俺様獅子と動物園!
続きまして~、美味しいイタリアンのお店に参りま~す。
「落ち着いたか?」
「は、はい……」
車道を走るスポーツカーの中で、私は身をシューンと小さく丸めて答えていた。
あの時、獅雪さんに泣き止むまで涙にキスを落とされていた私は……、
今、我に返って猛烈に羞恥の荒波の中に放り込まれています!
一応、このままの衣装だと他のお店に入れない、というか目立つということで、
獅雪さんが適当に寄ったお店で私の服を買ってくれて、それに着替えて今に至る……わけなんだけど。
……獅雪さん、なんで私のスリーサイズをご存じで?
疑惑の目を向けると、実に鮮やかに鼻で笑われたのでもう聞かない。
私を車の後部座席に押し込んだ時の余裕のなかった獅雪さんの表情は、今はどこにもない。
まるで夢だったかのように……、獅雪さんの表情は元通りだ。
泣き止んだ私に、最後に「悪かった……」と謝ってくれて、あとはもういつもの言動に戻っていた。
私も、あの時のことを引き摺るのはちょっと気まずかったので、助かるといえば助かっているけど……。
「そういえば、琥春お姉さんのこと、いいんですか?
すごく驚いてましたよ?謝りに行かないと……」
「姉貴のことは、別にいい。お前の服もちゃんと回収してるだろうし、
俺が家に戻ったら適当に謝っとく」
「適当って……」
「それより、腹が減ったろ?この先に良い店があるんだよ。
好きなだけ食っていいから付き合え」
「は、はぁ……」
獅雪さんの足が、アクセルを踏みこみスピードを上げて車道を駆け抜けていく。
目的の場所に辿り着くと、獅雪さんが私を助手席から降ろす際、
さっきのお店で買ったらしき帽子をぽふっと私の頭に被せた。
……なんで、帽子?
そこでふと気付く。そうか……、私がさっきあんなに泣いたから、目の腫れを気にして……。
表情が隠れる程度の帽子を目深まで被り、私は獅雪さんの差し出した手に自分の手を重ねた。
泣かせたのは、目の前のこの人なのに……。どうして私は、この帽子を嬉しいと思うんだろう。
差し出された手をとることを、嫌と思わなくなっているんだろう……。
「これはこれは、獅雪様。いらっしゃいませ」
「こんにちは。悪いけど、個室の方で頼めるかな?」
「はい、勿論大丈夫でございます。
幸い、一件キャンセルが入りまして」
「良かった。ありがとう」
私達が入ったのは、イタリアンを思わせるお洒落な内装のお店だった。
ドアを開けた時に鳴った可愛らしいベルの音、お洒落だけれど、どこかアットホームな温かさを感じる店の雰囲気。
ほっと落ち着く、そんな気持ちにさせられる場所だった。
ぐいっと手を引かれ、私は獅雪さんに連れられて奥の通路へと入っていく。
ウェイターの人が、白い金細工の模様が入った扉の前で立ち止まる。
「どうぞ」
「あぁ、ありがとう」
扉が開かれ、その向こうに足を踏み入れると、天井から吊るされたオレンジ色の光が室内を照らし、
外よりは少し暗い空間を温かみのある雰囲気へと演出していた。
例えるなら、森の木々に囲まれているかのような自然を思わせる安堵感のある内装。
椅子やテーブルに使われている素材もよく選び抜かれた材質で作られた事がわかるような物ばかりだった。
獅雪さんに促されて椅子に腰かけると、ウェイターさんがメニューを彼に手渡した。
それを開き、さっと目を走らせると獅雪さんが注文を決め、ウェイターさんに告げる。
「かしこまりました」
バタンと丁寧に閉められた扉を見て、私はなんだか落ち着かず視線をウロウロと周囲に向けた。
静かになった空間に、何を喋れば良いのか……迷ってしまう。
幸い、帽子はまだ頭の上だ。獅雪さんから表情を見られる事はない。
