前日デート~ぬいぐるみ展示場~
日曜日になりました。
「うわ~! 可愛い子がいっぱいいる~!!」
両手を胸の前で合わせた私は、目の前の光景に喜びいっぱいの心境だった。
ふわふわもこもこの愛らしいぬいぐるみが、
展示場にずらーっと並んでいる様は胸にときめきを抱かずにはいられない光景である。
日本でも有名な某先生の手がけた作品の数々を堪能できる日が来るなんて!
私は、今にも展示場の中に飛び込みたい気持ちを抑え振り返った。
「獅雪さんっ、早く入りましょう!」
「……どうしても、……俺も入らないと駄目か?」
展示場の入り口付近にある壁に寄りかかっていた獅雪さんが、
抵抗の意思を秘めた瞳で私に伺いを立てた。
その言葉に、私は展示場の中と獅雪さんの顔を見比べてみる。
展示場は、今日この日のために可愛いぬいぐるみで埋め尽くされ、
軽くメルヘン空間になってしまっているのが、入り口から少し覗いただけでもわかるほどだ。
対して、獅雪さんに女の子や子供が好みそうな空間が似合うかと問われれば……。
「(異色の組み合わせすぎるかもしれない……)」
ついつい、獅雪さんとの久しぶりのデートで「どこに行きたい?」と希望を聞かれ、
このぬいぐるみ展を希望してしまったのは他でもない私なわけで……。
今思うと、男性と行くには不似合いな場所を選んでしまったのかもしれない。
でも、一度で良いから見てみたかったし……。
「や、やっぱり、他の場所に行きましょうか……」
獅雪さんが抵抗があるなら、やはり変えるべきだよね。
最初にこの展示会の事を言った時は、普通に了承を貰えたから大丈夫だと思ったんだけど。
展示場の入り口に来たあたりで、思いっきり獅雪さんの顔が引き攣ってたし、
多分、想像外のメルヘンさだったんだと思う。
「あー……、俺が悪かった。
だからそんな悲しそうな顔すんな。
少し、……いや、かなり……抵抗はあるが……、
俺も一緒に入るから……」
「いえ、無理はしないでください。
獅雪さんと可愛いぬいぐるみなんて、かなりアンバランスな気はしますし。
展示会場で、子供達が獅雪さんとぬいぐるみのコラボを見て泣き出したりする可能性も……。
だから、覗けただけでも私は十分ですから」
「ほのか……、さりげに辛辣な内容が混じってるが……」
「はい?」
「はぁ……、なんでもない。ともかく、ほら、入るぞ」
壁から離れた獅雪さんが溜息と共に、展示会場にツカツカと足を踏み入れていく。
その背中を追って私も付いて行くと、入り口を抜けたところで獅雪さんの歩みが止まった。
「予想以上に……圧巻だな……」
「わぁ~……、おっきなテディベア!!」
改めて中に入ると、入り口からちょっとしか見えていなかった部分も姿を現した。
たくさんのぬいぐるみの他に、一番奥には巨大なふわふわのテディベアが三体ほど鎮座している。
天井に頭が着くくらいのそれに、私も獅雪さんも暫くの間言葉を忘れて見入ってしまう。
細部に至るまで精巧に作りあげられたであろうテディベア。
私は我に返ると、スタスタと歩いて巨大なテディベアに触れに行った。
「もふもふ~、獅雪さん! すっごく柔らかいですよ!!」
「倒れはしないと思うが、気を付けて触れよ。
ほら、そこに注意書きがある。読んどけ」
よく見てみれば、獅雪さんの言う通り注意書きがしてあって、
触っても良い部分についての記載が書かれていた。
危ない、危ない。こんなに大きな物を万が一倒してしまったりしたら一大事だ。
だけど、すごくどっしりとしている様をみると、そう簡単には倒れなさそうな感じだよね。
注意書きには、「頭には触らないでください」とある。
……テディベアの頭は、遥か上の方で簡単には触りにいけないと思う、うん。
子供が間違ってよじ登ったりとか、その辺りを心配しているのかな?
