を涙目で見つめると、その視線は別方向へと逸れてしまった。
心配してくれたのはとても嬉しい。だけど、よりにもよって、獅雪さんに連絡……。
あぁ……、聞こえてくる……。
『この馬鹿!! なんでそんな事になってるんだ!!
警戒心はないのか、この小動物娘が!!』
うん、間違いなく怒られる。大声で勢いよくお説教をされてしまう。
簡単に想像できてしまったその光景に、私は今にも頭を抱えて唸り出してしまいそうだ。
どこか、どこかに逃げる……、って、無理だよね。
寝る前に確実に連絡が来るだろうし、蒼お兄ちゃんもにっこり笑ってるし……。
「お、怒られちゃう……かな?」
「すごく心配していたからね。愛情だと思って、素直に叱られてやりなさい」
「ううっ……」
その時、バッグに入れておいたスマホがメールの着信を知らせた。
……嫌な予感しかしないっ。
恐る恐る中からスマホを取り出し、メール画面を開く。
『あとで連絡する。正座して待ってろ』
……。
「あ、蒼お兄ちゃん、これ……!」
メール画面を蒼お兄ちゃんに差し出すと、
苦笑と共に頭を撫でられた。
「愛情だよ、愛情」
それがどれほど怖いものか、知ってて流すんだよね、蒼お兄ちゃん!
いっそスマホの電源オフ……、って駄目駄目!!
むしろ状況が悪化して、獅雪さんにお仕置きされてしまう!!
「それよりさー、ほのか先生本当に大丈夫なの?
話聞いてると、その、なんだっけ、有名人の人に気に入られたっぽいじゃん?」
「ロックバンドの歌手月夜って、今一番旬なアーティストだもんなぁ。
しかも、ほのかちゃんには、別の名前で呼ぶように言ったんだろ?
こりゃ、マジでヤバイかもなぁ」
「ふふ、征臣も出張に行ってる場合じゃないよね。
後でからかいついでに教えてあげようかな」
「やめてやれ! マジで速攻帰国してきそうだから!!」
男性陣がよくわからない事を語り合っている横で、私はプルプルとスマホを両手で握り締めて震えている。
どうしよう……、よく知りもしない人にうっかり付いて行った事は、蒼お兄ちゃんが説明済みなんだよね。
いつかかってくるの? 今なの? あとなの?
出来るなら、今日じゃなくて明日にならないかなぁ。
勿論、獅雪さんの声は聴きたい。だけど、その内容がお説教だと思うと、気分はどんと底まで沈み込んでしまう。
――帰宅後。ほのかの部屋。
「……はい、ほのかです」
『昨日と違って、ワンコールで出なかったな?』
「えっと、……ちょっと、バッグから出すのが、遅くなりまして……」
ベッドの上に言われたとおり正座をし、何度か地獄の呼び出し音に震えた後、
私は勇気を振り絞って通話オンをタップした。
どうか、少しでも獅雪さんの怒りが小さくなっていますように!
けれど、人生はそんなに甘くはなかった。
通話に出た獅雪さんの声音は、落ち着いたものなのだけど、……いつもより低い。
それに、どこか威圧感がピリピリと滲み出ているかのようなこの声……。
間違いない、獅雪さんは確実にお怒りだ!!
『お前が天然入ってて、たまにボケやらかすのは俺も重々承知だ』
「はい……」
『だが、今日のはさすがに呆れるしかない。
お前、幼稚園の教諭だろ? 子供にいつも何て言ってるかもう一度言ってみろ』
「え、えっと……、し、知らない人に……付いて行っては……いけま……せん」
『それがわかってて……、なんでホイホイ付いて行ってんだ、お前は!!』
「ご、ごめんなさああああああい!!」
やっぱり怒った!!
きっと青筋全開だよ!! この叩き付けてくるかのような凄まじい威力の怒声!!
悪いのは私だけど、これはさすがに怖すぎる!!
予想以上の迫力に、今にも涙が零れ落ちそうだ。
誰かっ、この現代に降臨した大迫力の俺様獅子様の怒りを鎮め方を教えてください!!
「本当に……っ、うぅっ、ごめんなさい」
『はぁ、……何もなかったのが救いだが、
もう少し警戒心をもて。こっちは気が気じゃないんだ』
「で、でも……、悪い人じゃないんです。
今までにも何度か会ってますし、
月夜さんっていうロックバンドの歌手の方っていうのもわかってますし、
なにより、私に害を与えるような感じはなかったので……」
『そんな微妙な知り合い関係で安心するな!』
「は、はいっ」
『はぁ……。俺がいなくなった途端に問題起こすなよ、お前は……』
そうは言われても、不可抗力というかなんというか。
徐々に落ち着き始めた獅雪さんに、もう一度素直に謝ると、
次からは絶対に付いて行っちゃ駄目だと念を押されてしまった。
「でも、悠希さんは良い人ですよ?
