柾臣と蒼~柾臣視点~
ズルズルと、別の部屋に連れて行かれた柾臣のその後。
蒼に無理矢理座敷を連れ出され、俺は少し離れた場所にある部屋に放り込まれていた。
障子を静かに閉めた蒼が、表面上は穏やかに俺を威嚇してくる。
怒りの原因はわかっている。梓さんとほのかの会話でバレてしまった俺の悪行のせいだ。
一応は、二年間の地獄に耐えた俺に、ほのかと関わる事を許した蒼だが……。
全部を全部許していたわけじゃない。俺の行動によっては、すぐにほのかと引き離すことも考えていたはずだ。
そして、幸いなことに、俺がほのかに対して不埒な行いをしたことは、今日までバレることはなかった。
「柾臣、俺、言ったよね? 無理強いとか、あの子が泣くようなことはするな、って」
「……抑えが利かなかったんだよ……仕方ねぇだろ」
「そのせいで、ほのかに怖い思いをさせたり、泣かせたりしたんだろう?
両想いになってなかったら、……絶対に酷い目に遭わせたのに」
もし、ここで俺を殴れば……、戻った時にほのかが心配するだろう。
それは蒼も本意じゃないはずだ。
だが、俺を射抜く視線は容赦なく絶対零度の脅威を秘めている。
本気で俺がほのかに拒絶されていたら……、病院送りだろうな……。
なにせ、二年もかけて俺を試した男だ。妹をどれほど大事に思っているかは手にとるようにわかる。
「それが、仮にも親友に対して言う言葉かよ……」
「親友と妹を天秤にかけて、どっちに傾くかなんて容易い問いだね」
はいはい、わかってますよ……。
どうせ、圧勝で妹の方に傾くんだろうが……。
優しい兄を装って、それ以外にはどこまでも真っ黒ドライな鬼畜野郎めっ。
大学時代、絶対会わせようとしなかった蒼の宝物……。
予想外のところで、俺がその妹に出会ってしまい惚れてしまったことを知った時のアイツの顔。
今思い出しても、身震いするほどに冷たい顔をしやがったのを今でも覚えている。
ほのかともう一度会うために、俺がこいつに課された試練は口では言えないくらいに無理難題が多かった。
おそらく、すぐに引き下がると高を括っていたんだろう。
だが、生憎と俺はちょっとやそっとで引き下がるようなヘタレじゃない。
やってやったさ……。二年間、ありとあらゆる拷問を、耐えに耐えて……!
その果てに、ほのかと見合いをするという権利を獲得して、一ヶ月かけて想いを叶えたというのに……。
意外なところで、ほのか本人の口から俺の素行の悪さがバレてしまった。
「とりあえず、さっきの話でイラッとしちゃったから……、責任取って貰おうか?」
「笑顔で言うなー!! この鬼畜!!」
「大丈夫、痛いのはちょっとだけだよ。何かあってもお医者さんが頑張ってくれるからね」
「いい訳ねーだろ!! こっち来んな!! 近寄るな!!」
座敷に上がって蒼から逃げるように距離をとると、笑っていない目で確実に俺に近寄ってくる。
こいつはやる。やると言ったらやる。そういう有言実行の男だ。
脅しじゃない。どこで学んできたのか、蒼には喧嘩の心得があった。
それこそ、並みの人間じゃ太刀打ちできない相当の……。
見た目は優男、荒事など好まないような顔をしているが、蓋を開ければ見てはいけないものが潜んでいる。
「柾臣、大人しくしようか。
ほのかには上手く言っておくから、安心して……失神していいよ」
「ふざけんなぁああっ!!」
あわや魔王に殺される! と危惧したその時、
障子が横に開き、ビールと酒の瓶をトレイに載せた恵太が顔を出した。
間一髪、さっきは後でどうしてやろうかと思ったものだが、今は恵太が仏か何かに見える。
「こんなこったろーと思ったよ。蒼、気持ちはわかるけど、ウチで暴力は禁止!
