前日デート~水族館のハプニング②~
というわけで、こんな時は面倒見の良い二人にお世話になってみるの巻です。
「だあーはっはっはっ!!
ま、柾、臣っ!! お前っ、なんつー恰好!!」
一度は水族館の中で別れた私達と恵太さん達が、イルカショーの後に再度館内で出会った。
タオルで拭いたとはいえ、全身びしょ濡れの獅雪さんを指を差して笑い倒す恵太さん。
あぁ、そんな風に笑ったら獅雪さんが……。
――ゲシッ!!
「いってぇ~!!」
「いつまでも笑ってんじゃねぇよ、馬鹿恵太!!」
脛だ。脛に思いっきり獅雪さんの靴の角がヒットしてしまった。
弁慶の泣き所とも言われる、あの脛に!
恵太さんがあまりの衝撃に悲鳴を上げ、その場に膝をついた。
梓さんは……、さすがというべきか、動じる事もなくその光景を楽しげに眺めていらっしゃる。
「お前っ、何も脛を蹴ることないだろうっ、ううっ」
「自業自得だ、ふんっ」
「でも、その状態じゃ困るわよね……。
そうだ、ここに来る前に、男性用の服屋さんが通りに並んでたわ。
恵太、一緒に買いに行ってあげましょうよ」
「えー、梓さんとのせっかくのデートなのに~?
俺、まだイルカショー見てないんだけど」
「友達が困ってるのに放っておくの? 私の旦那様は。
柾臣君だけじゃなく、ほのかちゃんだって困ってるんだから、
少しは助けになってあげなさい!」
バシン! と勢いよく恵太さんの背中を叩いた梓さんがその手を引いて水族館を後にしようとする。
けれど、私達の事で、二人のデートを邪魔するのに申し訳なさを感じた私と獅雪さんは、
それを焦って止めようと声をかけた。
「梓さん、本当に大丈夫ですから! 後で自分で買いに行きますのでっ」
「そうです! だから、恵太さんとデートの続きを楽しんでください!!」
「大丈夫よ~! それに、ずぶ濡れのまま服屋に行く方が大変でしょう?
私と恵太に任せてちょうだ~い!!」
こちらを振り返らずに、梓さんは恵太さんと共にズンズン先へと行ってしまった。
鍋物屋の女将さんをしているせいか、本人の生来の気質故か、
その声には迷惑さも面倒さも一切混じっていなかった。
「とりあえず、お言葉に甘えて……、そこの長椅子にでも座りましょうか」
「あぁ……そうだな」
魚が自由に泳ぎ回る巨大な水槽の前で、私達は長椅子に腰を下ろした。
まだ、獅雪さんの服からはポタポタと水滴が零れて落ちている。
何枚か貰ったタオルの新しい分を出し、私は獅雪さんの身体を服の上から拭いた。
やっぱり着替えないと、肌の感触的にも気持ち悪いよね。
「まさか、こんなとこでこんな目に遭うとはな」
「獅雪さんだけにピンポイントでかかっちゃいましたものね。
大丈夫ですか? 寒くないですか?」
「ちょっとな……」
冬も終わりに近いとはいえ、まだまだ寒さの強いこの季節。
あんなに真正面から水を被ってしまった獅雪さんは、相当身体に負担がかかっているに違いない。
早く着替えてもらわないと、また前の時のように風邪を引いてしまうかもしれない。
幸いな事に、水族館の中は暖房が効いているから少しは大丈夫だろうけれど……。
「私のコートじゃ小さすぎますよね。うーん……何か身体を暖かく出来るものがあればいいんですけど」
「服さえ濡れてなきゃ、お前で暖をとるんだがな……。
さすがに、この状態じゃ無理ってやつだ」
「冗談言ってる場合じゃないですよ、もう。
あ、確かあっちに自販機ありましたよね。
何か温かい物を買ってきますから待っててください」
外から温めるのが無理なら、内部から温めたらどうだろうか。
私は立ち上がると、獅雪さんを置いて自販機へと走った。
アザラシが気持ちよさそうに泳いでいる水槽の隣、赤いボディの自販機にお金を入れる。
獅雪さんならきっと珈琲かなと思って、そのボタンを押そうとした矢先、
何か硬い物が背中にあたり、指先が目的の場所とは別のボタンへとズレてしまった。
――ガシャン……。
「あ~……、お、おしるこ……」
間違って押してしまったボタンは、温かいおしるこ缶のものだった。
それを自販機から取り出し、両手に持って肩を落とす。
どうしよう、おしるこって……、獅雪さん甘い物大丈夫かな。
でもこれ……、「極甘!」って書いてあるよ……。
間違いなく、獅雪さんがこんな物を飲めるわけはない気がする。
――チョンチョン。
「え?」
もう一本、珈琲の方を買おうと自販機にお金を入れようとした私の肩に誰かが触れた感触がした。
くるりと振り向くと、パーカーを着た男性が私とおしるこを見比べてきた。
背中には楽器を収めているのだろう大きなケースを背負っている。