ちょっと不思議な感じがする人ですけど……」
『悠希って誰だ?』
「あ、月夜さんの別のお名前ですね。
悠希って呼んでほしいって言われたんです」
『ほのか……』
「はい?」
『絶対にそいつと二度と会うな。てか、口聞くな。視界にも入れるな』
「でも、お会いしたらご挨拶しないのは失礼ですよ?」
何か害をなされたわけでもなし、どこかで会う事があれば挨拶もすると思うのだけど。
だけど獅雪さんは何が気に入らないのか、どんどん声のトーンが不穏になっていく。
さっき少し和らいできたかな~と思ったのに……。
「心配しなくても、今度は二人きりにはならないようにします。
でも、やっぱりお知り合いになった以上、ご挨拶は譲れませんよ」
『お前のそういう律儀なとこが、どんどん俺のメンタルを削ってくんだよ……』
「はい? 何か言いました?」
ボソリと、早口で小さく何かを喋った獅雪さんに聞き返す。
『もういい……。その代わり、絶対に今度は付いて行くなよ?
俺が許すのは挨拶だけだ、いいな?』
ギロリと、今目の前にいれば鋭く睨まれたに違いない獅雪さんの命令に、
私は泣く泣く「はい……」と頷くしかなかった。
獅雪さんからすれば、「俺いうものがありながら……」らしい。
勿論、私は浮気なんてする気もないんだけど、
俺様獅子様な獅雪さんは、思った以上に嫉妬深いようです。
嬉しくもあり、ちょっと縛りがきついな~と思う部分もあり……。
「ちゃんと今度は気を付けますから安心してくださいっ。
私は、獅雪さん以外の男性に気持ちを傾けたりなんてしないんですからっ」
ちょっとイラッとしてしまったのは、獅雪さんが私の気持ちを信じてくれていない気がしたからだ。
たとえ離れていても、私の心には彼がいて、それ以外の男性が忍び込んでくる隙なんてないのに……。
こうやって頭から押さえつけるように怒られていると、
この人は私の気持ちをちゃんとわかっていないんじゃないかと疑いたくなる。
「もう少し、私を信用してください……。
私が好きなのは貴方なんですよ?」
『信用してるに決まってるだろ……。
俺が心配してるのは、お前に寄って来る男共の行動の方なんだよ。
傍にいられない以上、自衛してもらわねぇと困る……』
「心配しすぎだと思いますよ?
私に気をもつ男性なんて、中々……」
獅雪さんみたいな美形さんならともかく、
私は平凡な一般市民だというのに、何を言ってるんだろうか。
『透って前例があるだろ』
「そ、それは……、奇跡的な確率というか、職場も同じでしたし」
『はぁ~……』
あ、これ見よがしな大げさな溜息を吐かれた。
透先生の件は本当に自分でも思ってもみないくらい予想外だったのに、
それを上回る事が起こるわけがない。
なのに、獅雪さんは全然その懸念を捨ててくれない。
『……そろそろ仕事だから切る。
いいか? 最後にもう一回だけ言うぞ?
警戒心をもて。じゃあな』
「あ、獅雪さんっ」
私とのやり取りに焦れたのか、仕事を理由に通話を終える獅雪さん。
心配しすぎだって言ってるのに……。
最後までわかってくれない獅雪さんにモヤモヤが止まらない。
世の中、そんなにラブロマンスで溢れてるわけじゃないんですよ?
私は大抵、幼稚園と家の往復だし、出会いなんて限られている。
となると、透先生は職場関係の延長戦上で私に想いを抱いてくれたわけで、
その彼にごめんなさいをした私の周りには、もう誰もそんな人はいないと思う。
悠希さんだって、プロのアーティストさんなんだから、
万が一にも私にどうこうとか絶対にない。言い切れる。
「(獅雪さんの思考にフィルターでもかかってるのかな……)」
よく、自分の好きな人は魅力的に思えるとかいうけれど、
獅雪さんもそんな感じなのかな?
だとしたら、そのフィルターは今すぐにでもべりべり剥がしたい。
私は普通の人なんです。幼稚園で子供達と過ごすのが幸せな平凡な一般市民。
獅雪さんレベルの美形さんとは違うんですよーだ。
「……もう、寝よ」
布団に潜り込み、頭まで被って目を閉じた。
もう考えない。獅雪さんの心配が無用のものだって二週間後にどうせわかるんだし、
私はいつもどおり、子供達と楽しい幼稚園生活を送ってやるっ。
蒼お兄さんも美形なのに、妹が平凡であるはずがない。
それに気付かない無自覚天然ほのかでありました。