「女子供って、こういうのが好きだよなぁ……。
おい、ほのか、いつまで触ってんだ?」
「すみません、肌触りが良すぎて離しがたいというかっ」
上質の素材を使ってある事が、手のひらを通して伝わってくるテディベア。
これは、一度触るとなんだか手放せない誘惑があって、なかなか手が離せない。
「ずっとそのままでいる気か?」
「ううっ、だって、ふかふかしてて気持ち良いんですよ~」
「そんなにか……」
私がテディベアから手を離せないでいると、獅雪さんもそっとそれに触れようと手を伸ばしてきた。
ふわっと……包み込まれた獅雪さんの手が優しくその表面をひと撫でした。
「獅雪さん?」
「……なぁ、ほのか。
これって……売りもんじゃないんだよな?」
「は?」
「いや、あまりにも素材が良いっつーか、
寝具の素材に使ったら、さぞかし寝心地が良いだろうな、と」
少しうっとりとした表情で、もうひと撫でした獅雪さんが小声でテディベアに使われている素材に
感嘆の言葉を漏らしている。
確かに、すごく気持ち良い良質な感触ですけど、寝具に使うというのは頭になかったです。
獅雪さんは名残惜しそうに手を離すと、この展示会場の作品を説明しているスタッフの人の元に向かってしまった。
もしかして、本気でこのテディベアの素材元を聞きに行ったのかな?
彼がスタッフの人と話している間、私は他のぬいぐるみを見て周ることにした。
「あ、これアルパカかな? 小さいけどこれも素材が良いな~。
こっちは兎さんだ」
「ほのか、悪い、待たせた」
「あ、お帰りなさい獅雪さん」
手に持っていたぬいぐるみを展示場に戻すと、私はそろそろ行きましょうかと入り口を指差した。
獅雪さんがスタッフさんと話している間、結構見て周れたしね。
「もういいのか? 俺に気を遣っているのなら別に」
「大丈夫です。それに、一日って意外と短いですから……。
獅雪さんと色んなところに行きたいんです」
「ほのか……」
明日から外国に旅立ってしまう獅雪さんの事を考えると、
少しでも長く一日を感じていたいと思う。
こうやって、少し手を伸ばせば触れられる獅雪さんが遠くに行ってしまうんだもの。
帰ってくるまでの二週間、ううん、お仕事の関係もあるから、
また一緒にデートが出来る事自体二週間より先の事になるかもしれない。
私はそんな寂しさを抑えて、獅雪さんの手を自分から握った。
「じゃあ、次はこの施設の隣にある水族館にでも行くか?」
「はい!」
私の寂しさを払拭するように、獅雪さんも強く握り返してくれる。
そうやって、展示場を出るために入り口に向かおうと歩いていたその時、
入ってくる人の波にぶつかってしまった私は、バランスを崩して転びそうになってしまった。
すかさず、獅雪さんが私を支えようと腕を伸ばしてくる。
だけど、その動きよりも早く、別の誰かの大きな手が私の身体を上手く支えてくれた。
「……大丈夫?」
「あ、……は、はいっ」
どうにか転ぶ事もなく態勢を立て直した私に、綺麗な響きのある低音が響いた。
顔を上げると、パーカーの帽子の部分を深く被りこんだ男性の姿があった。
背中には何か楽器を収めたケースを担いでいて、指にはシルバーの指輪を幾つか嵌めている。
その人は、私に怪我がないとわかると、すぐに展示場の奥へと歩いて行ってしまった。
……顔は見えなかったけど、ちょっと不思議な感じのする人だなぁ。
一見して悪く言えば、顔を隠した不審者に見えない事もなかったけれど。
「男がこういうとこに入るのは勇気がいるからな。
誰かに見られたらまずいと思って、ああしてるんじゃないか?」
パーカー姿の男性を視線で見送っていた私に、
獅雪さんが考えを読んだかのようにそう口にした。
見たところ、男性には連れらしき人の姿がないようだった。
そっか、だからなんだ……。
合っているのかわからない答えにとりあえず納得して、
私達は水族館へと移動する事にした。
獅雪、ちゃっかりと巨大テディベアの素材を突き止めたようです。




