子供の喧嘩とお誘い
「じゃあ、皆始めますよ~」
私が唄の伴奏を始めるのを、今か今かと待っていた子供達が、
室内に奏でられ始めた旋律に寄り添って童謡を歌い始めた。
もう何度も練習している曲だから、自然と子供達のハーモニーも一つに纏まりやすくなっている。
伴奏をしながら、私も一緒に声を上げて同じように歌声を重ね合わせていく。
「(ふふ、皆楽しそうに歌ってる。……ん?)」
可愛らしい声を響かせる子供達の顔を見回していた私の視界に、
その時、右側の窓の向こうに人影が見えた。
幼稚園の入り口、門の前の辺りに……誰か……。
「(銀髪……、もしかして、『月夜』さん?)」
これで姿を見るのは三度目だろうか、遠目に見えるだけだから人違いかもしれないけれど、
髪を銀に染めている人なんて滅多に見かけないから間違いないとは思う。
昨夜の芸能ニュースに映っていた彼、有名バンドのボーカルさん……。
また幼稚園に来ているなんて、何か用事があるのかな。
「(というか、芸能人の人が一人であんな所に立ってていいの?)」
マスコミとか、ファンの人達に見つかったら大騒動になるんじゃないかな。
――ガララッ!!
「ほのか先生~!!
子供達が喧嘩始めちゃって、ちょっと面倒だから仲裁手伝って~!!」
門の所に佇む月夜さんに視線を投じていたら、
透先生の今にも泣き出しそうな声が硝子戸の方から聞こえてきた。
そういえば、透先生の組には凄く相性の悪い者同士の子供達がいるんだよね。
たまに透先生でも手を焼くくらいの喧嘩が突発的に始まる事があるから、
すぐに助けに入った方が良いだろう。
ピアノ伴奏を止め、私はすぐに隣の組へと向かった。
――隣の組。
「たろうくんは、あたちとけっこんするのよ!」
「ちがうもん!! りりとけっこんするの!!」
「美月ちゃん、莉李ちゃん!! もう喧嘩はやめてくれよ~!!」
うわー……。
今にも泣き出しそうな太郎君の腕を互いに左右から掴んで、
引き千切りそうな勢いの女の子二人の三角関係の図だ……。
子供、特に女の子は色恋に関する成長が男の子より早いとは言うけれど、
逆に太郎君が二人に怯えて泣き喚く一歩手前だ。
透先生も、美月ちゃんと莉李ちゃんの鬼気迫る顔と態度に手を焼いてるし、
うーん……。これで何度目だろう。
「(というか、先週は、私の組の隆君を取り合ってなかったかなぁ)」
さらにその前は、透先生を巡っての女の子同士の大バトルだった。
二人とも移り気というかなんというか。
幼稚園生なのに、恋多き美月ちゃんと莉李ちゃんに半ば感心してまう私だった。
「美月ちゃん、莉李ちゃん、隆君が痛がってるからお手々離そうね~」
三人の前に座って目線の高さを合わせると、女の子二人がイヤイヤと首を振る。
これも、いつもと同じ光景だ。延々と男の子を挟んで言い争うルートに突入している。
「ほのかせんせ~、たすけて~!!」
「ああっ、ついに隆君が泣き出した~!!」
「透先生、落ち着いてください。
二人とも、手を離そうね!」
「「い~や~!!」」
「うわぁああああん!!」
意中の男の子を泣かせてまで戦うのはどうなのかなぁ。
毎回飽きもせず繰り返される光景だけど、このままにさせてはおけない。
「二人とも、隆君の事が好きなら、こんな事をしてはいけないわ。
痛い思いをさせたり、辛い目に遭わせるのは、
恋する女の子のすることじゃないのよ?」
「そうだよ!! むしろ逆効果で隆君に嫌われちゃうって!!」
「「せんせーたちはだまってて!!」」
ギロッ!! ……やっぱりこのくらいじゃ駄目なのね。
これもいつもと同じ。私は透先生に目配せして頷き合うと、
互いに二手に分かれて救助作戦を実行することにした。
「美月ちゃん、これも隆君のため!! ごめんな!!」
「言っても聞かない悪い子には、こうしちゃうからね~!!」
女の子二人の脇腹の辺りに狙いを定め、くすぐり攻撃を開始する!
隆君を無事に救出する為には、手段なんて選んでいられない!!
「い~やぁっ、ははははっ、やめっ、とおるせんせい~っ、やあ!!」
「くすぐった~い!! きゃははははは!!」
「今の内よ!! 皆、早く隆君を!!」
「「「「「は~い!!」」」」」
私達の合図に、子供達が一斉に隆君を恋する乙女二人の元から助け出した。
美月ちゃんと莉李ちゃんの目の届かない場所に避難させる為、
私の組へ逃げるようにと指示を与える。
これで、とりあえずは、隆君の安全は守られるだろう。
「ふぅ……。透先生、もういいですよ」
「はぁ……、疲れた」
くすぐり攻撃ですっかり暴れ疲れた二人を床に下ろすと、
小さな手を着いて、肩で疲弊の息を繰り返す。
「せんせ~……、ずるいよぉ~」
「なんでじゃまするのぉ~」
「「二人が先生の話を聞かないからです(だ)!」」
透先生と声を揃えて、いつもよりは厳しく叱った。
あのまま隆君を挟んだまま言い合わせていたら、絶対もっと困った事態になっていたもの。
早めの対処で引き離した方が、二人とも話がしやすいし……。
だから、抗議する美月ちゃんと莉李ちゃんをお説教する為に、
透先生には私の組の方で皆のことを見ていてもらう事にした。
―― 教諭室。
「それじゃあ、お先に失礼します」
「ほのか先生お疲れ様で~す!! 気を付けて帰ってね~!!」
自分の仕事を終えて、私は他の先生方に挨拶をして帰宅する時間になった。
今日はどこかに寄って、気晴らしでもして帰ろうかな。
教諭専用の下駄箱で靴を履き、これからの帰宅経路を頭に描いていると、
ふと、幼稚園の門の所に銀色の髪が見えた。
え……、もしかして、月夜さん、まだいたの!?
私の目からは、門の所に背を預けているようで後姿しか見えない。
だけど、あの銀髪と恰好は間違いなく、彼だと思った。
「……あの」
声をかけると、ゆっくりと振り向く月夜さん……。
私の姿を視界に入れると、口元が少しだけ笑みの形を作った。
「待ってた」
「はい?」
待ってたって……、私を?
他に誰もいないし、その言葉を向けているのは私しかいないんだろうけれど、なんで?
きょとんとしていると、月夜さんが右手を伸ばして私の手をとった。
「え、あのっ」
「少し時間、ちょうだい」
「へっ?」
意味がわからない私に構わず、月夜さんは私の手を引いて歩き出してしまった。
この場合、見知らぬ人に近い立場の彼に付いて行くのは良くないよね!?
というか、どこに連れて行かれるの!?
「す、すみません!! 私、一緒には行けません!!」
「……何か、用事……あるの?」
「い、いえ……と、特には……」
「じゃあ、お願い。ちょっとでいいから……」
「は……はい」
って、違う!! はいじゃないですよ、私!!
つい、子犬みたいな頼りない目で見下ろされたからって、相手はれっきとした成人男性!!
なんでうっかり了承の返事しちゃってるの!!
手を振り払うわけにもいかないし、もうイエスって言っちゃったし……。
ど、どうすれば逃げられるの……!!