「ほのか、もうそれ取っていいぞ」
「え?」
「ここの照明なら、肌の色や泣き痕はそう簡単にわからない。
だから、隠さなくていいぞ」
獅雪さん、それがわかっていて、あえてこの個室を選んでくれたんだろうか……。
私はそっと帽子を脱ぐと、獅雪さんの顔を真正面から見つめる形になった。
その大きな手がすっと伸びて、私の目元に触れてくる。
オレンジの柔らかな光に照らされた顔が、心配そうな表情を浮かび上がらせる。
「し、獅雪さん……」
「泣かせたいわけじゃ……ないのにな」
悔いるように呟かれた言葉と共に、獅雪さんの温もりが肌から離れていった。
それを名残惜しいと……物足りなく思った私は……なんなんだろう……。
頬杖をついて視線を逸らした獅雪さんに、何も言葉をかけられず時は流れていった。
イタリアンのお店で、獅雪さんと共に美味しいパスタを食べた後、
車道を走っていた獅雪さんに問いかけられた。
「お前、行きたい所とかないのか?」
「行きたい所……ですか」
「一応、無理やり連れ出してる自覚はあるからな……。
どこでもいい。好きなとこに連れて行ってやるよ」
「ん~……、じゃあ……」
私達は、車を一時間ほど走らせた後、大型の動物園に来ていた。
前に雑誌で見たのだけど、ライオンの子供を抱っこさせてくれるサービスもあるという
一番の人気スポットだ。
前々から行きたかったけれど、遠いのもあるし、友人とも予定が合わなかったので、
行けずじまいだったのだ。
だから、せっかくのご厚意に甘えることにしたのだけれど……。
「……ほのか、笑うな……」
「ご、ごめんなさいっ、でも……ふふっ」
ライオンとトラの子供を目当てに向かった先で、
私は猫が少し大きくなったぐらいの身体付きをしたライオンの子供を抱っこしながら、
目の前の光景に笑いを抑えることが出来なかった。
最初は、私がライオンの子供を抱いていたところに、獅雪さんが私の目線の高さぐらいまで屈みこんだことが発端だった。
彼の背後にいたライオンの子供が、気付かぬうちによちよちと獅雪さんの背中をよじ登り、
あっという間に頭の上に……。
「なんでこいつは離れないんだ……っ」
「ガルル……っ」
スリスリと、獅雪さんの頭に頬ずりするライオンの子供。
もしかして……、獅雪さんの肉食獣気質に同じものを感じているのかな?
まるで親に懐くような甘えっぷりだ。
飼育員さんも、珍しいですね~と微笑んで傍観している。
「動物に懐かれるのは良いことですよ」
「場所が悪いだろう、場所がっ。
クソッ、……ビクともしねぇ……」
「ガルルッ、ガウッ」
「こら、髪にじゃれつくな!痛いだろうがっ」
獅雪さんの頭の上でうっとりとしていたライオンの子供が、
手元にある髪の毛に興味を移したようで、それにじゃれ始めてしまった。
あぁっ、爪に髪の毛が……。
「これはまずいですね!今引き剥がしますから、じっとしててくださいよ!」
飼育員さんが、手慣れた動作でライオンの子供を抱き上げて、めっ!と一声叱った。
途端、シュンと項垂れたライオンの子供が、ちらりと獅雪さんを飼育員さんの腕の中から見つめてきた。
うるうる……うるうる……。
「……仕方ねーな。よっと……、頭には乗っかるなよ」
飼育員さんからライオンの子供を再び受け取ると、今度は腕の中でしっかりと抱いてやった。
顎の部分を撫でると、気持ち良さそうにふあぁと欠伸を漏らす。
「不思議ですよね……。こんなに可愛いのに、将来はあんな風に……あ」
「……どうした?」
「いえ、獅雪さんも幼い頃はこんな風だったのかなー、なんて」
「ほのか……お前……」
ヒクッと獅雪さんの口の端が引き攣った。
あれ?なんかまずいこと言っちゃったかな?
