俺様獅子と危険な夕方
幼稚園の仕事を終えて、帰り支度を整えた私は門へと向かった。
辺りを見回してみたけれど、どうやら獅雪さんはまだ到着してはいないらしい。
壁に寄り掛かって待つ事にした私の元に、同じく帰り支度を終えた透先生が駆け寄ってくるのが見えた。
「ほのか先生! お疲れっす!」
「ふふ、さっきも中で会ったじゃないですか」
「ははっ、ついクセで」
頭の後ろに手を当てて、愛想笑いを浮かべる透先生は、本当に可愛いなぁ。
一つしか歳が違わないのに失礼かなって思うけど、彼を見ていると弟のように思えて心が温かくなる。
それは、私以外の先生達も同じ気持ちだろう。
透先生が園に来て、その太陽のように明るい性格は、子供達も含めて私達に良い影響を与えている。
彼を叱って引き摺っていく年配の女性の先生だって、なんだかんだ言って、透先生を内心可愛く思っているのだ。
「ほのか先生、頼みがあるんだけど、五分、いや、一分だけ、俺の話聞いてくれない?」
「え……」
「一言で終わることではあるんだけど、あのっ、んんっ、もう先越されんの嫌だし!!」
急に真剣な表情になった透先生が、私の両手を包んでぎゅっと握った。
私より身長があるから、少し私の目線に合わせて屈む形になっている。
話があるのは構わないけれど、どうしてこんなに近くに……。
強い眼差しが、私を真っ直ぐに射抜いてくる。
「俺っ、今日、ほのか先生に好きな奴がいるって知って、でも、付き合ってないって聞いて、
無駄かもしんないけど、それでも諦められなくて……」
「と、透先生?」
「俺、言わずに後悔とか嫌だから!
だから、……だからっ」
堰を切ったように、透先生が力強く言葉を私に向けてくる。
必死に何かを伝えようと足掻いているのがわかるほど、強く、強く。
その勢いに呑まれた私は、逃げることも出来ず足も動かせない。
透先生は、何を言おうとしているの……?
言われている内容から、まさかという予想外の考えが浮かぶ。
だけど、それと同時に、急に私の背中に何か冷たい悪寒のようなものが生じ始めた。
「(なに……嫌な予感が……)」
「俺、俺……!」
「透先生、ちょっと待ってくださいっ」
何かが近づいてくる、物凄くタイミングの悪い何かが……!
それは本能ともいえる感覚だろう、警鐘が頭の中で凄まじい音を立てて鳴り始めた。
だけど、それに気付かない透先生は、さらにぐっと私の顔の前まで近づいて口を開いた。
「俺、――ほのか先生のことが好きなんだ!!」
――バタン!!!!!!!!!!!!
透先生の衝撃の告白と同時に、背後で乱暴にドアを閉める音が響いた。
私は、告白されたことよりも、その荒々しい不機嫌な様子を表したかのようなドアの閉まる音に、
一瞬で身体をビクッと強張らせてしまった。
……いる。後ろに……、――不機嫌MAXの俺様獅子が!!
見なくたってわかる。この独特の緊張感と一ヶ月で覚えた獅雪さんの不機嫌なオーラの余波を!
「ほのか先生? 俺の話、聞いてた?」
「あ、あの……、あ~……」
コツ、コツ……と、無意味に静かな足取りで俺様獅子が近づいてくる気配がする……。
肌を刺すような冷たい空気が、後ろを見れない分、感覚として強く伝わって……。
「ほのか先生、ねぇ、どうしたの?
俺の告白、そんなに驚きだった?」
「ち、ちが……」
私の顔ばかり覗きこんでいる透先生に、徐々に近づきつつある俺様獅子の存在は認識外のようだ。
自分の伝えた想いに対して、私が固まっているのだと思いこんでいる。
今、私の思考を占領しているのは……。
私の肩に、背後から手が置かれ……、『彼』の顔が横に割り込んできた。
怒りと不機嫌さを充分すぎるほど含んだ低い声音が……、
「こいつに触るな……」
がっと大きな手が透先生の腕を掴み、私から引き離した。
勢いをつけて腕ごと押し飛ばされた透先生が、道端に尻もちをつく。
「透先生!」
あまりの乱暴な振る舞いに、透先生の元に駆け寄ろうとした私を獅雪さんの腕が力づくで阻んできた。
きっとまた米俵テイストに担ぎ上げる気なんだ。さすがに今回ばかりは大人しくされるがままになる気にはなれなくて、
私は全力で獅雪さんに抗った。だけど、身体が持ち上げられる際に、獅雪さんの凍るような冷たい視線を見てしまった。
「……っ、獅雪さん」
「黙ってろ」
「ってぇ……、なんなんだよ、いきなり! アンタ、この前の誘拐犯男じゃねーか!
ほのか先生をどこに連れてく気なんだよ!!」
突然の乱入者の行為に、状況を呑み込めていなかった透先生が、どうにか腕を擦りながら立ち上がった。
担ぎ上げられた私を助けようと、獅雪さんに喰ってかかるけど、今の獅雪さんにそれはまずい。
不機嫌どころか、絶対零度まで下がっている獅雪さんの機嫌を煽ってはいけないのに……。
獅雪さんの胸元のワイシャツを掴み、透先生が私を離せと怒鳴りつける。
「離せよ! ほのか先生を離せ!!」
「ほのかは、俺の婚約者だ。こいつをどこに連れて行こうが俺の勝手だ。
……部外者は黙ってろ」
「なんだと!! ……って、え? 婚約者ぁ!?」
「し、獅雪さん!?」
なんでこんな所で、このタイミングで、そういうバラさなくてもいいことを言うのっ。
獅雪さんにがっちりと強い力で拘束されて担がれている私は、足をバタバタと動かして抗議した。
婚約は、あくまで仮の状態であって、まだ誰にも言っていないことなのに……。
獅雪さんは、躊躇いもせずに透先生に言い放ってしまった。
その声音は、彼の先ほどの冷たい視線と同じように、どこまでも凍えるように低く冷徹な色を含んでいた。
不機嫌どころの騒ぎじゃない。どうにか宥めないとっ。
「獅雪さん、落ち着いて、お願いだからっ」
「ほ、ほのか先生っ、本当なの!? こいつと婚約してるって……!
だって、好きな奴とは付き合ってないって昼にっ」
「……好きな奴?」
「透先生! それは……っ」
またまた、なんてタイミングで、なんてことを!!
獅雪さんに対して抱いているこの想いを、まだどうしていいかわからず悩んでいたというのに。
透先生を睨んでいた獅雪さんが、その言葉を聞いた途端……、車に向かって歩き出した。
後ろで私に向かって、「ほのか先生~!」と叫んでいる透先生に、私は顔の前に手を合わせて謝る。
「ごめんなさ~い! またっ、園で会った時に説明しますから~!」
私のせいで透先生にはとんだとばっちりを与えてしまった。
この償いは来週菓子折りでも持って謝らねばならないだろう。
そして、平穏な週明けを迎えるためにも……、今はこの俺様獅子の機嫌をどうやって鎮めるか考えなくてはっ。