あれ? この人、確かさっき……展示場で。
今度はパーカーの帽子の部分を被っていないから、その顔が目の前に晒されている。
整って綺麗な顔立ちに、長い銀髪……。
前髪の一部だけ青くメッシュの入ったその姿に、私は呆然と見入ってしまう。
染めてるのかな……。
その男性は、私の隣に立つと小銭を取り出して自販機へと投下した。
「……珈琲でいい?」
「え?」
「今、俺がぶつかったから、別のが出たんでしょ」
「えっと……」
銀髪の男性が、背中のケースをちらっと視線で示した。
あ、さっき私に当たったのこれだったんだ。
――ガシャン……。
私の答えを待たずに、銀髪の男性が珈琲缶のボタンを押し、
それを取り出し口から掴みだすと、私の前に差し出した。
「ごめん。これで許して」
「えっと、あの……有難う、ございます」
「俺がぼーっと歩いてたのが悪いから、お礼はいいよ。
じゃあね」
自販機からもう一缶珈琲を買うと、銀髪の男性は淡々とした様子でイルカショーの方へと歩いて行ってしまった。
……不思議な人。何を考えているか読めないというか……。
作り物めいた綺麗さもあって、どこか別の世界の人と話していたように思える。
私は、おしること珈琲缶を手に、彼の向かった方向に背を向けると獅雪さんの元へと戻った。
「おしるこ……」
「あ! そっちは私が飲みますから、獅雪さんはこっちの珈琲ですよ」
さっきの男性の事を考えていたせいで、間違っておしるこの方を獅雪さんに差し出そうとしていた手を慌てて引っ込めた。
珈琲を獅雪さんに渡し、その隣に腰かける。
まだ、当然だけど梓さん達は戻ってきてはいない。
「それ、すごく甘そうだな」
「あはは……、間違って押しちゃったんです」
「お前らしいな」
クスッと笑いを零して、珈琲缶のプルトップを開けて獅雪さんが口をつける。
少しでも身体を温められればいいんだけど……。
私も隣でおしるこの缶を開けて、一口含んだ。
「あまっ……ううっ」
これは、想像以上に極甘だ……。
でも、買ってしまった以上、口を付けた以上、全部飲まないと勿体ない。
半ば涙目になってコクコクとおしるこを喉の奥に流し込む私を、
獅雪さんが心配そうに見ている。
「だ、大丈夫か……?」
「んっ……は、はい」
私にとって救いだった事は、このおしるこの缶が小さかった事だろか。
我慢して全部飲み干すまでにそれほど時間はかからなかった。
でも、口の中が……甘すぎて、思わず胸やけをしてしまいそうな破壊力を味わってしまっていた。
これは……後に残るしつこい甘さっ。
一体、これにどれだけのリピーターが出るんだろう。
絶対に試しにひとつ買って、後で後悔してもう買わないパターンだよね?
「ほのか、大丈夫か?」
「な、なんとか……」
「大抵の女は甘い物好きだと思ってたが、
お前がそこまできつそうにしているのを見ると、
……よっぽどだったんだな」
「獅雪さんが飲んだら、多分倒れる甘さです」
「……絶対飲まないようにするか」
私の背中を擦りながら、獅雪さんがおしるこの缶を見つめて溜息を吐き出した。
「遅くなってごめんね~!」
二人で暫く水槽の中の魚達を鑑賞していると、ようやく梓さん達が戻って来てくれた。
恵太さんの手には、大きな紙袋が三つ。おそらく、あれに獅雪さんの着替えが入ってるんだろう。
それをズズイッと獅雪さんの前に差出した。
「一応臨時の着替え買っといたから、さっさと着替えてこい」
「悪いな。助かる」
紙袋を受け取ると、獅雪さんは急いでお手洗いへと向かった。
これで、なんとか風邪は引かずに済む、かな?
「梓さん、恵太さん、本当に有難うございました。
お二人のお蔭で、獅雪さんが体調を崩さずにすみました」
「ほのかちゃんが気にする事ないって!
あとで征臣に、ちゃんと立て替えた金は請求するしな!!」
「征臣君、明日から出張なんでしょう?
デートがおじゃんにならなくて良かったわ」
「まぁ、征臣の事だからな。
たとえずぶ濡れでもデートは続行するって!!」
長椅子に腰かけた恵太さんと梓さんが、獅雪さんの消えて行った方を見ながら笑う。
そういえば、水族館で顔を合わせた時に、明日からの出張の事を獅雪さんが口にしていたものね。
だから、梓さんも気を遣ってくれたんだ。
私は二人にお礼を言って、獅雪さんが戻って来るまでの間雑談を楽しんだ。
これから二人は、水族館のイルカショーを見た後に、昼食に行くのだそうだ。
毎日、お店の事で忙しいから、たまに取れた休みを心行くまで満喫するのだと恵太さんが嬉しそうに言っていた。
相当の甘さだったようです。おしるこさん。