でも、本当に、疑問に思う。
目の前のライオンの子供のように、幼い時は無邪気で可愛いのに……。
大人になったら、野性の本能のままに牙を剥く獰猛な獣になるなんて……。
お世話をしている飼育員さんとかには、大人になってもあまり危険はないのかな?
それを思うと、獅雪さんの今の肉食獣テイストな性格も、幼い頃はなかったものなのかなーと……。
そう思ったんだけど、獅雪さんはむっとしたようにふてくされると、
ライオンの子供を私の目の前に突き出してきた。
――ちゅっ。
「~~~!!」
可愛らしいお鼻とお口が私の唇に触れた。
ぺろんと厚い舌が私のそれを舐めて、顔中を舐め始めた。
「ちょっ、くすぐったい!!やめてくださいってばっ、きゃああっ」
ライオンの子供を抱えたまま、獅雪さんが「罰だ、罰」と言い切って、
私の腕の中にその温もりを押し付けてきた。
二頭もなんて、ちょっと無理ーー!!
さらには、もう一頭の大人しかったライオンの子供も参戦し始めるしで……。
私の顔はあっとう間にベトベトになってしまった。
「もうっ、獅雪さんの馬鹿!!だいっきらい!!」
「わかったわかった。ほら、顔洗って来い」
私がライオンの子供二頭と格闘している間に、
どこに行っていたのか、獅雪さんがタオルの入った袋と、
……なぜか簡易化粧品の入ったケースを手渡してきた。
タオルは……まぁわかるんだけど、なんで化粧品まで?
そりゃ、顔を洗えば化粧は落ちるけど、それを直すための道具なんてどこで……。
さすがに不審に思って聞いてみると、クイッと向こう側の園内のお店を指差された。
あれは……。
「どでかいホテルが敷地内にあるからな。
客のために色々根回しして売店に置いてんだよ」
「……へ、へぇ……」
あ、ご丁寧にメイク落としも入ってる……。
というか、このセット、揃い過ぎだよ。きっと相応の値段がするはずだ。
「獅雪さん……」
「女は化粧とか気にするだろ?
俺はお前が化粧をしてようがしてなかろうが気にしないが、
そうはいかないんだろう?」
「す、すみません。気を遣わせちゃって……」
「別に大したことない。ほら、行って来い。
あそこのベンチで待っててやるから」
獅雪さんに促され、私はお手洗いへと向かって駆け出した。
幸い、人があまり混んでいなかったから、洗顔も含めすぐに化粧直しは終わった。
戻ってみると、ライオンの子供が桶に入った水で口の中を濯いでいる姿が見えた。
そうだよね、化粧品のついた顔って、動物に害がないとは言えないものね。
元気そうに動いているライオンの子供の姿に安堵して、
私は獅雪さんの待つ場所へと戻った。
「お待たせしました!」
「ん、カフェオレで良かったか?」
差し出された右手には、買ったばかりのカフェオレの缶が握られていた。
私を待つ間に、買っておいてくれたのだろうか。
それを手に取り、ベンチに腰掛けた。
「……楽しいか?」
「え?」
「動物園……、少しは楽しめたか?」
缶のプルトップを外し、口をつけようとした矢先、獅雪さんが私に視線を向けてそう言った。
向けてくる眼差しが、どこか不安そうで……。
私は、なぜ彼がそんな顔をしているかがわからず、それでもここに来れて楽しかったことは本音なので、
しっかりと頷いておいた。
すると、幾分か獅雪さんの表情が和んだ。
「そうか……。良かったな」
「はい」
「さて、もう一周りしたら帰るか。
帰りはちょっと時間がかかるから、途中でまた飯でも食おう。
んで、家に着くまでは、寝てろ」
私の頭をくしゃくしゃっと撫でると、獅雪さんも手元の珈琲缶の中身をぐいっと飲み干した。
だけど私の方は、頭を撫でられ不意打ちのように優しく言われた気遣いの言葉に、
またどこか落ち着かない気分になって、カフェオレの味がよく感じられなくなってしまっていた。
ライオンの子供は一回抱っこしたことはありますが、
あれもふもふで良いですよね。
というわけで、次は自宅に帰還です。