店主として許さねーぞ」
「……恵太」
「ほのかちゃんに言いつけるぞ」
「……はぁ、わかったよ」
俺の身に迫っていた危険は、恵太によってなんとか回避された。
さっきは大人しくやられてこいとかなんとか言ってたが、やはり持つべき者は大学時代の親友。
どうやら、ほのか達のところを抜け出してこっちに駆け付けてくれたようだ。
「恵太、あっちはいいのかい?」
「あぁ、ついさっきさ、柾臣の姉ちゃんと婚約者の人が一緒に来たから、
今、皆で勝手にやってもらってるんだよ」
「あ~……、姉貴か。そういや遅れて来るって言ってたんだっけか」
俺とほのかが恋人同士になったと話したら、自分も祝いの席に参加すると張り切っていたのだ。
今頃は、土産持参で盛り上がっている頃だろう。
姉の婚約者は、俺の三つ上で今年で三十歳になる。
俺の親が経営している会社と協力関係にある会社の子息だ。
女が好みそうな優しい顔立ちとそれに合った物言いをする男だが……、
「(あれも無害、とは言えるかどうか……)」
初めて姉が連れて来た時、俺はその男にうっすらと蒼と同じようなものを感じた。
優しい顔立ちをした男は、大抵裏がある。その見本のような気配に、特に自分達に害がないならいいかと結婚には賛同したのだ。
おかげで、俺自身は平和そのもの。姉も結婚という名のゴールに向かって幸せ爆進中だ。
「つーわけだから、こっちは男三人で飲もうや。
少ししたら戻ればいいし、大学時代の話でもつまみにさ」
「せっかく柾臣にお仕置きをしてあげようと思ったのに……。
まぁいいか。恵太、お前が秘蔵しているお酒も持って来てくれると嬉しい、かな?」
「げっ。なんでそれを……っ」
「大学時代に言ってただろ? お前が大事に隠してるって噂の」
「なんでそんなこと覚えてるんだよ~っ、うぅっ」
「飲みたいな~、ねぇ? 恵太」
「チクショォオオオオ!! わかったよ!! 飲ませてやるよぉおお!!」
すっかり気分を殺がれた蒼が、頬杖をついて恵太に流し目を送った。
おそらく、俺をとんでもない目に遭わせようとしたのを邪魔された仕返しだろう。
恵太は泣く泣くその酒を取りに障子の向こうに向かった。
出て行く際、俺の方を振り返って一言。
「今日の飲み代食事代、全部合わせて柾臣のおごりだからな!!
俺の分の酒の代金もお前が払えよぉおおお!!」
―ピシャンッ!!
……おい。なんでそこで俺に全部払わせることになるんだ。
捨て台詞のごとく放たれた言葉にぼけっとしていると、蒼が自分の向かいの席を指差した。
座れ、そう言いたいのだろう。一応は蒼の怒りも収まっているらしく、俺はそれに素直に従うことにした。
座布団に足を崩して座ると、蒼がビール瓶を片手にこっちに向けてくる。
恵太が置いていったコップを手にとり、とりあえず差し出してみた。
何も言わず黄金色のそれが注がれるのを眺めていると、
「……ほのかのこと、ちゃんと責任持てるんだよね?」
「当たり前だろうが。お前の無茶ぶりに二年も耐えたんだ。
絶対……、もう泣かせない」
「はぁ……。仕方ないなぁ……。
わかったよ、今回だけは許しておくよ。
だけど、……結婚まで何事もなく辿り着けるかな」
「はっ、なんだそれっ」
「世の中に、全部甘いだけの話なんてないってことだよ、柾臣。
俺の方でもフォローはしてあげるけど、期待はしないでね」
「だから、何を言って……」
「まぁまぁ、はい、飲んで。
今日は楽しい祝いの席だからね」
今は言う気がないのか、蒼はビールを注ぎ終わると、早々に話を切り上げてしまった。
熱燗の方を手に取ると、それを猪口に注いで静かに飲み始めてしまう。
話の中身を確かめようと、俺が身を乗り出すより先に、恵太が戻って来てしまい結局その話を聞きだす事は出来なかった。
飲んだビールの味も、まるでこれからを示唆するように、苦味だけが舌の上に残った。
親友の関節でも笑顔でやれてしまう蒼……。
ほのかは大変な兄をもったものです。




